今回紹介するのはabc予想の証明に関する最近の動向を伝えている記事です。
これを選んだ理由は素人衆が知ったかぶりに勝手なことを書いているのをネット上で散見するからです。ここで言う素人衆は日本のメディアはもちろんのこと、馬鹿サイエンスライターも当然含みます。昨年末(2017年12月16日)に某新聞が誤報に近いことを報道したことも記憶に新しいでしょう。そんな情報に振り回されないために今回の記事です。
今回の記事は正確かつ公平だと私は思いました。私の友人共の何人かは、この方面の専門家だから門外漢の私はいろいろなことを教えてもらいました。その上での感想です。
その方面の専門家でなくても数学の研究者なら望月論文は無理でもレポートは読めるはずなので、もっと詳しく知りたい人はレポートを読んで下さい。
前置きはこれくらいにして、紹介する記事は"Titans of Mathematics Clash Over Epic Proof of ABC Conjecture"です。その私訳を以下に載せておきます。
[追記: 2018年10月06日]
ここに至るまでの経緯については"数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明"を読んで下さい。その記事は2015年12月にオックスフォードで行われた望月論文に関する初めての国際的ワークショップより前の話が書かれています。
このワークショップはいろいろ評価が分かれるけれども、私が聞く限り、大失敗だと言う人が多いです。実際、私の海外の知人の一人がワークショップに参加しており、ボロクソに言ってました。
このワークショップを境に、海外特に米国では望月論文を理解しようとする熱意が急速に薄れたように感じますし、ショルツ、スティックス両博士の異議申し立てが出るまで実質何の音沙汰もない状態でした。
[追記: 2018年10月23日]
私の友人共に指摘されたのですが、この記事の私訳を読む人の殆どが日本の全くのド素人なんだから、たとえ原文に記載されていなくても誤解を生じさせないように訳者が万全を期するべきだと言われました。
記事に出て来るPublications of the Research Institute for Mathematical Sciences(略してPRIMS)誌は京都大学数理解析研究所(略してRIMS)が発行する数学ジャーナルです。つまり、望月新一博士は勤務先が発行する数学ジャーナルの主任編集者ということになります。RIMSから研究予算を貰い、その成果をRIMSが発行する数学ジャーナルに掲載して何が悪いのかという議論がある一方で、海外からは非常に透明性に乏しいという指摘が少なからずあります。
私も私の友人共も、そして海外の知人達も意見が同じく、望月論文が受理されたとしても掲載誌はPRIMSではない方がいいと考えています。
これを選んだ理由は素人衆が知ったかぶりに勝手なことを書いているのをネット上で散見するからです。ここで言う素人衆は日本のメディアはもちろんのこと、馬鹿サイエンスライターも当然含みます。昨年末(2017年12月16日)に某新聞が誤報に近いことを報道したことも記憶に新しいでしょう。そんな情報に振り回されないために今回の記事です。
今回の記事は正確かつ公平だと私は思いました。私の友人共の何人かは、この方面の専門家だから門外漢の私はいろいろなことを教えてもらいました。その上での感想です。
その方面の専門家でなくても数学の研究者なら望月論文は無理でもレポートは読めるはずなので、もっと詳しく知りたい人はレポートを読んで下さい。
前置きはこれくらいにして、紹介する記事は"Titans of Mathematics Clash Over Epic Proof of ABC Conjecture"です。その私訳を以下に載せておきます。
[追記: 2018年10月06日]
ここに至るまでの経緯については"数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明"を読んで下さい。その記事は2015年12月にオックスフォードで行われた望月論文に関する初めての国際的ワークショップより前の話が書かれています。
このワークショップはいろいろ評価が分かれるけれども、私が聞く限り、大失敗だと言う人が多いです。実際、私の海外の知人の一人がワークショップに参加しており、ボロクソに言ってました。
このワークショップを境に、海外特に米国では望月論文を理解しようとする熱意が急速に薄れたように感じますし、ショルツ、スティックス両博士の異議申し立てが出るまで実質何の音沙汰もない状態でした。
[追記: 2018年10月23日]
私の友人共に指摘されたのですが、この記事の私訳を読む人の殆どが日本の全くのド素人なんだから、たとえ原文に記載されていなくても誤解を生じさせないように訳者が万全を期するべきだと言われました。
記事に出て来るPublications of the Research Institute for Mathematical Sciences(略してPRIMS)誌は京都大学数理解析研究所(略してRIMS)が発行する数学ジャーナルです。つまり、望月新一博士は勤務先が発行する数学ジャーナルの主任編集者ということになります。RIMSから研究予算を貰い、その成果をRIMSが発行する数学ジャーナルに掲載して何が悪いのかという議論がある一方で、海外からは非常に透明性に乏しいという指摘が少なからずあります。
私も私の友人共も、そして海外の知人達も意見が同じく、望月論文が受理されたとしても掲載誌はPRIMSではない方がいいと考えています。
[追記: 2019年02月28日]
上の追記で述べたように、2015年にオクスフォードで開催された望月論文に関するワークショップははっきり言って完全に失敗だったと言ってもいいでしょう。ところが世の中にはいろいろな人がいて、明らかに提灯記事と思われる一部の記事を盾にして一歩前進したと言って憚らない人達がいます。それらの人の国を言及すると、また私の愛国精神がどうのこうの、自虐史観がどうのこうのと数学とは全く関係がないことを言い出すおそれがあるので言及しません。しかし、そのワークショップに参加した海外の知人の一人がボロクソに言っていたことをそのままでは(いわゆるabuseのかたまりですから)出せませんが、その文章の一節がおそらく世界の数学コミュニティの声を代弁していると思いましたので以下に載せておきます。
That conference was the worst I've ever participated in.
The problem is that Mochizuki should have sent himself or his colleagues who could communicate enough with others in English. Didn't he have any decent adherents of his theory? Or rather, does he give short shrift to us?
It seems as if he had a visceral dislike of our understanding of his theory by all appearance.
[追記: 2019年03月07日]
この記事と同趣旨ですが、もっと数学を前面にした記事としてロバース博士の"識別の危機"があります。ロバース博士はキャテグリ理論の専門家の立場から両陣営の主張を紹介しています。
[追記: 2019年03月13日]
この記事を読んでショルツ、スティクス両博士側に肩入れしているように感じた人もいると聞きました。それを聞いて私は正直意外に思いました。つまり、記事をしっかり読んでいるのかと疑いました。そもそも著者のErica Klarreich女史は記事を書くにあたって望月博士側にも取材を申し入れていたのですが、応じて貰えなかったのです(このことも記事には断りとして書かれています)。当然ショルツ博士側の生の声を書くしかないでしょう。どちらに非があるかは一目瞭然です。
そして、私の海外の知人達によれば、この記事を殆どの人が好意的に受け止めています。何故なら出来る限り著者は公平に書こうとしていることが分かるからです。しかし、ここまで日本と海外とで認識の差が出るとは少なくとも私には驚きです。
[追記: 2019年03月24日]
このペィジは2018年09月27日に某サイトに載せたものです。
[追記: 2019年07月25日]
ピーター・ショルツ博士のインタヴュー記事"2012年当時のピーター・ショルツへのインタヴュー"、"フィールズ賞受賞者ピーター・ショルツへのインタヴュー"もご参考に。
[追記: 2019年11月03日]
Publications of the Research Institute for Mathematical Sciences(略してPRIMS)誌は京都大学数理解析研究所(略してRIMS)が発行すると[追記: 2018年10月23日]に書きましたが、2010年からはEuropean Mathematical Society Publishing House(欧州数学協会出版部)に出版業務を委託しました。ですから出版業そのものにはRIMSは関わってませんが、発行責任元がRIMSであることは全く変わりありません。従って、RIMSが発行すると書いても間違いではありません。
[追記: 2019年12月12日]
ピーター・ショルツ博士の記事については他にも"数論の賢人"があります。
[追記: 2020年04月10日]
皆さんもご存知だと思いますが、京都大学数理解析研究所(略称RIMS)は2020年04月03日の記者会見で望月論文を受理したことを発表しました。このニューズはあっと言う間に世界の数学コミュニティに知れ渡りました。私がニューズを知った時の所感を海外の知人達に書き送りましたので、包み隠さず以下に載せておきます。
While the big names in maths are doubting the proof, the PRIMS suddenly accepted the papers. I have no idea whatsoever why the PRIMS did so.
I have no choice but to say we'd better keep out of the PRIMS or the RIMS. In Japan, there are a lot of public relations regarding IUT out there. For example, the Japanese idiots are passionate about Fumiharu Kato's popular enlightening book written in Japanese. The book shamelessly advertises IUT, of course. I'm disregarding their fashion because it's a matter of indifference to me.
It's a pity that the Japanese media reported that the acceptance by the PRIMS had guaranteed the proof. I worry the Japanese maths community might be isolated from the world. If only the European Mathematical Society Publishing House would decline to publish the issue of the papers!
