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我々が数学を職業として選ぶのではなく、数学が我々を選ぶ: ユーリ・マニンへのインタビュー

ユーリ・マニン博士の記事については、これまで"良い証明は我々を賢くする証明である―ユーリ・マニンへのインタビュー"、"メタファとしての数学"を紹介しました。私は正直言ってマニン博士のエッセイやインタビューを読むのが好きです。現存されている数学者の中では一番私の納得することを書いています。何故なのかちょっと考えました。結構マニン博士の著書や研究論文を読んだことも一因でしょうが、失礼ながら私の感性と合うのです。感性が一致するから博士の言うことも論理的に納得するのでしょう。実際にお会いしたことがないのですが、文面から博士の人柄がにじみ出ていて、こういう大人に私もなりたいと思わせる方です。
さて今回紹介するのはマニン博士の"We do not choose mathematics as our profession, it chooses us: Interview with Yuri Manin"(PDF)です。このインタビュー記事は元々ロシアの新聞に載り、その後英訳されてAMS Noticesに転載されました。その私訳を以下に載せておきます。なお原文にある注釈を省いていますが、インデックスはそのままです。

[追記: 2019年03月23日]
このペィジは2018年01月29日に某サイトに載せたものです。従いまして、当時生きていたリンクも現在ではリンク切れになっている可能性があります。

我々が数学を職業として選ぶのではなく、数学が我々を選ぶ: ユーリ・マニンへのインタビュー
2008年9月30日 Mikhail Gelfand[訳注: あの大数学者イズライル・ゲルファント博士とは何の関係もないと思います(もし、関係あるのなら情報求む)。なお、イズライル・ゲルファント博士の息子さんはセルゲイ・ゲルファント博士です]

Gelfand: 過去50年に数学研究のスタイルが変わって来ていますか?
マニン: 個人的に? もしくは社会的に?
Gelfand: どちらもです。
マニン: 研究に携わっている現在の人達は200年前にされていたのと同様にやっていると思う。これは部分的に、我々が数学を職業として選ぶのではなく、数学が我々を選ぶからだ。そして、数学があるタイプの人達を選び、その中おいて世界中の各世代で数千人しかいない。数学が選ぶ、それらの種類の人達の印を彼等はみな携えている。 社会的組織(人がその中で数学を研究している)が変わって来ているという意味で社会的スタイルは変わって来ている。この進化は異常ではなかった。ニュートンの時代、後にはラグランジュ等の時代があったが、その時にアカデミーと大学が形成され、個人の数学的アマチュア達(彼等はかって錬金術または占星術を同じ方法で学んだ)が手紙のやり取りによって社会的構造の形成を始めた(私は古代の時期を省いている。その自然な発展はヨーロッパにおいてキリスト教の最初の百年の間に中断された)。それから科学ジャーナルが来た。これすべてが300年前に整った。20世紀の後半にはコンピューターがこの発展に寄与した。
Gelfand: しかし、ニュートンとラグランジュ、そして20世紀の後半との間に重要なことは何も変わりませんでした?
マニン: はい。この社会システムは合併された。つまり、アカデミー+大学+ジャーナル。これらは徐々に発展し、我々が現在それらを知る形を装った。例えばクレレのジャーナル(Journal of Pure and Applied Mathematics)の第一巻を取ろう。それは1826年に出現したが、まぁ現代のジャーナルと全く違わない。4次より高次の一般な代数方程式の根における解決不可能性についてのアーベルの論文がそこに載せられた。素晴らしい論文だ! クレレ編集委員会のメンバーの時、私はそれを今日でさえ大喜びで受けただろう。 最近の数十年に、社会とプロ数学者達の間のインターフェースは変わってきている。このインターフェースは今、コンピューター野郎達と彼等の周囲の人達(申請、補助金やそれと類似の事柄に関連して、我々の研究の資金調達の新方法のために我々が必要とする様々なPRの人達を含む)を抱えている。数学ではこれが奇妙に映る。つまり、貴方がしているものが何なのか、それが非常に素晴らしいことを先ず書かねばならぬ。それから後に貴方が達成し終えていることの説明を与える。
Gelfand: カントロヴィチ1の学生はカントロヴィチが中間報告の中に真顔で"定理は50パーセント証明されている"と、どのように書くかを話すのが常でした。
マニン: モスクワの数学研究所では明確なシステムがあった。私は定理(実際には、ここ一年で証明された)を証明することを計画しているとよく書いたものだった。それから私は研究を続けるための全一年を得た。 だが、これらはすべて些細なことだ。数学が我々を選ぶ限り、そしてグリゴリー・ペレルマンやアレクサンドル・グロタンディークのような人達がいる限り、我々は理想を憶えているだろう。
Gelfand: はい、数学において補助金は非常に奇妙なものです。他方、我々が補助金を得ないのなら、何か他のメカニズムがあるのでしょうか?
