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ポアンカレ: 数学と論理と直観

何年か前に友人共の一人が、線型代数の年度末考査の問題の一つとして以下のような問題を出したことがありました。

(問題)
n次(n≧2)正方行列AがrankA=1(rankAはAの階数を意味するとします)ならば、あるスカラーaが存在して、Aの最小多項式がx2-axになることを示せ。

線型代数の基礎事項を真面目にやっていて、固有値と最小多項式の関係を思い起こせば、どんな学生でも出来るはずの問題です。要は固有値が0とa(aが0の場合は固有値は0一つだけ)だけであることを言えばいいのです。私が瞬間的に思った解法を初学者にも理解出来るよう以下で詳細に書きますが、試験の際にはここまで詳しく書く必要はありません。

(解法1)
n次元ベクトル空間をV、その次元をdimV、Vの任意のベクトルxの像Ax全体の集合をA(V)、その次元をdimA(V)、Ax0となるようなx全体の集合をKerA、その次元をdimKerAと書こう。なお、念のために補足するならば、rankA=dimA(V)、A(V)⊆Vである。
先ず、rankA=1だから、A≠0。
dimV=n=rankA+dimKerAだから、dimKerA=n-1≧1。よって、ゼロベクトルでないxがKerAに属して、Ax=0x0となり、固有値0が存在する。
rankA=dimA(V)=1だから、A(V)には一個の基底bがあって、bが張る一次元部分空間をL(b)とすれば、A(V)=L(b)となる。
ここで、以下のように2つの場合を分けて考える。
(Ⅰ) Ab0である場合(つまり、b∈KerA。念のために言えば、この場合は問題文中のaが0の場合)。
{x∈V|A2x0}という集合をGとすれば、明らかにGはVの部分空間である。KerAに属さない任意のx∈Vに対して、Ax0であり、cを0でないスカラーとしてAx=cbだから、A2x0。よって、x∈G。そして、明らかにKerA⊂Gである。すなわち、V=Gが結論される。結局、Vの任意のベクトルxについてA2x0となるから、A2=0。A≠0だから、xは最小多項式ではなく、x2が求めるものである。
(なお念のために言えば、Gは固有値0に対する高さ2の一般固有空間である)。

(Ⅱ) Ab0である場合(つまり、bがKerAに属さない)。
Ab=abによってスカラーaを定めれば、このaは0でない。よって、固有値aが存在する。
0とa以外に固有値が存在しないことはrankA+dimKerA=nにより明らか。また、L(b)が固有値aに対する固有空間、KerAが固有値0に対する固有空間であることも明らか。従って、VはL(b)とKerAの直和である。A(A-aE)=A2-aA=(A-aE)Aなので、任意のx∈Vに対して、A(A-aE)x0が成立する。よって、A(A-aE)=0。
ゼロベクトルでないx∈KerAに対して、(A-aE)x0だからA-aE≠0は明らか。A≠0だから、xもx-aも最小多項式ではなく、x2-axが求めるものである。

ごらんの通り、解法1は固有値の概念を前面に出しています。私が問題を聞いた瞬間に抱いた行列Aのイメージ(勿論、適当な正則行列PでP-1APとした後のイメージ)は、上記(Ⅰ)の場合には(1,2)要素のみが1でそれ以外は0であるジョルダン標準形、(Ⅱ)の場合には(1,1)要素のみがaでそれ以外は0の対角形でしたので、そのイメージに支えられてスケッチして行けば、当然上のような解答になります。固有値と最小多項式の関係もすぐに見て分かるでしょう。非常に長いように思われるかも知れませんが、これは初学者にも理解出来るように説明的に書いたからです。
しかし、私も非常に短い期間でしたが、教鞭を取ったことがあって、学生全員が必ずしも真面目であるとは言えないことを充分知っていたし、まして理工系学生が線型代数という基本科目を単位取得出来なければ恥だという以上に、将来的進路の問題に重要な影響を持つことは間違いないと思いましたから、全員が正解を書くにはちょっと敷居が高いのではなかろうかと心配した瞬間、別の解法が頭に浮かびました。この解法は、いわば救済措置と言ってもいいくらい計算的であり、行列の階数の理解と最小多項式の定義を形式的に知っているだけの学生でも書けるだろうものです。

(解法2)
rankA=1だから、ゼロベクトルでない列ベクトルa=[a1,a2,・・・,an]T(Tは転置操作を意味する)を列として、A=(c1a,c2a,・・・,cna)と書ける。ここで、スカラーci(1≦i≦n)のうち少なくとも一つは0でない。
A2=AA=A(c1a,c2a,・・・,cna)=(c1Aa,c2Aa,・・・,cnAa)。
a=c1a1+c2a2+・・・+cnanとして、Aa=aaとなる。よって、
A2=(c1aa,c2aa,・・・,cnaa)=aA。A2-aA=0。

A≠0だからxは最小多項式ではない。
a=0ならx2が最小多項式である。
a≠0の時、仮にA-aE=0とするなら、A-aE=0の対角要素は、c1a1-a=0,c2a2-a=0,・・・,cnan-a=0だから、これらを辺々加え合わせると、a-na=0。すなわち、a(n-1)=0となり、n≧2だからa=0でなければならなくなり矛盾する。よって、a≠0ならばA-aE≠0なのでx-aは最小多項式ではなく、x2-axが求めるものである。

解法2は、固有値と最小多項式の関係どころか殆ど何も教えない代物ですが、もっと言えば単なる計算に過ぎません。ただ最低でも階数の概念だけは把握しておいてほしいという友人の切ない救済措置だと推測されたので、その友人に後で意図を聞きました。私の考えた通り図星でしたが、この問題のみに関して言えば、解法1なら優をつけるが、解法2なら可をつけるつもりだったそうです。年度末考査なのですから、教官は学生の線型代数全般の理解度を見たいのです。解法には大げさに言えば理論全般を駆使すべきであって、もし上記の解法の2つとも思いついたけれども、あえて解法2を選んで書いた学生がいたならば、私はその学生の常識を疑いますし、結論にある最小多項式の形を見れば行列の形がどういうものか自然にイメージ出来るはずだと思うので、固有値を前面に出さない方が不自然です。
私がこれを長々と書いたのは、友人の教育的配慮を誉めたいがためではありません。当たり前のことですが、数学というものはただ単に問題を解ければいい、計算が合っていればいい、論理に間違いが無ければいいというものではないことを言いたいために、低学年の学部レベルの人にも理解出来、非常に具体的な例のつもりで書きました。そういう意味で、大げさに言えば私は直観主義を無意識に支持しているのかも知れません。
さて、先日の日誌で"ゲオルク・カントールと超限集合論闘争"と"アンリ・ポアンカレ。科学の貢献での伝記"を紹介しました。それらの記事を楽しく読みながらも、私には少し違和感と言うか、何かすっきりしない感触を受けたことを白状します。その理由は以下に述べることにあったと思います。
ポアンカレがはじめは集合論に反対したことは私も以前から知っていましたが、その理由については全く知らないことに気がつきました。ポアンカレはリーマンと同じく「そこに数学的自然が見えている」典型的な人だと思うので、余計に理由を知りたくなりました。リーマンとポアンカレは余りにも数学が見え過ぎているので、結構証明にいい加減なところがあります。彼等からすれば、そこに見えているものを何故わざわざ"厳密な証明"(これは何を意味するのか議論しだすときりがありませんので、ここでは軽く流してください)を要するのかと思っていたのでしょうか。
集合的な考え方は、分類のように人類が生来持っている概念であることは明らかですから、無限集合に可算濃度と非可算濃度の概念を持ち込んだことがポアンカレの数学観もしくは審美に合わなかったのではなかろうかと考え、ちょっと資料漁りをしました。その過程で面白いと思ったのが、Colin Mclarty博士の"Poincaré: Mathematics & Logic & Intuition"です。記事を読んで、ポアンカレが集合論に反対したことは噂レベルを超えず、少なくとも私が思っていたような皮相的な理由からではなかったことが分かりました。カントールと敵対したのではなく、特にツェルメロに敵対したことは初耳で、一種の驚愕を禁じ得ませんでした。記事は哲学系の雑誌に掲載されたことから、哲学もしくは基礎論方面の素養が全く無い(だからと言って、これらの分野を勉強したいとも思いませんけど)私にはよく分からない個所も多々ありましたが、細かいことは脇に置いといても結構楽しく読めました。その記事の私訳を以下に載せておきます。

