スキップしてメイン コンテンツに移動

書評 グロタンディークとセールの文通書簡

函数論に偏角の原理と称するものがあることは少しでも勉強をした人なら御存知でしょう。最近、何故偏角の原理と呼ぶのか、或る人に聞かれました。その人は工学系出身者で必ずしも数学のど素人ではなく、複素解析なども等角写像論を中心として応用側の立場で学生時代に習っているはずなんですが、どういうわけか基礎が足りないと感じて最近一から勉強し直しているそうです。ですから、私は「実質増分量は偏角の増分量を2πで割ったもの、すなわち値域での原点の周りの回転数に相当するから」と説明したのですが、怪訝な顔をされてなかなか話が噛み合いませんでした。余りにも話が噛み合わなかったので、その人が持っているテキストを見せてもらったところ、以下の(A)を"偏角の原理"と呼んでいました(勿論、テキストそのままの文ではありません。書かれていた内容を私の文章で再現したものです)。

(A)
函数f(z)は或る領域で、高々有限個の極を除いて正則であり、閉曲線Cはその領域に含まれており、Cはf(z)の零点と極を通らないものとする。その時、
((f(z)の対数的導関数)のCに沿っての複素積分)/2πi = (f(z)の零点の個数) - (f(z)の極の個数)
が成立する。これを偏角の原理と呼ぶ。

これに対して、偏角の原理と呼ぶからには"原理"らしくもっと簡単な言明であるべきで、私の認識も以下の(B)です。

(B)
函数f(z)は或る領域で正則であり、閉曲線Cはその領域に含まれており、Cはf(z)の零点を通らないものとする。zがCに沿って動く時、
(f(z)の偏角の増分量)/2π = (f(z)の零点の個数)
が成立する。もっと易しい言葉で言えば、
f(z)が原点の周りを何回転するか = (f(z)の零点の個数)