マニン: そうね、我々は何を必要とするのか? 人々に対して給与、研究所に対して予算。私は幸運だった、給与に対して研究したし、予算に関してはモスクワでのみならず、15年間ボンでだった。私はそこで何も悪いことがなかった。 しかし、これらの給与と予算を与える組織が商業界の言葉を採用してしまっている事実は全く別のことだ。商業界は3つの領域を悪くする。すなわち保健医療、教育、文化。ロジャー・ベーコンが"商業界の偶像"の誤った考えについて鋭く語った。数学は文化、その術語の広い意味において文化の一部であり、工業、サービス、またはその種の何かの一部ではない。
Gelfand: しかし、市場自由のやり方が沈滞につながらないでしょうし、進歩がないでしょう?
マニン: 今までは沈滞はない。
Gelfand: 数学は費用のかからない科学なので、貴方が語っていることは数学に対して可能です。
マニン: 確かに。私はいつも"何故我々は市場に出るべきなのか? (a)何もコストをかけない。そして、(b)自然資源を使い果たさないし、環境を汚さない"と言っている。我々に給与を与え、適所に我々を放りなさい。私は全く一般化して欲しくない。私はただ数学を話している。
Gelfand: 貴方はコンピューターに言及しました。コンピューターの出現以降、数学では何が変わって来ているのでしょう?
マニン: 純粋数学において何が変わって来ているのだろうか? メンタルリアリティにおける巨大規模物理実験を行う唯一の可能性が発生した。我々は最も起こりそうにもないことをトライ出来る。もっと正確に言えば、最も起こりそうにもないことではなく、オイラーがコンピューター無しでも出来たことだ。ガウスもそれらを出来た。しかし今、オイラーとガウスが出来たことをどんな数学者も机に向かって腰掛けながら出来る。だから、このプラトニックなリアリティの特徴を識別するイマジネーションを持たないならば、実験出来る。何かが何か他のものと等しいという素晴らしいアイデアが起こったならば、座って一番目の値、二番目の値、三番目、百番目を計算出来る。それのみでない。数学的頭脳を持つ人達が出現したが、彼等はコンピューター指向だ。もっと正確には、これらの種類の人達はもっと早期にもいたが、コンピューターが無く、どういうわけか何かが欠けていた。ある意味で、オイラーがたんなる数学者(彼はたんなる数学者よりももっとずっと凄いが)だったという範囲内において、オイラーはそれと似ていた。しかし、数学者オイラーはコンピューターを熱烈に好きになったであろう。そしてラマヌジャン(本当に数学を知らなかった人だった)も。また例えば、ここ研究所の私の同僚ドン・ザギエだ。彼は生まれながらの凄い頭脳を持ち、同時にその頭脳は理想的にコンピューターを使う研究に適している。コンピューターは彼がこのプラトニックリアリティを研究するのを促進している。付け加えて言うと、かなり効果的にだ。 私自身はこの種の人では全くないが、これが何に関してなのかを理解し、この件で私を助けてくれるかも知れないコラボレーターを持つことを喜んでいる。だから、これが純粋数学に対してコンピューターがやって来ていることだ。
Gelfand: 数学と理論物理学の間の関係はいかがですか? それはどのように構築されてますか?
