スキップしてメイン コンテンツに移動

ジョン・ナッシュと"ビューティフルマインド"

先日紹介した"アーベル賞受賞者ジョン・フォーブス・ナッシュ・ジュニアへのインタビュー"の前置きで、A Beautiful Mind[ビューティフルマインド]の映画を見、原書を読むことになった経緯を書きました。映画の方は所詮娯楽に過ぎないのですから、秀作であろうが駄作であろうが、そんなことはどうでもいいし、大の大人が何らかを論じるなんて馬鹿なことを私ですらしません。問題は原作の方なんです。ナッシュ博士を始めて題材にし、真面目な本であることは間違いないのですが、何だかんだ言っても所詮は一般通俗本です。こういうものをまともな数学者が読んで書評を書くのだろうか、あれば読みたいものだと思いました。
検索してみると非常に多くの書評がありましたが、先ず日本語の書評は全く話しにならないので外しました。と言うのは、書評者自身が世界に発信していないからです。世界の人々の殆どが読めない日本語のバリアーに隠れて偉そうに批判しても、それは日本国内向けのポーズに過ぎません(つまり、井の中の蛙)。世界の人々が(平均的知性の持ち主であれば)理解出来る言葉で書いてこそ発信したと言えるのです。私は海外の友人も沢山いますので、日本語の書評がいくら良くても、その思いを共有出来ません。従って、日本語の書評は無意味であり、実質無いのに等しいのです。
ナッシュ博士がノーベル経済学賞受賞者であることもあって、経済学等の、いわゆる文系の人の書評が圧倒的に多かったのですが、私はまともな数学者の書評を読みたいので外しました。そうこうしている間に、灯台下暗しとも言うべきか、あのジョン・ミルナー博士のJohn Nash and "A Beautiful Mind"(PDF)と出会い、正直驚きました。ミルナー博士のような数学界の巨星がいくら古い知人であるナッシュ博士を題材にしている本とは言えども、一般通俗本を読んで書評しているからです。しかし、一読して単なる書評でなく、いわばナッシュ小論とも言うべきだと思いました。この私訳を以下に載せておきます。なお、注釈は省きましたが、注釈への索引はそのままです。

[追記: 2019年03月23日]
このペィジは2015年12月16日に某サイトに載せたものです。従いまして、当時生きていたリンクも現在ではリンク切れになっている可能性があります。

ジョン・ナッシュと"ビューティフルマインド"
1998年年11月 ジョン・ミルナー

ジョン・フォーブス・ナッシュ・ジュニアは17歳で彼の父親と共に最初の論文を発表した。21歳で彼の学位論文は、経済学、政治学、進化生物学のような様々な分野において、ゆっくりとした改革を新しく開いた明確で初等的な数学的アイデアを示した。次に続く9年間、数学的活動の驚くべき大波の中で、彼は幾何学と解析学において見つけられた最難問で最重要な問題を探し求め、しばしば解決した。そして神経衰弱が、小康状態のみならず断続的な入院によって中断され、苦痛で失われた30年を導いた。しかし、最近の10年間で明白な目覚めと数学への復帰が起こっている。その間に、ナッシュの研究の重要性が多くの栄誉によって認められて来ている。すなわち、フォン・ノイマン賞、計量経済学会とアメリカ芸術科学アカデミーの特別会員、米国科学アカデミーの会員、ノーベル賞での絶頂。

