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証明をめぐる3年の苦闘の後、困惑したままの数学者達

 前に紹介した"ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する"や"数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明"の[追記: 2019年02月28日]の中で2015年の12月にオクスフォドで開催された望月論文に関するワークショプに言及したことがありました。このワークショプの失敗が欧米における望月論文を理解しようとする意欲を完全に失わせたいう意味で決定的でした。

私の身辺の素人衆の中にこのワークショプはどんな感じだったのか知りたいと言う珍奇な人がいました。このワークショプの詳細なことはBrian Conrad博士のNotes on the Oxford IUT workshop by Brian Conradを読めば必要かつ十分なのですが、素人には内容が重いので余り勧めたくありません。そこでいろいろ迷ったのですが、New Scientist誌に掲載されたMathematicians left baffled after three-year struggle over proofを紹介します。この記事を選んだ理由は短くてドキュメンタリ風だから素人衆でも少しは楽しめるだろうと思ったからです。

時系列的には、先ず"数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明"が先に来て、次に今回紹介する記事、そして最後に"ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する"という順番です。

ここで、PRIMSの望月論文受理に関する私の意見を日本及び海外の人に平均的知性があれば誰もが読めるように書いておきます。なお、英語を全く解しない、または翻訳エンジンに縋るしかない人、つまり平均的知性を持ってない人は時間の無駄ですから、これ以降読まなくて結構です(私の親族、友人共、知人達以外の赤の他人は私のブログを読むなというのが本音です。だから、When did I ask you to read my blogs? To rub it in, I tell those who have nothing to do with me or are weak in English not to read my blogs.と言わせて貰います)のでお引取り願います。

As for Mochizuki's proof regarding Corollary 3.12, no one, including Mochizuki's followers and disciples, is in a position to judge whether it's correct or not; that is, no one can be a referee, a fortiori Mochizuki's followers and disciples in terms of referee neutrality can't. Incidentally, Akio Tamagawa, a member of the PRIMS editorial board, said the editorial board decided to accept Mochizuki's papers because of the referees' recommendation. I don't believe it at all. Or rather, I worry that there might have been no fair referees, contrary to Tamagawa's say.

In such a case, as maths journals go, the PRIMS should have rejected Mochizuki's. To make sure, it doesn't matter whether the proof is correct or not; the problem is that no one can be a referee. Not surprisingly, quite a few people, most of whom are Japanese, don't understand it.

While COVID-19 is invading the globe, it's ridiculous for the RIMS to have held a news conference to announce accepting the papers. The RIMS members seem unaware that the maths communities of the world look askance at the RIMS.

Even if the RIMS forcibly goes forward with the publication of the papers, there remains a possibility that the EMS Publishing House will cancel or break a contract with the RIMS. I expect that this faint hope will be the last to stop the RIMS from getting out of control and that the RIMS will come to a stop.

さて、前置きはこれくらいにしてMathematicians left baffled after three-year struggle over proofの私訳を以下に載せておきます。

[追記: 2021年09月19日]

"ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する"の[追記: 2021年08月12日]の中でも書きましたが、とうとうPRIMSの望月論文特別号が2021年03月にEMS Pressから刊行されました。2020年04月03日のRIMSの論文受理の記者会見の時から論文刊行の時まで、そして今日に至るまで、日本においては何らかの異論や反論が全く出なかったのかと海外の知人達の多くが訝ってました。日本語でごにょごにょと何らかを言っている人がいることは私も知ってますが、そんなものは異論、反論または称賛の表明にもなりません。日本語で発信しても全く無意味であり、世界から見れば日本語というバリヤに守られ、国内向けポゥズ、つまり恰好付けのために喚いているとしか思われないでしょう。訝る海外の知人達の何人かに、私が日本の現状について最近書き送ったものの一部を世界の誰もが平均的知性があれば読めるようにここに載せておきます。

You can argue about IUT, that infamous Corollary 3.12 in particular, till you're blue in the face abroad, but in Japan, it's nonsense to do that, or rather, even risky. Mochizuki's circle would stop at nothing to attain their ends in Japan. Worse yet, most of them are shamelessly bossy in their country, and so, like the obstinate old, they won't listen to your criticism. It cannot be otherwise. At least I've got nothing I could do about it.