[追記: 2020年04月16日]
上記に書いた私の所感に対して誤解をしている人がごく少ないですが内外問わずいましたので、海外の知人達にも分かるように追加の意味で以下を載せておきます。
As for Mochizuki's proof regarding Corollary 3.12, no one, including Mochizuki's followers and disciples, is in a position to judge whether it's correct or not; that is, no one can be a referee, a fortiori Mochizuki's followers and disciples in terms of referee neutrality can't. Who on earth can be a referee? Can you tell me who's eligible? Incidentally, Akio Tamagawa, a member of the PRIMS editorial board, said the editorial board decided to accept Mochizuki's papers because of the referees' recommendation. I don't believe it at all. Or rather, I worry that there might have been no fair referees, contrary to Tamagawa's say.
[追記: 2019年11月03日]
Publications of the Research Institute for Mathematical Sciences(略してPRIMS)誌は京都大学数理解析研究所(略してRIMS)が発行すると[追記: 2018年10月23日]に書きましたが、2010年からはEuropean Mathematical Society Publishing House(欧州数学協会出版部)に出版業務を委託しました。ですから出版業そのものにはRIMSは関わってませんが、発行責任元がRIMSであることは全く変わりありません。従って、RIMSが発行すると書いても間違いではありません。
[追記: 2019年12月12日]
ピーター・ショルツ博士の記事については他にも"数論の賢人"があります。
[追記: 2020年04月10日]
皆さんもご存知だと思いますが、京都大学数理解析研究所(略称RIMS)は2020年04月03日の記者会見で望月論文を受理したことを発表しました。このニューズはあっと言う間に世界の数学コミュニティに知れ渡りました。私がニューズを知った時の所感を海外の知人達に書き送りましたので、包み隠さず以下に載せておきます。
While the big names in maths are doubting the proof, the PRIMS suddenly accepted the papers. I have no idea whatsoever why the PRIMS did so.
I have no choice but to say we'd better keep out of the PRIMS or the RIMS. In Japan, there are a lot of public relations regarding IUT out there. For example, the Japanese idiots are passionate about Fumiharu Kato's popular enlightening book written in Japanese. The book shamelessly advertises IUT, of course. I'm disregarding their fashion because it's a matter of indifference to me.
It's a pity that the Japanese media reported that the acceptance by the PRIMS had guaranteed the proof. I worry the Japanese maths community might be isolated from the world. If only the European Mathematical Society Publishing House would decline to publish the issue of the papers!
[追記: 2020年04月16日]
上記に書いた私の所感に対して誤解をしている人がごく少ないですが内外問わずいましたので、海外の知人達にも分かるように追加の意味で以下を載せておきます。
As for Mochizuki's proof regarding Corollary 3.12, no one, including Mochizuki's followers and disciples, is in a position to judge whether it's correct or not; that is, no one can be a referee, a fortiori Mochizuki's followers and disciples in terms of referee neutrality can't. Who on earth can be a referee? Can you tell me who's eligible? Incidentally, Akio Tamagawa, a member of the PRIMS editorial board, said the editorial board decided to accept Mochizuki's papers because of the referees' recommendation. I don't believe it at all. Or rather, I worry that there might have been no fair referees, contrary to Tamagawa's say.
In such a case, as maths journals go, the PRIMS should have rejected Mochizuki's. To put it another way, the PRIMS has no quality as a maths journal.
To make sure, it doesn't matter whether the proof is correct or not; the problem is that no one can be a referee. Not surprisingly, quite a few people, most of whom are Japanese, don't understand it.
That's all I'd like to say.
[追記: 2020年04月28日]
友人共の話によれば、私を何者かと盛んに詮索している馬鹿連中がいるらしいです。海外の人達にも分かるように以下を書いておきます。
"Taro-Nishino" is my pseudonym, and so it's in vain to find me out, whatever search engines you may use. Just as writers do, I use my pseudonym, too.
Of course, relatives, friends, and acquaintances know who I am and my real name. They never expose me. It's common knowledge nowadays to use pseudonyms in writing blogs such as mine.
To make sure, it doesn't matter whether the proof is correct or not; the problem is that no one can be a referee. Not surprisingly, quite a few people, most of whom are Japanese, don't understand it.
That's all I'd like to say.
[追記: 2020年04月28日]
友人共の話によれば、私を何者かと盛んに詮索している馬鹿連中がいるらしいです。海外の人達にも分かるように以下を書いておきます。
"Taro-Nishino" is my pseudonym, and so it's in vain to find me out, whatever search engines you may use. Just as writers do, I use my pseudonym, too.
Of course, relatives, friends, and acquaintances know who I am and my real name. They never expose me. It's common knowledge nowadays to use pseudonyms in writing blogs such as mine.
In a nutshell, what does it matter who I am?
[追記: 2020年05月14日]
上記の[追記: 2019年02月28日]の中で触れた2015年の12月にオクスフォドで開催された望月論文に関するワークショプについては"証明をめぐる3年の苦闘の後、困惑したままの数学者達"を見て下さい。
[追記: 2020年06月24日]
海外の知人の中には望月論文がPRIMSに掲載されても無視すればいいだけの話に過ぎないという矮小化した意見の人達もいます。しかし、数学の一貫性のためにそれでは駄目なんだと多くの人は考えています(残念ながら殆どの日本人はこのキャテグリに入ってません。理由は簡単です。内向けの視線しか持てず、たんなるミーハーの集まりに過ぎないからです)。ここで最近私が海外の知人へ書き送ったものをそのまま載せておきます。
I have been saying this: no one, including Mochizuki's followers and disciples, is in a position to judge whether or not the proof of Corollary 3.12 is correct, and virtually no one can be a referee, so the PRIMS should have rejected Mochizuki's papers. Incidentally, Akio Tamagawa, a member of the PRIMS editorial board, said the editorial board decided to accept Mochizuki's because of the referees' recommendation. I don't believe it at all. Or rather, I worry that there might have been no fair referees, contrary to Tamagawa's say.
Here temporarily, however, suppose some can judge the proof correct outside Mochizuki's followers and disciples and that the PRIMS requested them to be referees. Mochizuki's followers and disciples have to get excluded from the referees in terms of neutrality. In maths journals, there exist anonymity to protect referees' neutrality, not that they can do anything they plot under their anonymity. Among others, most importantly, they've got to sustain their neutrality. There should be no room for doubt about it.
Even then, I cannot but question whether the anonymous referees seriously played their roles in examining the proof. The reason is that I feel that the PRIMS can't exceptionally open the referee reports to the maths community publicly, and neither can those referees convince such other experts as, shall I say, Scholze, Kedlaya, and so on of the correctness of the proof.
Be that as it may, to preserve the integrity of maths and lest the ABC conjecture should turn into Mochizuki's theorem called only in Kyoto, Japan, conscientious mathematicians must continue to object to the publication of the proof at any cost.
[追記: 2020年05月14日]
上記の[追記: 2019年02月28日]の中で触れた2015年の12月にオクスフォドで開催された望月論文に関するワークショプについては"証明をめぐる3年の苦闘の後、困惑したままの数学者達"を見て下さい。
[追記: 2020年06月24日]
海外の知人の中には望月論文がPRIMSに掲載されても無視すればいいだけの話に過ぎないという矮小化した意見の人達もいます。しかし、数学の一貫性のためにそれでは駄目なんだと多くの人は考えています(残念ながら殆どの日本人はこのキャテグリに入ってません。理由は簡単です。内向けの視線しか持てず、たんなるミーハーの集まりに過ぎないからです)。ここで最近私が海外の知人へ書き送ったものをそのまま載せておきます。
I have been saying this: no one, including Mochizuki's followers and disciples, is in a position to judge whether or not the proof of Corollary 3.12 is correct, and virtually no one can be a referee, so the PRIMS should have rejected Mochizuki's papers. Incidentally, Akio Tamagawa, a member of the PRIMS editorial board, said the editorial board decided to accept Mochizuki's because of the referees' recommendation. I don't believe it at all. Or rather, I worry that there might have been no fair referees, contrary to Tamagawa's say.
Here temporarily, however, suppose some can judge the proof correct outside Mochizuki's followers and disciples and that the PRIMS requested them to be referees. Mochizuki's followers and disciples have to get excluded from the referees in terms of neutrality. In maths journals, there exist anonymity to protect referees' neutrality, not that they can do anything they plot under their anonymity. Among others, most importantly, they've got to sustain their neutrality. There should be no room for doubt about it.
Even then, I cannot but question whether the anonymous referees seriously played their roles in examining the proof. The reason is that I feel that the PRIMS can't exceptionally open the referee reports to the maths community publicly, and neither can those referees convince such other experts as, shall I say, Scholze, Kedlaya, and so on of the correctness of the proof.
Be that as it may, to preserve the integrity of maths and lest the ABC conjecture should turn into Mochizuki's theorem called only in Kyoto, Japan, conscientious mathematicians must continue to object to the publication of the proof at any cost.
[追記: 2021年08月12日]
皆さんもご存知の通り、PRIMSの望月論文特別号が2021年03月にEMS Press(元の名称European Mathematical Society Publishing HouseがEMS傘下から独立して改称されました)から刊行されました。この刊行を巡ってEMS内部でも刊行拒否の議論があったと知人から聞きましたが、EMSにはPRIMSの編集権が無く、しかも出版業務契約を不履行もしくは破棄をすることは契約条項に違反し、多額の賠償責任を負うことになるので止むを得ず出版することになったようです。その代わり(?)にEuropean Mathematical Society Publishing Houseを独立させ、EMSとは別組織にしました。
これを聞いて私は海外の知人達に大いに嘆きましたが、或る知人を通じて数学界にいる人なら誰もが知る大物の方からmailをいただきました。通常なら、最下辺にいる私なんかが文通出来るような方ではありません。その方の名誉も考慮して文面のごく一部だけを以下に抜粋します。
Let's bear in mind that it is none other than Mochizuki who is far more desperate to get his theory recognised than we expected. We have only to wait and see how the situation develops. And then don't bother with his circle even if they'll stop at nothing to attain their ends. As a result, the chances are that we'll know his theory turns out to be a fake in due course.