(A)が(B)を特殊な場合として含むことは函数論を少しでも勉強したなら一目瞭然でしょう。その本では(B)に関することは一切触れておらず、しかも何故"偏角の原理"と呼ぶのか説明もありません。
では、偏角の原理が威力を発揮するルーシェの定理の証明はどうなっているのか、その本を見たところ、ルーシェの定理自体を載せていないのです。この時点で私は、この本をいわゆる安直本だと結論しました。ここで言う安直本とは何かですが、本の題名と著者名を暴露すれば気分はいいのですが、それでは単なる個人攻撃に過ぎませんから言いません。最近の日本では数学のみならず他の自然科学、人文科学、IT分野でも多い、よくわかる何とか、図解何とか、という類の軽薄短小な本だと思ってください。こういう類の本を企画する出版社のレベル低下もさることながら、結局需要があるのだから、消費者側も馬鹿じゃなかろうかと思います。つまりは日本の現在は軽薄短小に満ちているとも言えるでしょう。
勿論(A)を偏角の原理と呼んでいる本はあります。例えば、故アールフォルス博士の"Complex Analysis"では先にいわゆる巻き数(winding number)を定義しており、原点に関するf(z)の巻き数に他ならないから偏角の原理と呼ぶのだと説明しています。要は何を偏角の原理と呼ぶのかは大して重要なことではなく、その説明があることが重要なのです。現に、例えば故小平邦彦博士の"複素解析"や故E. C. Titchmarsh博士の"Theory of Functions"では"偏角の原理"という名称自体を載せていません。特にTitchmarsh本では実質的に(A)から(B)の形を導き出して(B)を載せているのにも拘わらずです。
函数論を勉強し直している知人には、日本語本(和訳本も含む)をなるべく読まないようにと言いました。どうしても日本語本を選ぶなら、現代数学史に燦然と名前が刻み込まれている一流数学者が書いたものしか選ばないように注意しました。一般的なことを言えば、日本人一流数学者が現役バリバリの時に講義録や研究書を除いて、いわゆるテキスト本を書くことは皆無ですし、まして洋書の和訳など(監訳という名義貸しはあっても)はしません。例えば、小平博士は定年退職後の悠々自適な生活をしていた頃にテキスト本を書いています。だからと言って、逆に洋書なら必ず何でもいいと言っているのではありません。しかし、英語等で書かれる数学書は最初から世界的規模の観衆の目を意識せざるを得ないことを考慮すれば、たかが日本語で日本人のみを対象にしているものとは質的にも差があることは言うまでもないことでしょう。
結局アールフォルス本が理想だと知人に勧めました(小平本でもいろいろな所でアールフォルス本を参照のことと書いてあり、私がアールフォルス本を読んだ動機でした)。アマゾンのレビュでも書きましたが、是非読んでほしい函数論入門書です。ただ問題は非常に高価なことです。私の持っているアールフォルス本は廉価版(現在でこそ廉価版だと私は呼んでいますが、購入した当時はこれが普通の版だと思っていました)だと思いますが、廉価版はどこへ行ったのか情報をお持ちの人には是非とも教えて頂きたいです。
一流の人から直接学ぶことが大事なのは当り前ですが、直接学ぶ機会が無くても一流の人が書いた著作を読むことが次善の策だと思います。
それに関連して思い出したことがあります。皆さんは、グロタンディーク氏とジャン=ピエール・セール博士の文通書簡集"Correspondance Grothendieck-Serre"という本を御存知でしょうか。2001年にSMF(フランス数学協会)から出版され、2003年にはAMS(米国数学協会)から仏英2か国語版が出版されました。この本は出版後、何年前か忘れましたが、グロタンディーク氏が自身の著作権を有するものは出版を今後一切認めないという宣言によって、現在は仏国内では絶版ですが、AMSの仏英2か国語版の方はまだ入手可能なようです。いずれにせよ、持っている人にとって貴重な現代数学史の資料となるでしょう。私も2001年出版直後フランス国内にいた知人を煩わせて入手しました。
この本は和訳されませんでしたので、日本のいわゆる数学愛好家には殆ど知られていません。おかげで的はずれな自己陶酔的知ったかぶり素人書評を見ずに済むし、何よりも検索件数が少ないことは大いに喜ばしいことです。つまり、なるほどと思える専門家による書評に絞ることが出来ます。
本にはグロタンディーク氏が位相ベクトル空間から代数幾何学へと分野替えの真っ最中の1955年に始まり、主として1969年までのセール博士との文通が収められています。セール博士は当時(今でもそうですが)世界一の数学者であり、代数トポロジーの若き権威でした。対してグロタンディーク氏は位相ベクトル空間に素晴らしい業績を残したけれども、代数トポロジーは勿論のこと、代数幾何学はおろか、函数論の初歩も知らなかったのではないかと思わせる有様でした。昨今の馬鹿学生でもしないような質問、例えば、リーマンのゼータ函数の零点は無限個あるのかとセール博士に聞いているのですね。よくグロタンディーク素数の話を知ったかぶり数学愛好家の間で話題になりますが、あれは全く信憑性がありません。対してリーマンのゼータ函数の零点云々の話は事実です。グロタンディーク氏の見当違い質問にでもセール博士は辛抱強く対応しています。これがグロタンディーク氏でなければ、「大学に戻って勉強し直して来い!」と言われても不思議でないレベルです。天才が天才であるのは知識が無くても、一流の数学者から手紙を通じて学び、あっという間に数学最前線に立てるのです。そこが凡才とは違うところです。もし相手がセール博士のような一流でなければ、グロタンディーク氏の分野替えはもっと遅れただろうと思います。
この本に関していろいろな書評があるのですが、二人の数学者を直接知っており、しかも情愛を感じさせる書評として、John Tate博士の書いた書評(PDF)が最も好きです。John Tate博士のことはくどくど申し上げるまでもないでしょう。その私訳を以下に載せておきます。