Why has making a free argument about IUT been going from bad to worse in Japan? The plausible reason is that the papers about IUT get left alone all over the world except in Japan despite the long-awaited publication. In other words, if you're Japanese, then you feel obliged to conform to the so-called original and glorious theory made in the name of the RIMS, especially Shinichi Mochizuki, all the more for the previously mentioned reason. You might feel as if you lived in a feudal society, but there it is. It may mean that Japan is, in fact, a backward country.

Be that as it may, since Mochizuki and his circle have turned their backs on the world, there's no way that the proof of Corollary 3.12 gets recognized.

[追記: 2021年10月02日]

海外では望月論文の査読者にまともな数学者がいたのか疑念を持つ人が多いので、参考までに私が海外の知人達に書き送ったものを世界の誰もが読めるようにここに載せておきます。

From a lot of reliable information, I cannot but infer that, regarding the publication of Mochizuki's papers, an unspoken understanding existed inside the PRIMS editorial board long ago, where Shinichi Mochizuki was the chief editor. Not only I but anyone else also takes this inference for granted, though.

It's very doubtful the PRIMS requested conscientious mathematicians to be referees. At this point, I'd like to make one thing clear: Mochizuki's circle, namely his followers and disciples, who look like suckerfishes for him, can't be referees in terms of referee neutrality. Most Japanese need to understand the meaning of it. Those who don't see this meaning may well be weak in the head.

I haven't heard of such a conscientious mathematician who can go over Mochizuki's papers with a fine-tooth comb without missing a beat in Japan. Abroad, most first-rate mathematicians were sceptical about those papers from the outset. Or rather, you'd rather quit being a mathematician than recognize that proof of Corollary 3.12.

In the end, virtually no one can be a referee; nonetheless, the PRIMS didn't reject those papers. Worse yet, the PRIMS not only accepted those papers but officially published them as well. It's only natural that many a mathematician should harshly criticize the PRIMS for blowing its own trumpet.

Taking the status quo into account, unfortunately, I cannot but guess that the referees for those papers were from Mochizuki's circle, abusing the referees' anonymity. It's no use, however, getting upset with such anonymous cowardly referees because they may have only followed someone's command.

To rub it in, most Japanese had better ask themselves severely what the purpose of a referee's anonymity is.

My first inference above isn't simply a guess.

[追記: 2021年10月12日]

世界中でCOVID-19が蔓延している最中に催された2020年04月03日のRIMSの記者会見そのものに対する私の所感(批判)は"COVID-19後の数学"の前置きの中に英語で書いてあります。そこでは、もっと踏み込んだことが書かれてあります。

証明をめぐる3年の苦闘の後、困惑したままの数学者達

2015年12月16日 Jacob Aron

巨大な数学証明を理解しようとする最近の努力は失敗して紛糾に終わっている。その証明が発表されてから3年余り、証明の陰の数学者は彼の潜在的に画期的な研究を研究仲間達に認めて貰うには程遠い。誰かが望月新一の知力を理解出来るのか?

先週、多くの数学者達が望月の"inter-universal Teichmuller"(IUT)理論を議論するためにオクスフォド大学にある数学研究所で会合した。IUT理論は望月が2012年の8月にオンラインで投稿した500ペィジの証明である。望月の研究はABC予想の解法を提案した。ABC予想は簡単な方程式ab=cで始まる数の基礎的性質に関する長年の問題だ。それをするにあたって、望月は数学の新しい分科を創った。

その時、研究仲間達は彼の試みを讃えたが、望月の複雑怪奇な創案に取組むにはしばらく時間を要すると警告した。その時から、ほんの数人だけがやっとのことでそれをやっている。今年の一月、その研究を進んで受け入れることよりも、その研究を単にざっと読みしていると望月は研究仲間達を叱責した

問題の一部分は海外で講義するために日本を去ることを望月が拒否していることだ。日本で彼は京都大学の研究者だ。一方、多くの研究仲間達は望月の指導の下で何ヶ月かを京都で過ごす時間を捻出出来ないと言う。ワークショプはその行き詰りを解消すべく立案され、研究を理解し始めている一握りの数学者達の講演と、それに加えてSkypeを通して望月の出演があった。

上手く行かなかったようだ。出席した、オースティンにあるテキサス大学のFelipe Volochは"最初の数日間に楽観が出た"と言う。最初の部分はIUTに関連する予備的研究を扱い、上手く行っているように見えた。

