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ピエール・ドリーニュへのインタビュー

大学で教鞭を取っている友人共の話によれば、若い学生、特に学部学生からグロタンディーク氏がヴェイユ予想を解けなかった理由を聞かれることが結構あるそうです。友人共皆が代数幾何学もしくは数論幾何学を専攻しているわけではなく、門外漢なのにも関わらずです。友人共のうちの一人だけが代数幾何学でまだしつこく頑張っているのですが、彼(ここでは仮にA君と呼びましょう)によれば最近の学生は考えていることが非常に幼稚で、まともな質問をしません。こういうどうでもいいような裏話にうつつを抜かす暇があるなら、特に代数幾何学を専攻したいなら学ぶべき事項が巨大氷山のように待ち構えているから、学部学生の時からせっせと消化すべきであって、時間がいくらあっても足りないはずだと怒っていました。
私なら質問を無下に却下せずに、真実にほど遠かったからであって、それ以上でも以下でもないと答えるでしょう。これでは物足りないと思う人もいるでしょうし、もちろん私もA君から昔何回も聞かされたから、もう少し具体的なことを知っていますが、それを述べたところで何の意味があるのでしょうか。
最終ヴェイユ予想を解決したのは、御存知ピエール・ドリーニュ博士ですが、アホ学部学生が読んで少しは満足するだろう記事"Interview with Pierre Deligne"(PDF)がタイミングよくNotices of the AMSの2月号に載っていましたので、以下に私訳を載せておきます。

[追記: 2019年03月21日]
このペィジは2014年01月17日に某サイトに載せたものです。従いまして、当時生きていたリンクも現在ではリンク切れになっている可能性があります。

[追記: 2019年12月28日]
グロタンディーク氏の数学コミュニティとの決別に関して論じたものとして"グロタンディーク: 決別の神話"があります。

ピエール・ドリーニュへのインタビュー
2013年5月
Martin Raussen オールボー大学
Christian Skau ノルウェイ科学技術大学

ピエール・ドリーニュはノルウェイ科学文学アカデミーの2013年度アーベル賞受賞者である。オスロでのアーベル賞式典と同時に、このインタビューは2013年5月にMartin RaussenとChristian Skauによって行われた。この記事は元々Newsletter of the European Mathematical Societyの2013年9月号に登場したが、EMSの許諾を得てここ[訳注: Notices of the AMS]に再掲する。

Raussen and Skau: ドリーニュ先生、最初に11番目のアーベル賞受賞をお祝い申し上げます。この権威のある賞の受賞者として選ばれることは誉れのみならず、アーベル賞は6百万ノルウェイクローネ、すなわち約1,000,000米国ドルの賞金を伴います。このお金をどうする考えなのか興味あります・・・

ドリーニュ: このお金は実際には私のものではなく、数学に属していると思う。それを浪費ではなく賢く使用する責任がある。詳細はまだはっきりしていないが、私にとって最も重要だった2つの機関にお金の一部分を授ける計画をしている。すなわち、パリのフランス高等科学研究所(IHÉS)とプリンストンの高等研究所(IAS)。
私はまたロシアの数学者達を支援するためにいくらかのお金を授けたい。先ず経済大学(HSE)の数学部門に。私の考えでは、モスクワでの最高の所の一つだ。国立研究大学(National Research University)の工学・数学部門よりもずっと小さいが、優れた人々がいる。学生本体は小さい。毎年50人のみが入学する。だが、彼等は最優秀学生達に含まれている。HSEは経済学者達によって設立された。彼等は厳しい環境の下で最善を尽くした。数学部門はモスクワ独立大学(Independent University of Moscow)の助けを得て、5年前に設立された。それがHSE全体に威信を与えている。いくらかのお金がそこでは上手く使用されるだろうと私は思う。
私が寄付したいもう一つのロシアの機関は、ロシア篤志家Dmitry Ziminが設立したDynasty財団だ。彼等にとって、おそらくお金はさほど重要ではない。むしろ、彼等の仕事に対する私の感嘆を表したいためだ。科学に資金を与える、非常に少ないロシアの財団の一つだ。更に彼等は上手にやる。数学者達、物理学者達、生物学者達に資金を与える。特に若い人達に与えるが、これはロシアにおいてきわめて重大だ! また科学を広めるために本を刊行する。彼等に対する私の感嘆を実体のある方法で表したいのだ。

Raussen and Skau: アーベル賞は確かに貴方の受賞した最初の重要な賞ではありません。35年前に受賞したフィールズ賞、スウェーデンのクラフォード賞、イタリアのバルザン賞、イスラエルのウルフ賞に言及させてほしい。一数学者としての貴方にとって、そのような権威ある賞を受けることはどれほど重要なのでしょうか? そして、数学コミュニティにとって、そのような賞が存在することがどれほど重要なのでしょうか?

ドリーニュ: 私個人としては、私が尊敬する数学者達が私がして来た研究を面白いと思うと聞くことは結構なことだ。フィールズ賞はたぶん私を高等研究所へ招聘するのに役立った。受賞することは機会を与えるが、私の人生を変えて来ていない。
賞が一般大衆に数学を語るための口実としてサービス出来る時、役立てると思う。アーベル賞が子供対象のコンクールや高校教師のためのホルンボー賞のような他の活動に関係あることを私は特に結構なことだと思う。私の経験では、数学の発展にとって秀でた高校教師は特に重要だ。これらの活動全体が素晴らしいと思う。

青年時代
Raussen and Skau: 貴方はブリュッセルで第2次世界大戦終りの1944年に生まれました。貴方の最初の数学的体験を聞きたいです。どんな点で、貴方自身の家庭または学校により数学的体験が育まれましたか? 最初の数学的体験を憶えていますか?

