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IPMにおけるアラン・コンヌへのインタビュー

アラン・コンヌ博士のインタビュー記事に関しては、前に"アラン・コンヌへのインタビュー 第一部"、"アラン・コンヌへのインタビュー 第二部"と紹介しました。ですが、これらはインタビュアーがEMSの数学者達ということもあって、コンヌ博士はあまり本音を吐露していないように私は感じました。実はそれ以前に、もっと正確に言えば2005年に行われたIPM(イランのテヘランにある国立基礎科学研究所Institute for Research in Fundamental Sciencesのことですが、元々はInstitute for Studies in Theoretical Physics and MathematicsだったのでIPMと略称されました。そして、名称が変わった今でもIPMと略称されています)での非可換幾何学に関するワークショップにおけるインタビューがあって、こちらの方が遥かにコンヌ博士の本音が出ているように思います。イランでのインタビューだったから、のびのびと発言出来たのかも知れません。例えば、猫も杓子も弦理論を叫ぶ愚かな風潮への批判、グロタンディーク氏とその学派の振舞いが傲慢に見えたから距離を置いていたこと、ブルバキ内部の人達の人としての礼儀の無さ、ブルバキの積分論のひどさ(これはコンヌ博士のみならず、本当に読んだことのある人なら普通そう思うでしょう)等々、ヨーロッパの数学者達の神経を逆撫ですることを語っています。
私は当時海外に滞在中で、そのインタビュー記事をIPMのサイト内で読みましたが、今IPMのサイトの中を探しても見つかりません。仕方がないので、そのインタビュー記事の複製のリンクを貼っておきます("An Interview with Alain Connes")が、但しこれもいつリンク切れになるか分かりませんのでお早めにご覧ください。また、元々のインタビュー記事と一字一句同じかどうか(趣旨が同じであっても)今となっては私も分からないことをご了解下さい。実際、誤植がほんの少しあり、しかも、どの過程で紛れ込んだのか分かりませんが、英文も少しおかしい個所があります(仏語でのインタビューをイラン人が英訳したため?)。
このインタビュー記事は当時海外において少なくとも私の周辺で話題になりました。周辺以外でも、例えばPeter Woit博士の有名なブログNot Even Wrongにおいて"Interview With Alain Connes"と題して言及されました。私は海外から日本のコミュニティの動向を注視しましたが、言及された様子が無かったように思います。政治、文化、スポーツ、学問等、大概のことで(もちろん例外もあります)日本は周回遅れの国だから仕方が無いのかなとは思ったのですが、帰国してから随分年月が経つのに一向に話題になった記憶がありません。そこで、私の思い出と資料的価値のために私訳を以下に載せておきます。

[追記: 2019年03月22日]
このペィジは2015年09月07日に某サイトに載せたものです。従いまして、当時生きていたリンクも現在ではリンク切れになっている可能性があります。

IPMにおけるアラン・コンヌへのインタビュー
2005年

G. B. Khosrovshahi(以下、GBKとして略称)
私達の最初の質問は、21世紀において何が数学の主なトレンドになると貴方は考えているかです。
アラン・コンヌ(以下、Cとして略称)
ええと幸いにも数学の発展は人が予測出来るものではないし、予測しようとするのは馬鹿げているだろう。私達が数学をすることを好む一つの理由は、未来の研究が解明するだろうものが目の前にあることを知らないからだ。しかし、私達がより良く理解しなければならない、不思議な構造の実例を説明することは可能だ。数学における"21世紀の課題"についてのトークをしないかと私は最近頼まれたが、長大なリストを与えることよりも、紹介するのは簡単だが、その幾何学がまだ不可思議な、たった2つの実例に私は焦点を絞った。一つ目は4次元時空、二つ目は素数の空間だ。私は4つのトークで、それらの幾何学の非常に小さな断片を説明したが、明らかに私達はもっとよく知りたい!
M. Khalkhli(以下、MKとして略称)
一部の人達が21世紀はインフォマティクスとバイオマセマティックスの世紀となり、それらの2つの活動が21世紀を支配するだろうと言っています。これについて反対しませんか?
C
コンピュータが数学者達に大いに助けとなり、現時点でバイオマセマティックスがその潜在的応用のために多額のお金を引き寄せていることは明らかだ。バイオマセマティックスにおいて興味深い研究があり、数学が例えばゲノムによって与えられる大量の情報を対処するためのツールとして実際に必要とされている。いくつかの潜在的応用は実に素晴らしいが、集金の多さ(それは何も意味しない)のレベルを除いて数学の支配的活動と見なすには十分ではない。インフォマティクス自体は、コンピュータが偉大なツールであり、数学のいろいろな分野の序列に関する私達の認識を変えていることは明らかだ。例えば、微分方程式、特殊函数等の完全な駆使能力は大事なスキルだったものだが、近頃ではコンピュータがこれらのことをずっと上手く出来る。たんに方程式を入れDsolveを書いて解を得る...回顧すれば、以前には非常に抽象的だと考えられていた数学の領域に、これは多くの価値を与えている。
GBK
貴方の数学的研究でコンピュータを使うだろうと思いますか?
C
ええと、あのう私は最近コンピュータを大量に使って来ている。
GBK
本当ですか?
C
はい! 私は長年に渡ってコンピュータに関する2つの異なる認識をした。最初に起こったことは、数年前葉層構造に対する指標公式をHenri Moscoviciと一緒に計算していた時だった。その時点で、私達はコンピュータについて否定的な見解を持っていた。コンピュータを使って計算するよりも手計算の方がずっとよい考えていた。だから、私達が知りたかった式を計算するために、私達は個別に別れて一日8時間計算して3週間を費やした。その後で、もちろん私達は結果を比較したが、マイナーなミステークがあることを見つけた。これらのマイナーな修正の後に、私達の結果は一致したが、コサイクルを得ると思っていたのに、式はコサイクルを与えなかった。
そして理論におそらく間違いがあるのかと私達は本当に心配したが、結果をじっと見つめることで、最終の式に現れる36項の8つの符号を変えればコサイクルになることが分かった。私達は先ずこれらの項を再度チェックすることに戻り、暫くして何故それらの符号が間違っているかの理由が極めて微妙だと認識した。つまり、計算するにあたって私達は概念的間違いを作っていて、副次主要シンボル以下の微分作用子内の重要な項を忘れていた! その時点で遅い"手"計算のみが与えることが出来る式のすべての項の精密な知識無しでは、この微妙な修正を見つけられなかったと私は確信した...