[追記: 2021年09月22日]
私の海外の知人達の多くが不思議がっていることの一つに、2020年04月03日のRIMSの論文受理の記者会見の時から論文刊行の時まで、そして今日に至るまで、日本においては何らかの異論や反論が全く出なかったのかということです。日本語でごにょごにょと何らかを言っている人がいることは私も知ってますが、そんなものは異論、反論または称賛の表明にもなりません。日本語で発信しても全く無意味であり、世界から見れば日本語というバリヤに守られ、国内向けポゥズ、つまり恰好付けのために喚いているとしか思われないでしょう。訝る海外の知人達の何人かに、私が日本の現状について最近書き送ったものの一部を世界の誰もが平均的知性(つまり、英語であれば何ら翻訳エンジンを頼ることなく、最低でも読み書きが支障なく出来るような知的水準のことを指します。こんなことは数学をやっているなら最低水準です。私の海外の知人達は英語ネィティヴスピーカではない人もかなり多いのですが、彼等は全く苦にもしません。そういう知的水準にない人は時間の無駄ですからお引取り願います)があれば読めるようにここに載せておきます。
You can argue about IUT, that infamous Corollary 3.12 in particular, till you're blue in the face abroad, but in Japan, it's nonsense to do that, or rather, even risky. Mochizuki's circle would stop at nothing to attain their ends in Japan. Worse yet, most of them are shamelessly bossy in their country, and so, like the obstinate old, they won't listen to your criticism. It cannot be otherwise. At least I've got nothing I could do about it.
Why has making a free argument about IUT been going from bad to worse in Japan? The plausible reason is that the papers about IUT get left alone all over the world except in Japan despite the long-awaited publication. In other words, if you're Japanese, then you feel obliged to conform to the so-called original and glorious theory made in the name of the RIMS, especially Shinichi Mochizuki, all the more for the previously mentioned reason. You might feel as if you lived in a feudal society, but there it is. It may mean that Japan is, in fact, a backward country.
Be that as it may, since Mochizuki and his circle have turned their backs on the world, there's no way that the proof of Corollary 3.12 gets recognized.
[追記: 2021年10月02日]
海外では望月論文の査読者にまともな数学者がいたのか疑念を持つ人が多いので、参考までに私が海外の知人達に書き送ったものを世界の誰もが読めるようにここに載せておきます。
From a lot of reliable information, I cannot but infer that, regarding the publication of Mochizuki's papers, an unspoken understanding existed inside the PRIMS editorial board long ago, where Shinichi Mochizuki was the chief editor. Not only I but anyone else also takes this inference for granted, though.
It's very doubtful the PRIMS requested conscientious mathematicians to be referees. At this point, I'd like to make one thing clear: Mochizuki's circle, namely his followers and disciples, who look like suckerfishes for him, can't be referees in terms of referee neutrality. Most Japanese need to understand the meaning of it. Those who don't see this meaning may well be weak in the head.
I haven't heard of such a conscientious mathematician who can go over Mochizuki's papers with a fine-tooth comb without missing a beat in Japan. Abroad, most first-rate mathematicians were sceptical about those papers from the outset. Or rather, you'd rather quit being a mathematician than recognize that proof of Corollary 3.12.
In the end, virtually no one can be a referee; nonetheless, the PRIMS didn't reject those papers. Worse yet, the PRIMS not only accepted those papers but officially published them as well. It's only natural that many a mathematician should harshly criticize the PRIMS for blowing its own trumpet.
Taking the status quo into account, unfortunately, I cannot but guess that the referees for those papers were from Mochizuki's circle, abusing the referees' anonymity. It's no use, however, getting upset with such anonymous cowardly referees because they may have only followed someone's command.
To rub it in, most Japanese had better ask themselves severely what the purpose of a referee's anonymity is.
My first inference above isn't simply a guess.
[追記: 2021年10月12日]
世界中でCOVID-19が蔓延している最中に催された2020年04月03日のRIMSの記者会見そのものに対する私の所感(批判)は"COVID-19後の数学"の前置きの中に英語で書いてあります。そこでは、もっと踏み込んだことが書かれてあります。
[追記: 2021年10月19日]
私の海外の知人の一人、リシュエィニヤ(Lithuania /ˌlɪθjuˈeɪniə/、日本の馬鹿表記ではリトアニア)の方との最近のやり取りの中で望月論文の現状について私の個人的見解を書きましたので、その一部分を世界の誰もが読めるようにここに載せておきます。
Abroad, people say Mochizuki's papers about IUT are no more acceptable to the world than Louis de Branges' papers about the Riemann hypothesis are, irrespective of the number of their pages respectively and whether their papers officially got published in maths journals. Mochizuki couldn't win any other experts around to his arrogant idea. Worse yet, people say Mochizuki's papers also are destined to get forgotten unbeknown to the public, like de Branges'. Few mathematicians bother to work on suspicious Corollary 3.12, the centre of Mochizuki's papers, so Mochizuki's will inevitably get forgotten, as previously mentioned. Conversely, if his papers got accepted by the world from the outset, I would think the world insane.
By the by, haven't you ever heard of the above? Probably you haven't if you're Japanese. The reason is that most Japanese have only a look inside their country and won't have a look beyond the country. They seem like big fish in a small pond.
Why can most Japanese have only information limited like that? Despite an English education for at least no less than six years in Japan, most can't master it, and neither can they read quickly and write, let alone speak fluently and hear in English. As a result, only information limited like that can they have, so it's easy enough to play on their ignorance and brainwash them, for example.
It's no exaggeration to say that the intellect of most Japanese is much lower than that of the people from such small countries as the Baltic states, for example, where English isn't their mother tongue. The reason is that despite the previously mentioned restriction, those from such small countries can read quickly, write, speak fluently and hear in English.
[追記: 2022年05月05日]
海外の知人の一人が風の噂で日本の元国営放送局、現在では日本において唯一の広告宣伝の無い何とか放送協会とやらがIUTに関する特集を放映したと聞いたようです。その知人が言うには放映するとしても時期が完全にずれているし、日本にはまだ関心を持つ人がいるのかと不思議に思い、本当に日本は大丈夫なのかと揶揄と憐憫の入り混じった問い合わせを私に書いて来ました。以下に、それに対する私の返答のごく一部分を抜粋して、短いですが世界の平均的知性を持つ人なら誰もが読めるように載せておきます。
Not to worry. Mochizuki's circle seems as noisy only in Japan as ever. For example, NHK broadcast the programme regarding IUT in April, as you know.
I've said that his circle would stop at nothing before. I couldn't care less whatever they do, but perhaps some of them pushed NHK to broadcast this programme. In my view, the programme was off the point. Suffice it to say that the programme got broadcast only for the brainwashing of Japanese laypeople who might well be weak in the head. That is, it's not worth watching. In no circumstances will Mochizuki's circle succeed. That's all there is to it.
[追記: 2022年05月11日]
どうも最近、某放送局のIUT特集の放映があったり、友人共が教えている大学では新入生達が入学したりして、完全なるド素人が増殖中だからなのかどうかは分かりませんが、学生達の中には私の書く英文もろくに読まずに(もしくは読めないので適当に端折り、自分達の都合のいいように解釈して)私を批判するIUT fanらしき者もいるそうです(そして、彼等の卑劣さは、世界には発信せずに日本語という防波堤に隠れて偉そうに喚いているという日本人の特徴そのものとも言えます)。そこで私の考えを簡単にまとめ、平均的知性があれば国の内外を問わず世界中の誰もが読めるように以下に載せておきます。なお、ずっと以前から私の考えは全く変わってません。
All I'd like to say is as follows:
1) Unfortunately, there are cases in such a way that no one, except the authors, understands the authors' papers in the strict sense. Those causes almost all originate from the authors' way of writing. Namely, it's not so much of a good way of writing. I've long since said that no one can be a referee in such a case.
The PRIMS should have rejected Mochizuki's papers. Everyone abroad thinks the PRIMS didn't do so at once because Mochizuki is still the chief editor of the PRIMS. Since there's no telling whether or not those papers are correct, no one can be a referee, and neither can Mochizuki's circle in the sense of referee neutrality. By his circle, here, I mean his followers and disciples. They look like suckerfishes for him. Once again, the PRIMS should have rejected those papers all the more because no one, including Mochizuki's circle, must be a referee.
Be that as it may, who on earth was a referee? Or rather, I fear there might have been no decent referees.
2) Abroad, quite a few well-known mathematicians doubt the proof of Corollary 3.12. While Mochizuki and his circle have to persuade those mathematicians, they've yet to do anything substantial. They won't even give it a go. Only P.R. regarding IUT for the Japanese masses, most of whom might well be weak in the head, did they make an effort to do; for example, NHK Special about IUT, Fumiharu Kato's popular enlightening book written in Japanese, and so on. They seem only to be good at media hype in Japan.
