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2012年当時のピーター・ショルツへのインタヴュー

今回紹介するのは、皆さんよくご存じのピーター・ショルツ博士のインタヴュー記事"Interview with Research Fellow Peter Scholze"(PDF)です。この記事は2012年のもので、クレイ数学研究所の年報に掲載されてました。2012年ですからショルツ博士が24歳で学位取得した直後のものでしょう。因みにショルツ博士は2011年から2016年までクレイ数学研究所の研究員でした。但し、2012年にはショルツ博士は学位取得後すぐにボン大学の教授になっているので兼務です。米国拠点のクレイ数学研究所の研究員と言っても、実際にはドイツにいたのですから形式的なものでしょう。
これより古いインタヴュー記事はないものか、ドイツ語圏内でも探したのですが見当たらなかったので、この記事がおそらく最初期だと言っていいかと思います。
30歳でフィールズ賞を受賞するなど本物の天才の見本みたいな人ですが、海外の知人からの情報によれば非常にフランクな方だそうです。この記事の私訳を以下に載せておきます。

[追記: 2019年03月11日]
ショルツ博士の提唱したパーフィクトイド空間は専門家達の間では美しい理論と言われております。正誤の前に先ず美しくなければ誰もその理論を勉強しようとは思わないということでしょう。私は門外漢なので詳しくは知りませんが、その一端を窺わせる記事としてディヴィド・ロバース博士の"識別の危機"があります。

[追記: 2019年03月24日]
このペィジは2019年02月22日に某サイトに載せたものです。

[追記: 2019年07月25日]
ピーター・ショルツ博士へのインタヴューについては他にも"フィールズ賞受賞者ピーター・ショルツへのインタヴュー"があります。

[追記: 2019年12月12日]
ピーター・ショルツ博士の記事については他にも"数論の賢人"があります。

[追記: 2023年01月06日]
ペータ・ショルツェ博士が証明に対して実に真摯なことが分かるものとして“証明支援系が一流数学へと飛躍する”があります。

2012年当時のピーター・ショルツへのインタヴュー

何が最初に貴方を数学に引き寄せたのですか? 数学に関する最も早期の思い出は何ですか?
私が憶えている限り過去を振り返っても数学に魅了されていた。憶えている一つのことはWladimir Ljowschinによる本Fregatten-Kapitän Eins[訳注: "フリゲト艦長アインス"。残念ながら訳者はこの本を知りません]を小学校の一年生くらいに読んでいることだ。今私はその本の中にあったことをあまり憶えていないが、子供のおとぎ話の形で多くの非常に良い数学を含んでいた。砂漠を2等分することを繰り返して砂漠のライオンを捕獲する方法に関する絵々を憶えている。

貴方の数学教育について話していただけますか? どの体験と人々から影響を受けたのですか?
私は数学と自然科学を重視する特別な高校に通った。この元東ドイツの学校はGDR[訳注: ドイツ民主共和国。いわゆる通称東ドイツのこと]崩壊を生き延びていた。殆どの学校とは対照的に、数学を得意とすることはからかわれるものではなかったし、かっては数学オリンピックに参加することが強制でさえあった。驚いたことに私は非常にコンテストで非常に上手くやったので、もっと数学を学び始めた。その方向に私の先生達は強く支えてくれた。16歳ごろ私はフェルマ最終定理のワイルズの証明を理解したかったので、線型代数も知らずにモデュラ形式と楕円曲線について読み始めた。大部分インターネットを検索しながら、どうにか私は理解し、私の知識の欠落を埋めることが出来た。