マニン: この関係は私自身の人生の間に変わって来ている。 ニュートン、オイラー、ラグランジュ、ガウスの時代では、その関係がとても近くて同じ人達が数学と理論物理学の両方で研究した。彼等は自分自身を、より数学者だ、または、より物理学者だと思っていたかも知れぬが、彼等はまさに同じ人達だった。これは約19世紀の終わりまで続いた。20世紀は重要な違いを見せた。一般相対性理論の展開のストーリーが著しい実例だ。アインシュタインは彼が必要とする数学を知らなかったのみならず、1907年に彼自身の見事に直感的な言葉で一般相対性理論を理解し始めた時に彼は、そんな数学が存在することさえ知らなかった。量子の研究にささげた数年の後で、彼は重力に戻り、1912年に彼の友人マルセル・グロスマンに手紙を書いた: "君は私を助けねばならない、さもないと私は気が変になるだろう"。彼等の最初の論文は"A sketch of a theory of general relativity and a theory of gravity: I. Physics Part by Albert Einstein; II. Mathematics Part by Marcel Grossmann"と名付けられた。 この試みは半分成功した。彼等は正しい言葉を見つけたが、まだ正しい方程式を見つけていなかった。1915年に正しい方程式がアインシュタインとダフィット・ヒルベルトによって発見された。ヒルベルトは正しいラグランジアン密度(この問題の重要性はアインシュタインも理解出来なかったようだ)を見つけることで方程式を導いた。残念ながら歴史家が優先権に関する下らない論争を始めることを促進したのは二つの頭脳の偉大なコラボレーションだった。創造者達自身は互いの洞察を認めて感謝して寛容だった。 私にとって、このストーリーは数学と物理学が袂を分かった時期を特色づけている。この分岐は約1950年代まで続いた。物理学者達は量子力学を考えついたが、量子力学において彼等はヒルベルト空間、シュレーディンガー方程式、量子作用、不確定性原理、デルタ函数に対する必要を理解した。これは完全に新しいタイプの物理学であり、完全に新しい哲学だった。たとえどんな数学のピースを必要としても、彼等は自分達でそれらを開発した。 その間、数学者達は解析学、幾何学をやり、トポロジーと函数解析を造り始めた。世紀の始めで重要なことは、集合と無限に関するカントール、ツェルメロ、ホワイトヘッド、及びその他者らの見識を明確化、"浄化"することに努力した時に、哲学者達と論理学者達によるプレッシャーだった。いくぶん逆説的に言えば、この考えの進路は、"基礎の危機"として知られるようになったものと、いくぶん後にコンピューター科学を生成した。無数な事柄に関する情報を我々に与えられる有限言語のパラドクス―つまり、これが可能なのか? 形式言語、モデルと真実性、一貫性、(不)完全性―非常に重要な事柄が開発されたが、その時代の物理学者達が没頭している問題とは全く交わらなかった。 そして、我々に"数学的推論はマシンであり、テキストではない"と語るためにアラン・チューリングが出現した。マシン! 素晴らしい。10年間に我々はフォン・ノイマンのマシンとプログラムの分割原理(ソフトウェア)とハードウェアを持っていた。20年以上―そして、すべてが用意されていた。 世紀の最初の三分の一の間において、特別な頭脳を除いて、フォン・ノイマンは間違いなく物理学者であり数学者でもあった。20世紀で、あれ程のスケールの頭脳を持つ他の人を私は知らない。数学と物理学は並行に発展し、しばらくして互いを注目して止まった。1940年代にファインマンが素晴らしい径路積分を書いたが、物を量で表す新しい道具であり、びっくりするほど数学的な方法で効果があった。エッフェル塔のようなものを想像してみよ。数学的見解から見れば、何の基礎も無しに宙ぶらりんだ。だから、それは存在して上手く働いているが、我々が知っているものが何も無い上に立っている。この状況はまさに今日まで続いている。それから、1950年代に核力の量子場理論が出現し始め、数学的に各々の古典場は接続形式であることが判明した。それらに対する停留作用の古典方程式は微分幾何学において知られていた。ヤン-ミルズ方程式が登場し、数学者達は物理学者達を不信の目を向け始め、物理学者達も数学者達に対してそうだった。逆説的に言えば(私にとって愉快だが)、物理学者達が我々から学んだよりも我々が物理学者達からもっと学び始めた。量子場理論の助けとファインマン積分の道具一式を使って、彼等は数学的事実を次々に発見させる経験的知識に基づいたツールを開発した。これらは証明ではなく、単に発見だった。後で数学者達は腰を落ち着け、彼等の頭を空っぽにして、これらの発見を定理の形に再編成した。そして、我々の正直なマナーでこれらに証明をつける努力を始めた。これは物理学者達がしていることが実に数学的に意味があることを示している。そして物理学者達曰く、"我々はいつもそれを知っていたが、貴方がたの注意に感謝する"。しかし、一般に、結果として私達は何の問題を尋ねるべきか、何の答えを前提条件にしてよいかを物理学者達から学んだ。概して彼等は正しい。有名な物理学者で数学者でもあるフリーマン・ダイソンがギブズ講演"Missed opportunities"[訳注: "失われた機会"](1972)の中で"数学者達と物理学者達が互いと話すことを無視することによって発見の機会を失った"時の多くの場合を見事に記述している。私にとって特に印象的なのは、彼自身が"ただ数論学者ダイソンと物理学者ダイソンが互いと話していなかったので、モジュラ形式とリー代数の間の深いつながりを発見する機会を失った"という暴露だった。 それから、このまさに宙ぶらりんするエッフェル塔から輝かしい数学を作製するための唯一の才能を持つウィッテンが出現した。私はウキペディアを覗いた。1976年物理学において学位を得る前、彼が25歳だった時、彼は政治ジャーナリズムに携わることを計画していた。そして、経済学...等、彼がとうとう数学と物理学の叫びを聴くまで。 彼はそんな驚くべき内面的強靭(それがあり得ない強さと力を持つ数学を製造するが、それは物理学的考察から来ている)の達人だ。そして彼の考察の開始点は実験物理学で記述されるような物理的世界ではなく、この世界の説明のためにファインマン、ダイソン、シュウィンガ、朝永、そして他の多くの物理学者達によって開発された内面的仕組みだ。仕組みは全く数学的であるが、非常に弱い数学的基礎を持つ。それは世界を揺るがすほどのヒューリスティックな原理(全くトリビアなものではない)だが、私は再度言わなければならぬ、基礎(少なくとも我々が慣れて来ている類のもの)が無い非常に大きい構造だ。
Gelfand: そのように皆は基礎が無いことに慣れて、それを承知で生きて来ているのでしょうか、それとも基礎を作ろうと努めているのでしょうか?