[追記: 2019年03月20日]
このペィジは2012年03月25日に某サイトに載せたものです。従いまして、当時生きていたリンクも現在ではリンク切れになっている可能性があります。

[追記: 2019年12月28日]
グロタンディーク氏の数学コミュニティとの決別に関して論じたものとして"グロタンディーク: 決別の神話"があります。

書評 グロタンディークとセールの文通書簡
2004年3月 John Tate

この本は、1955年から1969年までのグロタンディークとセールとの間で行われたコラボレーションの詳しい状況を私達に見せる。その当時、彼等は代数幾何学における革命的発展に重要な役割を果たした。本はその期間の約80通の本質的に手が加えられていない手紙と80年代半ばからの2,3通の手紙を含む。手紙を保存したセール、Jean Malgoireを通じてグロタンディークから公開の許可を獲得し、手紙をTeX化する学生達を組織したPierre Colmez、それらの学生達の頑張り、そして、書簡の公開に応じるための新しい本のシリーズDocuments Mathématiquesを造ったフランス数学協会のおかげである。本は、グロタンディークの2つの手紙(一つは手書き、一つはタイピングされているもの。手紙のTeX化は必ずしもありきたりの作業ではないことを示している)の再生も含めて、美しく読み易く印刷されている。セールは、明確でない論及を説明する脚注を加え、言明が誤りであることを注意し、手紙の中で作られた予想の出来る限りの結果を示唆している。
セールとグロタンディークのどちらかがパリ地域にいない時のみ手紙が書かれたので、残念ながら手紙による歴史的記録は空白に満ちている。彼等両者が共にパリにいた時は電話を長時間使用した。それらの会話が録音されなかったことに遺憾と思うことしか出来ない。しかし、完全な歴史的記録を与えなくても、手紙は彼等が共にどのように考え、どのように作業したかについて知識を与えている。彼等のコラボレーションは両者が非常に異なった考えを持つので実りあるものとなった。つまり、グロタンディークは大きな構想に導かれて、楽天的に自分で突進し、すべてのことを最も一般的な状況で考え、時には早まって詳細を見過ごす。一方セールは驚く程の文献と特殊例を持ち、特殊と一般性のバランスを保ちながら詳細には注意深く、いつもグロタンディークを正しいコースに戻すための具体例と反例を構築する用意がある。

代数的連接層
手紙によるコラボレーションは1955年の1月に始まる。セールはカルタンセミナーで複素解析多様体に非常に便利な層の理論がザリスキー位相の気色悪さにも拘わらず抽象代数幾何学にも役立つことが分かっている。その分野について彼は論文'Faisceaux Algébriques Cohérents' (FAC)[訳注: "代数的連接層"]を書き終えている。グロタンディークは代数幾何学のため位相ベクトル空間を捨てる決断をする。初期の手紙で、グロタンディークはセールに質問攻め(無知な質問やそうでないものも)をし、それにセールは忍耐強く回答する。議論のほとんどが層に関係する。
グロタンディークは彼自身のアーベルカテゴリ、導来ファンクタ、層コホモロジーのいろいろな理論、スペクトル列...彼のみが出来る考えを展開している。彼の要約は後に'Sur quelques points d’algèbre homologique'[訳注: "ホモロジー代数のいくつかのポイントについて"]として1957年東北數學雑誌に発表された。1955年の終わりまでにグロタンディークはセールにほとんど明らかでFACに暗に含まれていると言って、セール双対の一般定式化を説明している。セールは代数的及び解析的な場合の両方で双対を述べる良い方法だと言って、この定式化に興奮する。FACを終えたので、セールはGAGA 'Géométrie Algébrique et Géométrie Analytique'[訳注: "代数幾何学と複素解析幾何学"]で双対を続け、射影多様体に対して解析的連接層は代数的連接層と'同じ'であることを証明する。