助言者がいたのですか? 誰が貴方の数学における興味を伸ばすことを手伝い、そしてどのようにしたのですか?
私がまだ学校にいた時にKlaus Altmannが代数幾何学を私に教え、後の勉強をする場所を選ぶことにも手伝った。彼はミヒャエル・ラポポート(私のアドヴァイザになった)[訳注: ラポポート博士の師匠はピエール・ドリーニュ博士です。つまり、ペーター・ショルツェ博士(以前までは英語読みのピーター・ショルツが日本での表記になっていましたが、ここ最近、つまり2020年頃くらいからまともな独逸語読みのペーター・ショルツェが定着したようです。訳者も今後それに倣いますが、この記事に限らず他に紹介した記事まで修正するのは面倒なので、そのままにしておきます)はドリーニュ博士の孫弟子になります]のもとで勉強するためにボンへ行ってはどうかと勧めた。ラポポートは私に彼の学生の期間中にとんでもない量の数学を教えたし、概して素晴らしい助言者だった。彼はまた私の数学的興味をある程度形成した。私は前から既に数論幾何学に引き寄せられていたが、彼の考えるべき問題を選ぶセンスは確かに影響を受けた。

貴方はドイツで教育されました。ドイツでの数学教育と米国でのそれとの違いについてコメントしていただけますか?
殆どのヨーロッパ諸国での通りに、一般教育は高校の末で終えて、大学へ特定の学科に入学する。大学では通常最初の一年からただ数学を習うけれども、ちょっとした第二学科をやることが求められる。例えば物理学またはコンピュータ科学。更に大学へ行くことは完全に無料であり、数学への入学は通常自動的だ。いくら良い所でも数学はさほど人気ではない。もう一つの違いは学生達は非常に早い時期にセミナーにおいて講義をしなければならない。例えばボンでは最初の一年で。この訓練は後で学位論文に関する説明をする時には非常に役立つと私は思う。

貴方が研究して来ている特別な問題に何が引き寄せたのですか?
その都度私が考える多くの問題があり、それは私が面白く感じているものだ。多くの場合、ある難しい理論を徹底的に単に理解することが私の願いだ。時には事柄がどのように働くべきかについて漠然としたアイディアを持ち、これを知られている理論と調和させようと努める。いくつかの場合、新しい見方は新しい洞察につながり、古い題材を簡略化または明晰化する。そして新しい結果を意味するかも知れぬ。

理解出来る術語で貴方の研究を言い表せますか?
私の研究の多くがp進数体上の幾何学と関係する。数論において、実数体は有理数の無限に多い可能な完備の一つに過ぎず、他のものは素数pに対するp進数によって与えられる。今、p進数上の問題は強い数論的傾向を持つが、それでもやはり実数上の多くの結果がp進数体上でほぼ言葉通りに真であることが判明している。更に非常に異なる証明と非常に異なる応用を持つ。一つの実例がp進ホッジ理論であるが、それは"コンパクトp進多様体"の異なるコホモロジ理論を比較し、古典的ホッジ理論の類似だ。古典的ホッジ理論はコンパクト複素多様体の異なるコホモロジ理論を比較する。p進問題における一つの主要な困難は正確にp進数が強く数論的傾向を持つという事実にある。私の学位論文で展開されたパーフィクトイド空間理論はこれを逃れ、多くの問題を代わりにもっと幾何学状況にする一方法を与える。

将来、何の研究課題と分野を探求しそうですか?
p進体上の代数多様体に関する一つの重要な未解決問題がある。すなわちウェイト・モノデュロミ予想。私は大きなクラスの多様体に対してこれを解決出来るであろうし、一般的な場合に関してもっと言うことを望んでいる。それに加えて、私が考えている多くの事柄があり、どこへ導かれるのか私は定かではない。

貴方にとってクレイのフェロゥシップはどのように変化をもたらしていますか?
何の義務も無く非常に長期間の安全な奨学金をくれるので、クレイのフェロゥシップは多くの自由を与える。加えて、クレイは米国拠点だけれども、私が妻と一緒にドイツにいることを許してくれているし、更には旅行をして私が話したい、または一緒に研究をしたい世界中の人に会うこと、またはその人をドイツへ招待することさえ可能にしている。私はこれらの選択権を多く使う。つい最近でも私は北米に2か月の長い旅行をし、ボストンにいる間は共同論文を終えるためJared Weinsteinと非常に集中出来たが、大いに助かった。

