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ジョン・コンウェイは素手で数学問題を解いた

前回、ジョン・ホートン・コンウェイ博士の訃報記事"数学の'魔術的天才'ジョン・ホートン・コンウェイ、82歳で死す"を紹介しました。今回はQuanta Magazine誌の追悼記事John Conway Solved Mathematical Problems With His Bare Handsを紹介します。先ずタイトルが素晴らしいと思いました。これほどコンウェイ博士の数学を見事に表現する言葉も無いでしょう。コンウェイ博士は最下辺の私が言うのも畏れ多いですが、数学史上で最も数学的腕力の強い数学者のうちの一人だと思います。既存の大理論をほぼ使用せず、大きな仕組みも殆ど作らないのですから、数学的腕力が強くなければやって行けないでしょう。日本の数学者で言えば、分野も行動も性格も考え方も全然違うけれども、私には岡潔博士の数学的腕力の強さを彷彿させます。逆に言えば、一般的に大理論を作る数学者は数学的腕力が余り強いとは言えません。例えばグロタンディーク氏が最終ヴェイユ予想(それを含むいわゆる標準予想と呼ばれるものは問題の先送りに過ぎず、現に半世紀をとっくに経過している現在でもほぼ何の進展もありません)を解けなかった要因の一つと言っても過言ではないでしょう。
私は今までにもいろいろな数学者の追悼記事を紹介して来ましたが、Notices of the AMSEMS Newsletter等の追悼記事はどうしても掲載時期が遅れるので、それらの"私訳"を載せる時点で私の気持ちが半分おざなりな気分になっていることを否定しません。そういう意味でQuanta Magazine誌のタイミングの良さにいつも感心します。一般大衆向けのオンライン科学ジャーナルはこうでなくてはならない手本を示しています。
前置きはこれくらいにして、この記事の私訳を以下に載せておきます。

ジョン・コンウェイは素手で数学問題を解いた

04月11日に死去した伝説の数学者は好奇心が強く派手であり、彼の世代の最も偉大な問題解決者の一人だった。

2020年04月20日 Kevin Hartnett

現代数学において、最も大きい進歩の多くが理論の偉大で精巧な作品だ。数学者達は山を動かすが、彼等の力はツールから来る。ツールは高度に精巧な抽象概念であり、ロゥボツ[訳注: ロボットなどのような馬鹿丸出しの表記を止めましょう。英語には日本語の促音に相当するものは一切存在しません。robotの最後のtは無声音なので、その代用でツとしましたが、あくまで無声音のツであり有声破裂音のツではありません。つまり、舌先が上顎に接している状態のままということです。ここに限らず、日本人の馬鹿表記を少しでも改善するために、あちこちで通常の表記とは異なる表記をしていることをご了解下さい。特に促音表記はすぐにでも改めることが出来るはずです。例えばboxはボックスではなくボクスです。bookはブックではなくブクです。ここでのクは無声音kの代用であり有声破裂音のクではありません]のグラヴのように行動し、着用者の力を高める。ジョン・コンウェイは逆戻りした、生まれながらの問題解決者であり、彼の何の助けも借りない離れ業は仲間達を茫然とさせた。

"すべての一流数学者は彼の力を畏敬した。彼は自分の素手で事をなせる唯一の数学者だったと言われた"とラトガーズ大学の数学者Stephen Millerは言った。"数学的に彼がそこにいて最強だった"。

04月11日、コンウェイはCOVID-19のため死去した。英吉利のリヴァプール生まれの82歳だった。

コンウェイの数学への貢献は人々が彼について話すストーリと同じほど多岐に渡る。

"昔、彼は私と握手を交わすとナポゥリオンから私が4番目の握手だと通知した。その連鎖とは私、ジョン・コンウェイ、バーチュラン・ラセル、ジョン・ラセル卿、ナポゥリオンだ"とプリンストン大学での同僚David Gabaiは電子メィル上で言った。
それから、コンウェイと彼のプリンストンでの親友の一人である数学者Simon Kochenはほんの気まぐれで世界の首都を暗記することに決めた時があった。"私達はしばらく数学を止めることを決心した"とKochenは言った。"数週間、私達は家に戻り、まぁ、アフリカまたはカリビアン諸国の西半球とやったものだ"。

コンウェイは数学の或る分野に飛び込み、それを変えてしまう傾向があった(おそらく、彼の同僚の中で並ぶものはいない)。

"彼が研究したオブジェクトの多くは彼がそれらを考えたように他の数学者達によって考えられている"とMillerは言った。"まるで、それらの上に彼の個性が重ねられているようだ"。

コンウェイの最初の大きな発見は自己保存の行動だった。60年代半ば、彼は自分の経歴を始めようとする若き数学者だった。John McKayの忠告に従って、彼はリーチ格子と呼ばれる無計画に広がった幾何学オブジェクトの性質に関するものを証明しようと決心した。それは出来るだけ小さな空間に多くの丸いオブジェクトを充填する最も効率の良い方法の研究において発生する。すなわち、球充填と知られる企てだ。

リーチ格子とは何であり、それが重要である理由の感覚を得るために、先ず簡単なシナリオを考えよう。標準ユークリド平面の領域内に出来るだけ多くの円をはめたいと想像せよ。平面を一つの大きな六角形の格子に分割し、各六角形内に出来るだけ最大の円を描くことでこれを出来る。六角形格子と呼ばれる格子が二次元空間おいて円を充填する最良の方法のための正確なガイドとして役立つ。