[追記: 2019年03月21日]
このペィジは2012年12月27日に某サイトに載せたものです。従いまして、当時生きていたリンクも現在ではリンク切れになっている可能性があります。

ポアンカレ: 数学と論理と直観
1997年 Colin Mclarty

だが、私達はどうやって厳密を達成して来たのか? 科学において直観の部分を抑制すること、そして形式論理の部分を増やすことによっている...私達は完全な厳密を成し遂げて来た。(ポアンカレ 1899年、129)

存在という言葉は数学で何を意味するのか? いいかい、矛盾が無いことを意味するのだよ。(ポアンカレ 1905-06年、297/474)

ポアンカレの数学哲学についての最近の研究は、ポアンカレのラッセルとの論争、ブラウアーへ抱いている親近感を解明している。しかし、もう一つ別の側面がある。ポアンカレの論理に関する考えはラッセルと非常に似ており、ラッセルから借りていることを認めている。幅広い見解が'彼の基礎に関する論文は彼が活動的な数学研究とは関係が無い'(Goldfarb 1988, 62)または'彼の[数学に関する]哲学的コメントは専ら基礎数論、集合論、論理に集中している'(Folina 1992, xi)という意見を改めている。そして、Detlefsenのポアンカレの直観に関する1992年と1993年の説明をポアンカレの直観数学運動に関連付け出来る。
3つの種類の直観主義、banalexpansiverestrictiveを対比しよう。banalは単に研究と教育は形式的な厳密を超えたもの、たぶん'モチベーション'を必要とすることを言っている。expansiveは数学の実際的内容は形式化を超えていると主張している。restrictiveは直観を受け付けないとして、ある標準的数学を拒否している。ポアンカレはexpansiveな直観主義者だった。彼の問題(我々がここで引き継ぐもの)はbanalへ陳腐化することを避けることだった。彼はrestrictiveではなかった。古典的数学に何も反対しなかった。標準形式論理を数学における厳密の保証人と考えた。彼は基礎的混乱に対するペアノ、ラッセル、Couturatの新しい記号論理学の困難と犠牲を理解した(将来的な再構築の期待を除いて、ラッセルに非常に賛同している)。カントールの集合論に殆ど反対しなかったし、それを使った始めての人の一人だった。ツェルメロの公理(選択公理に対する最新の野心的なものを別にして)に対する反対は、何故これらの公理が選ばれたのか(特に主要な術語がはっきりしない時には)、矛盾の無い証明または信念に基づいた説明無しに形式的な公理を信用する気が無かっただけだった。

1. ポアンカレが論理のために戦う
ブラウアーが以下のようなことを書いた時に、ポアンカレが正しく、ラッセルが間違っているとした:

ポアンカレの批判の唯一の拠り所である直観的構築を彼が全く取っていないことを、以下の彼の言葉から分かる: '数学は実体の存在から独立している。数学において存在という言葉は唯一の意味だけを持てる。すなわち、無矛盾を意味する' それは彼の敵対者ラッセルによって書かれていたことだったかも知れない。
(ブラウアー 1907, 96, ポアンカレの1905-06, 819/454からの引用)

ポアンカレは論理主義者を良く理解し、存在証明に矛盾があることでCouturatを咎めた(1905-06, 297/474)。
算術化連続体を定義した後、ポアンカレは'可能とは幾何学の言葉で無矛盾を意味することを忘れなければ、誰もその操作の可能性を疑う者ははいないだろう'と言って、構築的定義の要求を退けている(1893, 27/44)。彼はまた以下のように非ユークリッド幾何学を擁護した: '定義が矛盾でなければ、数学的実体は存在する'(1921, 61)。彼はそのようなことを繰り返し言っている。考えられる彼の反対の立場については第7節以降で見よう。
彼は直観への解毒剤として論理を重んじた:

私達は厳密へ進歩して来たことが分かる。厳密を達成して来たし、私達の推論[多くの古い証明に反して―Colin Mclarty]が子孫に馬鹿げていると思われないだろうことも付け加えておきたい。勿論私は私達を満足させている推論に関係している。
だが、私達はどうやって厳密を達成して来たのか? 科学において直観の部分を抑制すること、そして形式論理の部分を増やすことによっている。前は、簡約出来ない原理的で直感的なものとして見なして多くの概念から始めた。数、分数、連続量、空間、点、線、面の概念等がそのようなものであった。今日、数の概念だけが残り、他のすべてが結合に過ぎない。この対価を払って、私達は完全な厳密を成し遂げて来た(1899, 129)。

ポアンカレはヴァイエルシュトラス流の解析学の明晰性と生産性を良く知っていた。彼が以下のことを言っているとよく引用されている: 'これまでは新しい函数が造られた時、実際目的のためだった。今日、先祖の推論が間違いであると言うがためにわざわざ造られている。それらからはそれ以上のものは決して得ることはないであろう'(1899, 130, 1904, 264/435にも繰り返されている)。だが、批判も相当で、あまり有名でないけれどポアンカレはその必要を断言した: '先祖は分数とは、または連続とは、または曲面の面積とは何であるか分かっていると考えた。だが、先祖が分かっていなかったことが判明して来ている'(1904, 265/437)。
彼がいかに真剣だったかを見るため、以降で引用される彼の数学研究においてどのように曲面の基礎を明確化しているかを見よう。
これに関する多くの文節のもう一つはポアンカレ自身の研究に関するコメントを含んでいる:

さて、今日の解析学において、厳密にしようと思う時、この純粋数の直観(私達を騙せない唯一の直観)に対する三段論法または要請がただ存在出来るだけである。今日、完全な厳密を達成していると言ってよい(1900, 122/216)。

2. ポアンカレのスタイル
ポアンカレは厳密にしようと努めなかった。有名な論文のシリーズ'微分方程式で定義される曲線'(全集, Vol. 1, 1-222)は、新しく解析的な定理の輝かしい並びを提示している。証明はせっかち、またはヴァイエルシュトラス流の方法により手付かずで省略されている。多くの記述されている定理は明らかに間違っている。それらは曖昧な'一般的な場合'という意味合いで'一般的に真'であると仮定されている。その後、殆どが相当な労力で厳密に詳述されている。あるものは全く間違っている。あるものは概略的な命題と証明から解釈することは不可能である。そして、この研究が現代の位相力学系の始まりだった。
同じく有名なシリーズ'位置解析について'(全集, Vol. 6, 189-498)は連続体を極めて難解に論じ、またも明確な定義は無く、重要な点は間違っている。画期的な間違った結論と明らかなエラーはDieudonné 1989に文書化されている。そして、これが代数トポロジーの始まりだった。
ポアンカレは'関心'を他の事に費やしながらも、多くの間違っている証明を発表したことを知っていた。'私達を満足させている推論'という彼のトークは彼自身の研究に対する皮肉な対照だった。彼の原理において、間違った証明は無価値だが、余りにも文字通りに無価値ではない:

数学で厳密がすべてではないが、厳密無くして何も存在しない。厳密でない証明は空である。誰もこの真実に異議しないと思う。だが、それを余りにも文字通りに取るならば、例えば1820年より前には数学は無かったと結論しなければならないだろう。これは明らかに行き過ぎであろう。その時期の幾何学者は、私達が冗漫な論文で説明することを自発的に分かっていた。これは彼らが厳密を全く理解していないことを意味しない。だが、彼等は性急に厳密を省いたが、厳密を見ることは骨の折れることを必要としたからであろう(1908, 171/374)。

ポアンカレの学位論文の指導教官であるダルブーは次のように語る: 'ポアンカレの研究の方法の明確なアイデアを与えたいと思うならば、彼の学位論文の多くの点が訂正または詳説を必要としたことを言わなければならぬ。ポアンカレは直観的な人だった。かって会議で、彼は決して後を振り返らないと言った'(Darboux 1913, xxi)。ポアンカレはダルブーが質問したことについて訂正したが、彼がやった他のことを考えていると言った。
ポアンカレの力は著しい直観である。彼の甥が次のように書いている:

彼の理解するところの研究は決闘でなければならなかった。一時的で反抗的な真実との白兵戦であり、白兵戦では心臓一突きを狙う。そんな闘いにおいて、証人のいる余地が無い。発見の道具である直観は心と真実の直接的(仲介者のいない)な交流である(Boutroux 1921, 148)。

3. 直観: 3つの数学的実例
Goldfarbがそれを見つけている:'ポアンカレにとって数学的真実が直観によって与えられると言明することは、私達がその真実を認識するけれど、その真実に対する議論を必要としない、または必要性を感じないと言っているも同然である'(63)。だが、ポアンカレの実例は他のことを示す。彼の甥の'決闘'というイメージはその点に近かった。
一つの実例は特に豊穣な歴史を持つ(Monna 1975, Bottazzini 1986の付録を参照):

直観の役割の2番目の実例として、数理物理のとても多くの定理が支えられているディリクレ原理を取ろう。現在、非常に厳密だが非常に長い推論によってディリクレ原理は確立している。今までは、それに対して大雑把な証明で満足していた。任意の函数に依存する或る積分は決して消滅するはずがない。従って、極小を持たねばならぬと結論している。抽象的な函数という術語を使い、その術語が最も一般的な意味で使用される時に函数がすべての特異点を表現出来ることを知っているから、この推論の流れは衝撃的である(1900, 119/213)。

この'ディリクレ原理'はリーマンにより名付けられた。それまでは使用されていなかったけれども、リーマンはディリクレから教わった。ポアンカレが引用する議論はディリクレとリーマンやその他によって与えられて、それは明らかに間違っているが、ポアンカレが与えている理由のためではない。
間違いは函数の滑らかさとは関係が無く、以下のことに過ぎない: 積分に対する下界は、積分の一つが極小値を持つことを意味しない。円を取り囲む多角形を比べてみよう。それらの多角形の面積は円の面積によって下に有界だが、どれも極小にならない。関係したすべての人がその点を知っていた。ガウスが止むを得ず、そんな間違った推論を使ったが、出来た時には批判した。その推論を使い、与えられた周囲に対する最大面積を円が持つことをSteinerが証明したことで、ディリクレはSteinerを批判した(Monna 1975, 11-25 と 37-40を参照)。そして、フェリクス・クラインは言う:

リーマンは'ディリクレ原理'のために彼の存在定理を証明することに決定的な価値を置かなかったとヴァイエルシュトラスがかって私に語ったことがあった。だから、'ディリクレ原理'に関するヴァイエルシュトラスの批判はリーマンには特に強い印象を与えなかった(Monna 1975, 34において引用)。

その議論がある見識を与えたとリーマンは思ったと言うより、彼は議論をしなかったであろう。今日の数学テキストの中の部分的または若干濫用的な証明がよくする解説的役割を議論は少なくとも果した。リーマンはおそらく厳密なものを欲しかった。そうしている間に、リーマンは全理論に'決定的な価値'を置いた。すなわち、彼の熟練した予想に広がる、膨大な部分的証明の勢ぞろいと個別に証明可能な結果である。例えば、もうすぐ発表予定のMcLartyの中にあるようにリーマン-ロッホ定理を見よ。
原理に関する他の批判があり、物理的類似を含んで、原理に対する他の議論があった。これらのどれが厳密または価値があるのかはっきりしない。ヴァイエルシュトラスよるもの、ポアンカレによるものを含む様々な結果が解析学における著しい進歩に繋がった(Monna 1975, 43-44)。
非常に一般的な函数に関するポアンカレの言及に戻ろう。リーマンその他による単純な誤信よりも、ポアンカレは、いろいろな未完の証明に現れているように'変分によって定義される函数の連続性に関係する異議'を解決するために苦心している(1890, 33)。
その成果について: 今日の言葉で'ディリクレ原理'は積分に対する極小値があると言っている。関連する'ディリクレ問題'は或る境界値条件が調和函数を定義すること示すことだ。ポアンカレがどれを意味したのかはっきりしない。ポアンカレが相当な一般的境界値条件に対するディリクレ問題を解決したと信じられていた(ポアンカレ 1890を見よ。全集, Vol. 9, 284-88の中でアダマールは'ポアンカレの天分の最も素晴らしい勝利の一つだ'と呼んでいる)。だが、1937年にルベーグによって正されたばかりの技術的過ちがあった。
ディリクレ原理の最初の良い証明はヒルベルトによって1899年9月のドイツ数学会に発表された。ポアンカレは熱心な雑誌読者ではなかったし、上で引用した1900年8月のトーク以前に掲示文書((Hilbert 1900)を見なかっただろうが、その証明を聞いたに違いなかった。
ポアンカレの言う、もう一つの実例として

連続原理によってポンスレが理解したことを知っているだろう。実数に当てはまることは虚数にも当てはまるべきだとポンスレは言った。漸近線が実数である双曲線に当てはまることは、漸近線が虚数である楕円にも当てはまるべきだ。ポンスレはこの国の最も直感的知性を持つ一人だ。彼は熱狂的に、ほぼ見よがしに直感的だった。連続原理を彼の大胆な概念の一つと見なしたが、それでも原理は感覚の根拠に支えられていなかった。双曲線を楕円に同化することは、この根拠にむしろ反することだった。それは、一種の早熟で本能的一般化(もっと言えば、私は擁護する気持ちは無い)に過ぎなかった(1900, 122/215, 原理の概要は原文には無い。 Cf. Kline 1972, 840-845.)。

この原理は述べられているように明らかに間違っている。実数は虚数ではない。双曲線は楕円ではない。だが、正しく解釈すれば、線と円錐曲線の幾何学を強力に統一化した。ポンスレは有名な論争に参加した:

パリの科学アカデミーの他メンバーは原理を批判し、ヒューリスティック的価値のみ持つと考えた。特にコーシーは原理を批判したが、残念ながら彼の批判はポンスレによって作られた応用(その中では原理が働いた)を目指していなかった・・・監獄でポンスレが書いたノートは原理の妥当性を検査するために解析学を使ったことを示す。次いでながら、これらのノートはポンスレによって完結され、2巻に分けて自費出版された。Applications d'analyse et de goémétrie(1862-64)(Kline 1972, 843-44)。

それらのノートは他者を説得するためだけではなかった。解析幾何学上に総合化の推進を狙った。解析学を使って彼の主張を弱めることは、彼の手法(その成功によって議論を組み立てる)を正直に検査していたことを示す(プロパガンダを書くことではなく)。数十年後にパリ数学界の中心にいるポアンカレは、熱狂的に直観的なポンスレがこれらの議論を伴って直観を後退させたことを間違い無く知った。
この原理はやがて複素射影幾何学の中へ変形された。とりわけ、単一非退化円錐曲線の中で楕円と双曲線のマージがある。その更なる発展は3つ目の実例に関係した。その関係についてのポアンカレの研究は辛うじて、その起源だった(特に全集, Vol. 6, 373-434を見よ)。
ポアンカレは自身の位置解析、今やトポロジーを特に好んだ。'幾何学的事実は、他の言葉で述べられる代数的または解析的事実に過ぎない'と言うが、幾何学が何も新しいことを生まないと考えることは'うまく組み立てられた言葉の重要性を認識出来ないだろう':

位置解析の問題は、解析的言葉のみで語られていたならば、おそらく問題自体を提案しなかったであろう。いや、私が間違っているが、それらの問題の解決が解析学での問題群にとって本質だから、問題は確実に発生したであろうが、私達が問題の共通の繋がりを知ることなく次から次へと単独に来たであろう(1908, 180-81/380-81)。