Which side wants to get the papers recognized, Mochizuki's or the other? It's Mochizuki's, by all appearances. Sooner rather than later, go abroad and discuss that proof. Any maths institute will welcome that. The world couldn't care less whatever Mochizuki's circle is doing only in Japan. With all that, they, oddly enough, like to do stuff limited in Japan. I'm not sure of their thinking at all. Don't they feel miserable? I pity them.
Once again, the proof of Corollary 3.12 isn't recognized as long as they turn their backs on the world.
3) All the same, the PRIMS officially published Mochizuki's papers. It's only natural for so many mathematicians abroad to conclude that those papers got passed from the outset without decent referees and have harsh words to the effect that the PRIMS made an exception for Mochizuki.
4) If his proof should be incorrect, Mochizuki wouldn't at all revise those papers that look as if their content was profound and grandiose at first sight, much less retract them, and neither would he make them readable even remotely. At this point, I'd like to make one thing clear; almost all mathematicians don't like Mochizuki's way of writing. It's not too much to say that those papers are written not in mathematical terms but in Mochizuki's odd words. If his proof were to be correct, no mathematicians would understand that. To put it another way, they are the most unreadable and ugly papers ever in the annals of maths.
5) I hear not a few IUT fans stand by Putin. Is that true? I'm not sure what's the reason at all. You're free to be an IUT fan for all I care. Sad to say, a Ukrainian acquaintance got killed in public by Russian troops the other day. So I beg you only not to stand by Putin.
As for IUT fans' reason for standing by Putin, one of my friends hypothesizes that odd as it may sound, Mochizuki and his circle are to IUT fans what Putin's regime is to its passionate Russian supporters. Both are turning their backs on the world and are much the same structurally.
Not only such IUT fans but also the Japanese masses tend more or less to adore dictators. In other words, most Japanese aren't independent in the true sense. It's a great pity.
Last but not least, I'd like to say this to Russians, especially Russians not living in their homeland: never forget that it's none other than Russians (including Putin) that are getting Russia isolated from the world.
6) P.S. On 1st August 2022.
No reference was made to IUT at all in the ICM 2022. That means that the world couldn't care less no matter what Mochizuki and his circle are doing only in far east local Japan, and that, at the same time, IUT has already died a miserable death. That is, almost all mathematicians have no trouble without IUT.
If the proof of Corollary 3.12 should be correct in the strict sense, Mochizuki and his circle should have again and again gone abroad and discussed that proof persistently long before the official publishing of his papers. Moreover, if so, at least they could have explained the essence of that proof in detail. To our great surprise, none of them did that after all. Were they much too mean? Were they amateurs? What on earth was their maths to them? Why didn't they do what even awkward Grisha Perelman by himself could? Since when have they been that irresponsible? Didn't they want to get recognition? If not, let them go their way for all we care. Why were they much closed to the outside? Oddly enough, why would no one, including the members of the RIMS, officially explain the reason that the infamous proof of Corollary 3.12 should be correct? God only knows those answers. It's only natural for Mochizuki and his circle to get disregarded by the maths world. How come? You would rather quit being a mathematician than recognize that opaque proof of Corollary 3.12. Mochizuki and his circle thus have only themselves to thank if they get disregarded.
In the end, if I were to be the late Prof. Goro Shimura, I would say, 'I told you so.'
Incidentally, almost all IUT fans, who are Japanese and might not be right in the head, seem to wish that Hiraku Nakajima, the latest president of the IMU, would reverse the status quo surrounding IUT. Are they fools? They always have their heads in the clouds. Dream on!
To put it bluntly, no one, except Mochizuki, his circle, and foolish Japanese IUT fans, thinks the status quo surrounding IUT will take a turn for the better. Or rather, people abroad say that, like Louis de Branges' papers about the Riemann hypothesis, Mochizuki's papers about IUT will gradually get forgotten unbeknown to the public, too. Don't most Japanese masses misunderstand? It's a fact that Mochizuki might be charismatic in Japan, but that is never so abroad. So, the world, looking askance at him, unlike Japan, never indulges him. Most Japanese masses easily get brainwashed by P.R. regarding IUT because they may be weak in the head; it's, however, time you noticed that Mochizuki was no longer the mathematician he used to be.
In hindsight, the news conference on 3rd April 2020 held by the RIMS may have been the last straw for the maths world. At that time, two members of the RIMS happily, with haughty faces, announced that Mochizuki's papers had been accepted officially by the PRIMS at the news conference. That looked as if the RIMS pandered to Mochizuki's every whim. You might want to know how weird Japan is nowadays.
Be that as it may, taking account of the humiliating fact that IUT itself gets disregarded by the maths world, I think that at least the following institutions (truth to tell, I wanted to name individuals, though) have to take some responsibility, for better or worse: the RIMS, Tokyo Institute of Technology, the Asahi Shimbun, NHK, Nikkei Science, and Kadokawa Publishing. I'm hoping each of those institutions will fall apart. The three Japanese news media aforementioned, in particular, set the stage for P.R. regarding IUT. That tells the world how foolish most Japanese masses are.
Last but not least, never forget maths is an international subject!
7) P.S. On 15th November 2022.
To revive his reputation in the maths world, first and foremost, Shinichi Mochizuki is obliged to apologise for disgracing some greatly respected mathematicians. Where does he get off calling Peter Scholze, a Fields Medal laureate, incompetent? Scholze must've thought deep down that was rich coming from Mochizuki. Mochizuki doesn't seem to have any class. I'm confident his companions didn't tell him where to get off. I can't help but say how self-important and conceited he is. He should have bitten his tongue. Also, he would get forced to apologise on behalf of foolish Japanese IUT fans because, by using a myriad of e-mails, those fans, being out of their minds and furious, are attacking those mathematicians who are doubtful of IUT. Probably, he won't apologise because of his hypocritical patriotism. If not, however, the world won't give recognition to him. That means he won't rise like a phoenix from the ashes. To put it to the extreme, only a fat chance of his revival would be there for him. He must've wanted to be a Grothendieck, but after all, he'll end up as only a Grothendieck wannabe.
Incidentally, the RIMS is on the campus of Kyoto University, but it's independent of the university. I'm not sure why it's necessary for there to be highly irresponsible institutes such as the RIMS in Kyoto. I think the RIMS ended its original role almost in the 1990s. Now that one rotten apple spoils the barrel, the RIMS must get thrown away as quickly as possible.
Last but not least, I'd like to ask Mr Fumiharu Kato this: When will Prof. Shinichi Mochizuki get such a glorious prize as the Nobel? Be that as it may, we'd better take what Mochizuki's parties say with a pinch of salt. At least I've had enough of the hype about IUT.
[追記: 2023年07月29日]
DWANGOの川上氏が望月論文の欠陥を指摘した論文に対して百万$を与えることを発表したことは皆さんも既に御存知でしょう。これについて海外の知人達から意見を求められたので、ただ素っ気なく以下を書いて送りました。
Few, if any, mathematicians could be bothered to take up that infamous dubious proof of Corollary 3.12, so there would be no papers deserving to get given this prize. Or rather, it's no use setting up such a prize that wouldn't inspire any new studies. The world is laughing for this reason, if anything. Without a doubt, Mochizuki's team would thus get stuck in a dead end. At this point, I must remind you that Nobuo Kawakami, Shinichi Mochizuki, Fumiharu Kato, Ivan Fesenko, and so on are as thick as thieves. Would you ever feel them weird? We'd better take our eyes off their fuss. It's no exaggeration to say that they piggyback onto the ignorance of the Japanese masses. Most Japanese people stay in the valley and never get over the hill, so they are innocently delighted to watch the activities of Mochizuki's team on Japanese TV. I want to add papers such as Mochizuki's hardly ever succeed because they have whetted almost no one's appetite for understanding them. Had Mochizuki been unknown, his long works would have gotten thrown away immediately into the rubbish bin. In general, the quality of those papers is of such a low degree.
The status quo is this: No one can deny that his proof of Corollary 3.12 may have been fabricated if its validity is unexplainable. The maths world has strong reservations about that and makes Mochizuki's team and quite a few foolish Japanese fans learn a lesson in the sense that it is what it is. Before I forget, this situation bears no relation to the stuff Scholze and Stix have already pointed out. Pedantically speaking, the validity of his proof doesn't necessarily get self-evident, even if Scholze and Stix's say is false. At the very least, Mochizuki should have assumed the burden of convincing other experts abroad of the validity of his proof much earlier if he was confident of it. That's all there is to it. By the way, I'm uncertain why he won't deliver any lectures abroad. Can anyone let me in on the mystery?
In the end, the prize will only highlight the backwardness and introversion of Japan to the rest of the world. It may be time you deserted Japan just as Sumire Nakamura-san, a leading Japanese female Go player, would move overseas.