ビューティフルマインド
シルヴィア・ナサーの伝記、ビューティフルマインド1は入手可能なドキュメントの研究のみならず、友人達、家族、知人達の数百のインタビューに基づいて、このストーリを慎重に細かく物語っている。実際、彼女は有能なインタビュアーであり、いくつかの場合において皆が期待するであろうことを遥に超えて資料を発掘しているようだ。1958年のフィールズ賞(ナッシュが候補者の一人だった)に対してのみならず、1994年のノーベル経済学賞に対してさえも、審議の詳細を記述している。審議は非常に議論を呼ぶので、賞の急進的な再構築と推薦委員会における完全な変更となった。概して、彼女のソースは入念に特定されるが、これらの特殊な場合において匿名のままだ。
ナサーは数学でなく経済学を学んだけれども、ナッシュの主要な研究すべてに対して、背景、大雑把な説明、詳細な文献を与えることが出来ている。また、彼の人生に役割を果す場所と人の多くの事情説明をしている(数学的命題及び適切な名前が時々少し意味不明であるが、明敏な読者は何の意味か解決出来る)。このようにカーネギー工科大学、プリンストン大学、ランド・コーポレーション、MIT、高等研究所、クーラント研究所の歴史に関する素晴らしい情報を見る。また多くの有名な、そして余り知られていない数学的スターの情報も見る。議論は多くの興味深いわき道に達している。例えば、MITに関する記述はマッカーシー時代の議論と織り交ざっている一方で、ランド・コーポレーションとフォン・ノイマンに関する記述は冷戦時代の政治に対するゲーム理論の関係の議論になっている(ソ連に対して先制攻撃を主張したフォン・ノイマンはキューブリックのDr. Strangeloveの独自モデルだったのかも知れない)。
ナサーの本のどの議論も重要な倫理的ジレンマを指摘しているはずである。つまり、これは無認可の伝記であって、議題の同意または協力無しで書かれている。ナッシュの数学的活動は錯綜としている個人的生活を伴っており、ナサーはその個人的生活を非常に細かく描いている。この題材は確かに広範囲の観衆にとって興味ある(出版社の広告文で引用されているOliver Sacksは本が"並外れて感動させ、天分と総合失調症についての同情的見識に対して注目すべきだ"と書いている)。しかし、当然のことながら、そんな題材の刊行はその議題のプライバシーの徹底的な侵害を伴う。
本は彼の最初の妻であり、後に確固とした伴侶であるアリシア・ナッシュに捧げられている。アリシアの信じられない困難を通してのサポートは彼のリカバリーに明らかに主要な役割を果たして来ている。