ドリーニュ: 兄が私より7歳年長なことが幸いだった。私が温度計を見て正と負の数があると認識した時、彼は-1×-1が+1であることを私に説明しようとしたものだった。それは大きな驚きだった。後に彼が高校生の時に、3次方程式に関するノートを私にくれ、奇妙な解の公式があった。大変興味深く感じた。
私がボーイスカウトだった時、驚くべき幸運があった。そこで父親が高校教師のNijs氏である友を得た。Nijsはたくさんの方法で私を助けた。特に彼は私に最初の実際の数学の本、すなわちブルバキの集合論を与えたが、それは一少年に与える当然の選択でない。その時、私は14歳だった。その本を消化するのに少なくとも一年かかった。こっそり他の講義もあったと推測する。
自分自身のリズムで数学を学ぶ偶然を持つことは過去の世紀の驚きを復活させる恩典を持つ。整数から始まって有理数、そして実数をどのように定義され得るかを他のどこかで既に私は読んだことがあった。だが、ブルバキの中を少し進めて、集合論からどのように整数が定義され得るかを驚き、"同数の要素"を持つ2つの集合に対して、これから整数を導出し、それの意味することを先ずどう定義出来るかを感嘆したのを憶えている。私は家族の一友人に複素変数に関する本も与えられた。複素変数の話が実変数の話ととても異なることを知ることは大きな驚きだった。一回微分可能なら解析的(べき級数展開を持つ)、等々。学校で退屈だったであろう、それらのことすべてがすごい楽しさを私に与えていた。
そうして、この教師Nijs氏は、ブリュッセル大学教授Jacques Titsに私を知らせた。私がまだ高校にいた期間中、彼のコースとセミナーを聞けた。

Raussen and Skau: 貴方がブルバキを勉強したと聞いて非常に驚きます。ブルバキは通常その年齢で難しいと考えられています。貴方の正式な学校教育について少し話してもらえますか? 貴方にとって面白かったのか、または退屈だったのですか?

ドリーニュ: 私には優れた一人の初等学校教師がいた。高校よりも初等学校で多くのことを学んだと思う。すなわち、読み方、書き方、算術、更にずっと多くのこと。この教師が数学においてどのように実験したかを私は憶えている。その実験は私に証明、面、長さについて考えさせた。問題は半球面を同じ半径の円板面を比較することだった。それをするために、教師は両方の面を渦巻き状に紐で覆った。半球は2倍の紐が必要だった。これは私に多くを考えさせた。すなわち、面を長さでどのように測るか? 半球面が実際に円板面の2倍であることをどのように確信するか?
高校にいた時、私は幾何での問題が好きだった。不思議な命題がさほど困難でない証明を持つから、あの年頃で幾何での証明は意味がある。いったん公理を過ぎて、そんな練習問題をすることを私は非常に楽しんだ。幾何は、高校レベルで証明が意味のある唯一の数学分野だと私は思う。更に、証明を書くことはもう一つ別の素晴らしい練習となる。これは数学に関するのみならず、何故事柄が真なのかを正しい仏語(私の場合)で書かなければならない。例えば代数においてよりも、幾何において言語と数学の強い関係がある。代数は方程式の集まりを見る。論理と言語の力はさほど明らかでない。

Raussen and Skau: たった16歳で貴方はJacques Titsの講義に行きました。校外旅行に参加したので、一週間出席出来なかった話がありますが・・・?

ドリーニュ: 本当だ。私はこの話をずっと後に言われた。Titsが講義に来た時、彼は訊いた。すなわち、ドリーニュはどこにいるの? 私が校外旅行にいることを説明されて、講義は次週に延期された。

Raussen and Skau: 貴方を輝ける学生として既に認めていたのに違いありません。Jacques Titsもアーベル賞受賞者です。彼は5年前にJohn Griggs Thompson(群論において偉大なる発見に対して)と共に受賞しました。貴方にとって彼は影響力のある教師でしたか?

ドリーニュ: はい。特に初期において。教える際に、最も重要なことは何をしないかとういうことがある。例えば、Titsは群の中心が不変部分群だと教えなければならなかった。彼は証明を始め、そして止めて、本質的に言った。すなわち、"不変部分群は、すべて内部自己同型を保つ部分群である。中心の定義は出来ている。従ってデータの全対称を保つ。よって、不変であることは明らかだ"。
私にとって、これは意表を突いた事実だった。つまり、対称性の考えのパワーだ。Titsが証明を一歩一歩進める必要がなく、かわりに対称性が結果を明らかにしているとただ言えたことは私に多大なる影響を残している。私は対称性を重視し、私の論文のほぼすべてにおいて、対称性ベースの議論がある。

Raussen and Skau: 貴方の数学的才能をTitsがどのように発見したか憶えていますか?

ドリーニュ: それを話せないが、彼に私の世話を言ったNijs氏だったと思う。当時ブリュッセルに、本当に活発な3人の数学者がいた。Tits自身を別にして、Franz Bingen教授、Lucien Waelbroeck教授。彼等は毎年異なる分野のセミナーを組織した。私はこれらのセミナーに参加し、バナハ代数(Waelbroeckが得意とした)、代数幾何学のような異なるトピックスについて学んだ。
それから、私の推測だが、彼等の3人が私がパリに行く時期だと決めた。Titsが私をグロタンディークに紹介し、セールの講義と同様にグロタンディークの講義に出席するように言われた。それは素晴らしいアドバイスだった。

Raussen and Skau: 部外者にとって、これは少し驚きとなることがあります。Titsが数学者としての貴方に関心を持っているので、彼自身の利益のために貴方を獲得しようとするだろうと人は思うかも知れない。だが、彼はしなかった?

