数学者Michael Atiyah卿のことは今更くどくど申し上げるまでもないでしょう。その数学的業績を讃えられ英国王室からナイトの称号を授けられました。今日紹介するのは、ブルバキに関する2冊の本のAtiyah卿による書評(PDF)です。この書評は2007年に発表されたのですが、その2冊とはMaurice Mashaal氏の"Bourbaki, A Secret Society of Mathematicians"とAmir D. Aczel氏の"The Artist and the Mathematician: The Story of Nicolas Bourbaki, the Genius Mathematician Who Never Existed"です。実を言えば、Mashaal氏の本は元々の仏語版"Bourbaki, une société secrète de mathématiciens"として前に刊行されており、ブルバキÉléments de mathématique大嫌い人間の私でも、そちらの方だけは読みました。後にSpringer日本支社からも日本語版"ブルバキ-数学者たちの秘密結社"として出ております。Mashaal氏の本はAtiyah卿も太鼓判を押していますので興味ある方は読んでみたらいいと思います。定評ある本でしたから、英語版は発行元がAMS(米国数学協会)で、平たく言えば御墨付きと言えます。で、問題はAczel氏の本なんです。この人は以前にも"Fermat’s Last Theorem: Unlocking the Secret of an Ancient Mathematical Problem"という本を出し、出版社は別なんですが、一時はAMSからも購買出来ました。しかし、内容に問題があったのでAMSは即に販売中止にしました。この販売中止のこともあって、私はAtiyah卿の書評を読んだ時に成程と思いました。ですから、Aczel氏の"Fermat’s Last Theorem...."と"The Artist and the Mathematician...."は読んでいません。
私は滅多に日本語の本を読まないし関心も無いのですが、先日のPierre Cartier博士のインタビュー記事の私訳を読んだ知人が、Aczel氏の"The Artist and the Mathematician...."の日本語訳が"ブルバキとグロタンディーク"という題名で2007年に出ていることを教えてくれました。私は読んでいませんから、知人から大体の内容を聞き、そして訳者と編集担当者の下心丸見えな題名を聞いて、これはポピュリズム以外の何ものでもないと思いました。少なくとも訳者と編集担当者はAtiyah卿の批判を読んでいないでしょう。読んでいたなら少しは躊躇ったと思います。結局、彼等は面白ければいいのであって、日本人に変な先入観を与えることなぞ何とも思っていないのでしょう。つまり、彼等はグロタンディーク氏を悲劇のヒーローのように扱っているのです(まるで源義経ですね)。私はグロタンディーク氏の偉大なる業績を否定しているのでありません(それどころか、仏語の練習のため氏のEGAばかりを読んでいた時期もありました)。私が過去へタイムスリップでもしない限りグロタンディーク氏に会えるはずがないのですが、私の大先生や大先輩方が若かりし頃にグロタンディーク氏に会ったことがあり、茶飲み話(勿論、オフレコ)でいくつか人柄や逸話を話して下さいました。話を聞く限り芳しいとは言えませんでした。そして、Atiyah卿はグロタンディーク氏と何回も共同研究をしたし、ブルバキの客分でもあった人ですから余人よりも遥かに知っているはずなんです。
"ブルバキとグロタンディーク"で検索しましたら、いろいろな書評(日本語で検索していますので当然日本人の書評です)がありました。すべて本の鵜呑みで(日本人を洗脳するなんてことは非常に簡単なことなんだと改めて痛感しました)、これでは故ヴェイユ博士が気の毒だと思いました(まるで源頼朝ですね)。日本人は多かれ少なかれ似非権威には弱いけれども、本当の権威の言うことは聞かない(と言うか、先ず誰が本当の権威なのか分かっていない)というのが私の持論です。言い換えれば、真実を見ようとしない、もしくは見たくないとも言えます。日本のお隣りの国々と何ら本質的に変わりません。
ともかくも、Atiyah卿の書評の私訳を以下に載せておきますが、読んでいただければ分かる通り、もう書評とは言えず、いわばブルバキ小論であるとともに、無責任な部外者がブルバキと何の接点も無く(もっとはっきり言えば、ブルバキから招聘の声もかからない人達と言ってもいいでしょう)、知ったかぶりで本を書く弊害への警告とも言えます。
