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書評 グロタンディークとセールの文通書簡

函数論に偏角の原理と称するものがあることは少しでも勉強をした人なら御存知でしょう。最近、何故偏角の原理と呼ぶのか、或る人に聞かれました。その人は工学系出身者で必ずしも数学のど素人ではなく、複素解析なども等角写像論を中心として応用側の立場で学生時代に習っているはずなんですが、どういうわけか基礎が足りないと感じて最近一から勉強し直しているそうです。ですから、私は「実質増分量は偏角の増分量を2πで割ったもの、すなわち値域での原点の周りの回転数に相当するから」と説明したのですが、怪訝な顔をされてなかなか話が噛み合いませんでした。余りにも話が噛み合わなかったので、その人が持っているテキストを見せてもらったところ、以下の(A)を"偏角の原理"と呼んでいました(勿論、テキストそのままの文ではありません。書かれていた内容を私の文章で再現したものです)。

(A)
函数f(z)は或る領域で、高々有限個の極を除いて正則であり、閉曲線Cはその領域に含まれており、Cはf(z)の零点と極を通らないものとする。その時、
((f(z)の対数的導関数)のCに沿っての複素積分)/2πi = (f(z)の零点の個数) - (f(z)の極の個数)
が成立する。これを偏角の原理と呼ぶ。

これに対して、偏角の原理と呼ぶからには"原理"らしくもっと簡単な言明であるべきで、私の認識も以下の(B)です。

(B)
函数f(z)は或る領域で正則であり、閉曲線Cはその領域に含まれており、Cはf(z)の零点を通らないものとする。zがCに沿って動く時、
(f(z)の偏角の増分量)/2π = (f(z)の零点の個数)
が成立する。もっと易しい言葉で言えば、
f(z)が原点の周りを何回転するか = (f(z)の零点の個数)

