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ミハイル・グロモフへのインタビュー

数学者ミハイル・グロモフ博士の業績は、今更下辺な私ごときが申し上げるまでもないでしょう。その業績に対して2009年にアーベル賞を受賞したことも皆さん御存知でしょう。友人共の話では、世界中の数学コミュニティにおいても歴代フィールズ賞受賞者に遜色なく人気があるそうです。これは日本のコミュニティにおいても同じだということです。しかし、私はこれを聞いて意外に思いました。日本のコミュニティの場合、最低でも学位を持ち、その分野で現在研究生活を続けている人ならともかくも、学生を含む、一般的な人、いわゆる数学徒にも人気があるとは思っていなかったからです。もっと具体的に言えば、グロモフ博士の原論文、原著(英語、仏語)を多くの日本人数学徒が読んでいるとはとても思えなかったからです。そうでなければ、例えば、志村五郎博士がある本の前書きで、日本人は欧文文献を読まないという趣旨の厭味(?)を書くはずがないからです。しかも、大学で教壇に立つ友人共の話を総合すると、今の学生は欧文文献を読まないのではなく、読めないのだそうです。なぜこんな風になったのか、大体想像出来ますが、もう大学とは縁が切れた私にはどうでもいいことです。友人共が頭を悩ませるに任せます。ただ一つ言いたいことは、Michael Atiyah卿の有名なIntroduction To Commutative Algebraという非常に薄い本がありますが、これすら和訳本があると聞いて吃驚しました。あの英文のどこに和訳する必要があるのか理解に苦しむほど平明な英文です。だから、結局至れり尽くせりの環境にいれば、人は退化するのであろうと思います。
こういうことを書くと、私の身辺の人達以外の、いわば外部の人から、じゃ何故お前は和訳をするのだと馬鹿なことを言う輩がいます。私は、その分野で必須の欧文文献を訳したことも無ければ、訳そうと思ったこともありません。と言うのは、数学の原論文や原著の場合、難しいのは内容であって欧文ではありません。欧文が何語であれ、極端なことを言えば中高生でも読めるはずの単純さでパターンも定まっています。だから、訳す必要がないのです。実際、私がこれまで訳して来たものは、数学関連ではあってもエッセイの類であって、いわば専門の数学ではありません。従って、読んでも読まなくても、勉強や研究には何ら影響ありませんし、ただの息抜きのための読み物に過ぎません。
エッセイの類は語彙や表現の幅が数学専門に比べて遥かに広いのです。ですから、これに無駄な労力を費やすよりも、もっと専門のことをやりなさい、という意味で私は身辺の人達を念頭に和訳をして来ました。私の考えは身辺の人なら良く分かっています。
さて、話を前に戻します。私はグロモフ博士の論文を少ししか読んでいません(例えば、いわゆるグロモフの岡原理に関する論文等)。ですから、盲目的な礼賛をしませんし、良く分かっていないのだから何も言う資格がありません。ミーハーが許されるのは子供であって、大人にはないのです。日本の学生が海外から見れば子供っぽいのは、そういうことだと思います。とは言え、それでも夢を見たい人もいるでしょうから、グロモフ博士のインタビューInterview with Mikhail Gromovの私訳を以下に載せておきます。

[追記: 2019年03月21日]
このペィジは2013年08月06日に某サイトに載せたものです。従いまして、当時生きていたリンクも現在ではリンク切れになっている可能性があります。

ミハイル・グロモフへのインタビュー
2010年3月
Martin Raussen オールボー大学
Christian Skau ノルウェー科学技術大学

ミハイル・グロモフはノルウェー科学文学アカデミーの2009年度アーベル賞受賞者である。オスロでのアーベル賞式典に先立って、2009年5月18日にグロモフはMartin RaussenとChristian Skauによるインタビューに応じた。このインタビューは元々Newsletter of the European Mathematical Societyの2009年9月号に登場したが、許諾を得てここに再掲する[訳注: AMS NOTICESに再掲したことを意味します]。