可換環のベストなカテゴリ
必ず環において制限が伴うけれども、Schemeは既に知られていた。1955年2月セールは、すべての素イデアルが極大イデアルの交わりであるような可換環のスペクトルにおいて連接層の理論が働くと述べている。一年後グロタンディークは、ネーター環のスペクトルを密着させて作られる数論的多様体における準連接層のCartierによって導入される技術的に便利な概念のことを語る。しかし、それはネーター環の条件を落としスペクトルですべての素イデアルを含むべきであるとグロタンディークが認識する2年よりも前だろう。セールが脚注で書いているように、結局可換環のベストなカテゴリは可換環全体のカテゴリである。
今まで、コラボレーションの最初の2年間(55ページをカバーする27通の手紙によって示される)に含まれる数学の非常に大雑把で不完全な記述をして来た。議論の議題は主に基礎的なものだった。次の7年間は約85ページで26通の手紙の交換があった。これらの年月の間議論されたトピックスの一部は、グロタンディークのリーマン-ロッホ定理の証明、1958年に始まった彼の書いているÉléments de Géométrie Algébrique(EGA)[訳注: "代数幾何学原論"]の進捗、セールの幾何的類体論、グロタンディークの基本群の理論(Schemeの最初の大きな成功の一つ)、ヴェイユのスカラーファンクタの制限、有限体上多様体のゼータ函数の有理性に関するDworkの証明についての驚くべきニュース(1959年)、一般ヤコビアンと局所シンボル、1961年のパリにおける数学の(悲しい?)状況、p進リー代数、すべての非特異的多様体は'良い'開集合で被覆されるというM. Artinの証明、高分岐の場合において曲線上のエタール層のオイラー標数を特異点で表現する式の局所不変量(グロタンディークにリクエストされ、セールが回答したSwan表現)。

文通の劇的増大
1964年には突然一年で22通の手紙がある。テーマは代数的サイクルで、トピックスはより数論的になっている。セールはグロタンディークにWoods Hole Summer Instituteの広範囲に渡る報告を書いている。すなわち、Woods Hole不動点式、楕円曲線のOggによる研究に啓発された局所体上多様体のl進コホモロジーにおける予想、ゼータ函数の代数的サイクルと極における私の予想、形式群、セール-Tateの定理、セールの標準リフト。翌月以降の議論の殆どが、この報告とセールからA. Oggへの手紙(アーベル多様体とその的確な系の良い縮小のためのOgg-Néron-Shafarevich判定条件と、セールが"無知"と呼ぶ問題、すなわち基礎体の有限拡大の後、アーベル多様体のNéronモジュールの特殊ファイバの連結成分はトーラスによるアーベル多様体の拡大なのか、を知らせている)によって活気づいている。グロタンディークはセールが"無知"と呼ぶ問題に関心を持っていないが、後にそれを証明する。ゼータ函数とL-函数の議論が多い。
グロタンディークは零サイクルを議論し、彼が"motive"と呼ぶ新しい概念を導入する。"motive"は彼の偉大な貢献の一つとなる。直ぐ後にmotive的ガロア群を得て、1965年の早期に彼は"標準予想"を定式化する。