(A)が(B)を特殊な場合として含むことは函数論を少しでも勉強したなら一目瞭然でしょう。その本では(B)に関することは一切触れておらず、しかも何故"偏角の原理"と呼ぶのか説明もありません。
では、偏角の原理が威力を発揮するルーシェの定理の証明はどうなっているのか、その本を見たところ、ルーシェの定理自体を載せていないのです。この時点で私は、この本をいわゆる安直本だと結論しました。ここで言う安直本とは何かですが、本の題名と著者名を暴露すれば気分はいいのですが、それでは単なる個人攻撃に過ぎませんから言いません。最近の日本では数学のみならず他の自然科学、人文科学、IT分野でも多い、よくわかる何とか、図解何とか、という類の軽薄短小な本だと思ってください。こういう類の本を企画する出版社のレベル低下もさることながら、結局需要があるのだから、消費者側も馬鹿じゃなかろうかと思います。つまりは日本の現在は軽薄短小に満ちているとも言えるでしょう。
勿論(A)を偏角の原理と呼んでいる本はあります。例えば、故アールフォルス博士の"Complex Analysis"では先にいわゆる巻き数(winding number)を定義しており、原点に関するf(z)の巻き数に他ならないから偏角の原理と呼ぶのだと説明しています。要は何を偏角の原理と呼ぶのかは大して重要なことではなく、その説明があることが重要なのです。現に、例えば故小平邦彦博士の"複素解析"や故E. C. Titchmarsh博士の"Theory of Functions"では"偏角の原理"という名称自体を載せていません。特にTitchmarsh本では実質的に(A)から(B)の形を導き出して(B)を載せているのにも拘わらずです。
函数論を勉強し直している知人には、日本語本(和訳本も含む)をなるべく読まないようにと言いました。どうしても日本語本を選ぶなら、現代数学史に燦然と名前が刻み込まれている一流数学者が書いたものしか選ばないように注意しました。一般的なことを言えば、日本人一流数学者が現役バリバリの時に講義録や研究書を除いて、いわゆるテキスト本を書くことは皆無ですし、まして洋書の和訳など(監訳という名義貸しはあっても)はしません。例えば、小平博士は定年退職後の悠々自適な生活をしていた頃にテキスト本を書いています。だからと言って、逆に洋書なら必ず何でもいいと言っているのではありません。しかし、英語等で書かれる数学書は最初から世界的規模の観衆の目を意識せざるを得ないことを考慮すれば、たかが日本語で日本人のみを対象にしているものとは質的にも差があることは言うまでもないことでしょう。
結局アールフォルス本が理想だと知人に勧めました(小平本でもいろいろな所でアールフォルス本を参照のことと書いてあり、私がアールフォルス本を読んだ動機でした)。アマゾンのレビュでも書きましたが、是非読んでほしい函数論入門書です。ただ問題は非常に高価なことです。私の持っているアールフォルス本は廉価版(現在でこそ廉価版だと私は呼んでいますが、購入した当時はこれが普通の版だと思っていました)だと思いますが、廉価版はどこへ行ったのか情報をお持ちの人には是非とも教えて頂きたいです。
一流の人から直接学ぶことが大事なのは当り前ですが、直接学ぶ機会が無くても一流の人が書いた著作を読むことが次善の策だと思います。
それに関連して思い出したことがあります。皆さんは、グロタンディーク氏とジャン=ピエール・セール博士の文通書簡集"Correspondance Grothendieck-Serre"という本を御存知でしょうか。2001年にSMF(フランス数学協会)から出版され、2003年にはAMS(米国数学協会)から仏英2か国語版が出版されました。この本は出版後、何年前か忘れましたが、グロタンディーク氏が自身の著作権を有するものは出版を今後一切認めないという宣言によって、現在は仏国内では絶版ですが、AMSの仏英2か国語版の方はまだ入手可能なようです。いずれにせよ、持っている人にとって貴重な現代数学史の資料となるでしょう。私も2001年出版直後フランス国内にいた知人を煩わせて入手しました。
この本は和訳されませんでしたので、日本のいわゆる数学愛好家には殆ど知られていません。おかげで的はずれな自己陶酔的知ったかぶり素人書評を見ずに済むし、何よりも検索件数が少ないことは大いに喜ばしいことです。つまり、なるほどと思える専門家による書評に絞ることが出来ます。
本にはグロタンディーク氏が位相ベクトル空間から代数幾何学へと分野替えの真っ最中の1955年に始まり、主として1969年までのセール博士との文通が収められています。セール博士は当時(今でもそうですが)世界一の数学者であり、代数トポロジーの若き権威でした。対してグロタンディーク氏は位相ベクトル空間に素晴らしい業績を残したけれども、代数トポロジーは勿論のこと、代数幾何学はおろか、函数論の初歩も知らなかったのではないかと思わせる有様でした。昨今の馬鹿学生でもしないような質問、例えば、リーマンのゼータ函数の零点は無限個あるのかとセール博士に聞いているのですね。よくグロタンディーク素数の話を知ったかぶり数学愛好家の間で話題になりますが、あれは全く信憑性がありません。対してリーマンのゼータ函数の零点云々の話は事実です。グロタンディーク氏の見当違い質問にでもセール博士は辛抱強く対応しています。これがグロタンディーク氏でなければ、「大学に戻って勉強し直して来い!」と言われても不思議でないレベルです。天才が天才であるのは知識が無くても、一流の数学者から手紙を通じて学び、あっという間に数学最前線に立てるのです。そこが凡才とは違うところです。もし相手がセール博士のような一流でなければ、グロタンディーク氏の分野替えはもっと遅れただろうと思います。
この本に関していろいろな書評があるのですが、二人の数学者を直接知っており、しかも情愛を感じさせる書評として、John Tate博士の書いた書評(PDF)が最も好きです。John Tate博士のことはくどくど申し上げるまでもないでしょう。その私訳を以下に載せておきます。

[追記: 2019年03月20日]
このペィジは2012年03月25日に某サイトに載せたものです。従いまして、当時生きていたリンクも現在ではリンク切れになっている可能性があります。