マニン: なされて来た試みのどれも十分な一般性に成功していない。数学者達は我々がファインマン積分と呼んでいいものに対する、数少ない近似を作って来ている。例えばウィーナー積分。それは早くも1920年代に作られた。ブラウン運動を研究するために使用されたが、そこには厳密な数学理論がある。いくつか面白い変わり種もあるが、理論はファインマン積分の手広い応用全体をカバーするために要求されていることよりもずっと狭い。いいかい、数学理論として小さい―強さまたは力において、今日本当に偉大な数学を製造している仕組みとは比べ物にならない。 ウィッテンがその仕組みの研究を止める時、仕組みに関して何が起きるのか私は知らないが、すぐに数学世界に行き渡るだろうと私は非常に楽観的だ。ウィッテンが推測した定理、特にいわゆる位相的量子場理論(TQFT)における定理を証明することを目標とする小さな工業が起立しているが、その生産は広大であり有名だ。 実のところ、ホモトピー位相幾何学とTQFTはとても密接に発展しているので、それらが新しい基礎の言葉に変化すると私は考え始めている。 そのようなことは既に起こっている。無限に関するカントールの理論は古い数学に基礎を持たなかった。これに関して皆さんは好きなように議論出来るが、これが新しい数学、数学を考えるための新しい方法、数学を作るための新しい方法だった。結局、矛盾に関する議論にもかかわらず、カントールの世界は何の釈明もなくブルバキによって受け入れられた。論理学者達または構成主義者達が我々に押し付けた"規範的基礎"とは対照的に、ブルバキはすべての現役数学者達によって何十年ものの間に採用された"現実的基礎"を作った。
Gelfand: ロシアでブルバキについて書いている数学者達は異なる見解を持っているようです。この集合論的基礎の研究全体に関してかなり厳しい酷評家達がおり、彼等は物理学者達からのブルバキの孤立と我々のためにブルバキが開けられたであろう素晴らしい可能性を批判しています。
マニン: これに関して特別なことは何もない。彼等がブルバキを罵るという事実は、事が今日どのようになされているかを彼等が知らないことを示す。カントールが自身でやったことと全く同様に、ブルバキがやったことは歴史的ステップを取ることだった。しかし、このステップは、非常に大きい役割をした一方で、非常にシンプルだ。つまり、数学の哲学的基礎を作ることではなく、普遍的共通な数学言語を開発することだった。その数学言語は確率論学者達、位相幾何学者達、グラフ理論または函数解析または代数幾何学における専門家達による議論に使用されるだろうし、そして論理学者達による議論にも使用されるだろう。 皆さんは少数の共通初等的言葉"集合、要素、部分集合..."から始め、それから皆さんが学習する基礎構造の定義を徐々に作り上げる。つまり、"群、位相空間、形式言語..."。それらの名称は皆さん自身の用語の2番目のレイヤを形成する。3番目、4番目、または5番目のレイヤが来るかも知れないが、基礎構築ルールは共通であり、落ち着いて人々は完全に理解して互いと以下のように話せるだろう。"形式言語とは文字の集合プラス正しく形成された言葉の部分集合である。正しく形成された言葉とは用語プラス連結詞プラス数量詞プラス推論規則..."。この大局的見方から、例えばゲーデルの完全性証明不能定理(もしくは不完全性証明不能定理)[訳注: 原文は"Gödel's incompleteness theorem"です。これを、例えばゲーデルの不完全性定理と訳すのが常識となっているようです。しかし、日本人の殆ど(もちろん専門家を除きます。以下いちいち断わりを入れません)が論理的にものを考えられないので、鬼の首を取ったかのように喜ぶ馬鹿者達が必ずいます。