さよならグロタンディーク
コラボレーションは終わりに来ている。数学的アイデアを交換する3通ものの手紙がある。最後の1969年1月のグロタンディークからのものには、Steinbergの定理についてセールが彼に語っていることに対しての考えを含む。グロタンディークがEGA執筆を断念し、数学界から引退して間もなくだった。
本の残り、1980年代半ばからの6つの手紙は読むのが悲しい。グロタンディークは孤立化し、Récoltes et Semailles[訳注: "収穫と種蒔き"]を書き始めている。Récoltes et Semaillesは、彼の数学的人生と元学生、旧仲間の態度についての敵意むき出しで、いくぶん妄想的な取止めのない弁明である。グロタンディークはそれを彼等に送付している。セールは最初の章を受けて、コメントをグロタンディークに書く。グロタンディークはセールが好意的に取っていると分かるが、不賛同点については拒絶し、セールはいつも自己反省を毛嫌いしていることを知っているからだと言う。その返書で、セールはグロタンディークが数学プログラムを放棄した理由を訊ね、思い切って2つの推測をぶつけている。すなわち、EGAを書くこととセミナーが重荷になったのか? または、もう一つはより深刻な問題だが、大きな一般理論を構築するグロタンディークの数学的手法が位相ベクトル空間と代数幾何学に対しては非常に上手くいくが、数論とモジュラー形式の問題に対してはさほど効果が無いこと(60年代後半にはうすうすと認識されていたし、その時にグロタンディークは数学プログラムを放棄した)を認めたからか?
1986年の終わりにセールはグロタンディークに最後の数学的手紙を書く。その手紙は、次数2のモジュラーガロア表現についての彼の予想の説明と1987年がグロタンディークにとっていい年であることを願っている。グロタンディークはその返書で、セールの気遣いに感謝するが、頑張ってやるほどの価値はないと書いている。彼は自身のプロジェクトがあり、興味は無いが、セールにとって1987年の多幸と研究の成功を祈っている。勿論本は将来の20世紀数学史家にとって偉大なリソースになるだろうが、それよりもっと重要である。今日の読者には、非常に異なった数学的時代の感触と二人の達人の友情の中で高レベルな数学的アイデア交換の場に居合わせているユニークな機会を与えている。

コメント

このブログの人気の投稿

ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する

今回紹介するのは abc 予想の証明に関する最近の動向を伝えている記事です。 これを選んだ理由は素人衆が知ったかぶりに勝手なことを書いているのをネット上で散見するからです。ここで言う素人衆は日本のメディアはもちろんのこと、馬鹿サイエンスライターも当然含みます。昨年末(2017年12月16日)に某新聞が誤報に近いことを報道したことも記憶に新しいでしょう。そんな情報に振り回されないために今回の記事です。 今回の記事は正確かつ公平だと私は思いました。私の友人共の何人かは、この方面の専門家だから門外漢の私はいろいろなことを教えてもらいました。その上での感想です。 その方面の専門家でなくても数学の研究者なら望月論文は無理でもレポートは読めるはずなので、もっと詳しく知りたい人はレポートを読んで下さい。 前置きはこれくらいにして、紹介する記事は" Titans of Mathematics Clash Over Epic Proof of ABC Conjecture "です。その私訳を以下に載せておきます。 [追記: 2018年10月06日] ここに至るまでの経緯については" 数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明 "を読んで下さい。その記事は2015年12月にオックスフォードで行われた望月論文に関する初めての国際的ワークショップより前の話が書かれています。 このワークショップはいろいろ評価が分かれるけれども、私が聞く限り、大失敗だと言う人が多いです。実際、私の海外の知人の一人がワークショップに参加しており、ボロクソに言ってました。 このワークショップを境に、海外特に米国では望月論文を理解しようとする熱意が急速に薄れたように感じますし、ショルツ、スティックス両博士の異議申し立てが出るまで実質何の音沙汰もない状態でした。 [追記: 2018年10月23日] 私の友人共に指摘されたのですが、この記事の私訳を読む人の殆どが日本の全くのド素人なんだから、たとえ原文に記載されていなくても誤解を生じさせないように訳者が万全を期するべきだと言われました。 記事に出て来る Publications of the Research Institute for Mathematical Sciences (略してPRIMS)...