[追記: 2024年04月08日]
先日、別の記事“数学証明が社会協定である理由”を載せた途端に、例の某数学者の小集団がまたまた変なことをしでかしたので、私も海外知人達から意見を求められ、以下を素っ気なく書き送りました。
It's no use advising Mochizuki's team that it be incumbent on authors to explain their papers to others in such a way that they can understand, because, as is often the case with Mochizuki's team, this kind of advice deliberately goes in one ear and out the other. Thus, it was virtually they who parted company with the maths community. They would stop at nothing in Japan to save face. For example, they've long since even gone so far as to hype their achievements only inside Japan using foolish Japanese media, institutes and more foolish Japanese fans. They seem very good at only self-promotion. For the record, the ABC conjecture is still open as long as the validity of Mochizuki's proof of Corollary 3.12 is unexplainable and almost all experts, except Mochizuki's team, question its validity. With all these situations, does anyone want such an almost self-congratulatory prize? If that's the case, it must be said the person is shameless. Mochizuki's team has lowered themselves towards a much lower level than expected. I wonder if they know what they're doing. All we have to do now is to wait and see. We had better leave them the way they are. Disregarding them will go a long way towards keeping mathematics coherent. You have only to ridicule their big fuss.
[追記: 2024年04月20日]
望月新一博士の最新のreportを読んだ人も多いかと思います。数学的議論を別にして、あの悲劇の9/11をわざわざ持出して、Kirti Joshi博士の論文の定理の番号付けがどうたらこうたら云々と難詰しているのを読んで非常に嫌悪感を抱いたのは私のみならず、私の友人共や海外知人達も同様でした。いや、私は恐怖すら覚えました。私の海外知人達の間では数学的議論に全く関係の無いことでJoshi博士を甚振るのは余りにもおかしいと正式抗議のために署名運動等を始めようかと言い出す方もいらっしゃいます。それに対する意見を求められたので、差し障りの無い範囲で私の意見のごく一部を以下に載せておきます。
Mochizuki insulted Kirti Joshi apart from mathematical arguments in his new report. It's obvious harassment or disdain towards him to all appearances and a violation of human rights. You might want to challenge Mochizuki on that report through the IMU and exclude Mochizuki from the maths community if he refuses to apologise. You should, however, bear in mind that the incumbent president of the IMU is unluckily Japanese and worse yet an ex-professor at that infamous RIMS, so the insiders of the IMU might stop your movement in a cowardly manner at a certain stage. The best way is for the victim, Kirti Joshi, to accuse Mochizuki of violating human rights as soon as possible through the IMU. It may be, however, difficult for him to do so for now, considering his conditions. Much to our surprise, Mochizuki almost always insults others' intelligence although few think much of him. He doesn't seem to have any class. Does he perhaps want to get disliked deliberately by the maths community except Japan? If that's the case, it must be said how singular a country Japan is. If you leave Mochizuki the way he is, you have no choice but to grin and bear his insults. Incidentally, an acquaintance abroad says Mochizuki's papers on IUTT have long since been white elephants and that they aren't worth your attention as long as the validity of Mochizuki's proof of Corollary 3.12 is unexplainable. So you don't need to have any reservations about Mochizuki. Few are troubled without IUTT. I'd rather sign the signature list if you can promote the movement than merely stand with you. I couldn't agree more with you.
Be that as it may, I'm very disappointed that Mochizuki's companions didn't tell him where to get off. You'll soon notice there's no decent person around him. Most mathematicians at the RIMS seem desperate to save the institute's reputation and it doesn't seem to matter to them whatever Mochizuki is doing.
[追記: 2024年05月08日]
Kirti Joshi博士が数学的反論を望月新一博士及びペータ・ショルツェ博士に、そして望月博士のcommentに対しても個別に反論をしたことは皆さんも御存知でしょう。それに対する私の感想を海外知人達に書き送りましたが、数学的議論を除けば非常に短いですが以下の通りです。
I'm relieved to see that Kirti Joshi is safe and sound. I think he should go the way he is; it's, however, no use for him to ask Mochizuki's team to open their minds, because they virtually parted company with the maths community except Japan. Suffice it to say that he shouldn't have any hopes about Mochizuki.
ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する
二人の数学者達は6年近く数学コミュニティを揺るがして来た証明の中心に彼等が言うところの穴を発見している。"深刻で修正不能なギャップ"を発見したというジェイコブ・スティックスとピーター・ショルツの言明にもかかわらず、望月新一は自身の証明に欠陥が無いと主張する。
2018年9月20日 Erica Klarreich
二人の数学者達は6年近く数学コミュニティを揺るがして来た証明の中心に彼等が言うところの穴を発見している。"深刻で修正不能なギャップ"を発見したというジェイコブ・スティックスとピーター・ショルツの言明にもかかわらず、望月新一は自身の証明に欠陥が無いと主張する。
2018年9月20日 Erica Klarreich
今日オンラインでポストされたレポート[訳注: 迂闊にも最近(2023年01月)知ったのですが、このreportが2020年頃にRIMSのserverから削除されていたようです。幸いにもScholze博士の本拠地ボン大学のserverにはreport(PDF)が保存されています]において、ボン大学のピーター・ショルツとゲーテ大学フランクフルトのジェイコブ・スティックスは京都大学の数学者の素晴らしい才能で有名な望月新一による一連の巨大論文群の中にスティックスが言うところの"深刻で修正不能なギャップ"を記述している。2012年にポストされた望月の論文群はおそらくabc予想を証明しているとされている。abc予想は数論において最も影響が広範囲に渡る問題の一つである。