[追記: 2011年09月13日]
アマゾン日本に、"The Artist and the Mathematician...."については、洋書の方でレヴュを、"ブルバキとグロタンディーク"については、レヴュを書きました。私は実際にはこれらの本を読んでいないのですから、あくまで大数学者による批判があるということだけを明記したのみです。
[追記: 2019年03月19日]
このペィジは2011年09月12日に某サイトに載せたものです。従いまして、当時生きていたリンクも現在ではリンク切れになっている可能性があります。
[追記: 2019年04月10日]
マイケル・アティーヤ卿に関しては他にも"私が知った時のグロタンディーク"、"1966年フィールズ賞、2004年アーベル賞のマイケル・アティーヤ卿へのインタヴュー"、"マイケル・アティーヤ卿への最近のインタヴュー"があります。
[追記: 2019年10月02日]
グロタンディーク氏がブルバキを脱会した理由については、ピエール・カルティエ博士の"グロタンディークに関する青春の思い出"を読んで下さい。
[追記: 2019年12月28日]
グロタンディーク氏の数学コミュニティとの決別に関して論じたものとして"グロタンディーク: 決別の神話"があります。
ブルバキに関する2冊の本のAtiyah卿による書評
Maurice Mashaal "Bourbaki, A Secret Society of Mathematicians"
Amir D. Aczel "The Artist and the Mathematician: The Story of Nicolas Bourbaki, the Genius Mathematician Who Never Existed"
2007年9月 Michael Atiyah
私の世代のすべての数学者や、次に続く数十年間の数学者でさえも、ニコラ・ブルバキ(ナポレオン風将軍の化身として、若いフランス人数学者の急進的グループが数学界に影響を与えることになった)を知っていた。彼の思い出は今や薄れてしまったかも知れず、本は古くなり黄ばんでいる。だが、彼の影響は生き続ける。ブルバキが20世紀の数学を復活させ、方向を与えたと信じているので、私達の多くは彼の熱狂的な弟子だった。しかし、数学を厳格の塀の内に監禁し、インスピレーションの外部的ソースを遮断したことで、他の人はブルバキの影響が有害で狭量だと考えた。
私は滅多に日本語の本を読まないし関心も無いのですが、先日のPierre Cartier博士のインタビュー記事の私訳を読んだ知人が、Aczel氏の"The Artist and the Mathematician...."の日本語訳が"ブルバキとグロタンディーク"という題名で2007年に出ていることを教えてくれました。私は読んでいませんから、知人から大体の内容を聞き、そして訳者と編集担当者の下心丸見えな題名を聞いて、これはポピュリズム以外の何ものでもないと思いました。少なくとも訳者と編集担当者はAtiyah卿の批判を読んでいないでしょう。読んでいたなら少しは躊躇ったと思います。結局、彼等は面白ければいいのであって、日本人に変な先入観を与えることなぞ何とも思っていないのでしょう。つまり、彼等はグロタンディーク氏を悲劇のヒーローのように扱っているのです(まるで源義経ですね)。私はグロタンディーク氏の偉大なる業績を否定しているのでありません(それどころか、仏語の練習のため氏のEGAばかりを読んでいた時期もありました)。私が過去へタイムスリップでもしない限りグロタンディーク氏に会えるはずがないのですが、私の大先生や大先輩方が若かりし頃にグロタンディーク氏に会ったことがあり、茶飲み話(勿論、オフレコ)でいくつか人柄や逸話を話して下さいました。話を聞く限り芳しいとは言えませんでした。そして、Atiyah卿はグロタンディーク氏と何回も共同研究をしたし、ブルバキの客分でもあった人ですから余人よりも遥かに知っているはずなんです。
"ブルバキとグロタンディーク"で検索しましたら、いろいろな書評(日本語で検索していますので当然日本人の書評です)がありました。すべて本の鵜呑みで(日本人を洗脳するなんてことは非常に簡単なことなんだと改めて痛感しました)、これでは故ヴェイユ博士が気の毒だと思いました(まるで源頼朝ですね)。日本人は多かれ少なかれ似非権威には弱いけれども、本当の権威の言うことは聞かない(と言うか、先ず誰が本当の権威なのか分かっていない)というのが私の持論です。言い換えれば、真実を見ようとしない、もしくは見たくないとも言えます。日本のお隣りの国々と何ら本質的に変わりません。