数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明

前回紹介した" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "はもちろん一般大衆向けの記事です。数論、数論幾何学、IUTT(宇宙際タイヒミュラー理論)のいずれかの専門家なら、そんな記事を読まなくても、そこまでに至る経緯は十分に承知しています(何故なら自分達の飯の種を左右する問題だから)。その方面の専門家でなくても数学研究者なら数学コミュニティ又は数学界を通して大概の経緯を聞き及んでいます。 私の身辺(私の友人共はすべて何らかの形で数学研究に携わっているので、それらを除きます)でその記事を読んだ感想は"そんなに拗れるのは不思議だ。もっと経緯を知りたい"というのが多かったです。その身辺の彼/彼女等はもちろん素人衆ですので、望月新一博士の名前も報道でしか聞いたことがないし、数学で何故これほどまでもつれるのか不思議でならないそうです。彼/彼女等は至って真面目です(何故こういう事を書くかと言うと、素人衆と言っても千差万別で、中にはネット上で国家高揚か日本民族高揚のために望月博士のことを書いているとしか思えない不逞の輩がいるからです)。そこで、それらの真面目な人達のために今回紹介するのは2015年10月の Nature 誌に載っていた" The biggest mystery in mathematics: Shinichi Mochizuki and the impenetrable proof "です。 何故これを選んだかと言うとエンターテイメント性があり、素人衆でも面白く読めるだろうと思ったからです。但し断っておきますが、いろいろな数学者の証言を繋ぎ合わせて望月博士の心情を勝手に推測するのははっきり言って妄想であり、さすがエンターテイメント性を重視して堕落した Nature 誌だけのことはあると私は思いました(あのSTAP論文を掲載したことも記憶に新しいでしょう)。 その私訳を以下に載せておきます。 [追記: 2018年10月06日] この記事は2015年12月に行われたオックスフォードでのワークショップより前の話です。このワークショップは望月論文に関する初めての国際的な会合で、この記事でもこのワークショップにかなりの期待を寄せているところで終わっています。 しかし、いろいろ評価が分かれ...

谷山豊と彼の生涯 個人的回想

数学に少しでも関心のある人なら、フェルマーの最終予想が、これを含む一般的な志村予想を証明することによって解決されたことは御存知でしょう。この志村予想は、かって無知と誤解によって谷山-志村予想と呼ばれていました。外国では更に輪をかけて(と言うよりもアンドレ・ヴェイユの威光によって)谷山-志村-ヴェイユ予想と呼ばれていました。ヴェイユがこの予想に何ら関係しないことは、故サージ・ラング博士によって実証されました。それでも、谷山-志村予想もしくは谷山予想と呼ぶ人がまだ散見されます(散見と言いましたが、日本人ではかなり多いです。国民性に依存するのかどうか知りませんが)。私は数論を専攻したことがなく、ずぶの素人ですが、志村博士が書かれた記事や自伝"The Map of My Life"を読み、何故志村予想なのか納得しました。ここで込入った話を書くことは不可能なので、分り易く言えば、故谷山氏は何ら予想の内容にタッチしていないと言ってもいいかと思います。勿論、その周辺は谷山氏の研究分野でしたから周辺にはタッチしていたでしょうが、志村博士は全く独立にきちんと予想を定式化しました。ですが、谷山氏と志村博士はいわゆる盟友関係であり、また谷山氏の不幸な亡くなり方を悼む日本人的感情(つまり、センチメンタル)から日本人は谷山-志村予想と頑なに呼んでいるのだと私は理解しています。ですが、これは数学なのであり、事実を直視しなければいけないと思います。また、最終的に志村予想は証明されたのですから、何とかの定理と呼ぶべき時期だと思います。この"何とか"に何を冠するかはいろいろ意見があるようですのでこれ以上は触れないでおきます。 さて、志村博士の"The Map of My Life"の第4章、18節に"18. Why I Wrote That Article"があります。ページ数で言えば145ページ目です。タイトルが示している"あの記事"とは、志村博士が英国の専門誌 Bulletin of the London Mathematical Society に発表した" Yutaka Taniyama and his time, very personal recollections ...