'直観'という言葉を使わずに、この文節は'一つの推論、言わば精神と奥なる生命を作るものの調和を形成するものの直接的感覚'を扱っており、それは(1900, 128/220)の中でポアンカレの直観の説明である。そして、'位置解析・・・は幾何学的直観の真実の領域だ'(1912a 502/42)。
更に、位置解析の各個別の事実は幾何学的直観無しに解析学で証明されたであろうと言っている。直観を持つことは、結果に対する議論の必要を免じもしない。ポアンカレは、よくいい加減だけれども詳細な証明を与えているし、'補完'の中で何度も証明を改善することで、改訂作業に対する彼の一般的ルールを破っている(全集, Vol. 6, 290-498)。
ディリクレ原理、またはポンスレ原理、またはポアンカレの位置解析に対して議論の必要を感じなかった19世紀数学者はそれらから何も学ばなかったに相違なかった。誰も公然と強制していなかった。誰もが正しいわけではなかった。熟練した判断力のみが、それらの使用を語れた。これは、それらを出来る限り探求しチェックすることのみによって得られた。ポアンカレにとっての直観は議論の不必要とは何の関係も無い。

4. 直観: 哲学的説明
ポアンカレは複数の種類の直観について書いた。数の直観は数学的帰納原理を与える。ラッセルもこの原理を総合的判断として取ったことをポアンカレは理解した。ポアンカレは言う:

この点について全員が賛成だろうが、ラッセルが主張すること、そして私が疑問に思っていることは、その目的となるであろう、直観に対する主張[帰納法を含む少数の記号論理学の原理]の後では、他のものを作る必要は無く、何ら新しい要素の干渉無しで数学すべてを構築出来ることだ(1905-06 830/462, 強調は原文のまま)。

記号論理学では、帰納を使って連続体が算術化可能である。これが視覚、触覚、運動空間に関するポアンカレの理論の基礎であり、このエッセイの範囲を超えているが、他のものと並んで(1893)と(1912a)を参照せよ。純粋数学の範疇で、すべての曲線は各点で明確な接線を持つと直観が語る時のように、直観が騙す時でさえも、直観は生産的だった(1900, 118/213)。そして、直観が正しい時は尚更生産的だった。
'連続の漠然としたアイデア(直観に頼っている)が、自身をすべての数に関係する不等式の複雑なシステムに分解した'時に、解析学は非常な進歩を遂げた(1900, 120/214)。ポアンカレは言う:

それでも解析学者が連続体を好きなように定義することは正当である・・・しかし、これは、本当の数学的連続体が物理学者と形而上学者のものとは違うものだと充分に告げている(1893, 27/43-44)。

誰にも数学的連続体は発生しなかったであろうし、賢明な直観無しでは、その複雑な不等式は今でも理解不能である。
更に連続体に関する賢明な直観は、無限小のいろいろなオーダー(それらは未だ算術化されていない)のような様相を持つ。賢明な直観が流通している算術化を超えることを示す以外に、ポアンカレはこれらを必要としなかった(1893, 33-4/50-1)。
ポアンカレも数学の範囲で類推を一種の直観と見なしている(1900, 128/220)。彼は以下の理論の中でこれらすべてを描いている:

私達を遠くから端まで見させる才能、そして直観はこの才能だ・・・その集まりの概観は創案者にとって必須である。それは、創案者を本当に理解したい誰にも等しく必須だ(1900, 125-6/218-9)。

ポアンカレは言う:

数理科学の熟練者によって構築された複雑な建築物の中で、各部分の堅実を断言し、職人に感嘆することは充分ではなく、設計者のプランを理解しなければならない。
さて、プランを理解するために、その部分全部を一度で見なければならず、直観のみが全部を一目で吸収するための道具を与えられる(1900, 125/-. 1904, 264/436に同様の一節)。

Folinaはポアンカレに先天的直観に関するカント理論(無関係な詳細を'取り繕い'、知識の大きな領域に'構成を供給する')を見る(Folina 1992, 88)。だが、Golfarb (1988, 63)は、カント流の感受性機構とカテゴリはポアンカレには無いと注意している。実際、全体を構成し概観することは理性の働きであって、カントの直観でない。しかし、そうかも知れないが、Folina (1994)は、帰納と連続体(ある意味で、それらは数論と幾何学の大きな構築を狙う)に関するポアンカレの直観を議論している。
'構成'への見識として、ポアンカレ流の直観のもっと哲学的解説のためにDetlefsen (1993)を参照する。Detlefsenは、特別にカント流直観に合わせず、数学に対して広くカント認識論を与えていると見ている。Detlefsenは直観と形式論理の敵対を誇張していると私は思う。しかし、Detlefsenは、ポアンカレの論理主義への挑戦が、ある特別な証明または一種の証明が形式化可能でないというようなものではなかったという重要な点を突いている(Detlefsen 1993, 27)。もっとはっきり言えば、形式化は直観の誤解を示しており、その見識を請け負う唯一の方法である。更にDetlefsenは、ポアンカレにとって形式証明はそれ自体で決して知識を与えない(創案者にとっても、学生にとっても)ことを上手に示している。数学的知識は数学的推論から来るのであり、それは内容であり、形式ではない。
ダルブーはポアンカレを直観的な人と呼んだ時、感慨として直観の意識を持った。ポアンカレが怠けた詳細はダルブーにとって、またはポアンカレにとって的外れではなく、ポアンカレの特殊な才能には無かったものに過ぎなかった。それらは他者に任せることが出来た。ポアンカレの最も著しい貢献、トポロジーは正に内容的に数学の広がりを統一する試みだった。例えばヒルベルトは表現の道具、公理的手法に統一を求めたものだった。ポアンカレは力学、微分方程式、複素函数論、群論(1901, 322-23を見よ)を最も深いトポロジー的直観の内容を引き出すことによって、簡素化し編成しようと努めた。
このトピックに関して最後の点: ポアンカレにおける'直観'(1905-06)は'心理学的用語'だとGoldfarbは主張する。'ポアンカレの関心は明らかに数学的思考の心理学と共にある'、そして'最初、ポアンカレは論理主義が数学的思考の心理をはっきりと描かないと非難し、そして非難を取り止めた'とGoldfarbは評論する(Goldfarb 1988, 63-4)。ポアンカレの長ったらしいエッセイの中で'心理'の一言がたった一回のみ出現している事実にもかかわらずだ。ラッセルとCouturatが算術の無矛盾の証明を出しておらず、'心理学的問題が発生する: そのような知識豊富な論理学者の2人が、このギャップに注目しないのはどうしてか?'。ポアンカレはCouturatの怠慢を調べてラッセルへの盲信に至り、ラッセルの怠慢を調べて簡潔な帰納原理の考え方に至っている。その簡潔な考え方を弱めて無矛盾がトリビアルとなったようだ(1905-06, 834-35/-を見よ)。
変数xとyを持つ命題函数によるCouturatの'2'の定義についての批判では心理主義が最もはっきりするとGoldfarbは感じる。
ポアンカレは'私はM. Couturatが不明瞭によって明瞭を定義していること及び、2を考えないで人はxとyを語れないことを考え続けている'と言っている(1905-06, 294/-)。Goldfarbは'"明瞭"と"不明瞭"の間の区別が心理学的なものである'とし、'この議論の心理学的性質を強調する'と論及している(Goldfarb 1988, 66-7)。だが、私はポアンカレが言うように、この目立つ冷笑的な文節に格言スタイルが適していると思うし、ゲーデルがPrincipia Mathematica(第7節以降で引用される)について同じことを言ったものだった。つまり、Couturatの定義は今日で言うところのメタ理論の中で算術を前提条件としている。
Goldfarbは'フレーゲまたはラッセルが提案する論理システムは普遍言語として意図され、その中では、すべての推論が生じる。有効な、または必要とされるメタ理論的スタンスが無い'と正当に指摘する(Goldfarb 1988, 69)。だが、意図を否定するのではなく、ポアンカレとゲーデルは、その成果を否定する。通常言語での直観的説明は別にして、システムが働けることを彼等は否定する。これが形式言語に適用するだろうとポアンカレは論じたけれども、ゲーデルは論じなかった。もっと言えば、ポアンカレが論じたシステムの形式不完全は数年後、論理主義者の中でも議論にならなかった。そして、フレーゲは自身のシステムの失敗を見事に認めた。それは心理学の問題ではない。
ポアンカレは、数学の心理学、数学の基礎に関する論争においても心理学を研究した。だが、直観に関する彼の理論は心理学に縮小しない。