望月の証明を解明するために捧げられた多種多様のコンファレンスにもかかわらず、その根本的アイデアを把握することに数論学者達は苦闘している。望月の一連の論文群は総計して500ページを超え、見通しの悪いスタイルで書かれており、更に望月の以前の研究の500ページかそこらを後方から参照している。それが、一人の数学者、スタンフォード大学のブライアン・コンラッドが言うところの"無限逆行の感覚"を作っている。
証明を深く研究して来た12人から18人の数学者達が正しいと信じているとノッティンガム大学のイヴァン・フェセンコは電子メールの中で書いた。しかし、"望月系"の中の数学者達だけが証明の正しさを保証しているに過ぎないとコンラッドは昨年の12月のブログでの議論の中でコメントした。"証明が完全である自信を持っていると非公式ですら言うことを厭わない人は世間で他に誰もいない"。
それにもかかわらず、"数学者達は重大なエラーを指摘出来ないから、望月の議論について問題があると主張することを非常に嫌っている"とシカゴ大学のFrank Calegariは12月にポストされたブログで書いた。
そのことは今や変わって来ている。ショルツとスティックスのレポートにおいて、彼等は望月の4つの論文の3番目の中の"系3.12"の証明の終わり近くの論法の一行が根本的に欠陥があると主張する。その系は望月の提出したabc証明の中心である。
"私はabc予想は尚も未解決だと考える。何人もそれを証明するチャンスを持っている"とショルツは言った。
ショルツとスティックスの結論は望月論文の彼等自身の研究のみならず、証明を議論するため京都大学において望月と彼の同僚である星 裕一郎を3月に一週間訪問したことにも基づいている。その訪問はショルツとスティックスの異議の本質へ煮詰めることに大いに役立ったとショルツは言った。両者は"証明が無いという結論に至った"とレポートに書いた。
しかし、会合は奇妙にも不満足な結論となった。望月は彼の議論が正しいとショルツとスティックスを説得出来ず、彼等もそれが間違っていると望月を説得出来なかった。望月は反論の中で彼自身の多くの報告と共にショルツとスティックスの報告を望月のウエブサイトに今載せている(この記事に対するコメント要求に望月と星は応じなかった)。
望月は反論の中で、ショルツとスティックスの批判を彼の研究に関する"ある根本的な誤解"のためとしている。"彼等のネガティブな姿勢は理論の何らかの欠陥を意味しない"と書いた。
望月の高名が数学者達に研究がabc予想に関する重大な試みであると思わせたことと全く同じように、ショルツとスティックスの卓越さが彼等が言わざるを得ないことに数学者達は注意を払うだろうことを保証している。たった30歳だけれどもショルツは彼の分野で急速に頂点に登り詰めている。彼は8月に数学最高の栄誉であるフィールズ賞を授与された。一方スティックスは遠アーベル幾何学として知られる分野、望月の特別な研究分野のエキスパートである。 "ピーターとジェイコブは非常に注意深く思慮深い数学者だ。彼等が持つ何らかの関心...確実に功績が明らかになる"とコンラッドは言った。
行き詰まりの原因
コンラッドが"数論において傑出した予想の一つ"と呼んでいるabc予想は想像出来る最も簡単な方程式の一つで始まる。つまり、a+b=c。3つの数a、b、cは正の整数と仮定し、それらは共通の素因数の共有を許されない。それで、例えば8+9=17または5+16=21は考えられるが、6+9=15は駄目だ。6、9、15はすべて3で割り切れるからである。
そんな方程式を考えると、3つの数のどれかを割る素数全体を見ることが出来る。例えば5+16=21に対して素数は5、2、3、7だ。これらを共に掛け合わせると210となり、元の方程式にある数のどれよりもずっと大きい数だ。対照的に5+27=32に対して素数は5、3、2であり、素数の積は30だ。元の方程式にある32よりも小さな数である。27と32が複数回繰り返す小さな素因数(それぞれ3と2だ)しか持たないので、その積はとても小さくなる。 他の3つ組abcについて調べ始めるなら、この2つ目のシナリオが非常に稀であることが分かるだろう。例えばaとbが1から100までで作れる3,044の異なる3つ組の中で、素数の積がcより小さいのはたった7つしかない。1980年代に初めて定式化されたabc予想は、この種の3つ組は滅多に起こらないという直観を集成している。
5+27=32の例に戻ってもっと詳しく述べると、32は30よりも大きいが、少しだけだ。32は302、または301.5、または301.02さえよりも小さい。301.02は約32.11である。1よりも大きい指数を取るなら、cが(素因数の積)指数よりも大きいような3つ組abcは有限個しかないことをabc予想は言っている。
"abc予想は掛け算と足し算に関する非常に初等的な命題だ"とオックスフォード大学のMinhyong Kimは言った。"以前は見たことがなかった一般的な数体系に関して、ある種の非常に基本的な構造を明らかにしているように感じる"命題だ。
そしてa+b=c方程式の簡潔性は広範囲の他の問題が予想の支配下に入ることを意味している。例えばフェルマーの最終定理はxn+yn=znという形式の方程式に関するものであり、8と9だけが連続する累乗数(8=23、9=32だから)であると言うカタラン予想は方程式xm+1=ynに関するものだ。abc予想は(ある形式において)これら2つの定理の新しい証明を提供し、関連する未解決問題の主役を解決するであろう。
予想は"いつも知られていることと知られていないことの境界に存在するらしい"とコロンビア大学のドリアン・ゴールドフェルドは書いている。
abc予想の証明から生じるであろう結果の豊饒さは予想を証明することが非常に困難だろうと数論学者達を確信させていた。だから2012年に望月が証明を提示したという知らせが拡がった時、多くの数論学者達は彼の研究へ熱狂的に駆け込んだが、あいにく馴染みのない言語と変わった提示方法によって妨害されることになった。定義が何ページにも続き、そして命題が同様に長い定理が続いたが、その証明がただ本質的に"これは定義から成り立つ"と言っているに過ぎなかった。
"私がエキスパートによる望月の論文の分析を(非公式に)聞く度に、レポートは不安になるほど馴染みになっている。すなわち、広範囲な自明と、それに続く正当化出来ない結論の巨大な断崖"とCalegariは12月にポストされたブログに書いた。
ショルツは早期の論文読者の一人だった。数学を急速に深く吸収する彼の能力は有名で、多くの数論学者達よりも先に進み、4つの主要論文が出現した直後に、それらを彼の言う"おおざっぱに読み"終えた。ショルツは短い証明を持つ長い定理に困惑したが、それらは正しいが実体がないと思えた。2つの中途の論文では"ほとんど何も起きていない"と彼は後に書いた。
そしてショルツは3番目の論文の中で系3.12に行き着いた。数学者達は通常"系"という言葉を以前のもっと重要な定理の2次的結果の定理を示すために使用する。だが、望月の系3.12の場合、それがabc証明の中核にあることに数学者達の意見は一致している。それが無ければ"証明が全く無く、重要なステップだ"とCalegariは書いた。
この系が2つの中途論文において、その証明が数行よりも長い唯一の定理であり、9ページを占める。ショルツがそれらを通しで読んだ時、全くロジックを追えなかった箇所に到達した。
当時たった24歳のショルツは証明に欠陥があると考えた。しかし、彼は直接訊かれた時を除いて大抵の場合論文に関する議論の外にいた。結局、おそらく他の数学者達が論文内に彼が見落とした重要なアイデアを見つけるだろうと思った。もしくは彼等も彼が持った同じ結論に至るだろうと思った。いずれにせよ数学コミュニティが確実に事柄を整理出来るだろうと考えた。
エッシャーの階段
一方、他の数学者達は密に書かれた論文に取組んでいた。多くの数学者達は2015年末のオックスフォード大学での望月の研究に捧げられた会合に大きな期待をした。しかし、望月に近い数人の同僚が証明の主要アイデアを述べようと努めた時、"濃霧の大群"が聴衆達に降りて来たようだったと会合の直後にコンラッドはレポートに書いた。"研究を理解している人達は研究の動機を数論幾何学者達に知らせることにもっと成功する必要がある"と彼は書いた。
コンラッドのポストの数日内に彼は3人の異なる数学者達(一人はショルツ)から頼みもしない電子メールを受けたが、すべてが同じストーリーだった。彼等は特別な箇所にぶち当たるまで論文群を読んで理解出来ていた。"これらの人達の各々にとって、彼等を困らせていた証明は3.12のためのものだった"と彼は後に書いた。
Kimは別の数学者越川皓永(現在は京都大学)から系3.12に関する同様の懸念を聞いた。そしてスティックスも同じ箇所で途方にくれた。次第にいろいろな数論学者達がこの系が行き詰まりの原因だと気付くようになったが、議論に穴があったのか、それとも望月がもっと上手く論法を説明する必要があったのか明らかではなかった。
そして多くの数論学者達が仰天したことに、2017年末に望月の論文群が刊行のために受理されたという噂が広まった。望月自身が問題のジャーナルPublications of the Research Institute for Mathematical Sciencesの主任編集委員だったが、段取りをCalegariは"不透明"と見なした(そんな状況において編集委員は普通辞任するけれども)。だが、多くの数論学者達にとってもっと懸念することは論文が依然として読むに堪えないという事実だった。
"議論を理解していると主張するエキスパートは誰も(非常に多くの)戸惑っているエキスパートに説明することを成功して来ていない"とシカゴ大学のマシュー・エマートンは書いた。 Calegariはその状況を著名な数論学者達のアーメンの合唱に対する"完全な大失敗"として非難するブログポストを書いた。"私達は今や京都においてABCは定理であるが、それ以外のどこでも予想である馬鹿げた状況にある"とCalegariは書いた。
マスコミの問合せに対し、論文は受理されていないとPRIMSはすぐに応答した。しかし、彼等がそんなことをやっている以前に、ショルツは長い間数論学者達にプライベートで言っていたことを公に述べることを決心した。証明を取り巻く議論全体が"余りにも社会問題になっていた"と彼は判断した。"すべての人はこれが如何に証明ではないような気がするだけを語っていたが、誰も実際に'誰も証明が分からない箇所は何とここにある'と言ってなかった"。
だから、Calegariのブログポストの下のコメント欄にショルツは"系3.12の証明の中の図3.8以降のロジックを全く追えない"と書いた。彼は更に"証明を理解していると主張する数学者達はそこではもっと言わなければならないことを認めたがらない"と追記した。