識別の危機

昨年紹介した" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "の元記事はもちろん大衆向けのオンライン科学ジャーナル Quanta Magazine に掲載されたものですが、著者はErica Klarreich女史です。彼女はサイエンスライタではあるけれども、歴とした数学者です。しかも、幾何的トポロジで彼女の名前を冠した定理を持つくらいの立派な方です。何故こういうことを書くかと言うと、IUTを支持するイヴァン・フェセンコ博士がKlarreich女史をいかにも素人呼ばわりした非常に下らないドキュメントを書いたからです。大学にポストを持っていなければ全員が素人なんですかと問いたいくらいです。これでは世界からIUT自体が白眼視されるのも無理からぬことだと思いました(本当のところは全く違う理由からなんですが、話せば切りが無いので止めておきます)。 さて、今回紹介するのはディヴィド・マイケル・ロバース博士が書いた記事" A Crisis of Identification "です。ロバース博士と言えばショルツ、スティクス両博士のリポートが公開された直後からキャテグリ論の専門家として非常に冷静な分析をされていたことに私は感心してましたから直ぐに記事を読みました。一つの不満を除いて非常によく書けていると思います。" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "も勿論読み応えのある立派な記事でしたが、どちらかと言うとドキュメンタリ風の記事でしたし、読者層が一般大衆であることを考慮してあまり数学を前面に出していませんでした。ロバース博士の記事はもう完全に数学を前面に出しています。 前述した一つの不満はグロタンディーク氏のことにスペィスを割いて結構触れていることです。今のABC予想の置かれている状況とはあまり関係がないと私は思いました。やはり大衆受けを狙ったのかと感じました。まぁ、日本でも素人には何故かグロタンディーク氏は大人気ですから(捏造されたエピソゥド、つまりグロタンディーク素数がどうたらこうたらに踊らされて?)、それはそれで良いのかも知れませんが。 前置きはこれくらいにして、この記事の私訳を以下に載せておきます。なお著者の注釈欄を省いていますが、注釈へのインデクスはそのままです。 [追...

数学教育について

聞くところによれば、関数型プログラミング言語の流行とともに数学の圏論がブームだそうで。圏の概念が他の数学の分野を全く知らない人でも意味が分かるのか疑問を持っています。その理由は後で述べます。 私の手許に故Serge Lang博士の名著"Algebra"があります。この本は理由があって、何と大昔の1974年の初版第6刷です。非常に貧しい学生だった私に恩師が2冊持っているからと言って1冊を下さり、私の生涯の宝物です。 仮に数学を代数学、幾何学、解析学という全く意味が無い区分けをしたとします。意味が無いと言うのは、例えば多様体論なんかはどの分野にも入るからです。そうであっても無理に区分けしたとしましょう。この3分野のうちでも、代数学(厳密に言えば抽象代数学です)が、勉強するだけなら(あくまで勉強するだけですよ、研究となれば別の話です)数学的予備知識も数学的センス(故小平邦彦博士の言うところの"数覚"、位相群で有名だった故George W. Mackey博士の言うところの"数学的成熟度"、まぁ簡単に言えば数学的才能ですね)も全く必要としません。必要なのは論理を追うための忍耐力と言えます。ですから、理解出来るか否かは別にして、代数構造を"言葉"として吸収することは誰にでも出来ます。数学のどの分野を専攻してもLang博士の"Algebra"程度の知識は"言葉"として知っていなければ話にならないのです。数学での代数学は、私達が日本語や英語等でコミュニケーションするのと同じく、数学の言語なのです。 Lang博士の"Algebra"には、第1章群論の第7節に早くも"圏と関手"が登場します(ページで言えば25ページ目です)。ついでながら、この圏、関手という日本語は全く元の英語が想像出来ないので、以降カテゴリ、ファンクタと書きます。 ところで、Lang博士はブルバキにも入っていた人ですから、こういう抽象度が高い概念を重要視しているかと思いきや、決してそうではないのですね。元々カテゴリ、ファンクタ(ファンクタの方が重要な概念でして、カテゴリはファンクタが扱う対象物です)は、ホモロジー代数の一部として提案された概念です。ホモ...