ドリーニュ: そう。彼は私にとって何がベストか分かっており、それに応じて行動した。

代数幾何学
Raussen and Skau: パリにおける貴方のキャリアに進む前に、貴方の専門分野、代数幾何学の本質を読者にたぶん説明しようとしなければなりません。
今年初めのアーベル賞発表の間に、フィールズ賞受賞者Tim Gowersが観衆に貴方の研究分野を説明しなければならなかった時、これは彼にとって難しい仕事だと白状して始めました。分野を描く絵画を見せることが困難で、簡単な応用を説明することも難しいです。それでも、代数幾何学の本質のアイデアを話していただけますか? おそらく代数と幾何を相互に結ぶ特定の問題に言及するでしょうが。

ドリーニュ: 数学において、2つの異なる心持ちが一緒に来る時、いつも非常にいい。デカルトは書いた:"幾何学は偽図形について正しい推論をする技術である"。"図形(Figures)"は複数形だ。つまり、いろいろな見方を持ち、どれが間違っているかを知ることが大変重要だ。
代数幾何学において、代数学(そこでは方程式を操作出来る)と幾何学(そこでは絵を描ける)両方からの直観を使用出来る。円を描き、方程式x2+y2=1を考えるなら、異なるイメージが心に浮かび、一者を他者に対して起用出来る。円を軌跡するこの方程式は2次だ。これは円が直線と高々2つの交点しかないことを意味する。これは幾何学的にも見る概念だが、代数は更に多くを与える。例えば、直線が有理方程式で、円x2+y2=1との交点の一つが有理座標を持つなら、他の交点も有理座標を持つだろう。
代数幾何学は数論的応用を持てる。多項方程式を考える時、異なる数システムにおいて同じ式を使用出来る。例えば、加法と乗法が定義されている有限集合上で、これらの方程式は組合わせ論的問題となる。すなわち、解の個数を数えようとする。だが、絵が偽である方法を心に留めておきながら、同じ絵を描き続けられる。こうして、組合わせ論的問題を見ながら、幾何学的直観を使用出来る。
私は実際には代数幾何学の中心を研究して来ていない。概して分野にタッチしているだけの問題のすべての種類に興味を持って来ている。だが、代数幾何学は多くの議題にタッチしている! 多項式が登場するとすぐに、それを幾何学的に考えようと努められる。例えば、ファインマン積分を持つ物理学において、または多項式表現の根の積分を考える時。代数幾何学は多項方程式の整数解の理解にも寄与出来る。楕円函数の古い話がある。すなわち、楕円積分がどのように振舞うか理解するため、幾何学的解釈がきわめて重大だ。

Raussen and Skau: 代数幾何学は数学の主要分野の一つです。少なくとも初心者にとって、数学の他分野よりも代数幾何学を学ぶことはもっと努力を要すると貴方は言いますか?

ドリーニュ: 多くのツールをマスターしなければならないので、その分野に入ることは難しいと思う。先ず、コホモロジーは今や不可欠だ。もう一つの理由は、代数幾何学は時期の連続で発展し、其々が固有の言語を持つことだ。最初はイタリア学派(悪名高き格言"代数幾何学において、定理への反例は役立つ追加物である"によって示されるように、少し不正確だった)。その次にザリスキーとヴェイユはより良い足場に物を付けた。後にセールとグロタンディークは新しい言語を与え、その言語は非常にパワーフルだった。このスキーム言語では、多く表現出来る。数論的応用ともっと幾何学的側面の両方をカバーする。この言語のパワーを理解するのに時間を必要とする。もちろん、多くの基礎的定理を知る必要があるが、これが主な障害だとは思わない。最も難しいのは、グロタンディークによって作られた言語のパワーを理解し、どのように私達の通常の幾何学的直観に関係付けるかである。

パリでの見習い
Raussen and Skau: 貴方がパリに来た時、アレクサンドル・グロタンディークとジャン=ピエール・セールに接触しました。これら2人の数学者の第一印象について話していただけますか?

ドリーニュ: 1964年11月のブルバキセミナーの間に、私はTitsによりグロタンディークに紹介された。私は本当にびっくりした。彼は頭を剃り、背が大変高く、少し異様な男だった。私達は握手したが、彼のセミナーに参加するため私が数ヶ月後にパリへ行くまで何も話さなかった。
それは本当に異常な体験だった。彼なりに非常にオープンで親切だった。私が出席した最初の講義を憶えている。その中で、彼は"コホモロジーオブジェクト"という表現を何度も使用した。アーベル群に対するコホモロジーが何であるか知っていたが、"コホモロジーオブジェクト"の意味を知らなかった。講義の後、この表現で意味したことを私は彼に訊いた。答を知らなければ話すべきポイントは何もないと他の多くの数学者達が考えただろうと私は思う。彼の反応は全くこれではなかった。アーベル圏において長完全列があって一つの写像の核を見るなら、先行写像の像で割る等々と非常に辛抱強く彼は私に話した。私は一般的でない状況の中で、以下のことをすぐにわかった。彼は無知な人達に非常にオープンだった。同じアホな質問を3回訊くべきでないが、2回はいいと私は思う。
私は全くアホな質問をすることを恐れなかったし、この慣習は今日まで続けている。講義に出席する時、私は最前列に座り、分からないことがあれば、たとえ私が答えを知っているだろうと思われていても質問する。
前年に行った講義を書き上げないかと彼に頼まれたということで私は幸運だった。彼は私にノートを渡した。多くのこと、ノートの内容と数学を書く方法の両方を学んだ・・・。これは両方とも平凡な方法、すなわち人は紙の片側のみに書いて、グロタンディークがコメント出来るように余白を残すべきである、だが偽の声明を作ることは許されないとも彼は主張した。これは極端に難しい。普通人々はショートカットを作る。例えば、符号を保たない。これは彼の基準に合格しないのが常だった。事は正しく、正確でなければならなかった。私の最初の編集は短すぎる、正確でないと彼は私に言った・・・。完全にやり直しせざるを得なかった。それは私にとって非常にいいことだった。
セールは全く異なる個性だった。グロタンディークは自然な一般論の中に物事を持つことを好んだ。つまり、全ストーリーを理解すること。セールはこの重要性を認識するが、美しい特殊ケースを好む。彼はコレージュ・ド・フランスで楕円曲線に関するコースをしていた。楕円曲線では、保型函数を含んで多くの異なる要素が一緒に来る。セールはグロタンディークよりもずっと広い数学的教養があった。必要な場合グロタンディークは自身ですべてをやり直し、一方セールは文献のこれ又はあれを見よと人々に語れた。グロタンディークは極端に読まなかった。彼の古典的イタリア学派幾何学との触合いは基本的にセールとデュドネから来た。セールがグロタンディークにヴェイユ予想の本質とそれが面白い理由を説明したに違いないと私は考える。セールはグロタンディークのやった大構築を尊重したが、それは彼の好みではなかった。セールはモジュラー形式のような美しい概念を持つ小さなオブジェクト、具体的な問題を理解すること(例えば係数間の合同)を好んだ。
彼等の個性は非常に違ったが、セールとグロタンディークの共同研究は非常に重要で、それがグロタンディークの研究のいくらかを可能にしたと私は思う。