数年後、私は決心を変えた。すなわち、Michel Dubois-Violetteとの研究で、1440個の積分の和(各々の積分が、テータ函数とその導函数における高次の有理函数の、モジュラスqを持つ楕円曲線の周期を持つ)で記述される結果に出会った。三角函数極限の中でさえ、これらの和を計算することは困難だった。だから私達は最初にその極限の場合にコンピュータを使ったが、それが理論のパラメータに基づく美しい式を算出した。そして、ヤコビ楕円函数sn cn等を使って、この式を楕円の場合に拡張する方法を推測するため私達は6ヶ月かかったが、推測出来ないモジュラスqの未知函数がまだ前にあった。その時に理論において計算時間を50倍割る簡略化を見つけ、そしてqの冪に展開の最初の項を得、デデキントのイータ関数の9次の展開における最初の項だと分かった。私達は次の項を予測出来たが、パソコンの計算能力をまだ超えていたから、エコール・ポリテクニーク内のコンピュータシステムを使わざるを得なかった。それが、まさに予想された項を算出した。その時に私達は正しい公式を得たと確信した。そして、その意味を理解するための困難な作業があったが、私達は結局やり遂げた。
だから私は、あの場合において手でやるのは全く不可能であるので、コンピュータがとても役立つことを否定出来ない。1440個の積分の各々が、関連する次数までqの冪に展開される時、三角公式の200ページにもなった。これを手では出来ない。全く不可能だ。明らかにコンピュータはいくつかの条件下でずっと良く分かることを可能にする! 私はコンピュータを、間違い無く不満を言わずに今までに最も退屈な仕事をする奴隷にちょっと似ている助っ人として考えている。
GBK
コンピュータはレッテル"奴隷"のようなものではないかも知れません。
C
あの場合にコンピュータは非常に役立ったし、後には、例えばホップ代数等を含む代数的計算に伴うものをチェックするのに私はコンピュータを使い続けていた。概念的問題、類推やそのようなもののレベルにおいて人間の思考力を置換えないだろうが、ツールとしては素晴らしい。コンピュータは非常に良いメガネのようなものであり、私は好きだし何も反対しない。コンピュータは有限的に多くの場合をチェック出来るだけである、しかし三角函数展開の簡略化等のような形式的計算をするのであるから、これは完全に間違っていると一部の人達が言うのを私は聞いたことがある。コンピュータは論理的推論さえも出来、公理と論理規則の集まりを与えれば簡単な結果を証明出来る。
GBK
あのう証明をチェックするアルゴリズムがあります。
C
だが、現時点でそれらのアルゴリズムは非常に不恰好であり、私達が持ちたくない非常に機械的で形式的な方法でチェックしている。それらは実現するだろうが、効果的かつユーザフレンドリーにさせるのに時間がかかるだろう。しかし、計算をチェックするなら、それらは既に無敵だ!
GBK
いつか量子コンピュータが実現するだろうと思いますか?
C
量子コンピュータについて主要な問題は"物理的に"実装されなければならないことだ。実験物理学の非常に困難な問題だ。それは理論的問題ではなく、実際にかなり困難にしていることはシステムを整え、結果を読み、従って量子から古典へ渡ることだと私は思う。もちろん理論全体の可能性は実践的実装に依存する。実験家達は奇跡をやる傾向にあるから、私達は待って確認する必要がある。
GBK
一つ質問をしたい。弦理論について何を思いますか?
C
ええと、弦理論は物理学と数学の異なる部門(主に微分幾何学、数え上げ代数幾何学、複素解析)の間の美しい関係を露わにした。もっとはっきり言えば、弦理論は以下のように始まった。一番最初の時、ヴェネツィアーノとその他が強い相互作用に対する双対共振モデルに誘発された弦理論を始めた時、彼等はマンデルスタム変数による散乱振幅に対する双対方程式の解を発見し、これらの解は一般ベータ函数(これは複素解析の観点から非常に自然的だ)のように良い数学的函数だった。そして、サスキンドとその他によって、これらのモデルは弦の伝播から幾何学的に理解され得ることが認識された。複素曲線内部空間またはリーマン面から目標の空間への写像空間を使って、与えられた複素空間を"テスト"するための非常にパワフルなアイデアだ。そして物理学者達は共形場理論(これは極めてパワフルだ)の宝庫すべてを使えた。これは、複素幾何学のいくつかの部分を活性化した、"物理学に動機づけられた"数学みたいなものををやる非常に興味深い人達のグループを形成した。彼等は数学に対してかなり自由な意見を採っているが、その意見は独創的かつ生産的であり、非常に前向きな影響があった。弦理論は数学として始まり、今日まで非常に前向きなインパクトがあった。
或る講義に出席しているパウリの有名な逸話がある。その講義でフォン・ノイマンが黒板で定理を証明していて、パウリは彼を遮って"物理学をやることが定理を証明することなら、君は偉大な物理学者だろう"と言った。なるほど、しかし物理学者として本当に資格を与えるためには、証明に無頓着であることが十分なのではない。本当の問題は、弦理論が現実と関係があるのかどうかであって、これが鍵となる問題であることを私達皆が知っている。その鍵となる問題は超対称性によって始まる。自然が超対称なのかどうか、例えばフォティーノ(これはフェルミオンであり、フォトンの超対称性パートナーである)が存在するのかどうか、各クオークに対してスクオーク(そのクオークの超対称性パートナーである力だ。力は今までのところ観測されていない)が存在するのかどうか。今までに3または4つの超対称性パートナーを物理学者達が既に見つけていたなら、彼等は他のものも見つけると私は信じるだろうが、実際には何も見つけておらず、そのために私は非常に懐疑的だ。古代には、太陽系に地球と同じ惑星があると言っている理論があったが、太陽に関して正確に対称でないので私達は発見出来ない。超対称性がその理論よりもずっと説得性があると私は思わない。超対称的標準モデルはぞっとするものだ...100を超える自由変数と、あの"美しい"未発見の超対称性を壊す醜いメカニズムを持つ! もっと証拠が提示されるまで、私は懐疑的見解を持つ。2007年に説得性のある実験結果を見るかも知れないが、その時まで私は弦理論の最開始点さえも懐疑のままだ。
GBK
しかし、彼等の数学を貴方は評価しています。
C
確かに。そうでなければ、私が腰掛けている部門を辞めいているだろう。例えば彼等は非可換幾何学を使って、素晴らしいことをやり、物理学における彼等の専門的知識は偉大だが、それでも私は現時点で自然がこの経路を選んでいると思っていないままだ。超対称性に必ずしも基づかない競合する他のモデルを構築することが非常に重要だと思う。物理学の発展にとって、専制的なドグマに従わない勇気のある人達、異なるモデルを展開する異端者達がいることは重要だと思う。
GBK
物理学者達にとって完全なモデルがまだあると貴方は考えているのですか? 彼等は皆弦理論について考えていますよ。
C
素粒子物理は素晴らしい精度でテストされて来ている貴重なものを含む。これは、くりこみ技法と標準モデルの両方を含んでいる。私はこれらの偉大な発見を尊重しているし、概念レベルで両方を理解するために多くの時間を費やした。くりこみに対しては、Dirk Kreimerとの、それからMatilde Marcolliとの私の研究の結論は、発散がカルティエの推測していた不思議な宇宙ガロア群作用の生成元だから、むしろ喜ばしいということだ。その教訓を学ぶのは非常に困難だったが、4次元連続体に関する私達の素朴なアイデアには、本質的に幾何学をくりこむ特殊な普遍的方法を使用して、複素次元近辺からアプローチしなければならないことが現れている。かなり興味深いことには、この手法が、重力の内部分として単純に標準モデルの記述を与える、4次元時空の非可換的修正に正確に一致することだ。これらの教訓をよく理解することで、次のステップは、非可換幾何学によって与えられる幾何学のスペクトルのフレームワークと、すべての幾何を合算するファインマンのレシペとを結合することだ。開始点は古典的な微分同相不変を、唯一の観測量が"スペクトル"である、すなわち幾何の測度スペクトル不変な点まで拡張することだ。その時に、非可換幾何を含むすべての幾何に渡る汎函数積分を書くことが出来、それが或る行列モデルを与える。エルミート行列の中から"ディラック演算子"を選び出す制約を定めることに関して残っている問題が、私が上で言及したDubois-Violetteとの研究の主な動機だった。
量子重力に対してはループ重力もあるが、私は専門家ではない。ループ重力がやっていることの中でどのようにくりこみを上手く避けられるのか分からないが、確かにスピンネットワークに対しては話すべき素晴らしい何かがある。異なるアプローチが開発されて、それらを急いでマージしないことが重要だ。例えば非可換幾何学において、私のアプローチが唯一のものではなく他のアプローチがあり、これらのアプローチに対して、同じであるべきという社会的圧力が無いようにして独立に発展出来ることが極めて大切である。例えば量子重力において、状況を判断するには余りにも時期尚早だ。私が弦理論において憤慨している唯一のことは、弦理論が答えを与えられる唯一の理論である、または答えに非常に近いことを人々に押付けていることだ。それを私は怒っている。十分な知識を持っている人達に対しては、宇宙定数、超対称性破れ、等々のような障害となっている問題すべてを知っているのだから、それは結構なことだが、初心者達を物理学プログラムで担当して、彼等を一番最初から洗脳するのであれば、全く公平でない。若い物理学者達は完全に自由であるべきだが、実際のシステムでは非常に困難だ。
GBK
そして、どれ程まで彼等は数学の中に行けるのでしょうか? 弦理論家達は物理学者達よりもずっと数学的だと貴方は言いました。どれ程まで彼等は数学の中に行けるのでしょうか?