[追記: 2019年12月28日]
グロタンディーク氏の数学コミュニティとの決別に関して論じたものとして"グロタンディーク: 決別の神話"があります。

書評 グロタンディークとセールの文通書簡
2004年3月 John Tate

この本は、1955年から1969年までのグロタンディークとセールとの間で行われたコラボレーションの詳しい状況を私達に見せる。その当時、彼等は代数幾何学における革命的発展に重要な役割を果たした。本はその期間の約80通の本質的に手が加えられていない手紙と80年代半ばからの2,3通の手紙を含む。手紙を保存したセール、Jean Malgoireを通じてグロタンディークから公開の許可を獲得し、手紙をTeX化する学生達を組織したPierre Colmez、それらの学生達の頑張り、そして、書簡の公開に応じるための新しい本のシリーズDocuments Mathématiquesを造ったフランス数学協会のおかげである。本は、グロタンディークの2つの手紙(一つは手書き、一つはタイピングされているもの。手紙のTeX化は必ずしもありきたりの作業ではないことを示している)の再生も含めて、美しく読み易く印刷されている。セールは、明確でない論及を説明する脚注を加え、言明が誤りであることを注意し、手紙の中で作られた予想の出来る限りの結果を示唆している。
セールとグロタンディークのどちらかがパリ地域にいない時のみ手紙が書かれたので、残念ながら手紙による歴史的記録は空白に満ちている。彼等両者が共にパリにいた時は電話を長時間使用した。それらの会話が録音されなかったことに遺憾と思うことしか出来ない。しかし、完全な歴史的記録を与えなくても、手紙は彼等が共にどのように考え、どのように作業したかについて知識を与えている。彼等のコラボレーションは両者が非常に異なった考えを持つので実りあるものとなった。つまり、グロタンディークは大きな構想に導かれて、楽天的に自分で突進し、すべてのことを最も一般的な状況で考え、時には早まって詳細を見過ごす。一方セールは驚く程の文献と特殊例を持ち、特殊と一般性のバランスを保ちながら詳細には注意深く、いつもグロタンディークを正しいコースに戻すための具体例と反例を構築する用意がある。

代数的連接層
手紙によるコラボレーションは1955年の1月に始まる。セールはカルタンセミナーで複素解析多様体に非常に便利な層の理論がザリスキー位相の気色悪さにも拘わらず抽象代数幾何学にも役立つことが分かっている。その分野について彼は論文'Faisceaux Algébriques Cohérents' (FAC)[訳注: "代数的連接層"]を書き終えている。グロタンディークは代数幾何学のため位相ベクトル空間を捨てる決断をする。初期の手紙で、グロタンディークはセールに質問攻め(無知な質問やそうでないものも)をし、それにセールは忍耐強く回答する。議論のほとんどが層に関係する。
グロタンディークは彼自身のアーベルカテゴリ、導来ファンクタ、層コホモロジーのいろいろな理論、スペクトル列...彼のみが出来る考えを展開している。彼の要約は後に'Sur quelques points d’algèbre homologique'[訳注: "ホモロジー代数のいくつかのポイントについて"]として1957年東北數學雑誌に発表された。1955年の終わりまでにグロタンディークはセールにほとんど明らかでFACに暗に含まれていると言って、セール双対の一般定式化を説明している。セールは代数的及び解析的な場合の両方で双対を述べる良い方法だと言って、この定式化に興奮する。FACを終えたので、セールはGAGA 'Géométrie Algébrique et Géométrie Analytique'[訳注: "代数幾何学と複素解析幾何学"]で双対を続け、射影多様体に対して解析的連接層は代数的連接層と'同じ'であることを証明する。

可換環のベストなカテゴリ
必ず環において制限が伴うけれども、Schemeは既に知られていた。1955年2月セールは、すべての素イデアルが極大イデアルの交わりであるような可換環のスペクトルにおいて連接層の理論が働くと述べている。一年後グロタンディークは、ネーター環のスペクトルを密着させて作られる数論的多様体における準連接層のCartierによって導入される技術的に便利な概念のことを語る。しかし、それはネーター環の条件を落としスペクトルですべての素イデアルを含むべきであるとグロタンディークが認識する2年よりも前だろう。セールが脚注で書いているように、結局可換環のベストなカテゴリは可換環全体のカテゴリである。
今まで、コラボレーションの最初の2年間(55ページをカバーする27通の手紙によって示される)に含まれる数学の非常に大雑把で不完全な記述をして来た。議論の議題は主に基礎的なものだった。次の7年間は約85ページで26通の手紙の交換があった。これらの年月の間議論されたトピックスの一部は、グロタンディークのリーマン-ロッホ定理の証明、1958年に始まった彼の書いているÉléments de Géométrie Algébrique(EGA)[訳注: "代数幾何学原論"]の進捗、セールの幾何的類体論、グロタンディークの基本群の理論(Schemeの最初の大きな成功の一つ)、ヴェイユのスカラーファンクタの制限、有限体上多様体のゼータ函数の有理性に関するDworkの証明についての驚くべきニュース(1959年)、一般ヤコビアンと局所シンボル、1961年のパリにおける数学の(悲しい?)状況、p進リー代数、すべての非特異的多様体は'良い'開集合で被覆されるというM. Artinの証明、高分岐の場合において曲線上のエタール層のオイラー標数を特異点で表現する式の局所不変量(グロタンディークにリクエストされ、セールが回答したSwan表現)。