聴衆の不満

"そして木曜日、それは全くボロボロになった"とVolochは言う。いつか学校で代数を理解しようと苦闘したなら、専門家達がどのように思ったに違いないと分かる。"彼等は望月論文の中にあることを繰り返しているに過ぎなかった。何らかの説明または何らかの考察の類も無しで足早に。とにかく誰もそれを理解出来なかった。誰も何が進行中なのか少しも納得出来なかった"。

"短期間の間に期待されていることすべてを達成したという意味で上手く行ったと私は思う"とワークショプの組織者の一人である、オクスフォド大学のMinhyong Kimは言う。"これらの長い望月論文のなかで何のアイディヤが起きているのかという一般的認識は高レヴェルにまで達した。期待が高すぎたのかも知れなかった"。

"最後の2日間に聴衆の本質的な不満があった"とキャリフォーニヤにあるスタンフォド大学のBrian Conrad彼のワークショプ査定の中に書いている。望月の大作にまで導く研究の認識を得ることには役立ったと彼は言うけれども。"主要な本質点をより広い数論幾何学者コミュニティに上手く説明することの第一の責任は今やIUTを理解している人達にある"。

Kimは自身が全部の証明を理解しているわけではないと言うが、彼は主要アイディヤを把握している。他の数学者達は同様の位置に到達し始めていると彼は言う。"最近まで全事柄が神秘に隠されているようだった一方で、今や彼等は筋道の通った特定箇所を理解しようと苦闘している"。

文化衝突?

しかし、理解している人達は豹変し、他の誰かに説明出来ないようだ。Volochは日本で望月とIUTを勉強して来ている人達が他の出席者達と上手く意思を通じ合えなかったと思ってはいるけれども、"私は誰かがゾンビに変化するのを黙認しなかった"と言う[訳注: 訳者の海外の知人の一人はワークショプに参加しており、その知人は彼等が英語ネィティヴスピーカではないと承知しつつも英語能力が酷いと思ったので望月新一博士が何故彼等を日本からわざわざ派遣したのか理解に苦しむと言ってました。しかし、国際的な会合では英語ネィティヴスピーカでない人は多くいますので、非ネィティヴスピーカであることは言い訳にもなりません(仮に英語が聞き取れないのであれば、例えばI didn't catch what you said just now. Sorry to bother you, but would you mind writing it down on paper?とでも言って、最悪でも筆談に持ち込むくらいの根性を持たずして世界には出るなということです。要は何事においても日本国内向けの恰好付けだけで上手く行くなぞ世界はそう甘くありません)。そして、こっちの方がもっと重要なのですが、彼等は他の出席者達と真摯に向き合おうとはせず、緩慢な動作で逃げてばかりいるとも指摘してました。これは英語能力や数学より以前に、人間としての有り様が問題だと知人は怒ってました。これを聞いた時、訳者は正直言って日本人の一人として恥ずかしく思い、全く関係無いのにもかかわらず思わず遺憾の意を表しました。世界に顔向け出来ないようなことはするなと言いたいです。本文にある"ゾンビ"という言葉も多くの出席者達が時間の合間にAre they zombies?と頻繁に漏らしてたことを反映してます。なお、念のために言っておきますが、ここで言う"ゾンビ"は"のろま"などの否定的意味合いを持ちます。しかし、訳者はワークショプに参加した知人への返信の中でYou might want to refer to them as the gormless rather than zombies.と書いた思い出があります]。

普遍的言語である数学なのにもかかわらず、文化衝突がそれなりに起きるだろうとKimは言う。"日本では多くの集中力を要する長くて技術的な講義に人々は慣れている。米国または英国ではもっと相互作用、すなわち聴衆から疑問を指摘されながら、少なくとも白熱した議論の或るレヴェルを期待する"と彼は言う。

望月は研究を過重に造り過ぎているという意見の一致が急成長して混乱に拍車をかけている。"彼の造る大きな理論の殆どが本質的ではない。もっと簡素化された方法で書けたであろう"とVolochは言う。

望月が論文をその核にまで剥ぎ取れるならば、もっとこなれやすくなるかも知れないとVolochは言う。だが、それは画家の大家に時事風刺漫画に手を染めてくれと乞うことに少し似ていると彼は認める。"それは少しある。彼は非常に頑固だからだ"。

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