C
上で私が述べたように数学において、彼等は複素幾何に非常なインパクトがあった。超弦理論は、観測される4次元時空よりも6次元多い10次元空間を与える。カルツァ-クライン理論に近い単純なアイデアは、理論の真空状態の基本制約に応じるためにカラビ-ヤウ多様体の中で求めているプランク長サイズの6次元空間のファイバー空間を持つということだ。だから、手短に言えば、そんな空間で複素曲線がどのように伝播するかを見ることによって彼等は3次元複素幾何をやっている。彼等は数学者であるが、異なるタイプの考え方を持つ数学者だ。非常に自由で、極めて賢い集団の中で研究する。彼等は同じことを追わず、複素幾何が持っていなかったツールを持っているので、素晴らしい材料を作成出来た。
本質的に一意な真空、つまり弦理論制約で探し出されたカラビ-ヤウ多様体があるであろうことと、それが素粒子物理の標準モデルの現象学を再現するであろうことが夢だったから、物理学である限り状況は完全に異なる。20年後、その目標はずっと遠くに思われ、妄想のように見える。私を腹立たせる本当のことは、今世間で伝播されていることが量子重力は存在し、それは弦理論であって、宇宙は弦で作られているという考えだと思う。この考えを説明するポピュラー本を読み、人々は無条件に受入れている。多くの人々が宇宙が弦で作られていると信じている。それに対する何の証拠があるのか? 何も無い!
GBK
私達が一から始めたここ(IPM)のような所では、物理部門が完全に弦理論に支配され、良くないです。物理学にとって健全ではありません。
C
ここの弦理論グループは、良い指導者Ardalanとともに素晴らしい! そして、彼等は早い時に非可換幾何学に追いつき、良い貢献をした。長期に渡る物理学に関する問題は、実際のトレンドが一つのことにすべてをかけることであり、それは安全でない。実際ほとんどの理論物理学者達が弦理論をやっており、御存知の意味で物理学にとって全く健全でないと思う。
GBK
弦理論をやっている物理学者が多いと思いますか? 世界で弦理論において活動的な人は700人しかいないと聞いたことがあります。
C
600人乃至700人を引寄せた2004年のパリにおける弦理論会議があった。
GBK
だから、数はそれほど低くない。
C
弦理論において研究者は2000人だろう、他方非可換幾何学において約150から200人いるだろう。
GBK
弦理論グループはコストがかからない。数学に似ている。
C
その面において彼等は全く理想的だ。彼等は変装している数学者達のようであり、数学者達が出来ないであろう非常に独自な方法で数学をやっている。そして、彼等は多くの物理を知っている。物理学においてエキスパートだが、皆同じ苦境にあり、それが問題だ。超対称性は複素数との非常に強い互換性を仮定する。複素数は断然に実数よりも簡単だから、もちろん、その仮定は物事を簡単にする。"複素解析は美しいが、実解析は汚い"と言ったのはアンドレ・ヴェイユだ。物理学がそのようなものであること、何故そうでないのかと願うことは出来る。それは美しい夢であるが、これが真実だと信じるには余りにも時期尚早だ。数学的理論をより簡単にするが、物理学によって私達に渡されるものを受入れない、余りにも多くの仮定に基づいているからだ。だから私の考え方は異なる。物理学が私達に与えるものから始め、それを理解しようと努めることを私は好み、宇宙ガロア群のように全く予期されていない数学的構造を物理学の既にテストされた部分に見出す。少なくともこれが自然と関係があると確信出来る。
MK
何の種類の非可換幾何学を物理学者達に勧めているのですか? 彼等によって全く忘れられた部分(それは新しい提案と視点を与える)があるからです。
C
ごもっとも! 例えば、非可換空間上で量子場理論における変則を見る時、関連コホモロジーがサイクリックコホモロジーであり、式がずっと複雑になっていることが分かる。だから変則を取り扱うために、サイクリックコホモロジーと局所指標公式を扱っている非可換幾何学の部分を学習することがおそらく良い考えだ。
最初、ウィッテンが開弦に関する最初の論文を書いた時、彼はチャーン-サイモンズ作用を定義するためにサイクリックコホモロジーを使っていた。もっとはっきり言えば、彼は開弦のたたみ込み多元環上でサイクリック3-コサイクルを構築していた。これは86年にさかのぼり、長く続かなかった。
物理学者達はよくシフトし、最新の流行を研究する傾向がある。98年頃の或る時点で、DouglasとSchwarzとの私の論文の後、流行は非可換幾何学だったから、私は不平を言えない。しかし、暫くしてMichael Douglasと会い、これらの問題についてもっと考えているかと聞いた時、もはや非可換幾何学は最新の流行ではなく、彼は何か他のことを研究したかったので、返答はノーだった。数学では、数学者は時々一つの問題について長年研究するが、これらの若い物理学者達は全く異なるタイプの研究習性を持っている。数学での時間単位は約10年。数学で10歳の論文はまだ最近の論文だ。物理学では3ヶ月。だから私は常に素早い行動に対処することが非常に難しいと思う。
GBK
ここに問題があります。貴方は10年と言いました。時おり物理学者達は10回の引用を受けるだろう論文を明日発表する時にデータベースを持っていますが、数学では論文が公的注目に来る前に4年または5年かかることを私達はここで議論しています。
C
もちろん、もちろん。
GBK
殆どの物理学者はこの種のものさしを理解していません。
C
例えば私自身の論文を見る時、引用回数がもっとも多いのは、私がDouglas、Schwartzと一緒に書いた論文だ。
GBK
あの論文がどれくらの引用回数か知ってますか?
C
ほぼ1000だと思うが、この論文の主目的が弦コンパクト化の方程式と非可換トーラス(80年代初期にMarc Rieffelと一緒にやっていた)上の正則バンドルの分類を関係付けることだったから、大して引用回数は意味がない。非可換トーラスに関する古い論文は殆ど引用されないが、そこでの結果はその時から何回も姿を変えて再発見されている! 引用回数は本当に本当に奇妙なものさしだと思う。数学において引用を見るならば、殆どの人が読まない非常に難しい論文があるのだから、意味を為さないし、もっとはっきり言えば、引用はもちろんのこと、論文の難解さとそれを実際に読む人の数の間には現実に逆相関関係がある。
GBK
私はある質問をするつもりでしたが、Masoudがするなと言いました。しかし、それでも形を変えて質問します。数学の確固とした分科として非可換幾何学自体がどれほど確立されて来ていると考えていますか?