文通の劇的増大
1964年には突然一年で22通の手紙がある。テーマは代数的サイクルで、トピックスはより数論的になっている。セールはグロタンディークにWoods Hole Summer Instituteの広範囲に渡る報告を書いている。すなわち、Woods Hole不動点式、楕円曲線のOggによる研究に啓発された局所体上多様体のl進コホモロジーにおける予想、ゼータ函数の代数的サイクルと極における私の予想、形式群、セール-Tateの定理、セールの標準リフト。翌月以降の議論の殆どが、この報告とセールからA. Oggへの手紙(アーベル多様体とその的確な系の良い縮小のためのOgg-Néron-Shafarevich判定条件と、セールが"無知"と呼ぶ問題、すなわち基礎体の有限拡大の後、アーベル多様体のNéronモジュールの特殊ファイバの連結成分はトーラスによるアーベル多様体の拡大なのか、を知らせている)によって活気づいている。グロタンディークはセールが"無知"と呼ぶ問題に関心を持っていないが、後にそれを証明する。ゼータ函数とL-函数の議論が多い。
グロタンディークは零サイクルを議論し、彼が"motive"と呼ぶ新しい概念を導入する。"motive"は彼の偉大な貢献の一つとなる。直ぐ後にmotive的ガロア群を得て、1965年の早期に彼は"標準予想"を定式化する。

さよならグロタンディーク
コラボレーションは終わりに来ている。数学的アイデアを交換する3通ものの手紙がある。最後の1969年1月のグロタンディークからのものには、Steinbergの定理についてセールが彼に語っていることに対しての考えを含む。グロタンディークがEGA執筆を断念し、数学界から引退して間もなくだった。
本の残り、1980年代半ばからの6つの手紙は読むのが悲しい。グロタンディークは孤立化し、Récoltes et Semailles[訳注: "収穫と種蒔き"]を書き始めている。Récoltes et Semaillesは、彼の数学的人生と元学生、旧仲間の態度についての敵意むき出しで、いくぶん妄想的な取止めのない弁明である。グロタンディークはそれを彼等に送付している。セールは最初の章を受けて、コメントをグロタンディークに書く。グロタンディークはセールが好意的に取っていると分かるが、不賛同点については拒絶し、セールはいつも自己反省を毛嫌いしていることを知っているからだと言う。その返書で、セールはグロタンディークが数学プログラムを放棄した理由を訊ね、思い切って2つの推測をぶつけている。すなわち、EGAを書くこととセミナーが重荷になったのか? または、もう一つはより深刻な問題だが、大きな一般理論を構築するグロタンディークの数学的手法が位相ベクトル空間と代数幾何学に対しては非常に上手くいくが、数論とモジュラー形式の問題に対してはさほど効果が無いこと(60年代後半にはうすうすと認識されていたし、その時にグロタンディークは数学プログラムを放棄した)を認めたからか?
1986年の終わりにセールはグロタンディークに最後の数学的手紙を書く。その手紙は、次数2のモジュラーガロア表現についての彼の予想の説明と1987年がグロタンディークにとっていい年であることを願っている。グロタンディークはその返書で、セールの気遣いに感謝するが、頑張ってやるほどの価値はないと書いている。彼は自身のプロジェクトがあり、興味は無いが、セールにとって1987年の多幸と研究の成功を祈っている。勿論本は将来の20世紀数学史家にとって偉大なリソースになるだろうが、それよりもっと重要である。今日の読者には、非常に異なった数学的時代の感触と二人の達人の友情の中で高レベルな数学的アイデア交換の場に居合わせているユニークな機会を与えている。

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