それを少しでも減らすために、あえて前述の訳を当てました。いいかどうかは皆さんで勝手に判断して下さい]はいかなる種類のミステリーも取り除く。その定理は皆さんがそれを哲学的に調べ始めようとする時にはミステリーであるが、実のところ、ある構造は有限的に多くの生成子を持たないと述べている定理に過ぎない。ああ、神よ! そんな構造はありふれているが、考えよ、ここでもう一つある。特別な自己参照セマンティクスをこれに加える時に深遠さが出現する。その時、深遠さが数学の哲学的基礎に登場する。 だからブルバキはこれらの野郎が考えていることと全く異なることを実際にやったのだ(ここで私はフランスの数学教育におけるブルバキの影響に関する議論を省略している。社会学的疑問全体の場合と同様に、どんな観衆の間でも論争の一斉を引き起こすかも知れぬ)。
Gelfand: 数学における仮説の位置付けは何ですか? 例えばフェルマーの最終定理―近年、誰も反例を見つけようとしていません。誰もがそれを正しいし、誰かがそれを証明しようとするはずだと理解しました。そして、そんな有名な命題が、特に数論で多くあります。
マニン: ここで私は多くの素晴らしい仲間と異なる立場を取る。この議題に関して私に反対の意見を多く聞いたことがある。私が数学をどのようにイメージしているかを皆さんに説明しなければならぬ。私は感動しやすいプラトン主義者だ(合理的なものではない。プラトン主義を支持するのに合理的議論はない)。どいうわけか私にとって数学研究は発見であって発明ではない。私は自分で巨大な城または、それに類似の何かをイメージする。深い靄を通して、その輪郭を徐々に見ようと始める。そして何かを調査しようと始める。見ているものが何であるかをどのように定式化するかは、思考のタイプと見ているものの規模、そして周囲の社会的環境に依存する。 見て来たことは何かの存在または不在として定式化される。x2y2z2を見よ。一つの式ですべての整数解を書き下せることは素晴らしい。ある意味で、これをディオファントスが知っていた。これをし終えた時、疑問が持ち上がる。結構だが、3乗はどうなのか? 探しに探して何もない。ふーん。何て奇妙だ。4乗の場合は?(と、もし誰かが質問すれば) ふーん。再び何もない。えーと。更に進んで何もないのか? だから2次と3次、4次等との違いを発見する。このフェルマーの最終定理の歴史、まぁ歴史の類だ。だが、例えばこれこれはそれそれと同値だ、または、これこれは決して発生しないというような問題を貴方が提起する時、良い問題か悪い問題かあらかじめ貴方は決して分からない。それが解決されるか、または、ほぼ解決されるまで決して分からない。 問題は品質を持つ。数論において、初等用語で定式化され得る多くの問題があり、フェルマーの最終定理が素晴らしい問題だったことを我々は知っている。その歴史(命題から解決まで)を通して、先験的に互いと関係が無かった事柄の主役と関係があると分かったから、素晴らしい問題だったことを知っている。そして、その解決のために、これら根本的な事柄を調査することが必要だった。問題は巨大体系の中で細部だった。 しかし、我々は他の問題、例えば完全数または双子素数に関する問題を取り上げることが出来る。無限に多くの完全数(その数の約数の和が数に等しい)があるのか? または、差が2の素数のペアが無限に多く存在するのか? 今日まで、これらの命題がフェルマーの最終定理のそれよりも価値がないように見えるから、誰もそれらの問題周辺に興味ある理論を築いていない。
Gelfand: これらは問題それ自身の概念でしょうか、それとも、ただ何らかの社会的理由のために誰も活発に調査しないのでしょうか?
