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"ツォルンの補題"の起源

代数系もしくは代数構造の講義を受講した人なら群の第一同型定理(人によってはこれを第二同型定理と呼ぶ人もいます)と呼ばれるものを誰もが御存知でしょう。すなわち、Nを群Gの正規部分群、HをGの部分群とすれば、HN/N≅H/H∩Nが成立するというものです。 以前紹介した" わが父アンドレ・ヴェイユ "の前置きで触れた友人は学生達が講義時点で第一同型定理の証明を本当に理解しているのか怪しいと言ってました。証明自体は群の準同型定理(つまり群Gから群G'への全射準同型fがあって、NをGの正規部分群とするならf(G)=G'≅G/Nが成立する)を使って、fのHへの制限を考えたら誰もが簡単に出来るはずなんです。ところが学生達の中にはf:G→G/Nの形に引きずられてかどうか分かりませんが、愚かにもf:H→H/Nだと思う馬鹿もいるらしいです。これが全く無意味なのはH/Nという剰余群らしきものを考えるのであれば少なくともH⊃Nが条件になければならないのに、第一同型定理の条件のNはGの正規部分群に過ぎないのであって、Hとは何の包含関係も仮定されていないことから分かるでしょう。 そこで、これに関して少しばかり解説します。GからG'への全射準同型fが与えられた時、fのHへの制限、すなわち全射準同型f:H→f(H)においてf(H)が何なのかを理解することが大切です。簡単のためH'=f(H)とします。f -1 (H')が何なのか分かりますか? fは準同型なので一般的にf -1 (H')⊃H。そしてf -1 (H')⊃Nでなければなりません(何故なら、準同型定理によりG'≅G/NなのでH'=f(H)はG/Nの部分群であり、しかもNを法とする剰余群でなければならず、それがf -1 (H')/Nのはずだから)。もっと簡単に言えば、h∊Hばかりではなく、G/Nにおける剰余類hNに属するようなhn(n∊N)という形の要素すべてをf -1 (H')は含みます。すなわちf -1 (H')はHとNの両方を含む最小の部分群HNを含むことになります(f -1 (H')がHとNを含む部分群であることをお忘れなく)。HNが実際にGの部分群であることは、a, b∊HNとすれば、ab∊HNHN=HHN

マクス・デーン、クルト・ゲーデルとサイビリヤン横断脱出ルート

ずっと前に紹介した" フランクフルト数学セミナーの歴史について "を読んだ人ならナチ政権の愚かさとそれを支持した殆どの独逸国民の馬鹿さを御存知でしょう。日本も同様でした。ところが時が経つに連れ反省意識も薄れ、日本では国粋馬鹿がはびこっています。 概して、国が世界から孤立するとか、国が理解されないとかいう現象は必ずその国民全体に海外規模の視線を持てない、もしくは持たないところに要因があります。つまり、内向けの視線しか持たないのです。 さて、今回紹介する記事は" フランクフルト数学セミナーの歴史について "でも登場したマクス・デーン、及び前述の記事には登場しなかったゲーデルがどのようにナチから脱出して米国に移住したかを詳説している Notices of the AMS に掲載された Max Dehn, Kurt Gödel, and the Trans-Siberian Escape Route (PDF)です。その私訳を以下に載せておきます。なお、これを読んでゲーデルの生涯に関心を持たれたら是非ともJohn W. Dawson Jr.博士の著書 Logical Dilemmas. The Life and Work of Kurt Gödel をお勧めします。4月に緊急事態宣言が出てからの自粛生活に退屈しているであろうと友人共の一人がわざわざこの本を4月下旬に郵送してくれて、私も面白くて一気に読めました。 マクス・デーン、クルト・ゲーデルとサイビリヤン横断脱出ルート 2002年10月  John W. Dawson Jr. マクス・デーンとクルト・ゲーデルの経歴は非常に異なる軌跡をなぞる。それでもデーンとゲーデルは一つの歴史的事情で結ばれていた。すなわち、彼等はサイビリヤン横断鉄道[訳注: 日本の馬鹿表記では"シベリア横断鉄道"]を経由してナチズムの災難から逃げた唯一の高水準な数学者達だった。彼等の脱出の物語と移住前及び移住後の著しい差異はホロコーストの知的亡命者に突き付けた危険と限られた機会の両方を例証する。 1940年、マクス・デーンとクルト・ゲーデルの各々が欧羅巴を去り二度と戻らなかった。当時デーンは学問的経歴の最後に近い著名なトポロジストだった一方で、ゲーデルは数理論理学において人々を