ともかくも、Atiyah卿の書評の私訳を以下に載せておきますが、読んでいただければ分かる通り、もう書評とは言えず、いわばブルバキ小論であるとともに、無責任な部外者がブルバキと何の接点も無く(もっとはっきり言えば、ブルバキから招聘の声もかからない人達と言ってもいいでしょう)、知ったかぶりで本を書く弊害への警告とも言えます。
[追記: 2011年09月13日]
アマゾン日本に、"The Artist and the Mathematician...."については、洋書の方でレヴュを、"ブルバキとグロタンディーク"については、レヴュを書きました。私は実際にはこれらの本を読んでいないのですから、あくまで大数学者による批判があるということだけを明記したのみです。
[追記: 2019年03月19日]
このペィジは2011年09月12日に某サイトに載せたものです。従いまして、当時生きていたリンクも現在ではリンク切れになっている可能性があります。
[追記: 2019年04月10日]
マイケル・アティーヤ卿に関しては他にも"私が知った時のグロタンディーク"、"1966年フィールズ賞、2004年アーベル賞のマイケル・アティーヤ卿へのインタヴュー"、"マイケル・アティーヤ卿への最近のインタヴュー"があります。
[追記: 2019年10月02日]
グロタンディーク氏がブルバキを脱会した理由については、ピエール・カルティエ博士の"グロタンディークに関する青春の思い出"を読んで下さい。
[追記: 2019年12月28日]
グロタンディーク氏の数学コミュニティとの決別に関して論じたものとして"グロタンディーク: 決別の神話"があります。
ブルバキに関する2冊の本のAtiyah卿による書評
Maurice Mashaal "Bourbaki, A Secret Society of Mathematicians"
Amir D. Aczel "The Artist and the Mathematician: The Story of Nicolas Bourbaki, the Genius Mathematician Who Never Existed"
2007年9月 Michael Atiyah
私の世代のすべての数学者や、次に続く数十年間の数学者でさえも、ニコラ・ブルバキ(ナポレオン風将軍の化身として、若いフランス人数学者の急進的グループが数学界に影響を与えることになった)を知っていた。彼の思い出は今や薄れてしまったかも知れず、本は古くなり黄ばんでいる。だが、彼の影響は生き続ける。ブルバキが20世紀の数学を復活させ、方向を与えたと信じているので、私達の多くは彼の熱狂的な弟子だった。しかし、数学を厳格の塀の内に監禁し、インスピレーションの外部的ソースを遮断したことで、他の人はブルバキの影響が有害で狭量だと考えた。
今私達は21世紀にいるのだから、主要な役者が舞台を去る前に、顧みてブルバキの全影響を評価しょうとするには適切な時だろう。基本的な歴史的事実はよく知られており、書評対象の2つの本に述べられている。フランスは1914–18年の戦争中に知識階級の世代を失い、1920年代と1930年代の両世界大戦間の時期に、パリの若い数学者は新しいガイダンスとインスピレーションを探していた。古い世代のアダマールとエリ・カルタンはまだ尊敬されていた。才能ある若人は、抑圧から解放され、力がある。そして、ブルバキについて人の意見が何であれ、才能が極めて非凡だったことは疑い無い。ブルバキの初期メンバーのリストは本当にすごい。アンドレ・ヴェイユ、アンリ・カルタン、クロード・シュヴァレー、ジャン・デュドネ、ローラン・シュワルツ...後の新参者も同様の力量だ。ジャン・ピエール・セール、Armand Borel、アレキサンダー・グロタンディーク...そんな手強いグループの力を捌くことは簡単なことではない。過激な論争、深刻な口喧嘩、激怒があった。注目すべき事実は、全体としてみれば、冷静沈着で、ブルバキを活発にし、数十年以上に渡って活動的だった。これは、彼等が共有した理想的意見、つまり20世紀の数学の形を再生するということの表れだった。
Mashaalの本の中の非公式写真により、初期の雰囲気の殆どが生き生きとして蘇る。アンリ・カルタンが流行りのファッションに抵抗して、いつも完璧にジャケットとネクタイを身に付けているけれど、若きアンドレ・ヴェイユがデッキチェアでリラックスしている写真を見るのは魅力的だ。
私自身が若い時ブルバキ会議に出席したので、次の本の最終版について精力的な(通常は批判的な)議論の生きた体験の証拠となるだろう。南フランスの夏の太陽の光と友好的で飾らない雰囲気は、議論が腕力喧嘩に発展するのを防ぐために大いに役立った。ウィストン・チャーチルを言い換えれば、"議論の最中に、とても小さなことに関して大勢で議論されることは決して多くはならない"だ。本の多くが実際に、このプロセスから出現したことは奇跡のように思われるが、デュドネの勤勉さとエネルギーのおかげの結果である。ヴェイユがブルバキの背後の主要なインスピレーションなら、それを実現するのはデュドネだった。