マニン: プラトン主義者として、これが問題それ自身の概念だと分かっているが、問題を定式化している時には誰も認識出来ないのが概念だ。歴史的プロセスの中でそれ自身を見せる。 部分的にこの理由のため、私は問題を好まない。問題を解くことは細部を探すスキルを要求するが、それが何の細部なのか分からない。プラトン主義者として、私は完全なプログラムを好む。偉大な数学的頭脳が何かを全体として見る時、または全体として見ないが、一つの細部よりも多くの何かとして見る時にプログラムは起きる。しかし、最初は漠然として見るだけだ。
Gelfand: すなわち、一つの明瞭な細部を見る代わりに貴方は漠然と建物全体を見ます。
マニン: はい。だから靄を息で吹き飛ばし、ふさわしい望遠鏡を探すため、以前に発見された体系との類似点を探し、漠然と見ている事柄に対する言語を作る、等々。これが私がためらいがちに言うところのプログラムだ。 無限に関するカントールの理論はそんなプログラムだった。希な事件だった。直ちにプログラムであり、無限の順序があるという発見だった。そして、例えば連続体仮説(可算無限と連続体の間に何かがあるかどうか)は他の多くの問題よりも重要でないと判明して来た問題であるが、非常に刺激になった。もしカントールがこればかりを問うていたのなら、悪くなっていたであろう。その重要性は未来でのみ発見されたであろう。だが、彼は直ちにかなりのことをやった。彼は調査のプログラム全体を始めた。 モジュロpの方程式にいくつの解があるかについてのヴェイユの仮設はそんなプログラムであり、私の人生の間に有名になった。彼はすぐに著しい類似点を見た。彼が見ていたところのエリアではギャップがあったが、他のところでは全体理論、つまり(コ)ホモロジー理論があって、写像の不動点に関するレフシェッツ定理を意味した。グロタンディークの人生の半分、ピエール・ドリーニュを含むグロタンディーク周辺の多くの人達の半分が、このギャップを埋めることに捧げられた。彼等はギャップを埋め、類似点は正確になり、現代代数幾何学が生まれた。そして、結果としてずっと多くのことが発生して来ている。現代数学の言語としての集合論が後退し始め、後に来るスーパー構造全体を持つキャテゴリーが古い機能における集合を置換え始めた。 論理では、ヒルベルトのプログラム(彼はあまりにもそれを楽天的に定式化したことを除いて)があった。彼は真なすべてのことが証明出来ることを証明したかった。彼は体系の輪郭を不正確に見たが、とにかくプログラムは発展した。ゲーデル、チューリング、フォン・ノイマン、コンピューター、コンピューター科学。かなりの程度まで、これはヒルベルトの考案によるものだった。 四色問題は私にとってプログラムにつながらなかった悪い問題の実例だ。それはコンピューターを頼って証明されたので、そのことをめぐって今日まで論争がある。だが、今日まで誰も何らかの種類の十分豊かな状況に四色問題を組み込ませて来ていない事実と比べて論争は重要なことではない。だから四色問題は頭脳のトレーニングの手段に過ぎない。 これらの理由のため、私は概して問題それ自体では好きでない。しかし、プログラム内で問題が持ち上がる時―それは問題がいいものである可能性がある時であり、この細部が何の体系に属しているか前以って分かっている時だ。150年の過程の間に限られた数論学者達がリーマン仮説を非常に重要な孤立した難題として調べ続けたけれども、リーマン仮説は確かにリーマンがプログラム内で考案した問題である。その最初の解決が鈍い解析的手法を使う証明であるかも知れぬことを私は少し心配している。それは考え得る限りのすべての賞を受けるだろうし、解決は世界のすべての新聞で賞賛されるだろう。"正しい"解決はより広い状況において与えられるはずであり、我々はそれを知っているので、前述の騒動全てが誤解を招きやすいだろう。解決に対する複数のアプローチさえ我々は知っている。それにもかかわらず、最初の解決が貧弱で面白くないものであることはかなり可能だ。
Gelfand: すべての人が慣れ、明らかに正しいと決めてかかるようになったが、それから反例が見つかった仮説がありますか?
マニン: 人々が信じて長い間続いている仮説がそれから反例が見つかったことはないと思う。
Gelfand: 仮に誰かがフェルマーの最終定理に対する証明よりも反例を見つけるならば、これは世界を揺るがす事件になるでしょうか? それとも問題がいいものではないことを意味するだけになりますか?