C
今25年後で、代数学、解析学、幾何学のような数学の他分野と接触を作って来ている非可換幾何学の多くの部分がある。例えばサイクリックコホモロジーはノヴィコフ予想を通じてトポロジーとさえ接触を作って来ている。物理学とのリンクは初めからそこにあり、実質的に全理論が量子革命のインパクトを翻訳している。実際の最前線は数論であって、横断するのは難しいだろう。
それでも、Q-格子の可約クラスの空間と同じように自然である非可換空間がリーマンのゼータ函数の零点のスペクトル実現を与えることは非常に際立っている。だから内側からの私の印象は理論の発展に非常に幸福を感じていることだ。例えば昨日、非可換空間の21個の実例を書くことが出来る問題セッションがあったが、各々が実際に実例の一族だった。だから、新しいツールと空間を与えており、やるべき多くのこと、調べるべき新しい領域を作っていることが全く明らかだ。保守的数学(確率論、代数学、幾何学、等々の分野であるような標準的トピックスの一覧がある)の観点から見れば、まだこれらのトピックスの一つでない。最近の国際会議に対して、ユーリ・マニンが非可換幾何学に関する新しいセクションをICM[訳注: International Congress of Mathematicians 国際数学者会議]に作ろうとした。
GBK
Mathematical Reviewsですか?
C
違う、Mathematical Reviewsに対してではない。Mathematical Reviewsにおいては既にセクションだが、彼はICMに対して作ろうとしていたが、多くの抵抗があって、もっとはっきり言えば、大部分が近い分科からだ。社会問題レベルで非可換幾何学はヨーロッパにおいて非常に上手く行っていて、インド、オーストラリア等を含む多くの他の所で存在し始めている。米国では、バークレー、コロンバス、ペンシルベニア、ヴァンダービルト等のように局地的場所において強い柱があるが、一流大学においてまだ代表者がいない。
GBK
ハーバードとプリンストンで誰もいないと言ってるのですね?
C
はい、例えば、ですよ。
GBK
非可換幾何学の将来について楽観的ですか?
C
私は人為的に事を起こしたくないし、分科はそれ自体の価値のみで存在すべきであり、社会、流行等のためでないと思う。数学には多くの健全性があり、新分野が受ける抵抗は一種のフィルターとして前向きな役割をする。抵抗があり、それに勝つための唯一の方法はもっと研究すること(それが刺激になるのだから)の方を私はずっと好む。
GBK
昨日、皆がIPMのカフェテリアで話していて、私はただ立ち聞きしました。中心人物はアランであり、そして彼は預言者、アジテーター、すべてだと彼等は言っていました。
C
それはお世辞だが、私はそれを良くないと思う。もっとはっきり言えば、私達皆が人間であって、個人を盲信し、何が起こってもその人を信じることは間違った考えだ。実例を挙げるため、私に起こった或るストーリを話せる。
私は1966年にシカゴへ行き、物理部門でトークをした。有名な物理学者がそこにいて、トークが終了する前に彼は部屋を去った。この物理学者に私は2年間会わなかった。2年後、オックスフォード近くのラザフォード研究所でのディラックフォーラムで私は同じトークをした。今回、同じ物理学者が出席していて、非常に開放的で納得しているように見えた。後で彼が自身のトークをした時、大変前向きに私のトークに言及した。同じトークだったし、私は彼の前の反応を忘れていなかったので、これは全く驚きだった。だからオックスフォードへ戻る道中、私はバスで彼の隣に座り、次のことを素直に訊ねた。貴方はシカゴで同じトークに出席し、終了前に去り、そして今それを好きであるとはどういう訳であり得るのか。奴は初心者でなく、しかも40歳代だったが、彼の答えは"ウィッテンがプリンストンの図書館で貴方の本を読んでいるのを見た"だった! だから私は、人々が自分自身でものを考えることを妨げたり、その分野を規制したり、人々を序列化したりなんかをする預言者の役割をしたくない。私はもっとアイデアを欲しいし、数学の分科としての非可換幾何学を好きだから、それについて心配をするが、預言者として私の名前を非可換幾何学に関連させたくない。
GBK
しかし、それは!
C
ええと、問題なのはアイデアであって、それらは誰のものでもないことがポイントだ。数人の人達が階層のトップであり、その他の人々を審査し序列化出来ると言明することは全くナンセンスで、殆ど社会学によって生み出される(もっとはっきり言えば、推薦状システムによって)。非可換幾何学において、それが本当になってほしくない。私は自由が欲しい、異端者達を歓迎する。
MK
数学では、古い世代が新しいアイデアに直面する時、彼等はそれに抵抗する現象があります。彼等はそれを理解するのが非常に困難だが、新世代にとって全然問題でなく、それを採り入れて滑る様に進みます。今や非可換幾何学は多くの異なる事柄を含む分野であり、実際はハイブリッドです。新世代にとって、彼等はこれらの事柄が発生するのを見ており、人々に語る等をするのだから、非可換幾何学はずっと簡単になるだろうと私は感じます。ですから、社会的状況について私はいくぶん楽観的です。
C
その通り! 若い世代に非可換幾何学ではやるべきことが多くあり、それは建築現場に似ており、私達は多くの助けを必要とすることを納得させることが実際の目的だ。だから、私達はカンファレンスを必要でなく、教習所、これこそがここでやっている動機だ。つまり、若い人達を納得させるための学校を作ること。私達は古い世代を納得させることによって事柄を変えない。新世代を納得させることに注意を払う。
GBK
古い世代を納得させることは困難です。
C
気にしない! もちろん、批判を持つことはいつも有用だ。他方、それが主なポイントではない。
GBK
約2、3年前、クレイ数学研究所が7つの注目すべき問題をアナウンスしました。そのリストに加えるべき他の問題を持っていますか?
C
2000年だったね。クレイ数学研究所の主な動機は大衆の注目を数学に引寄せることであり、その点で完全に上手く行った。波は極端に遠い場所に行き、世界の殆どの国の学術誌はこれらの問題を語った。だが、問題に懸賞金を与えることのあり得る一つの欠点は、利己的な考え方を支持することだ。例えば、解決に近いなら、アイデアを誰にも共有したくない。
MK
例えば、ヒルベルトが彼の問題の選択において予言的でなかったこと、20世紀の数学の過程がヒルベルトの問題で予想されなかったことに賛成しますか?
C
それらのいくつかは役割を果したが、数学はこのようには動いていない。誰も問題が有名だから研究するのではなく、問題が興味深く、関連性があるからだ。ミレニアム問題[訳注:クレイ数学研究所が提唱した問題全体の呼称]のゴールは大衆の注目を数学に引寄せることであり、その点で上手く働いた。
GBK
それらの7つの問題のうちで、どれが最も注目すべき問題ですか?
C
そんな問題の選択には必ず多少の任意性がある。リーマン仮説のように誰もが賛同する問題がある。だが、ナビエ-ストークスは? 私達がもっと知りたく思う典型的な非線型方程式だが、滑らかな解の存在または崩壊の間に方程式の決定を言うことは非常に困難だ。それは解析学で非常に難しい数学的問題であり、方程式が適用する具体的な実例に関係するだろう。いくらかの任意性がある。だから、これらの問題(いくつかは問題を定式化することさえ非常に困難である)が最も重要な問題であると誰も確信出来ない一方で、解決が意味することは誰にも明らかだろう。これは、例えばヤン-ミルズ問題(その"数学的"定式化が非常に困難)に対して明白だ。
MK
貴方のイラン旅行及びIPM訪問について質問をしてよいでしょうか? ここに来る前の貴方の感情は何だったのか。どのように変わったか、または少しでも変わったのか。そして、IPMでの数学の現在の印象は何でしょうか?
C
最も印象深いのが、自由な考えを持っている才能ある学生の数だ。それを見るとは思わなかった。もちろん弦理論グループも印象深かった。彼等は非常に創造的で偏見を持っていないと思う。彼等の研究のやり方は非常に印象的だ。私はこのグループに本当に感嘆する!
GBK
彼等の分野がそれほど前途有望ではないけれども!
C
ええと、グループとして彼等は素晴らしいグループの人達だし、物理学をよく知っている。物理学における弦理論の将来に関する私個人の意見はここでは無関係だ。私はインサイダーではない。私が確信していることは彼等が数学にとって有り難いということだ。
GBK
そして、IPMとここでの雰囲気、カンファレンスが実施されたやり方について貴方の印象は?