京都大学での望月の同僚であり、フィールズ賞受賞者の森重文はショルツに彼と望月の間の会合を促進するという申し出を書いた。ショルツは今度はスティックスに手を差し伸べ、3月に両者は京都へ望月と星とでやっかいな証明を議論するために旅行した。
abc予想に対する望月のアプローチは問題を楕円曲線(2変数x、yに関する特殊なタイプの3次方程式)に関する問題へ翻訳する。その翻訳は望月の研究よりも前によく知られており、簡単(各abc方程式をグラフがa、b、原点でx-軸と交わる楕円曲線に関連付ける)だが、数学者達に楕円曲線の豊かな構造を開拓させ、数論を幾何、解析、そしてその他の分野と結ぶ(この同じ翻訳はフェルマーの最終定理のアンドリュー・ワイルズの1994年の証明の心臓部にあった)。
そしてabc予想は楕円曲線に関連付けられた2つの量の間の或る不等式を証明することに煮詰まる。望月の研究はこの不等式をもう一つ別の形式へ翻訳する。その別形式は2つの集合のボリュームを比較することとして見なせるとスティックスは言った。系3.12は望月がこの新形式の証明を提示している所であり、それが正しければabc予想を証明することになるであろう。
ショルツとスティックスが述べているように、その証明は2つの集合のボリュームを実数の2つの異なるコピーの中の生き写しとして見なすことを伴う。そして、それらは実数の6つの異なるコピーの円の一部として(各コピーがどのように円に沿ってその隣物と関係するかを説明するマッピングを伴って)表現される。集合のボリュームがどのように互いと関係するかを追跡するために、一つのコピーにおけるボリューム寸法がどのように別のコピーにおける寸法と関係するかを理解する必要があるとスティックスは言った。
"2つの事柄の不等式を持っているけれど、管理しない要因によって物差しがいくぶん縮んでいるならば不等式が実際に意味することの管理を失う"とスティックスは言った。
事柄が間違っているのは議論の中のこの重要な箇所であるとショルツとスティックスは考える。望月マッピングにおいて、物差しは局所的に互いと互換性を持つ。しかし、円に沿って行くならば、別の道に沿っていたものとは異なる物差しを持つことになるとスティックスは言った。その状況はエッシャーの有名ならせん状階段と同類だと彼は言った。エッシャーのらせん状階段は登れど登れど、どういう訳かあいにく開始点よりも下に行き着く。
ボリューム寸法におけるこの非互換性は、結果の不等式が間違っている量の間のものであることを意味するとショルツとスティックスは断言する。そして、事柄を調節してボリューム寸法が大局的に互換になるならば、その時は不等式が無意味になると彼等は言う。
ショルツとスティックスは"議論が絶対に働かないやり方を特定している"とカリフォルニア大学サンディエゴの数学者キラン・ケッドラヤは言った。彼は望月の論文群を深く研究している。"だから、もし議論が正しければ何か異なること、ショルツとスティックスが述べることよりも更に難解な何かをしなければならない"。
更に難解な何かはまさに証明がやっていることだと望月は強く主張する。異なると見なすべき数学オブジェクトの間の勝手な同定を作るという間違いをショルツとスティックスはしていると彼は書いた[訳注: 同型なオブジェクトをあえてラベル付けまでして異なるものだと望月博士は主張しています。しかし、現在のキャテグリ論では同型なオブジェクトの間を区別出来ません]。彼が同僚達にショルツとスティックスの異議の本質を語った時、彼の説明は"著しく満場一致の反応に遭遇した。それらの反応は、そんな明らかに誤った考え違いが起こり得たのだろうという全くの驚きと不信さえ(時には笑いの連続を伴って!)も、であった"と彼は書いた。
数学者達はショルツとスティックスの議論と望月の返答を吸収しなければならないだろう。しかし、一連の望月論文の状況とは対照的に、ショルツは彼とスティックスの異議の要旨が高度にテクニカルではないから、これが長引く経過になるはずがないと望んでいる。他の数論学者達は"私達が今週望月とやった議論を完全に理解出来たであろう"と彼は言った。
望月は全く異なって事を見ている。彼の考えでは、ショルツとスティックスの批判は"議論での数学を深く熟考する十分な時間の不足"とおそらく"馴染みの数学オブジェクトを思考する新しい方法についての深い不快感または馴染みの無さ"から生じている。
望月のabc証明に既に懐疑的な数学者達はショルツとスティックスのレポートをストーリーの終わりだと考える可能性が十分あるとKimは言った。それ以外の数学者達は新しいレポートを彼等自身で勉強したいと思うだろうし、Kim自身が着手している活動だ。"結論を下す前に、自分でもっと慎重にチェックする必要性を完全には敬遠出来ないと思う"と彼は電子メールに書いた。
過去数年間、多くの数論学者達が望月論文を理解しようとする努力を断念して来ている。しかし、もし望月または同調者達がショルツとスティックスの記述が余りにも単純(そうだと仮定して)である理由を完全で一貫性のある説明を出来るなら、"いくらかの労役の軽減と人々に再度この事柄を調べる喜びを与えることに大いに役立つかも知れない"とケッドラヤは言った。
その一方で、ショルツは"望月が本質的な改訂を行い、この主要ステップがずっと良いと説明するまで、これが証明だと考えるべきでない"と言った。個人的には"私達がabc予想の証明に近づくであろう主要なアイデアをあまり見かけなかった"と彼は言った。
この議論の結果としての成果にかかわらず、望月の議論のそんな特定部分を正確に突くことはより大きな明晰性につながるはずだとKimは言った。"ジェイコブとピーターがやったことはコミュニティにとって重要な貢献だ。何が起きても、私はレポートが明確な類の進歩になるだろうと確信している"。
証明を深く研究して来た12人から18人の数学者達が正しいと信じているとノッティンガム大学のイヴァン・フェセンコは電子メールの中で書いた。しかし、"望月系"の中の数学者達だけが証明の正しさを保証しているに過ぎないとコンラッドは昨年の12月のブログでの議論の中でコメントした。"証明が完全である自信を持っていると非公式ですら言うことを厭わない人は世間で他に誰もいない"。
それにもかかわらず、"数学者達は重大なエラーを指摘出来ないから、望月の議論について問題があると主張することを非常に嫌っている"とシカゴ大学のFrank Calegariは12月にポストされたブログで書いた。
そのことは今や変わって来ている。ショルツとスティックスのレポートにおいて、彼等は望月の4つの論文の3番目の中の"系3.12"の証明の終わり近くの論法の一行が根本的に欠陥があると主張する。その系は望月の提出したabc証明の中心である。
"私はabc予想は尚も未解決だと考える。何人もそれを証明するチャンスを持っている"とショルツは言った。
ショルツとスティックスの結論は望月論文の彼等自身の研究のみならず、証明を議論するため京都大学において望月と彼の同僚である星 裕一郎を3月に一週間訪問したことにも基づいている。その訪問はショルツとスティックスの異議の本質へ煮詰めることに大いに役立ったとショルツは言った。両者は"証明が無いという結論に至った"とレポートに書いた。
しかし、会合は奇妙にも不満足な結論となった。望月は彼の議論が正しいとショルツとスティックスを説得出来ず、彼等もそれが間違っていると望月を説得出来なかった。望月は反論の中で彼自身の多くの報告と共にショルツとスティックスの報告を望月のウエブサイトに今載せている(この記事に対するコメント要求に望月と星は応じなかった)。
望月は反論の中で、ショルツとスティックスの批判を彼の研究に関する"ある根本的な誤解"のためとしている。"彼等のネガティブな姿勢は理論の何らかの欠陥を意味しない"と書いた。
望月の高名が数学者達に研究がabc予想に関する重大な試みであると思わせたことと全く同じように、ショルツとスティックスの卓越さが彼等が言わざるを得ないことに数学者達は注意を払うだろうことを保証している。たった30歳だけれどもショルツは彼の分野で急速に頂点に登り詰めている。彼は8月に数学最高の栄誉であるフィールズ賞を授与された。一方スティックスは遠アーベル幾何学として知られる分野、望月の特別な研究分野のエキスパートである。 "ピーターとジェイコブは非常に注意深く思慮深い数学者だ。彼等が持つ何らかの関心...確実に功績が明らかになる"とコンラッドは言った。
行き詰まりの原因
コンラッドが"数論において傑出した予想の一つ"と呼んでいるabc予想は想像出来る最も簡単な方程式の一つで始まる。つまり、a+b=c。3つの数a、b、cは正の整数と仮定し、それらは共通の素因数の共有を許されない。それで、例えば8+9=17または5+16=21は考えられるが、6+9=15は駄目だ。6、9、15はすべて3で割り切れるからである。
そんな方程式を考えると、3つの数のどれかを割る素数全体を見ることが出来る。例えば5+16=21に対して素数は5、2、3、7だ。これらを共に掛け合わせると210となり、元の方程式にある数のどれよりもずっと大きい数だ。対照的に5+27=32に対して素数は5、3、2であり、素数の積は30だ。元の方程式にある32よりも小さな数である。27と32が複数回繰り返す小さな素因数(それぞれ3と2だ)しか持たないので、その積はとても小さくなる。 他の3つ組abcについて調べ始めるなら、この2つ目のシナリオが非常に稀であることが分かるだろう。例えばaとbが1から100までで作れる3,044の異なる3つ組の中で、素数の積がcより小さいのはたった7つしかない。1980年代に初めて定式化されたabc予想は、この種の3つ組は滅多に起こらないという直観を集成している。
5+27=32の例に戻ってもっと詳しく述べると、32は30よりも大きいが、少しだけだ。32は302、または301.5、または301.02さえよりも小さい。301.02は約32.11である。1よりも大きい指数を取るなら、cが(素因数の積)指数よりも大きいような3つ組abcは有限個しかないことをabc予想は言っている。
"abc予想は掛け算と足し算に関する非常に初等的な命題だ"とオックスフォード大学のMinhyong Kimは言った。"以前は見たことがなかった一般的な数体系に関して、ある種の非常に基本的な構造を明らかにしているように感じる"命題だ。
そしてa+b=c方程式の簡潔性は広範囲の他の問題が予想の支配下に入ることを意味している。例えばフェルマーの最終定理はxn+yn=znという形式の方程式に関するものであり、8と9だけが連続する累乗数(8=23、9=32だから)であると言うカタラン予想は方程式xm+1=ynに関するものだ。abc予想は(ある形式において)これら2つの定理の新しい証明を提供し、関連する未解決問題の主役を解決するであろう。
予想は"いつも知られていることと知られていないことの境界に存在するらしい"とコロンビア大学のドリアン・ゴールドフェルドは書いている。