ロシアの教育
Raussen and Skau: 先ず始めに、2009年度アーベル賞受賞を心からお祝い申し上げます。貴方の青少年時代と経歴から始めたいと思います。貴方は、第二次世界大戦終戦頃に、サンクトペテルブルク(当時はレニングラード)から240キロ東にあるBoksitogorskという小さな町で生まれました。
グロモフ: 私の母は軍医だったが、その時に出産するため、前線から少し離れなければならなかった。
Raussen and Skau貴方の経歴、青少年時の教育、誰又は何が貴方を数学に興味を持たせたのか、話していただけますか?
グロモフ: 学校の他で数学との最初の出会いは、母が買ってくれた、RademacherとToeplitzによるNumbers and Figures[訳注: 数と図形]という本だった。それは私に大きな影響を及ぼした。読んでいたことの殆どを理解出来なかったが、それでも私は興奮した。理解出来ないが好奇心を持たせる、不思議さによる興奮を私はまだ憶えている。
Raussen and Skau高校の間に数学に入るだろうと分かったのですか?
グロモフ: 高校の中学年と高学年では、数学よりも化学の方にずっと興味があった。だが、そのうちに私ははまった。ロシアには若人向けの数学問題に関する素晴らしい本がいくつかあった。私はそれらを調べ、一年間これすべてに没頭した。高校の最終学年で、私はいわゆる数学サークル、Vasia MalozemovとSerezha Maslov(Maslovは論理学者になった。偶然にも、彼はマチャセビッチにヒルベルト第10問題を勧めた人だった)の二人に指揮され、レニングラード大学での若人のためのものに出席していた。彼等は青少年達対象の素晴らしく秀でたグループ(私も出席した)を指揮していた。これはサンクトペテルブルクでの1959年の時だったが、私が大学に入学する前の年だった。それが数学を勉強する決心の主な理由だった。
Raussen and Skau貴方はレニングラード大学で数学の勉強を始めました。そこでの環境、どのようにして数学的に育まれたのか、貴方にとって重要だった先生達について話して下さい。
グロモフ: 政治的には非常に不愉快な環境にもかかわらず、素晴らしい環境だったと思う。数学コミュニティと教授連には非常に高潔な精神があった。Isidor Pavlovich Natanson教授を含む私の最初の先生達を憶えており、またBoris Mikhailovich Makarovによって監督されるクラスに私は出席した。これらの人々と彼等の科学への傾倒の猛烈さを理解出来るだろう。上級生達との交流と共に、それは私に大きな衝撃があった。若き代数学者Tolia Yakovlevに言及させてほしい。彼は数学への絶対的貢献のイメージを反映した。他方、科学と数学を関連付ける一般的風潮がレニングラードにはあった。これはモスクワからのコルモゴロフとゲルファントによる影響だったと私は信じる。コルモゴロフは流体力学に基礎的貢献をし、ゲルファントは生物学で、そして物理学においても研究していた。根本的に、ある程度数学を知的アイデアと展開の焦点とする、知識の普遍性の考え方があった。それは、そこにいた全員(私自身も含んで)をまとめた。そして、私はモスクワ流の数学をDima Kazhdanから多くを学んだ。私達はKazhdanと時々ミーティングを持っていた。
Raussen and Skauいつ、どのように貴方は非凡な数学的才能に気付いたか憶えていますか?
グロモフ: 私は非凡ではないと思う。たまたま、人々がきちんと評価出来る特性を私が持つ。数学的才能の観点で考えたことはなかったと思う。
Raussen and Skau少なくとも、学業の終わり頃に貴方の学問的教師はVladimir Rokhlinだった。貴方が現在数学をする方法で彼の影響をまだ感じますか?
グロモフ: ご承知のとおり、Rokhlin自身はモスクワで教育を受けたが、モスクワ流の数学的考え方はレニングラードのそれとは非常に違った。西側数学を志向する異なる種類の学派を有した。レニングラードはより閉鎖的で古典的問題を焦点とした。モスクワは新しい発展に開放的だった。そして、それがRokhlinがレニングラードにもたらしたものである。同じ考え方を持つもう1人は代数幾何学者Boris Venkovだった。彼とRokhlinから、私がレニングラードの伝統的学派から理解したであろうことよりも、数学のずっと広い見方と認識を理解した。他方、伝統的学派は非常に頑丈でもあった。例えば、Aleksandr Danilovich Alexandrovの幾何学学派。私が自分の幾何学の大部分を学んだ、ZalgallerとBuragoのような人達がいた。Buragoは私の幾何学における最初の先生だった。
Raussen and Skau貴方は1970年代の初めにレニングラード大学で大変な成功を修めました。それでも、1974年のすぐ後で、レニングラード及びソ連を去りました。貴方が去りたかった理由は何だったのですか?
グロモフ: これは実に簡単だ。私はいつも言う。誰かがそれをしてはならないと言えば人はそれを具体的にやろうと頑張ると。神がイヴにリンゴを食べることを禁じた時、何が起こったか人々は知っている。これが人類の特徴だ。国外脱出は出来ないと言われた。不可能であり、間違いであり、恐ろしいことだと。科学的研究に似ている。不可能なら、ともかくやろうと頑張る。
Raussen and Skau当時ソ連から脱出することは、おそらくさほど簡単ではなかった?
グロモフ: 私にとっては比較的容易だった。私は非常に幸運だった。だが、一般的には困難で危険を伴った。私は申請しなければならず、数ヶ月を待ち、そして認可が下りた。