C
ええと私の印象は極めて肯定的だ。若い人達に非可換幾何学が多くの独創的な研究を出来る適切な分野であることを納得させたことが希望だ。
GBK
私達がここで素晴らしい友人達MasoudとMatildeを持って幸せです。数学の多くの分科に投資してよかったですが、資金が十分でありません。私達は資金無しでは研究出来ないが、Masoudがここで何かを考案出来るかも知れません。
C
Masoudは重要な本領だ。彼は私達に来るよう納得させ、そして彼の役割はイランで非可換幾何学を発展させるために決定的だ。彼は貴方方と物理学の間の極めて重要なリンクにもなり得る。私は8月に中国へ教えに行った。局地的に小さな波を作れるが、もっと恒久的な関係を築く方法が無ければ、長く続くインパクトを持つことは非常に難しい。学生とポストドクの決定的な人数に達することが重要であり、今や非可換幾何学の地域的グループの類を作ることが可能だと私は思う。他の所の人達のように、インドに人がいて、ベイルートにも人がいて、そして彼等が異なる好み、異なるアプローチで独り立ちし始めることが出来る。
GBK
私達は物理部門とのリンクも作れます。
C
もちろん! 弦理論家達は非可換幾何学についてよく知っているが、彼等は異なるアプローチを持っている。彼等は私達の一番の協力者達であり、彼等とより親しさを増すためのすべてのものを私達は持っている!
GBK
彼等はこの会合にも非常に興奮しています! 16年間にここで持った始めての会合ではないのですが、物理学と共通なことをしたことがありません。だから、この会合は非常な成功だったし、貴方が来て非常に感銘を与えました。
C
ここで非可換幾何学を発展させる素晴らしい機会だった。これらの輝かしい弦理論家達と提携するために! おそらく彼等は数学者達なんかに物理学の講習を出来る。彼等に対して偏見が無いはずだ。
GBK
だから、この研究所にとって彼等が私達の隣にいることは有り難いことです。
C
いいことだ!
GBK
一つ文化的な質問です。貴方は70年代にハーバードからの申し込みを受けたが、拒否したと誰かが私に言いました。
C
70年代でなく、80年代だった。
GBK
貴方はヨーロッパ流の数学へのアプローチの方を好んでいます。
C
もちろん。米国にいたなら、私が全く好きでないシステムに入らなければならなかっただろうね。しかし、この理由のために行くことを拒否したのではなかった。6ヶ月早くコレージュ・ド・フランスでの地位を受けていたし、その後でもちろん私は別の所へ移るつもりが無かった。
GBK
しかし、貴方はヨーロッパ流システムの方を好んでいます。
C
もちろん。
GBK
ヨーロッパ流システムはヒーロー達にとって非常に良いが、普通の数学者達にとってそうでないと皆が言います。
C
フランスにはCNRS[訳注: Centre national de la recherche scientifique フランス国立科学研究センター]という驚異がある。天分豊かな人達が彼等の余生の間保つことの出来る地位を得られる所だ。ラフォルグのような人達が、年間n個の論文を生産したりNSF[訳注: National Science Foundation アメリカ国立科学財団]の補助金に申請したりする必要が無く、問題について長年考えることを可能にしていることが主な要点だ。若い人達は短期間単位のシステムでは出来なかったプロジェクトに長期間投資出来る。
GBK
これは幾人かの人々とって活発化しているのかも知れませんが、他の人々にとって、そこへ行って長年何もしないので、抑制化しているのかも知れません。
C
あらかじめ誰がラフォルグみたいになるのか決定出来ないし、殆ど生産しない他の人々をほぼ自動的に持つことになるだろう。それがルールだ。年間n個の論文を書くこと(本当に難しい分野ではナンセンスである)のプレッシャーを削減するための代償だ。そんな難しい分野を学習するためには5-6年かかり、長期間で何も生産しない。論文を生産する必要で常に悩まされること無しに、幾人かの人々に研究する力を与えるという意味で、フランス流システムは非常に効率的である。他のシステムと全く異なるが、成功している。CNRSの数学研究者達の殆どが興味深く生産的な数学者達だ。唯一の問題は大学との十分な情報交換が無いことで、長年私はそれを変えようと努めて来ている。CNRSと大学との間の交流をするための十分な柔軟性が無い。
GBK
しかし、CNRSの研究室は大学の中にあります。
C
そう、彼等の研究室は大学の中にある。彼等の隣にいる大学教師達にとって非常にきついし、教務で過重だ。2つのグループ(大学にいる人々とCNRSのメンバーの人々)間で義務の交換をするための簡単な方法が今までのところ無い。私は6年間大学で教えていた。
GBK
どの大学ですか?
C
パリ。大学レベルで教務を持っている間、研究することは非常に困難だ。その時点での私の印象は、私が研究しなければならない可能な時間(連結区間であるのが常だった)は突如カントール集合に変換し、常に中断させられたことだ。
GBK
貴方はどこから補助金を貰っているのですか? CNRSから、それとも...
C
最初私は数年間CNRSにいて、それからカナダへ行った。カナダにいた時、パリの大学職を申し込まれ、それを受けたが、大きな間違いだった。教え始めてすぐに、去るのは馬鹿だったと分かり、再度CNRSを申請した。再加入を認められるのに6年かかった。これは75年と81年の間だった。
GBK
フィールズ賞の前ですか?
C
ええと、フィールズ賞の少し前についに私はCNRSの職を得た。
GBK
しかし、貴方は今コレージュ・ド・フランスにいます。まだ研究費をCNRSから貰っているのですか?
C
違う、違う、米国で夏期研究に対して貰うNSF補助金のような研究費は無い。フランスはお金について機能しない。
GBK
貴方はある組織に雇用されています。
C
そう、例えばCNRS。
GBK
それでは、研究するためのお金、研究のための旅行をするお金についてはどうなんですか? これらのことすべてがCNRSから来るのですか?
C
旅行に可能なお金は殆ど無いし、その少しの金額をCNRSから得るために多くの官僚がいる。
GBK
貴方の給料はCNRSが支払っています。
C
私は今コレージュ・ド・フランスにいるから、給料はそこからだ。
GBK
それは固定されてなく、昇級します。
C
違う、固定されている。
GBK
増加無し? 昇給無し?
C
人がすぐに達成する最大限がある。不自由しているなら、フランス流システムはお金に基づかないが、それは変わるかも知れない。長い間、知識人達はお金に対する深い軽蔑(少なくとも私の世代にはあった)を培養して来た。例えば私がCNRSに申し込んだ時、お金よりもずっと"時間"を欲しかったので、低い職位を申請した。
MK
貴方が言っていることはここと深く関わりがあります。ここイランでは、研究機関と補助金システムを構築しようと努めているからです。世界で入手可能な異なるシステムを記録し、最も適切なものを選ぶことが重要です。
C
今までで最も成功しているシステムは、ランダウ理論物理学研究所、ステクロフ数学研究所等のようにソ連の大きな機関だったと私は信じている。お金はそこでは役立たず、仕事は科学について語るだけだった。多くの若い人達を研究所に集めて、車を買うこと、もっとお金を得ること、キャリアのための計画を練ること等について考えることで堕落させること無く、彼等の基本的活動は科学について語ることだと納得させることは夢である。もちろん、元ソ連には買うべき車等のような物が無かったので問題が起きなかった。もっとはっきり言えば、不幸にもますますお金指向になる傾向にある私達の社会からのすべての邪魔を人が忌避するのであれば、CNRSもその夢のかなり近くに来ている。
GBK
コレージュ・ド・フランスには何人の数学教授がいるのですか?