証明をめぐる3年の苦闘の後、困惑したままの数学者達

 前に紹介した" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "や" 数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明 "の[追記: 2019年02月28日]の中で2015年の12月にオクスフォドで開催された望月論文に関するワークショプに言及したことがありました。このワークショプの失敗が欧米における望月論文を理解しようとする意欲を完全に失わせたいう意味で決定的でした。 私の身辺の素人衆の中にこのワークショプはどんな感じだったのか知りたいと言う珍奇な人がいました。このワークショプの詳細なことはBrian Conrad博士の Notes on the Oxford IUT workshop by Brian Conrad を読めば必要かつ十分なのですが、素人には内容が重いので余り勧めたくありません。そこでいろいろ迷ったのですが、 New Scientist 誌に掲載された Mathematicians left baffled after three-year struggle over proof を紹介します。この記事を選んだ理由は短くてドキュメンタリ風だから素人衆でも少しは楽しめるだろうと思ったからです。 時系列的には、先ず" 数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明 "が先に来て、次に今回紹介する記事、そして最後に" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "という順番です。 ここで、PRIMSの望月論文受理に関する私の意見を日本及び海外の人に 平均的知性 があれば誰もが読めるように書いておきます。なお、英語を全く解しない、または翻訳エンジンに縋るしかない人、つまり 平均的知性 を持ってない人は時間の無駄ですから、これ以降読まなくて結構です(私の親族、友人共、知人達以外の赤の他人は私のブログを読むなというのが本音です。だから、 When did I ask you to read my blogs? To rub it in, I tell those who have nothing to do with me or are weak in English not to read my blogs. と言わせて貰います)のでお引取り願います。 As

フリーマン・ダイソンとの議論

プリンストン高等研究所名誉教授のフリーマン・ジョン・ダイソン教授が2020年02月28日に死去されたことは皆さんも御存知でしょう。享年96歳でした。ちょっと遅いですが、ここに謹んで哀悼の意を表します。 02月中旬頃から世界的にもコロナヴァイラス流行の兆しが見えていたので、ダイソン教授の死去を聞いた時、私は一瞬コロナヴァイラスが死因なのかと思いましたが、そうではなかったので変な意味ではなくちょっと安堵しました。96歳というご高齢なので安らかに世を去られたに違いありません。 ところでダイソン教授ほどの大科学者が博士号を取得していないことも有名な話です。だから私もダイソン博士とは言えないのです。いくら大科学者でも博士称号の申請をしない限り、世界中の大学が喜んで博士称号を贈りたくても出来ないのです。但し栄誉を称える意味での、いわゆる名誉博士号は20を下らない数を受けています。ここで言う博士称号は実際の博士号を意味します。何故ダイソン教授が博士称号を拒むのかも、今回紹介する記事の中でちょっとだけ触れられております。 こういうことを考えると、個人ブログやtwitter等のSNSのプロファイル欄でPh.Dや学位を権威の印籠のように振りかざして誇示する馬鹿連中のレヴェルの低さに愕然とします。と言うか、その滑稽さに腸が捻じれる程に笑えます。本当はダイソン教授ほどの実力があればプロファイル欄に何も記入する必要はないのです。実力の差はいかんともしがたいので仕方ありませんが、せめて日本国内向けポゥズ又は格好つけを止めて、世界規模の視線を持ってほしいと思います。 さて前置きはこれくらいにして、今回紹介する記事は EMS Newsletter の03月号に掲載された A Discussion with Freeman Dyson (PDF)です。その私訳を以下に載せておきます。 [追記: 2020年05月12日] ダイソン教授が少年期に読んで感銘を受けたというEric Bellの Men of Mathematics については" アーベル賞受賞者ジョン・フォーブス・ナッシュ・ジュニアへのインタビュー "の[追記: 2015年12月10日]を見て下さい。 フリーマン・ダイソンとの議論 2020年03月 Michael Th. Rassias チューリヒ大

COVID-19後の数学

コロナヴァイラスの影響のため、いろいろな催しやスポーツ等の大会が中止または延期になっていることは皆さんも御承知でしょう。そして、数学界も何らかの形でいろいろな影響を受けています。数学に限らず、どんな学問でも国際交流が不可欠です。ところが、コロナヴァイラスが世界中に蔓延している最中の2020年04月03日に京都大学数理解析研究所(略してRIMS)が望月論文の受理を宣言するため記者会見を催しました。望月論文の、あのいわくつきの"系3.12"の証明の合否の議論以上に、何故この時期に論文受理の記者会見をしたのか、非常に違和感もしくは不快感を覚えている人達が海外では少なからずいます。私の海外の知人達も不快だと言ってました。ここで私が海外の知人達に書き送ったものを少し長いですが、世界の( 平均的知性 を持っている人なら)誰もが読めるように(このことこそがインタネッを使用して発信するという本来のあり方なんです)さらけ出しておきます。なお、英語を解しない、または翻訳エンジンに頼る人は時間の無駄ですから以降読まなくて結構ですのでお引取り下さい(そういう 平均的知性 を持ち合わせていない人は私の友人共や知人達の中にはいないので)。 While COVID-19 is invading the globe, it's ridiculous for the RIMS to have held a news conference to announce accepting Mochizuki's papers. The RIMS members seem unaware that the maths communities of the world look askance at the RIMS. Even if the RIMS forcibly goes forward with the publication of the papers, there remains a possibility that the EMS Publishing House will cancel or break a contract with the RIMS. I expect that this faint hope will be the last to