さて、ブルバキの基本目標は何で、どれほど達成したのか? おそらく、2つの中心的目的をピックアップ出来る。一つは、数学が新しく広い基礎を必要としたということだ。その基礎は、流行遅れの教科書を置換える本のシリーズに含まれた。もう一つは、新しい基礎の主要なアイデアが"構造"の概念にあったということ。今の共通の言葉で言えば"同型写像"だ。
"構造"の明快な重視で、ブルバキは正しい時に正しいアイデアを造り、私達が考えた方法を変えたことは間違い無い。勿論、ヒルベルトの数学へのアプローチと後に続く抽象代数学にうまく適合した。だが、構造は代数に特有ではなく、特にトポロジーと幾何学関連領域(これらのすべてが、第2次世界大戦後の時期に目覚しい発展を見ることになった)に好結果を生んだ。ここでは、ブルバキの影響は決定的であり、セールとグロタンディークによって、代数幾何学は信じられない高さに登りつめた。
普遍的基礎を置くことは別の問題である。実施する度に、実行の大きな規模と野心によって確実に動きが取れなくなる。この方面での"極限"はグロタンディークとデュドネの"Éléments de Géométrie Algébrique"だった。これは、先行逆行共に巻数が膨れて、その重さに沈む危険があった。
野心的な基礎を置くことは、危険な妄想のみならず、教訓的な大失敗にもなり得る。百科事典は教科書ではない。ブルバキに対する批判の大部分は、学校教育の改造にブルバキが使用(又は、おそらく誤用)されたことだ。ブルバキの偉大な数学者の多くは秀でた教師であり、公式的解説と理想の伝搬の違いをよく知っていたのだから、この批判は不公平だろう。だが、よくあることだが、弟子は先生よりも極端、狂信的になり、フランスとその他の国での教育は独善的で知ったかぶりの改革で駄目になった。キリスト教の名において犯される逸脱は、イエス・キリストに責任は無い。
ブルバキはある程度、その成功の被害者だった。元々の狙いは、グルサーの解析教程の代わりを書くという慎まやかなものだったが、熱意に勇気づけられ、その時代の多くの指導的数学者の参加に成功し、範囲が拡がった。数学のすべて、解析学、代数学、幾何学が含まれた。明らかな理由で、代数学はブルバキの処方に一番適っていた。可換代数と特にリー群に関する巻は秀でており、標準の参考文献となった。これは、大部分がセールの個人的貢献のおかげであり、彼の影響とセンスはこの分野全体を指導した。
関数解析で良い例となったように、表面的には解析学も成功を修めた。が、ブルバキの確率論の扱いは、局所コンパクト空間への制限によって理論の重要部分が排除されていると主張する専門家から深刻な批判を受けた。エレガンスへの関心は余りにも大きな代償を払った。
しかし、確率論での小さなバトルはブルバキの解析へのアプローチの中では枝葉の問題に過ぎず、解析学は膨張、複雑、乱雑なままブルバキに引継がれた。これらの問題のいくつかは微分幾何学にも既に出現していて、微分幾何学は解析学と幾何学のインタフェースであり、ただ今のところだけれども、構造は重要な概念ではない。リーマン面の理論は、百年の活発な展開の後に、ブルバキの一貫した処方を与えられたが、3次元のThurston-Perelmanの現在の研究についても同じだと言えなかった。もう一つのブルバキの深刻な限界は、間違いなく純粋数学のみの制限だ。応用数学を含めるには余りにも乱雑で本質的に異なり、はっきりしないボーダーラインで理論物理学が彷徨っていた。ブルバキの際立った特徴の一つは、明確で曖昧さの無い定義と厳正な証明の重視であった。これは、代数幾何学でのように、過去のいい加減な説明に対する反動であり、将来に向けて確固たるプラットフォームを造る目的に役立った。残念ながら行き過ぎると、完全厳密の要求は初期段階にある数学分野の大部分を排除する。もしオイラーが厳密性に非常に拘っていたなら、数学は駄目になっていただろう。
過去30年以上に渡って、ブルバキは間違いなく衰退したが、数学での最も刺激的な発展のいくつかは、物理学との境界、特に量子場理論から起こっている。新しい概念と明快な結果はこの交流から出現し、注目すべきは、4次元多様体におけるDonaldsonの研究、代数幾何学での鏡対称性、量子コホモロジーである。この多くがエドワード・ウィッテンのような物理学者の試行錯誤の研究から来た。全部ではないが、その大部分が厳密な証明を含んでちゃんと様になっている。