ナッシュの科学的研究
純粋数学者達は数理科学における研究を、その数学的深遠さとそれが導入する新しい数学的アイデアと手法の規模、または長年の問題の解決の大きさに基づいて判断しがちである。このように見れば、ナッシュのノーベル賞の研究はよく知られている手法の独創的だけれども驚くべき応用ではない一方で、彼のすぐ後に来る研究ははるかに豊かで重要である。続く年月の間に、すべてのスムーズなコンパクト多様体が実代数多様体のシートとして実現されること2の証明、高度に非直観的なC1-距離同型埋め込み定理の証明、高次元におけるもっと困難なC-距離同型埋め込み定理を証明するためのパワフルで斬新なツールの導入、偏微分方程式の基本存在定理、一意性定理、連続性定理に関する強固な始まりを作った(これらの結果の更なる議論のため、[K1]と[M]を比べよ)。
しかし、人類知識の他の分野に数学が応用される時、きわめて異なる疑問を問わなければならない。つまり、新しい研究がどの程度実世界に関する私達の理解を増すのか。このベースにおいて、ナッシュの学位論文は革命に他ならなかった([U]と同様に[N21]を比べよ)。ゲーム理論の分野はフォン・ノイマンの創作であり、モルゲンシュテルンと共同で書き上げられた(もっと早い論文はツェルメロによるもの)。ゼロ和二人ゲームに関するフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンの理論は非常に十分であり、軍部が大変注目したように、戦争に対して確かに応用があった。だが、他の応用が殆ど無かった。経済理論での使用のためのn人または非ゼロ和ゲームの理論を展開する彼等の試みは実際余り芳しくなかった(ナッシュと私の両方がn人ゲームの実験的研究に参加した[N10]。私の知る限り、フォン・ノイマン-モルゲンシュテルンの"解"と実世界との間の相関性を十分に感知出来る、そんな研究は無い)。
学位論文のナッシュは、フォン・ノイマンとモルゲンシュテルンによって研究された協力ゲーム(大雑把に言えば、これらは出席者が密室に参加出来て、互いと協定出来るゲームである)ともっと根本的な非協力ゲーム(そこでは、そんな協定は存在しない)の間の区別を始めて強調した。もっとはっきり言えば、協力の場合は、協力の可能な形式をゲームの形式構造に組み込むことで非協力の場合に還元出来る。ナッシュはまだ学部学生の間に、交渉問題に関して彼の論文[N5]で協力ゲームを始め、ある程度認められた(関係する、もっと早い研究はZeuthenによる)。この論文の一つの注目として、ナッシュはすべての協力ゲームは"ゲームに携わる機会を持つ各プレイヤーに対する有用性"を記述する値を持つはずだと予想した。そんな値は数年後Shapleyによって構築された。
しかし、主要な貢献、彼のノーベル賞につながったのは、非協力理論に対してだった。ナッシュは均衡点という基本概念を導入した。つまり、自身の戦略だけを変更することで成果を改善出来るようなプレイヤーがいないような様々なプレイヤーによる戦略の集合である(この概念に非常によく似たものが100年より前にCournotによって導入されていた)。ブラウワー不動点定理の賢明な応用によって、少なくとも一つの均衡点が存在することを彼は証明した(もっと詳しい説明のためには[OR]、[M]を見よ)。
長年に渡って、ナッシュのうわべは簡単なアイデアからの発展は経済学と政治学において根本的な変革になって来ている。ナサーは、米国政府が電磁波領域の大部分をコマーシャルユーザに安売りした時、1994年の"史上最大のオークション"を描くことでゲーム理論的アイデアの金銭的インパクトを例証している。多重巡回手順は、政府に対する支払いと各バイヤーへの購入周波数の効用を最大化するため、オークションのゲーム理論における専門家達によって慎重に設計された。結果は大成功し、100億ドルが政府に入る一方で、リソースの効率的な割り当てが保証された。対照としてニュージーランドのオークションは、そんな注意深いゲーム理論的設計が無く大失敗だった。政府は予想された収益の約15パーセントしか達成しなかったし、周波数は効率的に分配されなかった(一つのケースでは、ニュージーランドの学生が1ドルでテレビ局ライセンスを買った)。
均衡理論の全く予期されなかった一つの勝利は集団遺伝学と進化生物学への応用である。メイナード・スミスの先駆的研究を基礎にして、ゲーム理論的アイデアは今や異なる種の間の、または種内の競争に応用されている([MS]、[HS]、[W]を比べよ。この理論のもっと正確な形式はドーキンス[D1]によって普及されて、競争は個人遺伝子の間にあると考えている)。進化から経済学へアイデアの興味深い逆流もある。ビンモア([W]の中で)によれば:

ナッシュの学位論文の中のナッシュ均衡のアイデアの進化的3解釈についての所見にもかかわらず、その時の注目は、申し分なく合理的なプレイヤーによる慎重な推論の唯一実現可能な成果とする解釈にほぼ完全に集まった。...幸いにも...メイナード・スミスの本Evolution and the Theory of Games[訳注: 進化とゲーム理論]がゲーム理論家達の注意を合理性の益々手の込んだ定義から離れさせた。結局、昆虫が考えるとは全く言えるはずがなく、ゲーム理論がどうにかして適切な条件下で昆虫の行動を予測出来るならば、合理性がさほど重要であるはずがない。同時に、実験経済学の出現は人種も思考において特に優れていないという事実を痛感させた。ゲームの均衡に対する彼等の方法を見つける時、彼等はいつも試行錯誤手法を使用してそれをする。
すべての応用の中で、一つの非常に重要な帰結が強調されなけれならぬ。つまり、ナッシュと彼の後継者達によって展開されたように、均衡理論は競争の激しい条件下で起こり得ることの最も有名な記述を与えるように思われるけれども、均衡は誰に対しても必ず良い成果とは限らない。アダム・スミスの古典経済学(そこでは自由競争が最も可能性のある解となる)とは対照的に、そして古典的ダーウィン理論(そこでは自然淘汰が必ず種における改良となる4)とは対照的に、非統制競争の現実の原動力は悲惨になり得る。私達すべてが国家間の対立が軍備競争(それは関係者すべてにとって悪い)になり得ることを知っており、極端な場合全く不要な戦争になり得る。同様に進化論において、地質学的期間に渡る種内または競合する種の間の軍備競争は極度に有害になり得る5。確かに、自然淘汰が時には行き詰まり、結局絶滅に繋がるかも知れぬことは全くあり得ると思われる。ここにダーウィンに戻るマイルドに誇張されたバージョンの例がある([D3]、[D4]を比べよ)。好色な雌クジャクが必ず最も見事な尾を持つ雄クジャクを選ぶと仮定しよう。これは進化論的軍備競争になるはずであり、その間に雄達が非常に不恰好なので肉食動物から逃げられなくなるまで尾が徐々に大きくなっている。
同様の意見は経済学に当てはまる。この場合、慎重に選択された政府規制が抑制の無い競争の負の効果を調整出来て、関係者全員にとって良い成果に繋がるだろうことを人は希望する。だが、誰が慎重な選択をするのかに関する問題はもちろん政府事項であり、均衡理論にとってもっと複雑な問題に繋がる。

参考文献
(省略)

コメント

このブログの人気の投稿

ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する

今回紹介するのは abc 予想の証明に関する最近の動向を伝えている記事です。 これを選んだ理由は素人衆が知ったかぶりに勝手なことを書いているのをネット上で散見するからです。ここで言う素人衆は日本のメディアはもちろんのこと、馬鹿サイエンスライターも当然含みます。昨年末(2017年12月16日)に某新聞が誤報に近いことを報道したことも記憶に新しいでしょう。そんな情報に振り回されないために今回の記事です。 今回の記事は正確かつ公平だと私は思いました。私の友人共の何人かは、この方面の専門家だから門外漢の私はいろいろなことを教えてもらいました。その上での感想です。 その方面の専門家でなくても数学の研究者なら望月論文は無理でもレポートは読めるはずなので、もっと詳しく知りたい人はレポートを読んで下さい。 前置きはこれくらいにして、紹介する記事は" Titans of Mathematics Clash Over Epic Proof of ABC Conjecture "です。その私訳を以下に載せておきます。 [追記: 2018年10月06日] ここに至るまでの経緯については" 数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明 "を読んで下さい。その記事は2015年12月にオックスフォードで行われた望月論文に関する初めての国際的ワークショップより前の話が書かれています。 このワークショップはいろいろ評価が分かれるけれども、私が聞く限り、大失敗だと言う人が多いです。実際、私の海外の知人の一人がワークショップに参加しており、ボロクソに言ってました。 このワークショップを境に、海外特に米国では望月論文を理解しようとする熱意が急速に薄れたように感じますし、ショルツ、スティックス両博士の異議申し立てが出るまで実質何の音沙汰もない状態でした。 [追記: 2018年10月23日] 私の友人共に指摘されたのですが、この記事の私訳を読む人の殆どが日本の全くのド素人なんだから、たとえ原文に記載されていなくても誤解を生じさせないように訳者が万全を期するべきだと言われました。 記事に出て来る Publications of the Research Institute for Mathematical Sciences (略してPRIMS)