abc予想の証明から生じるであろう結果の豊饒さは予想を証明することが非常に困難だろうと数論学者達を確信させていた。だから2012年に望月が証明を提示したという知らせが拡がった時、多くの数論学者達は彼の研究へ熱狂的に駆け込んだが、あいにく馴染みのない言語と変わった提示方法によって妨害されることになった。定義が何ページにも続き、そして命題が同様に長い定理が続いたが、その証明がただ本質的に"これは定義から成り立つ"と言っているに過ぎなかった。
"私がエキスパートによる望月の論文の分析を(非公式に)聞く度に、レポートは不安になるほど馴染みになっている。すなわち、広範囲な自明と、それに続く正当化出来ない結論の巨大な断崖"とCalegariは12月にポストされたブログに書いた。
ショルツは早期の論文読者の一人だった。数学を急速に深く吸収する彼の能力は有名で、多くの数論学者達よりも先に進み、4つの主要論文が出現した直後に、それらを彼の言う"おおざっぱに読み"終えた。ショルツは短い証明を持つ長い定理に困惑したが、それらは正しいが実体がないと思えた。2つの中途の論文では"ほとんど何も起きていない"と彼は後に書いた。
そしてショルツは3番目の論文の中で系3.12に行き着いた。数学者達は通常"系"という言葉を以前のもっと重要な定理の2次的結果の定理を示すために使用する。だが、望月の系3.12の場合、それがabc証明の中核にあることに数学者達の意見は一致している。それが無ければ"証明が全く無く、重要なステップだ"とCalegariは書いた。
この系が2つの中途論文において、その証明が数行よりも長い唯一の定理であり、9ページを占める。ショルツがそれらを通しで読んだ時、全くロジックを追えなかった箇所に到達した。
当時たった24歳のショルツは証明に欠陥があると考えた。しかし、彼は直接訊かれた時を除いて大抵の場合論文に関する議論の外にいた。結局、おそらく他の数学者達が論文内に彼が見落とした重要なアイデアを見つけるだろうと思った。もしくは彼等も彼が持った同じ結論に至るだろうと思った。いずれにせよ数学コミュニティが確実に事柄を整理出来るだろうと考えた。
エッシャーの階段
一方、他の数学者達は密に書かれた論文に取組んでいた。多くの数学者達は2015年末のオックスフォード大学での望月の研究に捧げられた会合に大きな期待をした。しかし、望月に近い数人の同僚が証明の主要アイデアを述べようと努めた時、"濃霧の大群"が聴衆達に降りて来たようだったと会合の直後にコンラッドはレポートに書いた。"研究を理解している人達は研究の動機を数論幾何学者達に知らせることにもっと成功する必要がある"と彼は書いた。
コンラッドのポストの数日内に彼は3人の異なる数学者達(一人はショルツ)から頼みもしない電子メールを受けたが、すべてが同じストーリーだった。彼等は特別な箇所にぶち当たるまで論文群を読んで理解出来ていた。"これらの人達の各々にとって、彼等を困らせていた証明は3.12のためのものだった"と彼は後に書いた。
Kimは別の数学者越川皓永(現在は京都大学)から系3.12に関する同様の懸念を聞いた。そしてスティックスも同じ箇所で途方にくれた。次第にいろいろな数論学者達がこの系が行き詰まりの原因だと気付くようになったが、議論に穴があったのか、それとも望月がもっと上手く論法を説明する必要があったのか明らかではなかった。
そして多くの数論学者達が仰天したことに、2017年末に望月の論文群が刊行のために受理されたという噂が広まった。望月自身が問題のジャーナルPublications of the Research Institute for Mathematical Sciencesの主任編集委員だったが、段取りをCalegariは"不透明"と見なした(そんな状況において編集委員は普通辞任するけれども)。だが、多くの数論学者達にとってもっと懸念することは論文が依然として読むに堪えないという事実だった。
"議論を理解していると主張するエキスパートは誰も(非常に多くの)戸惑っているエキスパートに説明することを成功して来ていない"とシカゴ大学のマシュー・エマートンは書いた。 Calegariはその状況を著名な数論学者達のアーメンの合唱に対する"完全な大失敗"として非難するブログポストを書いた。"私達は今や京都においてABCは定理であるが、それ以外のどこでも予想である馬鹿げた状況にある"とCalegariは書いた。
マスコミの問合せに対し、論文は受理されていないとPRIMSはすぐに応答した。しかし、彼等がそんなことをやっている以前に、ショルツは長い間数論学者達にプライベートで言っていたことを公に述べることを決心した。証明を取り巻く議論全体が"余りにも社会問題になっていた"と彼は判断した。"すべての人はこれが如何に証明ではないような気がするだけを語っていたが、誰も実際に'誰も証明が分からない箇所は何とここにある'と言ってなかった"。
だから、Calegariのブログポストの下のコメント欄にショルツは"系3.12の証明の中の図3.8以降のロジックを全く追えない"と書いた。彼は更に"証明を理解していると主張する数学者達はそこではもっと言わなければならないことを認めたがらない"と追記した。
京都大学での望月の同僚であり、フィールズ賞受賞者の森重文はショルツに彼と望月の間の会合を促進するという申し出を書いた。ショルツは今度はスティックスに手を差し伸べ、3月に両者は京都へ望月と星とでやっかいな証明を議論するために旅行した。
abc予想に対する望月のアプローチは問題を楕円曲線(2変数x、yに関する特殊なタイプの3次方程式)に関する問題へ翻訳する。その翻訳は望月の研究よりも前によく知られており、簡単(各abc方程式をグラフがa、b、原点でx-軸と交わる楕円曲線に関連付ける)だが、数学者達に楕円曲線の豊かな構造を開拓させ、数論を幾何、解析、そしてその他の分野と結ぶ(この同じ翻訳はフェルマーの最終定理のアンドリュー・ワイルズの1994年の証明の心臓部にあった)。
そしてabc予想は楕円曲線に関連付けられた2つの量の間の或る不等式を証明することに煮詰まる。望月の研究はこの不等式をもう一つ別の形式へ翻訳する。その別形式は2つの集合のボリュームを比較することとして見なせるとスティックスは言った。系3.12は望月がこの新形式の証明を提示している所であり、それが正しければabc予想を証明することになるであろう。
ショルツとスティックスが述べているように、その証明は2つの集合のボリュームを実数の2つの異なるコピーの中の生き写しとして見なすことを伴う。そして、それらは実数の6つの異なるコピーの円の一部として(各コピーがどのように円に沿ってその隣物と関係するかを説明するマッピングを伴って)表現される。集合のボリュームがどのように互いと関係するかを追跡するために、一つのコピーにおけるボリューム寸法がどのように別のコピーにおける寸法と関係するかを理解する必要があるとスティックスは言った。
"2つの事柄の不等式を持っているけれど、管理しない要因によって物差しがいくぶん縮んでいるならば不等式が実際に意味することの管理を失う"とスティックスは言った。
事柄が間違っているのは議論の中のこの重要な箇所であるとショルツとスティックスは考える。望月マッピングにおいて、物差しは局所的に互いと互換性を持つ。しかし、円に沿って行くならば、別の道に沿っていたものとは異なる物差しを持つことになるとスティックスは言った。その状況はエッシャーの有名ならせん状階段と同類だと彼は言った。エッシャーのらせん状階段は登れど登れど、どういう訳かあいにく開始点よりも下に行き着く。
ボリューム寸法におけるこの非互換性は、結果の不等式が間違っている量の間のものであることを意味するとショルツとスティックスは断言する。そして、事柄を調節してボリューム寸法が大局的に互換になるならば、その時は不等式が無意味になると彼等は言う。
ショルツとスティックスは"議論が絶対に働かないやり方を特定している"とカリフォルニア大学サンディエゴの数学者キラン・ケッドラヤは言った。彼は望月の論文群を深く研究している。"だから、もし議論が正しければ何か異なること、ショルツとスティックスが述べることよりも更に難解な何かをしなければならない"。
更に難解な何かはまさに証明がやっていることだと望月は強く主張する。異なると見なすべき数学オブジェクトの間の勝手な同定を作るという間違いをショルツとスティックスはしていると彼は書いた[訳注: 同型なオブジェクトをあえてラベル付けまでして異なるものだと望月博士は主張しています。しかし、現在のキャテグリ論では同型なオブジェクトの間を区別出来ません]。彼が同僚達にショルツとスティックスの異議の本質を語った時、彼の説明は"著しく満場一致の反応に遭遇した。それらの反応は、そんな明らかに誤った考え違いが起こり得たのだろうという全くの驚きと不信さえ(時には笑いの連続を伴って!)も、であった"と彼は書いた。
数学者達はショルツとスティックスの議論と望月の返答を吸収しなければならないだろう。しかし、一連の望月論文の状況とは対照的に、ショルツは彼とスティックスの異議の要旨が高度にテクニカルではないから、これが長引く経過になるはずがないと望んでいる。他の数論学者達は"私達が今週望月とやった議論を完全に理解出来たであろう"と彼は言った。
望月は全く異なって事を見ている。彼の考えでは、ショルツとスティックスの批判は"議論での数学を深く熟考する十分な時間の不足"とおそらく"馴染みの数学オブジェクトを思考する新しい方法についての深い不快感または馴染みの無さ"から生じている。
望月のabc証明に既に懐疑的な数学者達はショルツとスティックスのレポートをストーリーの終わりだと考える可能性が十分あるとKimは言った。それ以外の数学者達は新しいレポートを彼等自身で勉強したいと思うだろうし、Kim自身が着手している活動だ。"結論を下す前に、自分でもっと慎重にチェックする必要性を完全には敬遠出来ないと思う"と彼は電子メールに書いた。
過去数年間、多くの数論学者達が望月論文を理解しようとする努力を断念して来ている。しかし、もし望月または同調者達がショルツとスティックスの記述が余りにも単純(そうだと仮定して)である理由を完全で一貫性のある説明を出来るなら、"いくらかの労役の軽減と人々に再度この事柄を調べる喜びを与えることに大いに役立つかも知れない"とケッドラヤは言った。
その一方で、ショルツは"望月が本質的な改訂を行い、この主要ステップがずっと良いと説明するまで、これが証明だと考えるべきでない"と言った。個人的には"私達がabc予想の証明に近づくであろう主要なアイデアをあまり見かけなかった"と彼は言った。
この議論の結果としての成果にかかわらず、望月の議論のそんな特定部分を正確に突くことはより大きな明晰性につながるはずだとKimは言った。"ジェイコブとピーターがやったことはコミュニティにとって重要な貢献だ。何が起きても、私はレポートが明確な類の進歩になるだろうと確信している"。
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