Raussen and Skau: 地に足をつけるために貴方はセールの講義に行く必要があったと仰っている?

ドリーニュ: そうです。グロタンディークと一緒に一般論に夢中になる危険があったからだ。私の考えでは、彼は実りの無い一般論を決してこしらえなかったが、私にとって重要だと分かった異なるトピックスを見よとセールは私に言った。

ヴェイユ予想
Raussen and Skau: 貴方の最も有名な結果は、いわゆるヴェイユ予想の(最も難しい)第3番目の証明です。しかし、貴方の業績を語る前に、ヴェイユ予想がとても重要である理由を話してもらえますか?

ドリーニュ: 一次元状況における曲線についてヴェイユの以前の定理がいくつかあった。有限体上の代数曲線と有理数の間に多くの類似がある。有理数上で、中心問題はリーマン仮説だ。ヴェイユは有限体上の曲線に対するリーマン仮説の類似を証明してしまっており、いくつかの高次元状況も見ていた。これが当時、グラスマニアンのような簡単な代数多様体のコホモロジーを人が理解し始めたところだった。有限体上のオブジェクトに対するある点計数が複素数上で起こったものと複素数上の関連空間の形を反映すると考えた。
ヴェイユがそれを考察した時、ヴェイユ予想には隠された2つのストーリーがある。第一に、明らかに組合わせ論的問題と複素数上の幾何学的問題の間に何故関係があるべきなのか? 第二に、リーマン仮説の類似と何なのか? 2つの種類の応用はこれらの類似から来た。最初はヴェイユ自身とともに始まった。すなわち、数論的函数に対する評価。私にとって、それらは最重要ではない。複素数上のストーリー(そこではトポロジーを使える)と組合わせ論的ストーリーの間に関係があるべき理由を説明する形式論のグロタンディークによる構築がもっと重要だ。
2番目に、有限体上の代数多様体が標準自己準同型フロベニウスを容認する。対称性として見てよく、この対称性は全状況を非常に厳密にする。それから、この情報を複素数上の幾何学的世界へ戻せる。それは古典的代数幾何学において起こるであろうことに関する制約となり、これは表現論と保型形式論に対する応用の中で使用されている。最初はそんな応用があることが明らかでなかったが、私にとって、それらがヴェイユ予想が重要である理由だ。

Raussen and Skau: グロタンディークは最終ヴェイユ予想を証明する方法の計画を立てたが、うまく行かなかった。この計画についてコメント出来ますか? 貴方が証明した方法に影響がありましたか?

ドリーニュ: ない。グロタンディークの計画は人々を一定方向のみに考えさせたから、ある意味で証明を見つける障害だった。計画に従って証明出来たならば、他のいろいろ面白いことも説明しただろうから、もっと満足だったであろう。だが、全計画が代数多様体で十分な代数的サイクルを探すことに依存し、この問題について1970年代から実質何の進歩も無かった。
私は全く違うアイデアを使った。Rankinの研究と彼の保型形式に関する研究により呼起こされている。まだ多くの応用があるが、グロタンディークの夢を実現しなかった。

Raussen and Skau: グロタンディークはヴェイユ予想が証明されてもちろん喜びましたが、それでも少し失望したと聞きましたが?

ドリーニュ: そうです。かつ、良い理由があって。彼の計画が実現したならば、ずっと結構なことだっただろう。彼はもう一つ別の道があるだろうとは考えなかった。彼は私が証明したと聞いて、これやあれをしたに違いないと思ったが、私はしなかった。それが失望の理由だと思う。

Raussen and Skau: セールが証明を聞いた時の反応を貴方は語る必要があります。

ドリーニュ: まだ完璧な証明でなかった時に私は彼に手紙を書いたが、テストケースは明らかだった。彼は腱損傷の手術のため病院へ行かざるを得なかった前に、手紙を受けたと思う。今や証明はほぼなされていると知ったから、手術室へは気分爽快な状態で入ったと彼は後で私に言った。

Raussen and Skau: 多くの有名数学者達が最終ヴェイユ予想の貴方の証明を驚異と言って来ています。証明につながるアイデアをどのように得たのか述べてもらえますか?