数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明

前回紹介した" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "はもちろん一般大衆向けの記事です。数論、数論幾何学、IUTT(宇宙際タイヒミュラー理論)のいずれかの専門家なら、そんな記事を読まなくても、そこまでに至る経緯は十分に承知しています(何故なら自分達の飯の種を左右する問題だから)。その方面の専門家でなくても数学研究者なら数学コミュニティ又は数学界を通して大概の経緯を聞き及んでいます。 私の身辺(私の友人共はすべて何らかの形で数学研究に携わっているので、それらを除きます)でその記事を読んだ感想は"そんなに拗れるのは不思議だ。もっと経緯を知りたい"というのが多かったです。その身辺の彼/彼女等はもちろん素人衆ですので、望月新一博士の名前も報道でしか聞いたことがないし、数学で何故これほどまでもつれるのか不思議でならないそうです。彼/彼女等は至って真面目です(何故こういう事を書くかと言うと、素人衆と言っても千差万別で、中にはネット上で国家高揚か日本民族高揚のために望月博士のことを書いているとしか思えない不逞の輩がいるからです)。そこで、それらの真面目な人達のために今回紹介するのは2015年10月の Nature 誌に載っていた" The biggest mystery in mathematics: Shinichi Mochizuki and the impenetrable proof "です。 何故これを選んだかと言うとエンターテイメント性があり、素人衆でも面白く読めるだろうと思ったからです。但し断っておきますが、いろいろな数学者の証言を繋ぎ合わせて望月博士の心情を勝手に推測するのははっきり言って妄想であり、さすがエンターテイメント性を重視して堕落した Nature 誌だけのことはあると私は思いました(あのSTAP論文を掲載したことも記憶に新しいでしょう)。 その私訳を以下に載せておきます。 [追記: 2018年10月06日] この記事は2015年12月に行われたオックスフォードでのワークショップより前の話です。このワークショップは望月論文に関する初めての国際的な会合で、この記事でもこのワークショップにかなりの期待を寄せているところで終わっています。 しかし、いろいろ評価が分かれ

谷山豊と彼の生涯 個人的回想

数学に少しでも関心のある人なら、フェルマーの最終予想が、これを含む一般的な志村予想を証明することによって解決されたことは御存知でしょう。この志村予想は、かって無知と誤解によって谷山-志村予想と呼ばれていました。外国では更に輪をかけて(と言うよりもアンドレ・ヴェイユの威光によって)谷山-志村-ヴェイユ予想と呼ばれていました。ヴェイユがこの予想に何ら関係しないことは、故サージ・ラング博士によって実証されました。それでも、谷山-志村予想もしくは谷山予想と呼ぶ人がまだ散見されます(散見と言いましたが、日本人ではかなり多いです。国民性に依存するのかどうか知りませんが)。私は数論を専攻したことがなく、ずぶの素人ですが、志村博士が書かれた記事や自伝"The Map of My Life"を読み、何故志村予想なのか納得しました。ここで込入った話を書くことは不可能なので、分り易く言えば、故谷山氏は何ら予想の内容にタッチしていないと言ってもいいかと思います。勿論、その周辺は谷山氏の研究分野でしたから周辺にはタッチしていたでしょうが、志村博士は全く独立にきちんと予想を定式化しました。ですが、谷山氏と志村博士はいわゆる盟友関係であり、また谷山氏の不幸な亡くなり方を悼む日本人的感情(つまり、センチメンタル)から日本人は谷山-志村予想と頑なに呼んでいるのだと私は理解しています。ですが、これは数学なのであり、事実を直視しなければいけないと思います。また、最終的に志村予想は証明されたのですから、何とかの定理と呼ぶべき時期だと思います。この"何とか"に何を冠するかはいろいろ意見があるようですのでこれ以上は触れないでおきます。 さて、志村博士の"The Map of My Life"の第4章、18節に"18. Why I Wrote That Article"があります。ページ数で言えば145ページ目です。タイトルが示している"あの記事"とは、志村博士が英国の専門誌 Bulletin of the London Mathematical Society に発表した" Yutaka Taniyama and his time, very personal recollections "