C
4人。
GBK
貴方とセールと...
C
違う、セールは定年退職している。ザギエ、ヨッコス、リオン、私だ。
GBK
貴方は教務を持っていますか?
C
はい、その年の間に造られたオリジナルな教材について年に18時間を教えなければならない。
GBK
貴方の分野で。
C
もちろん。進行中の研究を見せることが理想だ。講義を進めながら、新しい事柄を発見することが最善だ。20年の間、私はそれを4、5回しか出来なかったが、実際に起こった。講習を始める時に基本的アイデアを説明し、講義が進むにつれて、それらを発展させることが最善の講習の理想だ。
GBK
1年に18時間。プログラムに沿って分配するのですか、それともフリーですか?
C
すべての数学者は3ヶ月の間1週間に2時間講義する。
GBK
それからは、フリーですか?
C
もちろん完全にフリーだ。
GBK
いい仕事です!
C
多くの方法の中で、それが授業の完全なホメオパシー量だ。授業はいろいろな理由で非常に役立つ。一番目にトークすることを学ぶこと。二番目に事柄を注意深くチェックしなければならないこと。それは解説的なトークではなく、すべて細かくなされなければならない。聴講者との実りある交流を得ることのような他の理由もある。最後に、長年に渡って毎年独創的な研究の18時間分の十分な教材を作ることは厳しい要求なので、怠けられるはずがない。
GBK
これらのトークはよく入りますか?
C
はい、約70人が出席します。
GBK
貴方は米国流の研究方法と科学へのアプローチを批判していました。しかし、米国流は非常に成功して来ていますよね? テニュア[訳注: 大学教職員の終身雇用資格]を取るため、研究補助金を取るためには懸命に研究しなければならない。米国はプリンストン高等研究所のような組織を殆ど持っていないけれど、それ以外の点ではシステムが大学をもとに作られているという意味で米国のシステムは非常に統一されています。だから最初に准教授等になる。いつも昇進については不安であるが、これらのすべての危険要素にもかかわらず、システムは働いています。
C
完全には賛成しない。システムが閉ざされたシステムとして機能していない。殆ど外国から非常に輝ける科学者達を輸入しているので、米国は成功している。例えば、米国は或る時点でロシア人数学者達すべてを輸入して来ている。
GBK
しかし、これらの人すべてを十分収容するほどにシステムが大きい。これも良い点です。
C
ソ連が崩壊しなかったなら、お金の心配と補助金無しで数学の素晴らしい学派がまだそこにあるであろうし、彼等は米国よりもずっと成功しているであろう。多少の理由で一旦彼等は米国に移住すると生き延びて非常に上手く行ったが、移植が無ければ彼等はもっと良く開花したであろうと私は信じる。上手くやることで米国流システムは大変成功しているという体裁を与えているが、決してそれ自体のものではない。生産することへの変わらぬプレッシャーは大部分の若い人達の"時間単位"を減らしている。初心者達は社会学的に(後の時期に彼または彼女が、関連する推薦状を書けて、弟子のために職を得られるように)教え込まれている指導教官を探すしかなく、そして素晴らしい腕力を示しているテクニカルな学位論文を書く。限られた時間(これは彼等に数年の困難な研究を必要とする材料を学ぶことを妨げている)の中で、これすべて。もちろん、大いに良いテクニシャンを必要とするが、研究の中で発展を生んでいるものの断片に過ぎない。それは私にアンドレ・ヴェイユの逸話を思い出させる。ヴェイユは或る時点で楕円作用素に関する問題を持ったので、彼はその分野の素晴らしい専門家を招き、問題を渡した。専門家は台所テーブルに座り、数時間後、その問題を解いた。彼に感謝をするため、アンドレ・ヴェイユは"electricity(電気)に関する問題を持つ時はelectrician(電気工)を呼ぶ。ellipticity(楕円型性)に関する問題を持つ時はelliptician[訳注: ここでヴェイユは英語の語呂合わせを言っているのです。ですからellipticianはヴェイユの造語なのですが、言っている意味は楕円型性の専門家]を使う"と言った。
私の見地からすれば、米国における実際のシステムは、本当に独創的な考えを持っている人達を実のところ落胆させており、しばしばテクニカルレベルで遅い成熟に同調している。しかも、マーケット上で若い人達が職を得るやり方は"領地"、すなわち主要大学に上手く植付けられた少数の分野を造っている(そして、それらがそれら自体を再生産し、新分野のための余地を無くしている)。
GBK
米国では非常に多くの数学者がいます。彼等のシステムは年に約1200人のPhDを作ります。
C
そして、彼等がお墨付きの分野に属してなければ、職を見つけられない。
GBK
これは巨大だ! 天文学的!
C
しかし、彼等が職を見つけるかどうかは彼等の推薦状を書く人に依存することが問題だ。これらの推薦状すべてが強調的スタイルにおいて似ているから、彼等が受ける推薦状が何の種類かを私は言っていない。際立っていて、学生を生産し続ける分野が殆ど無いというのが結果だ。もちろん、これは新しい分野が出現するための正しい条件を作らない。少なくともフランスでは、CNRSの職を得るならば、望むことをやってよいし、将来の保証を欲しければあれまたはこれの分野を研究すべしという不健全な社会的圧力無しに、思索の最大限の自由を与えられる!
GBK
しかし、ここイランでは、旧システムはフランス流システムをまねて作られました。ずっと昔のテヘラン大学では、教授達の大部分が、一部は第二次世界大戦前にせよ一部は大戦後にせよ、フランスで教育されましたが、システムは全く効率的でありませんでした。誰も何もしなかった。
MK
しかし、彼等は社会的及び政治的不安定のような他の理由で研究をしなかった。
C
CNRSを持ってなかった。研究にとってきわめて大事なものはCNRSだ。
MK
これらの人達は現代数学に接触したイラン人の第一世代であって、その時に立ち戻ってイランで現代数学を続けることは非常に困難だった。
GBK
コントロール無し、チェック無しでCNRSのようなものを採用すれば、誰も研究しないだろう。
MK
だが、これは自明ではない。
GBK
フランスは500年の科学の伝統がありました。ソルボンヌへ行き、これらビッグネームすべてを見ます。CNRSには基礎があるから、CNRSシステムがそこでは働きます。
C
CNRSの類似をただ単に作ることがもちろん問題の解決にならないが、あのタイプのシステムは明らかにソ連でも成功した。システムはCNRSに似ており、非常に多くの研究者を抱えていて、彼等は素晴らしいことをやっていた。
GBK
おそらく、これは2つの異なる種類のシステムです。フランスとロシアはイランと違います。
MK
抽象的アイデアと高度知識の追求はペルシャ文化に根を持つので、私は悲観していません。科学と知識はただ単に科学と知識のためではありません。
C
その通り。
MK
もちろん、システムを悪用し、何も生産しようとしない人達の同じケースがあるでしょう。
C
これはどうやっても避けられないし、統計法則だ。曲線の後部を削除しようとするなら、成功しない。ただ単に、それをシフトさせるだけだ。
MK
しかし、平均結果はずっと良いでしょう。
GBK
だが、その数が非常に大きくても小さくても、システムは損害を受ける。例えばここIPMで、お金を与えて人々に研究を頼む。もし誰の成果もチェックせず、しかも彼等を調べず、解雇が無いなら、私達は効率を失うことになる。
MK
しかし、非常に素晴らしい人達のみがCNRSに雇われる。
C
そう、肝心なのはCNRSは入るのが極端に難しいということだ。極端に競争が激しい。しかし、一旦入れば、余生の間居座ることが出来るし、実際の評価は実施されないが、これは明らかにネガティブな側面を持っている。実際のものよりも少し良いシステムは次のようだ。最初、非常に多くの若い人達に6年間CNRSにいることを認める。次に、6年後彼等すべてがCNRSを去り、いろいろなレベルで大学に教えなければならない。その時かつその時のみ、彼等は再度CNRSに申請出来る。彼等はCNRSに再加入し、この第2ステージの間のみの永久職を与えられる。第2ステージでは明らかに競争は熾烈だ。彼等が第2ステージで成功しなければ、彼等が教えている大学にただ単に留まるだろう。これはシステムを若い人達に対する自由の重視化と、CNRSにいて何も生産しない人達の数を減らすための第2のフィルターの作成へ向上させるであろう。はじかれた人達は大学にいて教える、結構なことだ。
GBK
最初の6年が良ければ、大学に行く。それから、ほどほどに良ければ再申請する。
C
6年後強制的に大学に行かなければならない。その時のみ、CNRSに再度申請出来る。
GBK
しかし、両方のステージで非常に良ければ、余生をCNRSで過ごせる。
C
極端に良ければ、CNRSに再加入出来るだろうし、その時には指導研究者になって、多くの学生を持ち、大学教師よりもずっと考えるための自由を持つだろう。
GBK
だから、2つのステージのテストがある。
C
それは今なされていることではない。現在CNRSに入れば、余生をそこで過ごせる。若い人達がもっと入ることを妨げるから、それは良くない。CNRSと大学の間に多くのもっと開いたドアが必要だ。
MK
どのように研究問題を選ぶのですか? 貴方はかって研究した問題に引き返すらしく、貴方が発見している新しいツールで問題を見ています。
C
確かに私は問題を捨てない。好む問題について私はしつこい。数学において、しつこくあることが非常に重要だと思う。さえていない、または回転が遅いことがポイントだ。気にするな! 重要なことは問題を捨てないことだ。
MK
数学的ヒーローを持っていますか?