ドリーニュ: 同時に私の自由になる必要なツールを持ったということ、それらのツールが働くだろうと分かったということで私は幸運だった。証明のいくつかの部分はその後Gérard Laumonにより簡略されていて、これらのツールの多くがもはや必要でない。
当時グロタンディークは、代数多様体の超平面切断の族に関するソロモン・レフシェッツの1920年代からの研究を純粋に代数的なフレームワークに加えるアイデアを持った。特に興味深いのはレフシェッツの命題(後にウィリアム・ホッジによって証明された、いわゆるハード・レフシェッツ定理)だった。レフシェッツのアプローチは位相的だった。人が考えるかも知れないことと対照的に、もし議論がホッジによって与えられた証明のような解析的であるよりも、議論が位相的ならば抽象代数幾何学へ翻訳する良いチャンスがある。グロタンディクは私に1924年のレフシェッツによる本L'analysis situs et la géométrie algébrique[訳注: 位置解析と代数幾何学]を見てくれないかと頼んだ。美しく、とても直感的な本であり、私が必要だったいくつかのツールを含んでいた。
私は保型形式にも興味を持った。Robert Rankinによる評価について私に話したのはセールだと思う。私は注意深く調べた。Rankinは、関連しているL-函数(ランダウの結果を用いるために必要だった)に対して証明することでモジュラー形式の係数に対する自明でない評価を得ていた。その中で、L-函数の極の位置が局所因子の極に関する情報を与えた。グロタンディークの研究が極に与えたコントロールのために、同じツールがずっと洗練されていないやり方で、ただ平方の和が正であることを使えば、ここで使用出来ると私は分かった。これが十分だった。極は零点よりもずっと理解しやすく、Rankinのアイデアを用いることが可能だった。
私の自由となる、これらのツールすべてを持ったが、どのようにそれらをまとめたかを語れない。

Raussen and Skau: motiveとは何ですか?

ドリーニュ: 代数多様体に関して驚く事実はそれらが一つではなく、多くのコホモロジー理論のもとになっていることだ。とりわけ、l進理論、標数の異なる各素数lに対するもの、標数0においては代数的ドラームコホモロジー。これらの理論は何度も繰返して違う言葉で同じストーリーを語っていると思える。motiveの考え方は普遍コホモロジーが存在するはずであって、motiveのカテゴリーにおいて定義される値を持ち、そこから、これらの理論すべてが導出されるだろうということだ。射影非特異多様体の第一コホモロジー群に対して、ピカール多様体がmotivic H1の役を担っている。すなわち、ピカール多様体はアーベル多様体であり、そここから可能なコホモロジー理論すべてにおけるH1が導出出来る。このようにして、アーベル多様体(同種写像を取って)はmotiveのプロトタイプである。
グロタンディークの主要アイデアはmotiveが何であるか定義しようとするべきでないということだ。むしろ、motiveのカテゴリーを定義しようとすべきである。それがHom群として有限次元有理ベクトル空間を持つアーベル圏であるべきだ。
重大なことに、motiveのカテゴリーで値を持ち、普遍コホモロジーに対するKünneth定理を述べるのに必要なテンソル積を認めなければならない。
射影非特異多様体のコホモロジーのみを考えるなら純motiveを使う。グロタンディークは純motiveのカテゴリーの定義を提案し、定義されているカテゴリーがホッジ構造をもとに作られた多くの概念を持つなら、ヴェイユ予想は成立するだろうことを示した。
実現可能な提案された定義に対して、"十分な"代数的サイクルの存在を必要とする。この問題について、殆ど何の進歩もない。

後の研究について少しだけ
Raussen and Skau: 貴方の他の結果についてはどうですか? ヴェイユ予想の証明の後で貴方が研究した、それらの内で好むのはどれですか?

ドリーニュ: 複素代数多様体のコホモロジーに関する、いわゆる混合ホッジ構造の構築が好きだ。その起源には、たとえ最終結果にmotiveが登場しなくても、motiveの考え方が重大な役を担った。その考え方は、一つのコホモロジー理論において何かを出来る時はいつでも、他の理論での対応物を調べることは価値があると示唆している。射影非特異多様体に対して、ガロア作用が担う役は複素数の場合のホッジ分解が担う役と類似する。例えば、ホッジ分解を使用して表現されるホッジ予想は、ガロア作用によって表現されるテイト予想を対応物として持つ。l進の場合では、コホモロジーとガロア作用は特異または非コンパクト多様体に対して定義されている。
これは私達を問わせる。すなわち、複素数の場合の類似とは何か? 一つの手がかりは、l進コホモロジーでの増大フィルターづけ(i番目の商Wi/Wi-1が射影非特異多様体のコホモロジーの部分商である重みフィルターづけW)の存在だ。従って、複素数の場合、i番目の商が重みiのホッジ分解を持つようなフィルターづけWを期待する。もう一つ別の手がかりは、グリフィスとグロタンディークの研究から来るが、ホッジ分解よりもホッジフィルターづけがもっと重要であるということだ。両方の手がかりは混合ホッジ構造の定義を、それらがアーベル圏を形成することを示唆し、それらを構築する方法も示唆している。

Raussen and Skau: ラングランズ計画はどうですか? それに関係したことがありますか?

ドリーニュ: 私は興味を持ったことがあるが、殆ど貢献していない。2変数の線型群GL(2)に関して研究をしたのみだ。私は事を理解しようとした。ヴェイユ予想から少し離れた応用が、基本補題と呼ばれるNgoの最近の証明で使われたことがある。ラングランズ計画に多大な興味があったけれども、私は自身で多くの研究をしなかった。

フランス、アメリカ、ロシアの数学
Raussen and Skau: 貴方が主に研究したことのある2つの組織、すなわちパリのIHÉSと1984年からプリンストンのIASについて貴方は既に語っています。IHÉSを去ってプリンストンに移ることに対する貴方の動機を聞くことは私達にとって興味があります。更に貴方の見解で、何が2つの組織を団結させ、どのように違うかを聞きたいです。