1960年代、数学者ジョン・リーチは24次元空間において24次元球体の最も効率の良い充填のためのガイドとして役立つであろうと彼が予想した異なる種類の格子を思いついた。それは後に真であることが証明された。球充填に対するこの応用はリーチ格子を興味深くさせたが、まだ多くの未知があった。それらのうちで重要なのは格子の対称であり、"群"と呼ばれるオブジェクトに集積され得る。

1966年、McKayに煽られて、コンウェイはどんなに時間を要してもリーチ格子の対称群を見つけようと決心した。

"彼は或る程度自身をこの部屋に閉じ込め、細君にさよならを告げ、一年間毎日一日中研究するつもりだった"とバークリのキャリフォーニヤ大学の数学者リチャード・ボーチャーズは言った。彼はコンウェイの元学生だった。

しかし、結局のところ、決別は不必要だった。"彼はやっとのことで約24時間内に計算出来た"とボーチャーズは言った。

素早い計算はコンウェイの持つ特徴の一つだった。それは彼にとって気晴らしの一形式だった。過去、未来を問わず、任意の日に対する曜日を素早く決定するためのアルゴリズムを彼は工夫した。そして、ゲィムを考案しプレイすることを楽しんだ。彼はおそらく"Game of Life"を考案したことで最もよく知られている。"Game of Life"は魅惑的なコンピュータプログラムであり、そこでは細胞の集まりが少ない簡単なルールに基づいて新しい配列に進化する。

リーチ格子の対称(現在はコンウェイ群として知られる集まり)の発見の後、コンウェイは他の類似な群の性質に興味を持った。これらのうちの一つは巧妙な名前を持つ"モンスタ"群だった。それは196,883次元空間に存在する対称の集まりである。

"モンスチュラス・ムーンシャイン"と呼ばれる1979年の論文において、コンウェイとSimon Nortonはモンスタ群の性質とj-函数と呼ばれる数論における遠方のオブジェクトの性質の両方の間に深くて驚く関係性を予想した。彼等はモンスタ群が作用する次元がほぼ正確にj-函数の係数と一致することを予想した。10年後、ボーチャーズがコンウェイとNortonの"ムーンシャイン"予想を証明し、1998年にフィールズ賞を勝取らせた。

コンウェイの計算に対する能力と実例に取組むことに対する好みが無ければ、彼とNortonはムーンシャインの関係性を予想するという考えすら無かったかも知れない。

"これらの実例をやっている最中に彼等はこの占数術を発見した"とMillerは言った。"コンウェイは徹底的に実例をやった。彼は或る魔法の棒を携えて登場しなかった。彼が何かを理解した時、他の人がそれを理解したのと同様に彼もそれを理解した。通常それを彼自身のユニークなやり方で行った"。

ムーンシャインの前の9年間、実践数学のコンウェイ流スタイルは全く異なる分野において彼を大発見へと導いた。トポロジの分野では数学者達は結び目を研究する。それは紐の閉じたループに似ている。数学者達は結び目のすべての型の分類に興味を持っている。例えば、結び目の無い靴紐の両端を留めるなら、結び目の一つの型を得る。靴紐の途中で固結びをし、両端を繋ぐなら、別の型を得る。

しかし、必ずしもそれほど簡単ではない。2つの閉じたループを取上げ、猫が一本の紐で遊ぶようにそれらの各々をごちゃ混ぜするなら、一目で(長く見つめてさえも)それらが同じ結び目かどうか必ずしも言えない。

19世紀に英吉利と亜米利加の科学者達の3人組、すなわちThomas Kirkman、Charles Little、Peter Taitは結び目の周期表みたいなものを作ることに精を出した。6年の過程を経て、彼等は最初の54の結び目を分類した。

1970年の論文において、コンウェイは同じ作業をするのにもっと能率の良い方法を思いついた。彼の記述(コンウェイの表記として知られる)は結び目のもつれと重複を図解することをもっと簡単にした。

"Littleが6年間やったことをコンウェイは午後を費やしただけ"と結び目理論を研究する、オクスフォド大学の数学者Marc Lackenbyは言った。

そして、それがすべてではなかった。同じ論文の中でコンウェイは結び目理論にもう一つ別の主要な貢献をした。結び目を研究する数学者達は別の種類の試験を持つ。それは典型的に不変量として動くが、2つの結び目に対して異なる結果が出現するなら結び目は異なることを意味する。

結び目理論において最も由緒正しい試験の一つがアリグザーンダ多項式である。アリグザーンダ多項式は任意の結び目がそれ自身を跨ぐやり方に基づく多項式表現だ。それは効果的な試験だが、少し曖昧でもある。同じ結び目が多数の異なる(しかし、密接に関連する)アリグザーンダ多項式になる可能性があった。

コンウェイはやっとのことで曖昧性を排除して、アリグザーンダ多項式を精製出来た。その結果はコンウェイ多項式の発明だった。今はすべての結び目理論家が学習する基本的ツールである。

"彼は彼流のやり方で飛び込んで来て事をなすことで有名だ。彼は確かに結び目に関してそれをやり、永続する影響を持った"とLackenbyは言った。

コンウェイは活発な研究者であり、70歳代においてもプリンストン大学数学部門の談話室にずっといた。しかし、2年前の大きな卒中が彼を療養所に引き渡した。Kochenを含む元同僚達はCOVID-19パンデミクがそれを不可能にさせるまで定期的に彼を見舞った。Kochenは冬を通して(コンウェイが死去する約2週間前の最後の会話も含めて)電話で彼と話し続けた。

"彼は何の訪問者もいないという事実を嫌い、あのくそ野郎なヴァイラスについて語った。そして、それどころか、あのくそ野郎なヴァイラスは彼を連れて行った"とKochenは言った。

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