マニン: 問題が状況の展開を活気づけたのだから、その問題はそれでもいいものであっただろう。それから、この状況の中で誰かが問題を解決する。その答えはポジティブまたはネガティブだろう。この2番目の質問は重要でない。質問の真意は重要な状況の確立を問題が促進したということだ。 仮に1960年代以前に反例が見つけられたとすれば、すべての人が頭をかいていたであろう。仮に反例が1970年代のどこかで見つけられたとすれば、その時までにフェルマーの最終定理は他の多くの予想(少しもシンプルでない。ラングランズのプログラムに関連して非常に広範囲に渡る性質を持っていた)から導かれるだろうことが明らかなっていたから、非常に興味深いが、多少台無しになっていただろう。その時までに、これらの事柄が真実であればフェルマーの最終定理もそうであることが知られていた。もちろん、仮にフェルマーの最終定理に対する反例が見つけられていたならば、これらの事柄が偽でなければならなかっただろう。そして、これは考え方に関するずっと根本的で複雑なシステムの全滅を意味したであろう。大きな関心と何が間違っているのかを把握する企てを呼び起こしたであろう、多くの体系を再構築しなければならなかったであろう、等々。それすべてが反例の発見から引き続いていたであろう。
Gelfand: 歴史上、そんなに強い反例がありましたか? おそらくゲーデルの定理? それ以前は、真であるすべての事柄を人は証明出来ると思われていました。
マニン: ヒルベルトはこれを信じていたが、他の何人がそれを信じていたのか私は知らない。しかし、これは、このプログラムを正しく調べなければならないことを示している。その最初の重要な成果は数学的状況(その中で、曖昧な哲学的なものではなく、正確な数学的問題として人は真実に関する問題と数学での証明可能性を定式化出来た)の構築だった。この探求の本質により、人は自己言及を導入しなけれならず、残りはタルスキとゲーデルに華々しく示された創意の問題となった。 プログラムの定式化の始めで、人々は何に帰結するかについて間違っている推量を作り、反例が実はこれらはエラーであることを示した。
Gelfand: 他の興味深く間違っている認識がありましたか?
マニン: 人類のイマジネーションの不足を示すものがあった。数学史上において、そんな事柄は通常反例と呼ばれず、パラドックスである。例えばバナハ-タルスキの定理を取り上げよう。ボールから始め、それを5つのピースに切り分ける、それらを再編し、一緒に元に戻す、そして最初のものと同じサイズのボールを2つ得る。この構築は我々にいろいろ語っている。例えば、一般的な集合論的アプローチの酷評家達に対しては、この見解が人をそんな所説に導くのなら、それは数学ではなく、ある種の手に負えないナンセンスであることを意味している。論理学者達に対しては、それはツェルメロの選択公理の逆説的応用の実例であり、だから選択公理を受け入れることに反対の議論である。そして、これすべてに加えて、非常に美しい幾何学だ。かって私は美術館で一般大衆のために講義をすることを頼まれ、バナハ-タルスキのパラドックスがプレゼンテーション"数学の抽象芸術"のための素晴らしい議題であると私は決心した。キーポイントは"ピース"を硬い材料オブジェクトとしてイメージしてはならないが、点の大雲としてイメージすることだった。ボールは不可分の点から成っているとイメージしなければならぬ。これらの点の部分集合を"ピース"と呼びことにする。ピースを移動させ、その向きをぐるりと変えさせることが出来る。しかし、ただ全体として、単一のオブジェクトとしてピースを移動させれば、点間の一対の距離は同じままである。だから球を硬いピースに切り分けるのではなく、5つの大雲に切り分ける。そして、これらの大雲は相互に互いへ浸透出来る。もっとはっきり言えば、それらに関して硬いものは何も無い。それらはボリューム、重さを持たず、高度に訓練されたイマジネーションの素晴らしいオブジェクトである。 何故明らかな矛盾が無いのか? 2つのボールが各々よりも多くの点を含むことは真実ではないのか? そう、無限個の点は正確に同じである。私は孫に一枚の紙の点は部屋の壁上の点と同数存在すると説明した。"紙を取ろう。お前の視野から壁が完全に消えるように紙を持つ。紙はお前の視野から壁を隠している。さて、壁上のすべての点から一条の光が来て、お前の目にたどり着くなら、紙を通り抜けるはずだ。壁上の各点は紙上の点と対応する。だから、それぞれが同数存在するはずだ"。 ここでのメッセージは、最初のボールから個々の点の粉塵を作るなら、任意サイズの、2つのボール、または3つのボール、または無限個のボールですら埋めるのに十分な点が存在するだろうということだ。移動させる、向きを変えさせる、ギャップを残さずに再編する点の雲を定義しようとする時に困難が起きる。これは数学的ペテンであり、大変美しいが、それを上手く説明したいなら、もっと時間を必要とする。 だから、それは反例でなく、トレーニングされていないイマジネーションを困惑させるパラドックスである。 そんなパラドックスの多くが古典数学と集合論的数学の間の過渡期に発見された。曲線が正方形を埋められるという定理があった。そんな事柄が多くあったし、それらは私達に大いに教えた。 多くの人々は、これは全くのファンタジーだと考えたが、新しくトレーニングされたイマジネーションは人にフーリエ級数の"逆説的"振る舞いを認めさせ、ブラウン運動を理解させ、ウェイヴレットを発明させた。そして、これらは全くファンタジーでなく、ほぼ応用数学であることが分かった。
Gelfand: それで次の20年間に何が起きるのでしょうか?