GBK
彼はカナダから来ています。彼はヒーローを探しています!
C
長年の後、私が持っている印象は、人間各々がユニークで、環境に依存するある種のヒーローになり得ることだ。数学において、ヒーローであることが全く問題ではなく、辛抱出来て、十分な激しさを研究に当てることである。
MK
しかし、一教師としても、私は若い人達にロールモデルを、若い人達がなりたいと熱望する何かを、見習い尊敬する何かを与えることは重要だと思います。
C
私はロールモデルになる最悪の人だ。
MK
貴方は見習うべき非常に難しいロールモデルです、もちろん!
GBK
だから貴方は数学的ヒーローを持っていない。しかし、誰に最も感心しますか?
C
ヒーローとなるべき、気力に満ち溢れた、ある数学者達。もちろんガロアはその点で驚くべき実例だ。彼は短い生涯の最後の年を刑務所で過ごしたから、多くの騒々しい盗賊達の中で日を過ごさなければならなかった。盗賊達はある時点で彼に蒸留酒のボトルを飲むことを無理強いし、彼をひどく病気にさせた。彼は信じられないほどの強い性格だったので、そんな環境の中で研究を続けることが出来た。彼はやっと20歳だったが、既に50歳かのように見えた。しかし、まだ数学者達の心に伝播する驚くべきアイデアを造った。彼の生涯の荒々しさにもかかわらず、将来発展するアイデアを造り続けることが出来た。大部分の数学者達は確実にはヒーローでない。
GBK
エコール・ノルマルのいい思い出がありますか?
C
もちろん! 66年に私がエコール・ノルマルに入学した時に起こったことを話せる。私はマルセイユから来ていて、"頭蓋骨のごった詰め"である準備学校の2年を耐えた。私達は積分計算の方法、函数のグラフの描き方等を習っていて、私はそれにうんざりした。エコール・ノルマルに着いた時、本質的に私は一年休みを取った。パリ内のホテルのようで、他の学生達といつも数学を議論していたことを除いて、私達は楽しんだ。その年の後、私自身の研究を始めた。
GBK
コースを取る必要が無かった?
C
私は何の授業にも行かず、大学がどこにあるのか知らなかったので、試験を受けなければならなかった時、私の友人は私を試験室へ連れていかねばならず、私は初めて大学を見た!
GBK
だからレジャータイムだった!
C
違う、レジャーでなく、自由だった。私達が試験を通るためのレシペを教えられた準備学校に対する、ある種の反動だった。私は単に私自身で静かに考え、もちろん生活を楽しみたかっただけだ。それがエコール・ノルマルで私達に与えられた。
GBK
1969年以前でした?
C
66年の秋に入学し、そして1968年の出来事が来た。
GBK
それは動乱の時間だった。
C
そう、68年は動乱の時間だった。私達は68年に対して正しい種類の気持ちを既に築いていた。
GBK
貴方は一番いい所で一番いい時にパリにいた。
C
そう、素晴らしい時間だった。私達が小さなグループだったことが理想的だったと思う。私達の唯一の動機が純粋な思考であって、キャリアについて話さなかった。私達はかまわなかったし、私達の主な娯楽は単に数学を議論し、問題でお互いを挑発することだった。私は"パズル"でなく、たくさんの思考を要した問題のことを言っている。時間またはスピードは要素でなく、必要とする時間がたっぷりあった。才能ある若い人達にそんなことを与えられるなら、完璧だろう。
GBK
何年間、そこにいたのですか?
C
4年間だが、私が言ったように最初の一年はフリーで、その時アグレガシオン[訳注: フランスにおける1級教員資格]を通る必要があったが、私は拒否した。試験を受けることを拒否した二人のうちの一人が私だった。前に私は辛うじて試験を切り抜けて生き延びたので、学校時代に戻りたくなかったからだ。
MK
どのようにして貴方の最初の問題と出会ったのですか? やりたかった明快な問題があったと貴方は言いました。
C
私は多項式の根の位置について研究していた。多項式が与えられた時、複素平面のどこに根があるか知りたい。それが私の最初の問題だった。私は一つの概念、複素数でのある種の弱い順序付けを見つけたが、それは私が読んでいた本の中の定理の証明すべてを簡略化して、更に少し先へ進めることが出来た。私はしばらくの間それを研究した。
MK
そして、すぐにフォン・ノイマン環へ移りました。
C
私が本当にしたかったことを見つけるのに相当な時間がかかった。フォン・ノイマン環へ移った時、広く認められている数学の一部分だという印象を持った。それは非常に小さな村から大きな町へ引っ越したようなものだったし、そのたびに私は数学の中心にいたんだと思った。だが、それから私が76年にIHÉS[訳注: Institut des Hautes Études Scientifiques フランス高等科学研究所]へ着いた時、本当はそうでなかったと認識した。しかし、私は数学のメインストリームへ移ろうとは決して思わなかった。私は実に一部の人達の傲慢を憎んだ。私の唯一の望みは、やつらがやっていることと直交することをやることだった。これは、出来るだけ代数幾何学と距離を置くことを意味した。
MK
グロタンディークの全盛期の間、IHÉSへ行ったことがありましたか?
C
その時じゃなく、大体において、遠くからそんな傲慢なグループに見えたからだ。これらの年月の後、私はついにグロタンディークの本"Récoltes et Semailles[訳注: 収穫と種蒔き。但し、フランスでは公式に出版されていないので、コンヌ博士は海賊版またはIHÉSが保管しているはずのグロタンディーク氏から送られて来たコピーを読んだのではないかと推測します]"を読むのに必要な時間を取り、これは私にグロタンディークの人格を本当に理解することを可能にした。傲慢な外観の背景には最も賞賛に値する人が存在することを理解して、彼と話す機会を持たなかったことを後悔した。もっとはっきり言えば、グロタンディークとセールの間の書簡が出版物で入手可能[訳注: 現在は絶版。一番大きな原因は、何年か前に故グロタンディーク氏によって関連する著作物の認可取り消しが宣言されたことだと思います]であり、それは彼等のパワーと人格を示す証言だ。最も際立っていることは、この素晴らしい知的誠実であり、もしあればモデルだ!