5. 論理と実無限
'無限個のオブジェクトから成る集まりを考える時、無修正で通常のルールの論理を適用してよいか?'とポアンカレは質問し、適用してよいのみならず、すべきだと答えている。特に'どの推論においても、分類が不変である'という通常のルールに従うべきだ:

登場して来た二律背反すべてが、この非常に単純な条件を忘れていることから発生している。不変でなく、また不変に出来ない分類に依存した。予防策は分類が不変だと証明することだった。だが、この予防策が不十分だった。分類を実際に不変にすることが必要だったし、これが不可能なケースがある(1909, 461/45)。

ポアンカレは喜んで彼とラッセルが賛同する、有限個の整数のみを含む実例を提案している。ラッセルは、ポアンカレが無限集合における二律背反を憎み、この実例で自分を困惑させようとしたと考えた(1909, 462/46)。それが、'100個より少ない英単語で定義出来ない最小整数'というパラドックスである。
ポアンカレはそれを以下のように考えている: 整数を、特定出来るもの(ARE)と、そうでないもの(NOT)への分類は、明らかに何らかの有効な定義の方法に依存しているから不変に出来ない。採用する分類は定義の新しい方法となり、(NOT)カテゴリ内の最小整数は、まさしくその分類を使用している少数の英単語(IS)内に定義される。
ラッセルは、記述のすべてが集合またはクラスを定義するわけではないことを既に知っていたから、その問題に洗礼を施した: 'クラスを定義しない記述を非術語と呼び、クラスを定義する記述を術語と呼ぼう'。ラッセルは、すべての非術語が'言わば自己再生過程'を含むと主張する。そして、3つの解決を提案している: ジグザグ理論、サイズ制限理論、無クラス理論(Russell 1905, 141 ff.)。
ポアンカレ(1905-06, 305/478 ff.)はその用語を採用している。彼の考え方はいつも'ラッセルはパラドックスの源を探し、それを一種の残忍な仲間内で矯正する'だった(1909, 467/50)。だが、自己指示を支持するラッセルから提案された特別な仲間をポアンカレは拒否している。これが後に分枝タイプ論へのラッセルのモチベーションに関係する(Godel 1944, 133-35の簡潔な記述を見よ)。ポアンカレとラッセルの両者は、伝統的論理内の陳述性を暗黙だと見なし、一流の論理主義者の成果では不当に無視されていると思った。
無限集合を扱う時、この誤信に簡単に陥るとポアンカレは信じた。'実無限は無い。カントール主義者はこれを忘れ、矛盾に陥った'(1906, 316)。だが、無限集合が実際に存在することを否定していない。自然数の集合、その冪集合、算術化実数の集合等を疑わなかった。ポアンカレの位相力学系における研究は明らかに曲線の無限集合を含み、各曲線は連続体の無限部分集合である。無限集合を避ける傾向は全くなかった。
と言うより、'実無限'を拒否することには、無限集合のすべての数がそれらを特定する定義とは独立して'与えられた'という信念をポアンカレは拒否している:

すべてという言葉は、有限個のオブジェクトに適用する時に明確な意味を持つ。と言うのは、オブジェクトが無限個の時に更に実無限が存在することを要求するからだ。そうでないと、これらのオブジェクトすべてがそれらの定義に先立って与えられていると考えることが出来ず、概念Nの定義がすべてのオブジェクトAに依存し、オブジェクトAのいくつかが概念N自体を使用しないで定義出来ないなら、ある残忍な仲間によって台無しにされるだろう(1905-06, 316/-)。

ポアンカレは'与える'の存在論かつ/または認識論を特定していないが、100個より少ない単語での特定整数のパラドックスにおける働きだと私達は思った。そんな分類自体が、それから逸脱する新しい整数を'与える'のだから、そんな分類に'先立って与えられる、すべて'を整数だと考えることは出来ない。
ポアンカレは同じ解析を集合論の対角線論法に適用している。例えば、連続体の点の列挙自体が列挙に無い連続体点を'与える'。'連続体の冪集合と整数の冪集合の間に、この種の崩壊を免れている対応関係を確立することは不可能であるから、連続体の冪集合は整数の冪集合ではない'と合法的に結論付けるとポアンカレは言う(1912b, 4/68)。だが、無限濃度の決定は記述の特別な方法に関係するとも結論している。
だからポアンカレがアレフゼロまたは高濃度を否定する時、これらの濃度を持つとする集合が存在することを否定しない。集合として連続体が存在し、整数の冪集合を持たないとポアンカレが断言したことが分かった。と言うより、無限濃度の理論が無矛盾だということを彼は否定している。いかに似ているか私は知らないが、これはSkolemパラドックスに並行する。
定義の点について(ここでは、はっきりと無限と結びついていないけれども)、定義は2つの部分を持つべきだというポアンカレの見解をFolinaは引用している:

定義の第一部分、集合のすべての要素に対して共通は、この集合に対する異端な要素と区別することを教える。これが集合の定義となるだろう。二番目の部分は、集合の異なる要素が互いに区別することを教える(Folina 1992, 114, ポアンカレの1909, 478/61から引用)。

Folinaは第二部分を、新カント構成主義または反プラトン主義及びポアンカレの直観理論の角度から解釈している。そうかも知れないが、私は実際の数学的動機も注記したい。
位置解析で、ポアンカレは曲線、ホモトピーループ、ホモロジーサイクルを語っている。同一の曲線は正確に同じ点を占有する。相互へ連続的に変形可能な2つの曲線は同一のホモトピーループだ。それらが共に或る面を形成するなら、それらは同一のホモロジーサイクルである。ポアンカレはこの比較を非常に好んだ(例えば全集, Vol. 6, 239-246 と 449を見よ)。
現在、ホモトピークラスとホモロジーサイクルは曲線の同値類として定義されている。そして、ポアンカレは時にそのように語った。だが、大抵、曲線、ループ、サイクルが異なる同値条件を持つ同一のものであるかのように語った。

6. ツェルメロの公理
おそらく、数学に関してポアンカレの最も有名な引用は、'後世代は集合論を病気だと考え、その病気から人は立ち直る'だろう。だが、Gray (1991)は、この引用の確かなソースが無く、信頼の置けない噂がポアンカレがそれを言ったいう話に発展して行く形跡を示している。
もっと言えば、ポアンカレはカントール自身の集合論に何ら反対しなかった。(1905—06, 824/458-459)にあるBurali-Fortiの記号論理学vsカントールについての厳しく機知の富んだ文節を参照せよ。ポアンカレは集合論の早期の支持者だった。例えば、彼の'微分方程式で定義される曲線について'は、空間内の軌跡が与えられた参照面を繰り返し横切るような点々について語っている。'これらは点の集合を形成するが、M. Cantorによって採用された記号を使って、この集合をPと呼ぶ。Pの導集合、すなわち、点のすべての近傍が無限個のPの点を含むような点の集合に対してを使おう'(全集, Vol. 1, 142)。カントールによる論文を複数引用して、軌跡の大規模な振舞いを記述を助けるために導集合を使っている。無限集合を避ける傾向は全く無かった。
ポアンカレはツェルメロの公理に反対した。Folinaは言う:

ポアンカレの集合論に対する議論は、真実かつ/または'非構成的'公理[無限、冪集合、選択]の無制限な適用に対しての議論だ(Folina 1992, 112)。

Folinaは数学での正確性とカントールの集合論を同一視しているが、ポアンカレはある意味で殆ど両方の形式化を使ったことは無かったであろう:

彼は正確性または数学の形式化に'反対'ではなかった(彼の注意のいくつかが示すように)。実際、彼はカントールの集合論を始めて取り入れた人の一人だった。と言うよりも、リアリストまたは存在公理の非構成解釈に反対した(Folina 1992, 112)。

Folinaはポアンカレがそんな解釈に反対しているような文節を引用していないし、選択公理に関してはっきりしないものを除いて、私は無いと信じる。
代わって、ポアンカレはツェルメロの公理をごまかしだと感じた。(1909)にそれらを全部出している。以下のように注意している:

その公理は全く勝手な法令と見なすことが出来る。その法令は根本的概念の変装に過ぎない。従って、ヒルベルト氏は幾何学の初めで・・・
これが正当であるためには、このように導入された公理が無矛盾だと証明する必要があり、既に確立している算術化解析を仮定したから、ヒルベルト氏は幾何学に関して完全に成功を修めて来た・・・ツェルメロ氏は彼の公理が無矛盾であることを証明しなかったし、出来なかった。と言うのは、証明するためには、既に確立されている他の真実を基礎として使用しなければならないだろうから。しかし、既に確立されている真実と完成されている科学に関して言えば、まだ今までのところ無いことを彼は仮定している。彼はすべてを放り投げ、公理自体で十分であることを欲している(1909, 472-73/55-56)。

'従って、公準は一種の勝手な法令のみに価値を借りられない。公準は自明であることが必要だ'とポアンカレは言っている(1909, 473/56; 1963には否定が抜けている)。
無限の公理を別にして、有限集合に対して、ポアンカレは実際に公理が自明だと思っている。だが、有限集合に対して8番目の公理'8. 任意のオブジェクトは集合を形成する'を賛成している(1909, 475/58)。それは、無限集合に対して賛成しているのではないだろうと私達は分かる。それでは、どの真実が無限集合まで拡張するのか、どうやってツェルメロが見つけるのか? ポアンカレはツェルメロが根拠を持っていないと責める:

さて、何のメカニズムによってツェルメロの公理は構築されたのか? それらの公理は有限の集まりに対して真であるものから取られた。それらは無限の集まりに対して全く拡張出来なかった。この拡張は一定数の公理に対してのみ為される。一定数の公理は何となく選ばれる(1909, 481-82/61-62; 1963では'全く'が間違った位置に印刷されている)。

更に、ツェルメロは選択公理に伴うパラドックスを回避しようと努めた。この公理は、集合Aと'明確'な概念Pが与えられた時、Pを持つ(Aの)要素すべての集合が存在することを言っている。だが、'明確'という言葉に関するツェルメロの説明がポアンカレや多くの他者を非常に曖昧だと感じさせた。'術語'のようなものを意味するとポアンカレは思ったが、'ツェルメロ氏による、その言葉の使用は、同義性が完全ではないこと示す'と注意した(1909, 476/59)。ポアンカレはツェルメロが何を言いたいのか全く分からなかった。
現在、私達はSkolemの方法で問題を解決する: '明確'な概念は純粋集合論の一階言語で表現可能なものである。だが、これはツェルメロの意図から随分かけ離れているので、ポアンカレが生きて、それを見たならば持つであろう方法でツェルメロは反対した: この解決は一階論理の文法の事前理論に依存するから、フレンケルの提案のように'集合論の主要目標の一つであるべき詳述を持つ有限数に依存している'(Zermelo 1929, 340; cf. 342)。例えばヒルベルトの幾何学がしたように、算術に依存する理論にポアンカレは反対しなかったが、ツェルメロのように、そんな理論は数学の基礎であるはずがないと言うであろう。
もっと言えば、ポアンカレとラッセルはツェルメロの公理は矛盾だと気づいていた。そして、各自はパラドックスより自身の解法を好んだ(Moore 1982, 160を見よ)。しかし、ポアンカレが頼った反対理由は、ツェルメロが公理の正当化も出来ず、それらを明確に述べることも出来なかったということであった。
ポアンカレは詳しく2回選択公理を扱った。最初、彼は選択公理の未解決状態と有用性に関するラッセルを引用して好意的だった。唯一の不賛同は'ラッセルはまだ他の公準から演繹的にツェルメロの公理が偽か真か証明出来るだろうと望んでいる。この望みが私にとっていかに幻想か言う必要は無い'。ポアンカレは'先験的に総合的な判断である。無限のように有限集合に対しても、選択公理無しでは"濃度理論"は不可能であろう'と思う(1905-06, 312-13/-)。ポアンカレからツェルメロへの日付の無い手紙は慎重に公理を認めているが、'私が決定的解決を採用する前に'、彼は更に時間を必要とすると言っている(Moore 1982, 脚注 p.146)。公理への2回目の所見は最後の論文の一つに来た。

7. 最後の'無限の論理'
死の数ヶ月前、ポアンカレは1912bとなったトークを行った。無限について議論を繰り返すことを断っている。どちら側も他を受け入れないので、議論は止まっている。と言うよりも、'実用主義者'及び'カントール主義者'とポアンカレが名付ける考えの学派の心理学的起源を研究するだろう。彼は架空の論争の中に、それらの意見を並べている。
ポアンカレはツェルメロのみをカントール主義者、エルミートのみをカントール主義の敵対と認定する。彼は自身のことを何も言っていない。ポアンカレのように、'実用主義者'は有限数の言葉で定義されるオブジェクトのみを認め、アレフについて彼の疑いを共有するから(1912b, 5/68-69)、私達は当然彼を'実用主義者'に関連付ける。だが、彼が以下のように結論する時、注意すべきだ:

従って、実用主義者とカントール主義者の間に確立される調和を探る望みは無い。彼等は同じ言語を話さないし、学べない言語があるから、人間は賛同しない(1912b, 11/74)。

トークの間中、ポアンカレは順番にどちらの言語も話す。論争のどちら側に原因があると決めないで、ポアンカレは厳かな声で彼のキャリアの間に言ったことを話している:

定義されるオブジェクトが証明されている時のみ、公準による定義は価値を持つ。数学的言葉では、これは公準が矛盾を含まないことを意味する。私達はこれを無視する権利を持たない(1912b, 6/69)。

だが、今回彼は続ける:

ある実用主義者達はもっと感情的になるだろう。彼等にとって合法である定義を考えるために、術語で無矛盾は不十分である。私が上で定義しようとした特別な見解による意味を持つことを彼等は要求するだろう(1912b, 6/69-70)。

これらの実用主義者達の仲にポアンカレはいるのか? 彼は語らないし、すぐに問題を放棄している。
1911年、トポロジーについてブラウアーからの手紙にポアンカレは答えていたことを言及しよう(Alexandrov 1954を見よ)。だが、ポアンカレがブラウアーを実用主義者だと思ったことはありえない。ブラウアーの数学哲学はその頃殆ど発展しておらず、オランダ国内のみに発表された。
選択公理に関して、この論文は'公理を直接に否定しなかった'(Moore 1982, 177)。例えば実数を整列出来ない限り、実用主義者は整列定理を理解しないだろうと言っているだけだ。彼等にとって、その証明は'猫用の煮込み'(1912b, 3/66)と思えるだろう。簡単に言えば、'ポアンカレはおそらく公理を拒絶するようになっただろう'(Moore 1982, 177)。この短い記事、ポアンカレの構成主義との小競り合いは意図的に曖昧だ。彼の早期の書き物とはかけ離れている。整列原理を除いて、特定の数学に疑問を投げていない。