識別の危機

昨年紹介した" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "の元記事はもちろん大衆向けのオンライン科学ジャーナル Quanta Magazine に掲載されたものですが、著者はErica Klarreich女史です。彼女はサイエンスライタではあるけれども、歴とした数学者です。しかも、幾何的トポロジで彼女の名前を冠した定理を持つくらいの立派な方です。何故こういうことを書くかと言うと、IUTを支持するイヴァン・フェセンコ博士がKlarreich女史をいかにも素人呼ばわりした非常に下らないドキュメントを書いたからです。大学にポストを持っていなければ全員が素人なんですかと問いたいくらいです。これでは世界からIUT自体が白眼視されるのも無理からぬことだと思いました(本当のところは全く違う理由からなんですが、話せば切りが無いので止めておきます)。 さて、今回紹介するのはディヴィド・マイケル・ロバース博士が書いた記事" A Crisis of Identification "です。ロバース博士と言えばショルツ、スティクス両博士のリポートが公開された直後からキャテグリ論の専門家として非常に冷静な分析をされていたことに私は感心してましたから直ぐに記事を読みました。一つの不満を除いて非常によく書けていると思います。" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "も勿論読み応えのある立派な記事でしたが、どちらかと言うとドキュメンタリ風の記事でしたし、読者層が一般大衆であることを考慮してあまり数学を前面に出していませんでした。ロバース博士の記事はもう完全に数学を前面に出しています。 前述した一つの不満はグロタンディーク氏のことにスペィスを割いて結構触れていることです。今のABC予想の置かれている状況とはあまり関係がないと私は思いました。やはり大衆受けを狙ったのかと感じました。まぁ、日本でも素人には何故かグロタンディーク氏は大人気ですから(捏造されたエピソゥド、つまりグロタンディーク素数がどうたらこうたらに踊らされて?)、それはそれで良いのかも知れませんが。 前置きはこれくらいにして、この記事の私訳を以下に載せておきます。なお著者の注釈欄を省いていますが、注釈へのインデクスはそのままです。 [追

数学教育について

聞くところによれば、関数型プログラミング言語の流行とともに数学の圏論がブームだそうで。圏の概念が他の数学の分野を全く知らない人でも意味が分かるのか疑問を持っています。その理由は後で述べます。 私の手許に故Serge Lang博士の名著"Algebra"があります。この本は理由があって、何と大昔の1974年の初版第6刷です。非常に貧しい学生だった私に恩師が2冊持っているからと言って1冊を下さり、私の生涯の宝物です。 仮に数学を代数学、幾何学、解析学という全く意味が無い区分けをしたとします。意味が無いと言うのは、例えば多様体論なんかはどの分野にも入るからです。そうであっても無理に区分けしたとしましょう。この3分野のうちでも、代数学(厳密に言えば抽象代数学です)が、勉強するだけなら(あくまで勉強するだけですよ、研究となれば別の話です)数学的予備知識も数学的センス(故小平邦彦博士の言うところの"数覚"、位相群で有名だった故George W. Mackey博士の言うところの"数学的成熟度"、まぁ簡単に言えば数学的才能ですね)も全く必要としません。必要なのは論理を追うための忍耐力と言えます。ですから、理解出来るか否かは別にして、代数構造を"言葉"として吸収することは誰にでも出来ます。数学のどの分野を専攻してもLang博士の"Algebra"程度の知識は"言葉"として知っていなければ話にならないのです。数学での代数学は、私達が日本語や英語等でコミュニケーションするのと同じく、数学の言語なのです。 Lang博士の"Algebra"には、第1章群論の第7節に早くも"圏と関手"が登場します(ページで言えば25ページ目です)。ついでながら、この圏、関手という日本語は全く元の英語が想像出来ないので、以降カテゴリ、ファンクタと書きます。 ところで、Lang博士はブルバキにも入っていた人ですから、こういう抽象度が高い概念を重要視しているかと思いきや、決してそうではないのですね。元々カテゴリ、ファンクタ(ファンクタの方が重要な概念でして、カテゴリはファンクタが扱う対象物です)は、ホモロジー代数の一部として提案された概念です。ホモ