ドリーニュ: 私が去った理由の一つは同じところに人生のすべてを費やすことを良くないと考えていることだ。多少の変化は重要だ。私はHarish-Chandraと接触することを希望していて、Harish-Chandraは表現理論と保型形式において美しい研究をしていた。それは私が大変興味を持ったラングランズ計画の一部だったが、残念ながら私がプリンストンに着く直前にHarish-Chandraは亡くなった。
もう一つ別の理由は、ブレ[訳注: IHÉSの所在地]のIHÉSで私は毎年違う議題でセミナーをすることを自身に課したことだ。それはちょっときつかった。私はセミナーをすること、それを書下すことの両方を実際に出来なかったので、プリンストンに来てからは同じ束縛を自身に課さなかった。これらがIHÉSを去り、プリンストンのIASに向かった主な理由だ。
2つの組織の違いについては、高等研究所はより古く、より大きく、もっと安定していると言いたい。若い訪問者が大勢来るということで両方は非常に似ている。だから、貴方が考えているほど貴方は素晴らしくないと語るだろう若人達がいつも貴方に連絡するだろうから、両所は居眠り出来る場所ではない。
両所に物理学者達がいるが、私にとって彼等と接触はプリンストンでの方がブレよりも実り豊だったと思う。プリンストンでは共通セミナーがあったことがある。数学者達と物理学者達両方が出席して、一年は非常に緊密だった。これは主にエドワード・ウィッテンの存在による。彼は物理学者であるけれども、フィールズ賞を受賞した。ウィッテンが私に質問する時、回答しようとすることはいつも大変興味深いが、もどかしいこともある。
数学と物理学のみならず、プリンストンは歴史研究所と社会科学研究所を所有しているという意味でもより大きい。これらの研究所と実際の科学的交流はないが、例えば古代中国に関する講義を行って見ることが出来るのは喜ばしいことだ。プリンストンにはないブレの一つの良い特徴は次のことだ。ブレではカフェテリアが非常に小さい。だから、座れる場所の隣人を選べない。私はよく解析学者または物理学者と隣になり、そんな無差別非公式交流は有益だ。プリンストンでは、数学者達のためのテーブル、天文学者達のための別のテーブル、通常の物理学者達のためのテーブルがある、等々。間違っているテーブルに座ってもあっちへ行けと言われないだろうが、それでも隔離がある。
高等研究所は大きな基金を持っている一方で、少なくとも私がいた時にはIHÉSにはない。これは科学的生活に影響しなかった。時には不安定を作るが、運営管理は通常私達から困難を隠せた。

Raussen and Skau: フランスと米国数学との貴方の関係を別にして、長い間(鉄のカーテン崩壊前からも)、貴方はロシア数学と非常に近い接触があります。もっと言えば、貴方の奥様はロシア人数学者の娘さんです。どのようにロシア数学との接触が発展しましたか?

ドリーニュ: グロタンディークまたはセールがマニン(当時モスクワにいた)に私が面白い研究をしたことを話した。ロシア科学アカデミーは私をI. M. Vinogradov(ところで、この人は恐ろしいほどのユダヤ人排斥主義者)のためのカンファレンスに招待した。私はロシアに来て、数学に対する美しい文化を分かった。当時、共産党が数学を全く分からなかったので、数学は共産党が干渉しない数少ない科目の一つで、これが数学を自由の空間に変えた。
私達は誰かの家に行き、お茶の一杯を超えて数学を議論するため食卓の席に着いたものだった。私は数学に対する、その雰囲気とこの熱中を愛した。更に、ロシア数学は当時の世界のうちでベストな一つだった。現在でもロシアに良い数学者がいるが、破滅的な移住がずっとある。更に、留まりたい人達の中でも、多くがただ生計を立てるため少なくとも時間の半分を外国で過ごす必要がある。

Raussen and Skau: 貴方はVinogradovと彼のユダヤ人排斥主義に言及しました。貴方は誰かに話し、彼が招待されているか訊きました?

ドリーニュ: それはPiatetskii-Shapiroだった。私は全く無知だった。私は彼と長い議論をした。私にとって、彼のような人がVinogradovによって招待されるべきということは明白だったが、そうではないと言われた。
このロシア数学への紹介の後、私はモスクワでユーリ・マニンとセルゲイ・ベルンシュテインと話したこと、またはゲルファントセミナーにいたことに対する郷愁をまだ持っている。大学と中高校教育の間に強いつながりの伝統があった(まだ存在している)。アンドレイ・コルモゴロフのような人々が中高校教育に興味があった(おそらく必ずしも最善とはならない)。
彼等はオリンピックの伝統を持ち、早くから数学で前途有望な人々を援助するために探すことが非常に得意だ。セミナーのトップがモスクワでフルタイムに働いていることが重要であり、必ずしもそうではないから、セミナーの文化は危険に瀕している。保存することが重要だと私が思う全文化がある。それは私が若いロシア人数学者達を助けるためにバルザン賞の半分を使った理由だ。

Raussen and Skau: それは貴方が編成したコンテストによってでした。

ドリーニュ: そうです。人を引き止めておく金がないから、システムは絶頂で失敗しているが、基盤がとても良かったから、システムは非常に良い若い数学者達を生み出し続けている。彼等を助け、伝統が続けられるように彼等が多少長くロシアに留まることを可能にするように勤める必要がある。

数学における競争と共同研究
Raussen and Skau: 科学者達と数学者達の幾人かは、主要な発見の最初になる目的によって駆り起てられています。それは貴方の主な推進力でないと思われます?

ドリーニュ: そうです。私は全く気にしない。

Raussen and Skau: この一般の風潮についてコメントを持っていますか?

ドリーニュ: グロタンディークにとっては、非常に明快だった。数学は競争スポーツではないと彼はかって私に言った。数学者達はいろいろ異なり、特に非常に特殊で困難な問題について研究しているなら、幾人かは最初の人になりたいだろう。私にとっては、ツールをこしらえ、全体像を理解することがもっと重要だ。もっと数学は長期間の集合的事業だと私は考える。物理学と生物学において発生することと対照的に、数学的記事は長く有用な寿命を持っている。例えば、参考文献的基準を使う自動人物評価は数学では特に邪悪だ。それらの評価方法が最近3、4年間に発表された論文のみを考慮するからだ。これは数学では意味が無い。私の典型的な論文において、引用された論文の少なくとも半分は20歳から30歳になることがある。一部は200歳すらなるだろう。

Raussen and Skau: 貴方は他の数学者達に手紙を書くのが好きです?