8. Couturat
ポアンカレの論争スタイルはいつも皮肉的である。Sartonはこれに好意的だったが、段々と省略記号の中で声を小さくして言った: '彼の皮肉はいつも非常に慎重で善意的だった。記号論理学者を除いて、彼が少々失礼した人はいなかった・・・'(Sarton 1913, 45)。1905年までにポアンカレは全くLouis Couturatに敵対的だった。そして、非常に滑稽だっただろう(1905-06, 294-5; 1921を見よ, 472-3では短縮されている)。Couturatはその頃までにポアンカレを嫌ったし、彼の記号論理学の理解を嘲笑した(Schmid 1983を見よ)。ラッセルですら自伝で言わざるを得ない: 'Couturatはしばらくの間、数学論理に関する私のアイデアの非常に熱心な支持者だったが、必ずしも思慮深くなく、ポアンカレとの私の長い闘いの中で、私自身と同様にCouturatを守らざるを得ないことが重荷になっていると分かった'(Russell 1975, 136)。
Goldfarbは、ポアンカレ1905-06が'特に論理主義者に怒って'カントの科学哲学を決定的に反駁してしまったと主張しているように見えると言う。だが、私が読むように、ポアンカレはCouturatの主張すべて、特に記号論理学が創造力に'脚柱と翼'を与える、を一笑に付している。ポアンカレは言分を見て、理性的に言う'どうやって? 貴殿は10年間翼を持っているが、まだ飛んでいない!'(1905-06 295/472)。記号論理学は安全な証明を与えると主張するが、以前は通常の実行より創意に富んでいると主張しなかったと彼は注意する。Dieudonné (1983)は、19世紀数学の偉大な前進をCouturatがいかに分かっていないか強調している。
だが、ポアンカレのCouturatへの意見が記号論理学すべてに対する彼の意見ではない。彼は心から幾何学の基礎に関するヒルベルトの研究を感嘆した(ポアンカレ 1902を見よ。そして、ヒルベルトは初期に論理主義者と考えられたことを思い起こそう)。'ラッセルとヒルベルトは各自目覚しい成果を修めて来た。各自、独創的な見解に満ち、深淵で非常に根拠のある研究を書いて来た・・・中でも、あるもの(非常に多いが)は堅実で生きながらえることが宿命となっている'(1905-06, 34/470)と彼が書く時、幾何学の基礎に関するヒルベルトの研究を感嘆したようなことを意味すると私は思う。更に、論理学が数学を捕虜にしないだろう。

9. ポアンカレと論理学者達
ポアンカレはよくヒルベルトとラッセルを味方する。彼はヒルベルトを引用している:

論理の法則の通常の解説では、算術の或る基本概念は既に採用されている。例えば、総計の概念、一部分では数の概念も。私達はこうして残忍な仲間に陥り、従ってパラドックスを避けるために、論理の法則と算術の部分的同時発展が必須である(1905-06, 17/464. Cf. Hilbert 1904, 131.)。
フレーゲは集合論のパラドックスに対して無防備だった。そのパラドックスは、すべての集合の集合を考えることによって例証になっている。それは、私にとって、通常の論理の概念と方法が集合論によって必要とされる正確性と堅実性をまだ持っていないことを確立しているように見える(1905-06, 19/-. Cf. Hilbert 1904, 130.)。

ポアンカレは'ヒルベルトが通常の解説の中で論理について語っていることは、ラッセルの論理にも同様に適用することを私達は見て来た'と付け加える。そして、更に一歩進めてヒルベルトの論理に適用する(1905-60, 17/464 ff.)。ヒルベルトは後に賛同したものだ。仮定される算術の合計を制限出来るメタ数学をヒルベルト学派が持った数十年前だった。
ラッセルの可能な陳述性の定義の各々について、ポアンカレはラッセルを引用している。ジグザグ理論の細部は'非常に複雑でなければならず、固有のもっともらしさにより推奨されるはずがない'。ジグザグ理論は指針原理を持っていないが、その場限りの矛盾の回避を持っている(1905-06, 306/479; Russell 1905, 147を引用)。サイズの制限について'この理論の大きな困難は、理論が順序数どのくらい増やすのか語らないことだ'(1905-06 306/-; quoting Russell 1905, 153)。簡単言えば、ラッセルはサイズ制限の理論を持っておらず、アイデアだけを持っていた(1905, 154の中で、ラッセルは自分でそのように言っている)。
ラッセルは最初3つの選択をすべて提示したが、1906年にポアンカレはノートを追加した: '無クラス理論が完全な解決を与えることに私は今や疑念を持っていない' そして、'将来、数学のどれくらいを維持し、どれくらいを放棄せざるをえないのか出て来る時点で、この理論を解決することを希望する'(1905-06, 306-7/abbreviated in 1921, 480; Russell 1905, 164 と 156を引用)。ポアンカレは躊躇いと細部の不足を注意し、あっさりと実数学は危なくなく、カントール主義と記号論理のみ危ないと追加している。
ところで、ポアンカレはおよそ1906年にラッセルの記号論理の知識に頼っている。彼は再構築の展望に関してのみ不賛成で、再構築を自信を持って将来に委ねている:

古い記号論理は死んでいる。あまりにも死んでいるから、ジグザグ理論と無クラス理論は既に成功をめぐって争っている。新しいものを審判するため、私達はその出現を待とう(1905-06, 317/485)。

来たものがPrincipia Mathematicaだった。ポアンカレは1912年に死んで、それを見なかったかも知れない。彼がもっと長生きだったら、いつも通りエキスパートに注意したでああろう。本を'基礎(Principiaの*1-*21に含まれている)の中にあまりにも正確性が不足しているので、この観点からフレーゲと比べて、相当な一歩後退を示す'(Godel 1944, 126)と思ったゲーデルを読んだであろう。そのように、正確性での一歩後退、自己矛盾で頓挫したシステムからの後退。
ゲーデルが第2版において以下のことを主張した時、ポアンカレは殆ど変わらないと感じたであろう。

有限性の概念は前提条件でなければならない。その事実は、非解析形式で'n階命題函数'のような複雑な概念を形式主義の原始項とすること及び、それらの定義を通常言語のみで与えることだけによって隠蔽される(Godel 1944, 146)。

現実の論理主義の批判を原則的に賞賛することで終わらせる習慣も変わらなかった: 'ライプニッツは、自分で理論を発展させて来た原始状態においても、彼の数学的発見すべてに対して責任があると繰り返し言った。その数学的発見は、人が予期するだろうが、ポアンカレでさえも、その豊かさの十分な証明と認めるであろう'(Godel 1944, 153)。
だが、ポアンカレはペアノの数学をペアノの記号論理と認めなかったので(1905-06, 295/472)、ライプニッツの発見をライプニッツの論理と認めなかったであろう。ポアンカレは、その分野で彼のお気に入りの権威者と対比したのかも知れない: '部分的に欠点のある論理のため、部分的にユークリッド幾何の論理的必要性への信仰のため、ライプニッツの論理主義は絶望的なエラーに導かれた'(Russell 1903, 5)。

参考文献
(省略)[訳注: 著者の文献引用の方法が風変わりですので、興味ある方は是非原文を見て下さい]

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今回紹介するのは abc 予想の証明に関する最近の動向を伝えている記事です。 これを選んだ理由は素人衆が知ったかぶりに勝手なことを書いているのをネット上で散見するからです。ここで言う素人衆は日本のメディアはもちろんのこと、馬鹿サイエンスライターも当然含みます。昨年末(2017年12月16日)に某新聞が誤報に近いことを報道したことも記憶に新しいでしょう。そんな情報に振り回されないために今回の記事です。 今回の記事は正確かつ公平だと私は思いました。私の友人共の何人かは、この方面の専門家だから門外漢の私はいろいろなことを教えてもらいました。その上での感想です。 その方面の専門家でなくても数学の研究者なら望月論文は無理でもレポートは読めるはずなので、もっと詳しく知りたい人はレポートを読んで下さい。 前置きはこれくらいにして、紹介する記事は" Titans of Mathematics Clash Over Epic Proof of ABC Conjecture "です。その私訳を以下に載せておきます。 [追記: 2018年10月06日] ここに至るまでの経緯については" 数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明 "を読んで下さい。その記事は2015年12月にオックスフォードで行われた望月論文に関する初めての国際的ワークショップより前の話が書かれています。 このワークショップはいろいろ評価が分かれるけれども、私が聞く限り、大失敗だと言う人が多いです。実際、私の海外の知人の一人がワークショップに参加しており、ボロクソに言ってました。 このワークショップを境に、海外特に米国では望月論文を理解しようとする熱意が急速に薄れたように感じますし、ショルツ、スティックス両博士の異議申し立てが出るまで実質何の音沙汰もない状態でした。 [追記: 2018年10月23日] 私の友人共に指摘されたのですが、この記事の私訳を読む人の殆どが日本の全くのド素人なんだから、たとえ原文に記載されていなくても誤解を生じさせないように訳者が万全を期するべきだと言われました。 記事に出て来る Publications of the Research Institute for Mathematical Sciences (略してPRIMS)