明快と厳密は数学の生命線だが、他の分野からの新しいアイデアの障壁として使用されてはならない。自由貿易は私達皆に利益を与え、国家統治権に行き過ぎた権利を付けてはならない。
ブルバキは、その時代の有名フランス人数学者(そして、フランス外からも複数)の殆どを入れたけれども、注目すべき例外もあり、はっきり目立つのはジャン・ルレイ(彼は非常に早くに離れた)とルネ・トムだった。今から考えると、両者がブルバキの役目に適しなかったことは明らかだ。彼等がその時代の最も独創的な数学者の内の2人だったことは、おそらく制約された雰囲気の中でそのような独創性を発揮するのは困難であると示唆する。両人も彼等の仲間よりは応用数学に近かった。
書評対象の2冊の本の内、最初のMaurice Mashaalによる本は"御墨付き"と言っていいだろう。本はAMSの認可を持ち、かなり前にフランス語で最初刊行された。著者が個人的に多くのフランス人数学者を知っていたことは明らかだろう。著者は独自の情報、特に取材源からの写真を導き出した。歴史、個性、数学について信頼出来る。また非常に読み易く、全く異論が無い。
別のAmir Aczelによる本は全然異なる。もっと野心的な目標を持っているが、社会科学の"構造"についてブルバキの影響を検討している。グロタンディーク物語の拡大解説にも大変異論がある。私はその取材源の信頼性についても、その理念的保証も確信しなかった。
英語で書かれているけれども、この本はフランス人の知的アイデアが行き渡っているが、おそらく第三者は奇妙に思うだろう。アンドレ・ヴェイユと社会学者クロード・レヴィ=ストロースの少しばかり薄い関係が、ブルバキが社会学や、心理学、人類学、言語学のような関連分野に主要な影響を与えたと主張するために使用されている。この大きな目標はタイトルに明記されており、私はこれらの分野に詳しくない。著者が数学から社会科学までの全舞台に跨る、博識家、知的巨人であるのかも知れない。私がこのための根拠を検討出来て、まともなコメントを出来る唯一の所は数学の説明とそれに登場する人物である。ここで、主にグロタンディークに関係するが、私は大きな懸念を持つ。グロタンディークは著者の信仰神々の中心的な場所を占めている。
グロタンディークが数学の世界で比類無き人物であったこと、彼が学問的な等身大の伝記(彼を個人的に知っていた数学者により書かれることが望ましい)に値することは間違いない。そのような本が準備されていると私は信じるし、それを読むことを楽しみにしている。Aczelの本は、グロタンディークを偉大なる預言者(最後には、ブルバキを含む周辺の人々から相手にされていない)とする無条件な容認のため、伝記のレベルに達していない。
私はグロタンディークの全盛期に彼をよく知っていた。彼の数学、異常なエネルギーと馬力、アイデアを受入れる気前良さ(それが弟子の群れを魅惑した)に私は大いに感心した。だが、彼の数学と社会生活の両方において、彼の主な特質は頑固な性質だった。同時に、これは彼の成功と没落両方の要因だった。グロタンディーク以外の誰でも、代数幾何学において彼の採った十分な一般性を取り入れて、成功までやり抜けられなかったであろう。勇気、落ち着いた豪胆さ、完全な自信と異常なる集中力、困難な作業が要求される。グロタンディークは驚くべき人だった。
彼は弱点を持っていた。彼は成層圏では他に誰も出来ない操縦を出来たが、地球上の彼の立場に自信が無かった。つまり、具体例に彼は乏しく、同僚に供給して貰わなければならなかった。
グロタンディークを新しいブルバキ哲学を真剣に考え、その凄まじい成功を造った人として見る時、Aczelは正しい。私がAczelと意見が異なる所は、ブルバキがグロタンディークのアドバイスを採用せず、カテゴリ論の新しい言葉で基礎を書き直ししない致命的なミスを犯した、というAczelの言明だ。グロタンディークに従わないことで、ブルバキは未来に背を向けたとAczelは考えている。歴史がこの評決を支持するか私は疑わしいと思う。自信過剰なユニバーサリストの通常の宿命と同じく、グロタンディーク自身のEGAが違うように暗示しているようだ。更に言えば、グロタンディークの頑固な性質と自信過剰を考えると、彼に舵取りを任せて、ブルバキがどうやって共同責任体制として続けられたであろうかと理解するのは難しい。
Aczelのグロタンディーク全面是認は彼に以下のような愚かしい言明を書かせる。
"ヴェイユは、グロタンディークが彼よりもずっと秀でた数学者だと分かる、いくぶん嫉妬深い人だった。"
微妙な判定は明らかにAczelの領分ではないし、そして彼の自信ありげな、広い範囲にわたる、社会科学における断言を読者は真剣には受け止めないだろう。
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