ジョン・コンウェイは素手で数学問題を解いた

前回、ジョン・ホートン・コンウェイ博士の訃報記事" 数学の'魔術的天才'ジョン・ホートン・コンウェイ、82歳で死す "を紹介しました。今回は Quanta Magazine 誌の追悼記事 John Conway Solved Mathematical Problems With His Bare Hands を紹介します。先ずタイトルが素晴らしいと思いました。これほどコンウェイ博士の数学を見事に表現する言葉も無いでしょう。コンウェイ博士は最下辺の私が言うのも畏れ多いですが、数学史上で最も数学的腕力の強い数学者のうちの一人だと思います。既存の大理論をほぼ使用せず、大きな仕組みも殆ど作らないのですから、数学的腕力が強くなければやって行けないでしょう。日本の数学者で言えば、分野も行動も性格も考え方も全然違うけれども、私には岡潔博士の数学的腕力の強さを彷彿させます。逆に言えば、一般的に大理論を作る数学者は数学的腕力が余り強いとは言えません。例えばグロタンディーク氏が最終ヴェイユ予想(それを含むいわゆる標準予想と呼ばれるものは問題の先送りに過ぎず、現に半世紀をとっくに経過している現在でもほぼ何の進展もありません)を解けなかった要因の一つと言っても過言ではないでしょう。 私は今までにもいろいろな数学者の追悼記事を紹介して来ましたが、 Notices of the AMS や EMS Newsletter 等の追悼記事はどうしても掲載時期が遅れるので、それらの"私訳"を載せる時点で私の気持ちが半分おざなりな気分になっていることを否定しません。そういう意味で Quanta Magazine 誌のタイミングの良さにいつも感心します。一般大衆向けのオンライン科学ジャーナルはこうでなくてはならない手本を示しています。 前置きはこれくらいにして、この記事の私訳を以下に載せておきます。 ジョン・コンウェイは素手で数学問題を解いた 04月11日に死去した伝説の数学者は好奇心が強く派手であり、彼の世代の最も偉大な問題解決者の一人だった。 2020年04月20日  Kevin Hartnett 現代数学において、最も大きい進歩の多くが理論の偉大で精巧な作品だ。数学者達は山を動かすが、彼等の力はツールから来る。ツールは高度に

数学の'魔術的天才'ジョン・ホートン・コンウェイ、82歳で死す

皆さんも御存知だと思いますが、ジョン・ホートン・コンウェイ博士が04月11日にコロナヴァイラスによってお亡くなりになりました。ここに謹んで哀悼の意を表します。 享年82歳ということで死因がコロナヴァイラスでなければ、私も率直に受け入れられるのでしょうが、今世界中でコロナヴァイラスにより多くの方々が苦しんでいるので、米国政府は何をしていたのかと訃報を聞いた時、一瞬腹が立ちました。おそらくヴァクシーンが製造されるまで時間を要し、今は世界各国の政府は出来るだけ死亡者を少なくすることだけの消極的対応しか出来ないのでしょう。そして、現時点では決定的治療薬も無いので、罹患者に対する積極的治療は殆どなされておらず、自然治癒を期待するしかありません。そういう状況でコンウェイ博士は世を去りました。もうこれ以上、世界の英知を失うことは人類的損失です。皆さんも緊急事態宣言下での外出の自粛を守って下さい。情けないですが、今は家に閉じこもることが最善の方法だと肝に銘じて下さい。 コンウェイ博士の訃報の記事は海外ではいろいろありましたが、その中でもよく書けているなと思ったのがニューヨークタイムズでした。日本は志村けん氏の訃報が大いに報道されましたが、コンウェイ博士の訃報は殆ど無かったように思います。 このニューヨークタイムズの記事は John Horton Conway, a 'Magical Genius' in Math, Dies at 82 です。この記事の私訳を以下に載せておきます。 [追記: 2020年04月22日] この記事はまさに訃報記事です。訃報記事が出てから或る程度時間を空けて追悼記事が出て来ます。 Quanta Magazine 誌が割と早目に追悼記事を掲載しました。その追悼記事も" ジョン・コンウェイは素手で数学問題を解いた "で紹介しております。 数学の'魔術的天才'ジョン・ホートン・コンウェイ、82歳で死す 2020年04月15日 Siobhan Roberts 英国生まれでプリンストン大学のジョン・ホートン・コンウェイがニュー・ジャージー州のニュー・ブランズウィクで土曜日に死去した。彼は82歳だった。彼の業績は非常に高級なものから軽薄的に楽しいものまで多種多様であり、それらが彼に賞をもたらし