ドリーニュ: そうです。論文を書くことは時間を要する。書くことはすべてを正しいやり方で組立て終えるために非常に有益で、そうすることで多くのことを学ぶが、多少苦痛でもある。アイデアを形作る最初もそうだから、私は手紙を書くことが非常に便利だと分かっている。手紙を送るが、しばしば実際には私自身への手紙だ。受取人が知っている事柄を私が詳述する必要がないから、ショートカットは許されるだろう。時々、手紙または写しが何年間引き出しに止まっているだろうが、それはアイデアを保持し、私が結局論文を書く時に、ブループリントとして役立つ。

Raussen and Skau: 貴方が誰かに手紙を書き、その人が追加のアイデアを着想する時、その結果は共同論文になりますか?

ドリーニュ: それはあり得る。私の論文のかなりの多くは私単独だが、一部は同じアイデアを持つ人達との共同研究だ。誰が何をやったか思う必要があるよりも共同論文を作るほうが良い。異なる人達が異なる直観を持って来ている、純粋な共同研究がいくらかある。これはGeorge Lusztigとの場合がそうだった。Lusztigは群表現に対するl進コホモロジーの使用方法の大局を持っていたが、そのテクニックを知らなかった。私はl進コホモロジーのテクニカル面を知っていたから、彼が必要とするツールを与えられた。それは現実の共同研究だった。
モルガン、グリフィス、サリヴァンとの共同論文も純粋な共同研究だった。ベルンシュテイン、Beilinson、Gabberとの共同論文も。私達の異なる理解をまとめた。

研究スタイル、イメージ、夢
Raussen and Skau: 貴方の履歴書は学生の大きなクラスを教えたことがないと示しています。だから、ある意味で、貴方は数学における少数のフルタイム研究者の一人です。

ドリーニュ: そうです。そして、このポジションにいたことを私は幸運だと分かっている。教える必要が無かった。私は人々と話するのが大変好きだ。私が働いたことのある2つの組織では、若い人達が私に話しに来る。時々私は彼等の質問に答えるが、大概私は彼等に対応する質問を訊ね、その質問が時には興味深いこともある。だから、一対一接触を有する教育面(有益な情報を与えようと努めること及びプロセスの中での学ぶこと)は私にとって重要だ。
興味を持たない人達を教えることは大変な苦痛だったに違いないと思うが、何か他のことをやるために成績を必要とするから、彼等は数学を学ぶことを強要されている。私はそれを不快だと感じる。

Raussen and Skau: 貴方の数学研究スタイルはどうですか? 実例、具体的問題、計算によって大概教えられるのですか? または、イメージを大局し、関係を見つけているのですか?

ドリーニュ: 最初に、何が真であるべきか、何が利用出来るべきか、何のツールが利用出来るのかの一般イメージを得ることを私は必要する。論文を読む時、証明の詳細を通常憶えていないだろうが、どのツールが使用されているか憶えているだろう。完全に無意味な研究をしないために何が真で何が偽であるか推測出来ることが重要だ。証明された命題を私は憶えていないが、むしろイメージの集まりを心に留めておこうと努める。つまり、1イメージよりも多く、異なる方法を除いてすべてが偽、そして、どの方法で偽なのか知ること。多くの議題に対して、何かが真であるべきだとイメージが語っているなら、私はそれを当然だと考え、後でその問題に立ち返るだろう。

Raussen and Skau: これらの非常に抽象的なオブジェクトのうち、何の種類のイメージを持つのですか?

ドリーニュ: 時には非常に簡単な事柄! 例えば、代数多様体と超平面切断があるとしよう。私はそれらが関係することを、超平面切断の線束を見ることで理解したい。イメージは非常に簡単だ。心の中に平面上の円とそれを通過する移動線のようなものを描く。そして、どのように、このイメージが偽であるかを知る。多様体は一次元でなく高次元であり、超平面切断が退化する時、たった2つの交点が一緒に来ない。局所イメージは、2次錘面となる円錐のように、もっと複雑だ。これらが組立てられたイメージだ。
ある空間から別の空間への写像を持つ時、それが持つ概念を研究出来る。そのとき、それが滑らかな写像であるとイメージは私を確信させる。イメージの集まりを持つ他に、私は簡単な反例も持ち、真だと私が望む命題はイメージと反例に対してチェックされなければならない。

Raussen and Skau: では、代数的よりも幾何学的イメージで考えるのですか?

ドリーニュ: そうです。

Raussen and Skau: 一部の数学者達は、良い予想または良い夢でさえも定理と少なくとも同様に重要だと言います。賛成されますか?

ドリーニュ: 全くその通り。例えばヴェイユ予想は多くの研究を作って来ている。予想の一部は、いくつかの概念を持つ代数的システムに対するコホモロジー理論の存在だった。これは曖昧な問題だったが、それは結構。それについてハンドルを実際に得るために20年超(さらにもっと)の研究がかかった。夢のもう一つ別の例はラングランズ計画であり、50年超に渡って多くの人を巻き込んで来て、何が起きているか、私達は今やほんの少しだけより良く理解している。
もう一つ別の例はグロタンディークのmotive(殆ど証明されていない)の考え方だ。原料を処理する多くの変形がある。時には、そんな変形が実際の証明に使用されることがあるが、多くの場合発生していることを推測するために考え方が使用され、もう一つ別の方法で証明しようと努める。これらは、特定の定理よりもずっと重要な夢または予想の実例だ。

Raussen and Skau: 貴方のキャリアの中で、長い間取組んできた問題の解決を瞬間的に分かる"ポアンカレの瞬間"を持った時がありましたか?