マニン: 私の考えでは、ここ300年の間に何もないのだから、画期的変革を予想しない。新しく力強い研究所が起立するたびに、どうにか数学はその性質を保った。これは私がやったことがないものであるが、講義のテーマでもある。私は最も離れた時代からコルモゴロフの複雑性までの整数のアイデアの発展を示したい。そして、これすべてが新しい数学に殆ど訴えること無く済ますことが出来る。同一のアイデアが持続している。いくつかの時代で少し変わり、その言葉の被いが変わっている。しかし、それでも完全に不変のままであり、生き続けている。何も忘れらていない。 だから私は次の20年の異常な何かを予測しない。おそらく、私が言うところの"数学の現実的基礎"の再構築が続くだろう。これを私は単に、有能で新しく直感的なツール(ファインマン経路積分、高度キャテゴリー、ホモトピー理論家の"brave new algebra"[訳注: これを後世の日本人がどう訳すのか私は興味ありますが、おそらくカタカナ表記で終わると思います]、他にも、目下のところ現役数学者達の頭脳と研究論文の中にある結果を各節目に発表する、新興の価値体系と受入れ形式も)の法典化を意味している。 数学の"現実的基礎"が通常いろいろ変わった形で明確になる時、変形バージョンの提唱者達は論争し始めるかも知れないが、それすべてが現役世代の数学者達の頭脳に存在する限り、必ず彼等が共通に持つ何かがある。だから、カントールとブルバキの後、我々が何だかんだ言っても、集合論的数学は我々の頭脳に定住している。私が最初何かを語り始める時、ブルバキ風の構造の用語(位相空間、線型空間、実数体、有限代数拡大、基本群)でそれを説明する。そうでないと私は出来ない。私が完全に新しい何かを考えているのなら、これこれの構造を持つ集合、前にこれと似ているあれやこれやと呼ばれるものがあった、もう一つ別の類似なものはこれこれと呼ばれた、だから私は少し異なる公理を採用し、それをこれこれと呼ぼうと私は言う。貴方が話し始める時、これから始める。すなわち、最初我々はカントールの離散集合から始め、それにもっと何かをブルバキのスタイルで課する。 だが、抜本的心理的な変化も起きている。近頃これらの変化は複雑な理論と定理の形を取ったが、これらを通して、古い形式と構造、例えば自然数は幾何学的な右脳オブジェクトに変わられている。 集合、つまり離散要素の雲の代わりに我々はいくつかの種類の漠然とした空間を思い描く。その空間は非常に激しく変形し、一つからもう一つ別へ写像される。その間中、特定の空間ではなく、変形までの空間のみが重要である。本当に離散オブジェクトに戻りたいのなら、我々は連続コンポーネントを見る。そのピースの形または次元さえも問題ではない。以前、これらの空間すべては位相を持つカントール空間と考えられた。それらの写像はカントール写像だったが、それらのいくつかは除外等をされるべきだったホモトピーであった。 数学者達の集団的意識の中に進行中の敗北を私は非常に強く確信する。つまり、世界の右脳的かつホモトピー的ピクチャーが基礎的直観になっており、離散集合を欲しければホモトピーまでのみに定義されている空間の連結コンポーネントの集合に渡る。 すなわち、カントールの点は連続コンポーネントまたはアトラクター等になっている(ほとんど始めから)。無限に関するカントールの問題は背景へ後退する。つまり、始めから私達のイメージは非常に無限なので、それらから有限な何かを作りたければ、もう一つ別の無限でそれらを割らなければならない。 これは我々がファインマン積分を思い描く道と平行する。最初、解釈の難題を課されている単なる象形文字だ。最初の2つ、3つ、4つの解釈の段階は全くアドホックであり、数学がクリーンな("トイモデル")他のケースとの様々なアナロジーに訴える。ある段階で、単に発散はしないが発散(有限次元だけれども)積分の項から成る形式級数を得るかも知れない。それから各項を有限にしながら人工的に正規化する。だが、級数は一般的にはそれでも発散する。だから級数の解釈を発明している。そして終に、その方法を多くの無限大の中へ押し進めて有限の答えを得る。ご褒美として、驚くべき数学的定理のシリーズを得る。私はこの中にキャテゴリー理論とホモトピー位相幾何学に基づいて現実的基礎の再構築との類似点を見る。

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