もっと数学について、すなわち、それが何であり、私達の社会における何の役割で来ているのか、等々を知りたい素人に何のアドヴァイスをしますか? 彼等は何を読むべきか? 彼等はどのように進めるべきか?
数学がいかに魅力的であるかを見せている優れた本やドキュメンタリ映画がある。例えば、サイモン・シンの本Fermat's Last Theorem[訳注: 訳者はこれを原書で読みましたが、少なくとも第5章には完全なウソが書かれています。もちろんショルツ博士にとってはどうでもいい章なんでしょう。詳しくは"志村-谷山予想の或る由来"の前置き及び追記、"谷山豊と彼の生涯 個人的回想"の前置き及び追記と該当箇所、'志村五郎博士著"The Map of My Life"のAppendixより"あの予想"'を読んでください。ここで最大のウソを簡単に言うと、志村博士は谷山氏と共同でモデュラ形式を研究してません。共同で研究したのは今では幻の著書となった近代的整数論の研究テーマであったアーベル多様体の虚数乗法論に関してなんです。そもそも当時はモデュラ形式自体が歴史的に忘れ去られた研究分野であり、アイヒラー博士や志村博士らごく少数の数学者達が単独で細々とやっていたのでしょうが、モデュラ形式が再び脚光を浴びたのはアンドレ・ヴェイユ博士のドイツ語で書かれた有名な1967年の論文からです。そういうことはショルツ博士はもちろん承知しているのでしょうが、サイモン・シン氏及び日本語版の翻訳者は何も分かっていないと言われても致し方が無いと思います。数学の素人が本を書いて、これをまた素人が翻訳し、そして日本の読者がその和訳本を読んで胸を熱くさせているなんて、どう考えても滑稽としか言いようがありません]と対応するドキュメンタリ映画、そしてインターネット上の豊富な教材。だが、これは時には見事に数学の魅力を伝えるけれども、背後の実際の数学の多くをほぼ説明出来るはずがない。アイグナーとツィーグラーによる本Proofs from the BOOK[訳注: 日本では"天書の証明"として和訳本が出ていますが、題名からして拙いです。奇をてらったつもりでしょうが、日本には「天書」という奈良時代の歴史書が実在するのです。これは本の翻訳者の無知をさらけ出していることになります。ですから、普通に"名著からの証明"くらいにしとけばよかったのです]は非常に良いが、前以って数学に触れていることを要求する。数学に関して一つの困難なことは数学がそれ自身の言葉を発展させて来ており、その言葉の部分を使わないで数学に関して非自明なことを語ることはしばしば不可能であるということだ。ほぼすべての研究所に数学に魅了された一人の年配者がいて、セミナーと講義コースに出席していることを私は面白いと思う。実際、それが数学が何であるかを学ぶ唯一の方法かも知れない。

どのように数学が文化と社会に恩恵をもたらしていると思いますか?
多くの人が例えばコンピュータを組立てるのに数学が使用されるから重要なんだと言う。私はその見解に賛同したくないし、その本当の価値はもっと間接的で隠れていると論じるだろう。要するに、最も抽象的な数学分野で研究している人達は何ら実践的な応用を持っていないが、それでも問題を考える間に身につけて来たスキルのために彼等は求められる。ある意味で、数学者達は人が意味ありげに考えられるものの境界を常に試していて、いつ問題が意味を持ち解答されるだろうかに対する非常に良い感覚を身につける必要がある。

数学をやっていない時に貴方が楽しんでいることについて話してくれますか?
私はハイキング、スキー(滑降よりもずっとクロスカンチュリだ)、音楽鑑賞、友人達とビールを飲むことが好きだ。学校時代を振り返ると、私はロックバンドでベィスギターを弾いていた。それを再びやりたいが、今まで十分な時間を持ち合わせていない。

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