GBK
ブルバキに加入したことがありましたか?
C
ええと一年間いたが、すぐにがっかりした。彼等は何とかして既に要点をやっていた。私は、各々が大体200ページの草稿が500あり、それらがどこかの押入れに(一部は既に20年間)仕舞われていたことを見つけ出した。だから、これらにもう一つを更に書くことはエネルギーの無駄のように思えた。デュドネ(彼の数学人生の間に80000ページの数学を絶え間なく書いた)のような人がブルバキにいた時に、仕組みは機能するのだろう。しかし、私が着いた時、彼は既に去り、彼に置換わる人はいなかった。だから、もっとクラブのようになっていて、私は出席したくなかった。
GBK
これはいつでしたか?
C
78年もしくはそれくらいにさかのぼる。
GBK
それから、貴方は止めると発表しました?
C
する必要が無い。会合に行かないだけ、行くのを止めるだけ。去るもう一つ別の理由は、彼等が不愉快なライフスタイルを持っていたことだ。人々はさよならを言わずに去って行ったものだったが、無礼であることは創始者達が大事にしていた彼等の主な特徴だった。私は非常に腹立たしいと思った。明らかに創始者達は素晴らしいことをしたが...
GBK
かなり長い間。
C
かなり長い間。彼等の積分論の本は酷くまずいが、彼等は代数で素晴らしい本を作り、リー群に関する全巻は見事だ。

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ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する

今回紹介するのは abc 予想の証明に関する最近の動向を伝えている記事です。 これを選んだ理由は素人衆が知ったかぶりに勝手なことを書いているのをネット上で散見するからです。ここで言う素人衆は日本のメディアはもちろんのこと、馬鹿サイエンスライターも当然含みます。昨年末(2017年12月16日)に某新聞が誤報に近いことを報道したことも記憶に新しいでしょう。そんな情報に振り回されないために今回の記事です。 今回の記事は正確かつ公平だと私は思いました。私の友人共の何人かは、この方面の専門家だから門外漢の私はいろいろなことを教えてもらいました。その上での感想です。 その方面の専門家でなくても数学の研究者なら望月論文は無理でもレポートは読めるはずなので、もっと詳しく知りたい人はレポートを読んで下さい。 前置きはこれくらいにして、紹介する記事は" Titans of Mathematics Clash Over Epic Proof of ABC Conjecture "です。その私訳を以下に載せておきます。 [追記: 2018年10月06日] ここに至るまでの経緯については" 数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明 "を読んで下さい。その記事は2015年12月にオックスフォードで行われた望月論文に関する初めての国際的ワークショップより前の話が書かれています。 このワークショップはいろいろ評価が分かれるけれども、私が聞く限り、大失敗だと言う人が多いです。実際、私の海外の知人の一人がワークショップに参加しており、ボロクソに言ってました。 このワークショップを境に、海外特に米国では望月論文を理解しようとする熱意が急速に薄れたように感じますし、ショルツ、スティックス両博士の異議申し立てが出るまで実質何の音沙汰もない状態でした。 [追記: 2018年10月23日] 私の友人共に指摘されたのですが、この記事の私訳を読む人の殆どが日本の全くのド素人なんだから、たとえ原文に記載されていなくても誤解を生じさせないように訳者が万全を期するべきだと言われました。 記事に出て来る Publications of the Research Institute for Mathematical Sciences (略してPRIMS)

数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明

前回紹介した" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "はもちろん一般大衆向けの記事です。数論、数論幾何学、IUTT(宇宙際タイヒミュラー理論)のいずれかの専門家なら、そんな記事を読まなくても、そこまでに至る経緯は十分に承知しています(何故なら自分達の飯の種を左右する問題だから)。その方面の専門家でなくても数学研究者なら数学コミュニティ又は数学界を通して大概の経緯を聞き及んでいます。 私の身辺(私の友人共はすべて何らかの形で数学研究に携わっているので、それらを除きます)でその記事を読んだ感想は"そんなに拗れるのは不思議だ。もっと経緯を知りたい"というのが多かったです。その身辺の彼/彼女等はもちろん素人衆ですので、望月新一博士の名前も報道でしか聞いたことがないし、数学で何故これほどまでもつれるのか不思議でならないそうです。彼/彼女等は至って真面目です(何故こういう事を書くかと言うと、素人衆と言っても千差万別で、中にはネット上で国家高揚か日本民族高揚のために望月博士のことを書いているとしか思えない不逞の輩がいるからです)。そこで、それらの真面目な人達のために今回紹介するのは2015年10月の Nature 誌に載っていた" The biggest mystery in mathematics: Shinichi Mochizuki and the impenetrable proof "です。 何故これを選んだかと言うとエンターテイメント性があり、素人衆でも面白く読めるだろうと思ったからです。但し断っておきますが、いろいろな数学者の証言を繋ぎ合わせて望月博士の心情を勝手に推測するのははっきり言って妄想であり、さすがエンターテイメント性を重視して堕落した Nature 誌だけのことはあると私は思いました(あのSTAP論文を掲載したことも記憶に新しいでしょう)。 その私訳を以下に載せておきます。 [追記: 2018年10月06日] この記事は2015年12月に行われたオックスフォードでのワークショップより前の話です。このワークショップは望月論文に関する初めての国際的な会合で、この記事でもこのワークショップにかなりの期待を寄せているところで終わっています。 しかし、いろいろ評価が分かれ

谷山豊と彼の生涯 個人的回想

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数学教育について

聞くところによれば、関数型プログラミング言語の流行とともに数学の圏論がブームだそうで。圏の概念が他の数学の分野を全く知らない人でも意味が分かるのか疑問を持っています。その理由は後で述べます。 私の手許に故Serge Lang博士の名著"Algebra"があります。この本は理由があって、何と大昔の1974年の初版第6刷です。非常に貧しい学生だった私に恩師が2冊持っているからと言って1冊を下さり、私の生涯の宝物です。 仮に数学を代数学、幾何学、解析学という全く意味が無い区分けをしたとします。意味が無いと言うのは、例えば多様体論なんかはどの分野にも入るからです。そうであっても無理に区分けしたとしましょう。この3分野のうちでも、代数学(厳密に言えば抽象代数学です)が、勉強するだけなら(あくまで勉強するだけですよ、研究となれば別の話です)数学的予備知識も数学的センス(故小平邦彦博士の言うところの"数覚"、位相群で有名だった故George W. Mackey博士の言うところの"数学的成熟度"、まぁ簡単に言えば数学的才能ですね)も全く必要としません。必要なのは論理を追うための忍耐力と言えます。ですから、理解出来るか否かは別にして、代数構造を"言葉"として吸収することは誰にでも出来ます。数学のどの分野を専攻してもLang博士の"Algebra"程度の知識は"言葉"として知っていなければ話にならないのです。数学での代数学は、私達が日本語や英語等でコミュニケーションするのと同じく、数学の言語なのです。 Lang博士の"Algebra"には、第1章群論の第7節に早くも"圏と関手"が登場します(ページで言えば25ページ目です)。ついでながら、この圏、関手という日本語は全く元の英語が想像出来ないので、以降カテゴリ、ファンクタと書きます。 ところで、Lang博士はブルバキにも入っていた人ですから、こういう抽象度が高い概念を重要視しているかと思いきや、決してそうではないのですね。元々カテゴリ、ファンクタ(ファンクタの方が重要な概念でして、カテゴリはファンクタが扱う対象物です)は、ホモロジー代数の一部として提案された概念です。ホモ