数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明

前回紹介した" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "はもちろん一般大衆向けの記事です。数論、数論幾何学、IUTT(宇宙際タイヒミュラー理論)のいずれかの専門家なら、そんな記事を読まなくても、そこまでに至る経緯は十分に承知しています(何故なら自分達の飯の種を左右する問題だから)。その方面の専門家でなくても数学研究者なら数学コミュニティ又は数学界を通して大概の経緯を聞き及んでいます。 私の身辺(私の友人共はすべて何らかの形で数学研究に携わっているので、それらを除きます)でその記事を読んだ感想は"そんなに拗れるのは不思議だ。もっと経緯を知りたい"というのが多かったです。その身辺の彼/彼女等はもちろん素人衆ですので、望月新一博士の名前も報道でしか聞いたことがないし、数学で何故これほどまでもつれるのか不思議でならないそうです。彼/彼女等は至って真面目です(何故こういう事を書くかと言うと、素人衆と言っても千差万別で、中にはネット上で国家高揚か日本民族高揚のために望月博士のことを書いているとしか思えない不逞の輩がいるからです)。そこで、それらの真面目な人達のために今回紹介するのは2015年10月の Nature 誌に載っていた" The biggest mystery in mathematics: Shinichi Mochizuki and the impenetrable proof "です。 何故これを選んだかと言うとエンターテイメント性があり、素人衆でも面白く読めるだろうと思ったからです。但し断っておきますが、いろいろな数学者の証言を繋ぎ合わせて望月博士の心情を勝手に推測するのははっきり言って妄想であり、さすがエンターテイメント性を重視して堕落した Nature 誌だけのことはあると私は思いました(あのSTAP論文を掲載したことも記憶に新しいでしょう)。 その私訳を以下に載せておきます。 [追記: 2018年10月06日] この記事は2015年12月に行われたオックスフォードでのワークショップより前の話です。このワークショップは望月論文に関する初めての国際的な会合で、この記事でもこのワークショップにかなりの期待を寄せているところで終わっています。 しかし、いろいろ評価が分かれ

谷山豊と彼の生涯 個人的回想

数学に少しでも関心のある人なら、フェルマーの最終予想が、これを含む一般的な志村予想を証明することによって解決されたことは御存知でしょう。この志村予想は、かって無知と誤解によって谷山-志村予想と呼ばれていました。外国では更に輪をかけて(と言うよりもアンドレ・ヴェイユの威光によって)谷山-志村-ヴェイユ予想と呼ばれていました。ヴェイユがこの予想に何ら関係しないことは、故サージ・ラング博士によって実証されました。それでも、谷山-志村予想もしくは谷山予想と呼ぶ人がまだ散見されます(散見と言いましたが、日本人ではかなり多いです。国民性に依存するのかどうか知りませんが)。私は数論を専攻したことがなく、ずぶの素人ですが、志村博士が書かれた記事や自伝"The Map of My Life"を読み、何故志村予想なのか納得しました。ここで込入った話を書くことは不可能なので、分り易く言えば、故谷山氏は何ら予想の内容にタッチしていないと言ってもいいかと思います。勿論、その周辺は谷山氏の研究分野でしたから周辺にはタッチしていたでしょうが、志村博士は全く独立にきちんと予想を定式化しました。ですが、谷山氏と志村博士はいわゆる盟友関係であり、また谷山氏の不幸な亡くなり方を悼む日本人的感情(つまり、センチメンタル)から日本人は谷山-志村予想と頑なに呼んでいるのだと私は理解しています。ですが、これは数学なのであり、事実を直視しなければいけないと思います。また、最終的に志村予想は証明されたのですから、何とかの定理と呼ぶべき時期だと思います。この"何とか"に何を冠するかはいろいろ意見があるようですのでこれ以上は触れないでおきます。 さて、志村博士の"The Map of My Life"の第4章、18節に"18. Why I Wrote That Article"があります。ページ数で言えば145ページ目です。タイトルが示している"あの記事"とは、志村博士が英国の専門誌 Bulletin of the London Mathematical Society に発表した" Yutaka Taniyama and his time, very personal recollections "

識別の危機

昨年紹介した" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "の元記事はもちろん大衆向けのオンライン科学ジャーナル Quanta Magazine に掲載されたものですが、著者はErica Klarreich女史です。彼女はサイエンスライタではあるけれども、歴とした数学者です。しかも、幾何的トポロジで彼女の名前を冠した定理を持つくらいの立派な方です。何故こういうことを書くかと言うと、IUTを支持するイヴァン・フェセンコ博士がKlarreich女史をいかにも素人呼ばわりした非常に下らないドキュメントを書いたからです。大学にポストを持っていなければ全員が素人なんですかと問いたいくらいです。これでは世界からIUT自体が白眼視されるのも無理からぬことだと思いました(本当のところは全く違う理由からなんですが、話せば切りが無いので止めておきます)。 さて、今回紹介するのはディヴィド・マイケル・ロバース博士が書いた記事" A Crisis of Identification "です。ロバース博士と言えばショルツ、スティクス両博士のリポートが公開された直後からキャテグリ論の専門家として非常に冷静な分析をされていたことに私は感心してましたから直ぐに記事を読みました。一つの不満を除いて非常によく書けていると思います。" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "も勿論読み応えのある立派な記事でしたが、どちらかと言うとドキュメンタリ風の記事でしたし、読者層が一般大衆であることを考慮してあまり数学を前面に出していませんでした。ロバース博士の記事はもう完全に数学を前面に出しています。 前述した一つの不満はグロタンディーク氏のことにスペィスを割いて結構触れていることです。今のABC予想の置かれている状況とはあまり関係がないと私は思いました。やはり大衆受けを狙ったのかと感じました。まぁ、日本でも素人には何故かグロタンディーク氏は大人気ですから(捏造されたエピソゥド、つまりグロタンディーク素数がどうたらこうたらに踊らされて?)、それはそれで良いのかも知れませんが。 前置きはこれくらいにして、この記事の私訳を以下に載せておきます。なお著者の注釈欄を省いていますが、注釈へのインデクスはそのままです。 [追

数学教育について

聞くところによれば、関数型プログラミング言語の流行とともに数学の圏論がブームだそうで。圏の概念が他の数学の分野を全く知らない人でも意味が分かるのか疑問を持っています。その理由は後で述べます。 私の手許に故Serge Lang博士の名著"Algebra"があります。この本は理由があって、何と大昔の1974年の初版第6刷です。非常に貧しい学生だった私に恩師が2冊持っているからと言って1冊を下さり、私の生涯の宝物です。 仮に数学を代数学、幾何学、解析学という全く意味が無い区分けをしたとします。意味が無いと言うのは、例えば多様体論なんかはどの分野にも入るからです。そうであっても無理に区分けしたとしましょう。この3分野のうちでも、代数学(厳密に言えば抽象代数学です)が、勉強するだけなら(あくまで勉強するだけですよ、研究となれば別の話です)数学的予備知識も数学的センス(故小平邦彦博士の言うところの"数覚"、位相群で有名だった故George W. Mackey博士の言うところの"数学的成熟度"、まぁ簡単に言えば数学的才能ですね)も全く必要としません。必要なのは論理を追うための忍耐力と言えます。ですから、理解出来るか否かは別にして、代数構造を"言葉"として吸収することは誰にでも出来ます。数学のどの分野を専攻してもLang博士の"Algebra"程度の知識は"言葉"として知っていなければ話にならないのです。数学での代数学は、私達が日本語や英語等でコミュニケーションするのと同じく、数学の言語なのです。 Lang博士の"Algebra"には、第1章群論の第7節に早くも"圏と関手"が登場します(ページで言えば25ページ目です)。ついでながら、この圏、関手という日本語は全く元の英語が想像出来ないので、以降カテゴリ、ファンクタと書きます。 ところで、Lang博士はブルバキにも入っていた人ですから、こういう抽象度が高い概念を重要視しているかと思いきや、決してそうではないのですね。元々カテゴリ、ファンクタ(ファンクタの方が重要な概念でして、カテゴリはファンクタが扱う対象物です)は、ホモロジー代数の一部として提案された概念です。ホモ