ドリーニュ: 私がそんな瞬間を経験した最も近いのが、ヴェイユ予想に取組んでいる間にグロタンディークに反してRankinを使う道があると分かった時だったに違いない。その後、実際にうまく行く前に数週間かかったので、非常にゆっくりした展開だった。おそらく混合ホッジ構造の定義に対してもそうだったのだろうが、この場合段階的プロセスでもあった。だから、瞬間的完全解決ではなかった。

Raussen and Skau: 数学研究の50年間を振り返って見て、貴方の研究と研究スタイルが長年に渡ってどのように変わって来ていますか? 貴方の早期と同じく永続的に研究しますか?

ドリーニュ: かってほど長く又は集中的に研究出来ないという意味で、早期ほどには強くない。想像力のいくらかを失って来ているが、ある程度代用として働けるテクニックをずっと多く持っている。また、多くの人達との接触を持っているという事実が、私自身の欠如している、いくらかの想像力へのアクセスを与えていると思う。だから私がテクニックを加える時、研究は有益となり得るが、私は30歳の時と同じではない。

Raussen and Skau: かなり早く貴方はIASの教授職を退職しました・・・

ドリーニュ: そうですが、それは純粋に形式的である。給料の代わりに退職金を貰い、翌年度メンバー選出の会合がないことを意味する。だから、結局はいいことなんだ。私に数学をする時間を与えている。

未来への希望
Raussen and Skau: 代数幾何学、数論、貴方にとって大切な分野の発展を見る時、すぐに進歩を見たいと思う問題または領域がありますか? 貴方の見解で、何が最も重要なのでしょうか?

ドリーニュ: 10年で届く範囲にあるかどうか、私は全く分からない。そうであるべきで・・・。だが、motiveの理解の進歩を見たい。どの道を取るべきか、何が正しい問題なのか、全く宙ぶらりんだ。グロタンディークの計画は、いくつかの概念を持つ代数的サイクルの存在の証明に依存した。私にとって、これは望みがないと思うが、私が間違っているかも知れない。
私が進歩を見たいと思う別の種類の問題はラングランズ計画に関係するが、それは非常に長いストーリーだ・・・。
更に別の方向では、殆どの場合全く不正なツールを使用して、物理学者達はよく思いもよらぬ予想を着想する。だが、これまで、彼等が予想を作ってしまっている時はいつでも(例えば、ある曲面上で、ある概念を持つ曲線の数に関する数値予想。これらは、おそらく数百万の大きな数である)、彼等は正しかった! 時には、数学者達による事前計算は物理学者達の予想していることと一致しなかったが、物理学者達が正しかった。彼等は本当に面白いことを突き止めて来ているが、これまで私達は彼等の直観を捕らえられていない。時には彼等が予想を作り、私達が実際の理解無しで非常に不恰好な証明を考え出す。それはそうであるべきやり方ではない。IASで私達が物理学者達と持ったセミナープログラムの一つにおいて、私の願いはエドワード・ウィッテンに頼る必要なしに、自身で予想を作れることだった。私は失敗した! 出来るべきイメージを十分に私は理解出来なかったので、またしてもウィッテンに何が面白いのか語ってもらうため頼らなければならない。

Raussen and Skau: ホッジ予想はどうですか?

ドリーニュ: 私にとって、これはmotiveのストーリーの一部であり、真か偽かは重要ではない。真なら非常に良いことだし、自然なやり方でmotive構築の問題の大部分を解決する。ホッジ予想の類似が成立するサイクルについて、もう一つ別の純代数的概念を見つけられて、いろいろな候補があるならば、これは同じ目的に役立つだろうし、ホッジ予想が証明されるくらいに私は嬉しいだろう。私にとって重要なのは、ホッジではなくmotiveだ。

趣味―そして古いストーリ
Raussen and Skau: 数学外の質問をすることでインタビューを終える慣例です。職業外で貴方の趣味について少し語っていただけますか? 私達は、例えば自然とガーデニングに貴方が関心を持っていることを知っています。

ドリーニュ: これらは私の主な趣味だ。地球と自然がとても美しいことが分かる。ただ単に風景を見に行くことは好きでない。山からの眺めを実際に楽しみたいなら、歩いて登山しなければならない。同様に、自然を見るためには歩かなければならない。数学においてのように、自然に喜びを感じる(そして自然は喜びの源だ)ために、人はいくらか仕事をしなければならない。
周辺を見る一つの方法なので、私は自転車に乗るのが好きだ。距離が徒歩では少し遠い時、自然を楽しむ、もう一つ別の方法だ。

Raussen and Skau: 貴方はイグルーも建てると聞きました?

ドリーニュ: 本当です。残念ながら、毎年多くの雪があるわけではなく、多くある時でさえ、雪は扱いにくい。雪が非常に粉状なら何も出来ない。非常に固く氷状でも同様だ。だから、イグルーを建てる時は毎年一日または数時間だけあるかも知れず、氷のパッキングと組立て作業を喜んでしなければならない。

Raussen and Skau: そして、イグルーの中で眠るのですか?

ドリーニュ: 勿論。

Raussen and Skau: 貴方が小さな子供だった時に起こったことを話す必要があります。

ドリーニュ: そうですね。クリスマスのため、私はベルギーの海辺にいて、多くの雪があった。私の兄と姉(彼等は私よりずっと年長者)はイグルーを建てるという素晴らしいアイデアを持った。私はちょっと邪魔だった。だが、私が一つのことで役立つかも知れないと彼等は決心した。つまり、彼等が私の手足を掴んで私をひったくれば、雪をパックするために使用出来るだろう。

Raussen and Skau: このインタビューを許して下さって大変有難うございます。これはノルウェイ、デンマーク、そして私達が担当するヨーロッパ数学協会の代理としての感謝でもあります。まことに有難うございました。

ドリーニュ: 有難う。

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