ロシア数学
Raussen and Skau昨年のアーベル賞受賞者の一人のJacques Titsはロシアの数学教育、強烈な個性を有するロシア諸学派、そして活発なセミナー、時には長時間の議論と同様にモチベーション、応用と数学的設備の間の強い関係を賞賛しました。貴方の認識は何であり、ロシアの数学スタイル及び学派については何が特殊でしょうか?
グロモフ: 私が言ったように、モスクワと比べてレニングラードは少し違った。Titsが言及していたことはおそらくモスクワのゲルファントのセミナーだった。このモスクワのセミナーに私は一度だけ出席した。その時は講演をするために招待されたので、私の回想は的外れかも知れない。だが、私が来た時、ゲルファントが参加者といろいろな問題について議論していたので、セミナーが開始する前に約2時間かかった。もう一つのセミナーはPiatetsky-Shapiroによって指揮されていて、非常に厳格だった。何かが黒板に書かれて、参加者が質問した時、Shapiroは彼の考えをよく述べたものだ。彼の考えは非常に強烈で、やや強引だった。すなわち、学生達が知るべきことと知るべきでないことに関して、これを知るべきだ、そして、あれやこれや・・・という考え方。彼の個性の極端に強烈な表示だ!
Raussen and Skauある特定のロシアの数学的背景の上に貴方の研究を築いているとまだ感じますか?
グロモフ: 確かに感じる。科学と数学に対する非常に強烈でロマンチックな考えがあった。すなわち、その学科は注目に値し、人生を賭ける価値があるという考え。私が勉強時代にどこか他のところにいなかったのだから、他の国々においても、それが正しいのかどうか分からない。だが、それが私及び他の多くのロシア出身の数学者達が継承して来ている考えだ。
Raussen and Skau私達の時代においても、ロシア数学と、例えば西側数学の間に大きな違いがまだありますか? または、とても多くのロシア人が西側で研究しているという事実によって、この違いは消滅しようとしていますか?
グロモフ: 西側で研究しているロシア人が大勢いても、この質問に私は答えられない。このごろのロシアにおける数学的生活について私は余り知らない。確かに、事情はすさまじく変わって来ている。私のロシア時代には、この激しさはいくぶん外側の世界への反発だった。学問生活は、外側の非常に醜い政治的世界から脱出出来る、美の楽園だった。これすべてが変わった時、この鮮明な集中は低下した。そうなのかも知れない。私は分からない。これは全く予想だ。
Raussen and Skau貴方はまだ多くのロシア人数学者達と連絡を取っていますか? 時にはロシアに行っているのですか?
グロモフ: 私が国を去ってから2回行ったことがある。まだ生活の激しさを感じるが、いくぶんとても多くの才能のある人達が去っているので、状況は低下している。彼等はもっと学べる大きなセンターに引き抜かれている。
Raussen and Skau貴方に影響を与えた、Linnikのような他のロシア人数学者達について話してくれますか?
グロモフ: はい。Yuri Linnikはレニングラードで偉大な科学者、教授、学会会員だった。彼は一年間、代数幾何学における教育的セミナーを指揮していた。注目すべきことは彼はいつも自身が全く無知であることを認めることだった。いやむしろ対照的に、彼はやったことより以上のことを知っているふりを決してしなかった。次に、彼と彼の学生達の間はいつも完全に対等だった。私はかって、そこで講演する予定になっていたが、寝過ごして一時間遅く到着したことを憶えている。だが、彼は笑ってばかりいて、全く怒らなかった。それは数学における彼の精神のいくらかを示すと私は思う。つまり、誰であろうが関係なく、同じボートに全員がいかに乗っていたか、その雰囲気を示す。
Raussen and Skau人として彼をRokhlinとどのように比べますか?
グロモフ: Rokhlinは非常に複雑な人生を経験したので、ずっと閉鎖的な人だった。彼は第2次世界大戦で捕虜だった。ユダヤ人だが、それを何とかして隠せた。非常に強烈な個性の持ち主だった。釈放された後、彼の軍務は終わってなかったと考えられたので、ロシアの強制労働収容所に送られた。戦争の捕虜であることは軍務と見なされなかった! いくつかの労働の後、彼はモスクワに来た。彼の考えることを言うのは困難だった。非常に閉鎖的で、すべてのことを高水準に保とうと努めたが、Linnikほどには和やかで開放的ではなかった。最初それが何であるかはっきりしなかったが、それらの恐ろしい体験が彼を形成した。
Raussen and Skau: Linnikもユダヤ人だったのですか?
グロモフ: Linnikは半分ユダヤ人だったと私は思うが、彼は戦争に参加しなかった。違う種類の人生を送った。彼の経歴は、アカデミー等の会員としていい地位を得た。私は理由を知らないが、Rokhlinは当局にいつも差別された。彼はモスクワの幹部と対立していたといういくつかの噂を私は聞いた。
ポントリャーギンは目が不自由で、アカデミー会員として秘書を必要としたから、かなり長い間、Rokhlinがポントリャーギンの秘書だった。Rokhlinは第2学位論文を論証するまで、この職にいた。そのうちに、彼は必要以上に学歴があったので、モスクワから追い出された。当時のレニングラード大学学長A. D. Alexandrovは1960年にRokhlinをレニングラードに招聘するため非常な努力をした。レニングラードにおける数学の発展に、それは非常に強い影響を及ぼした。トポロジーの全学派はRokhlinのアイデアから育った。彼は非常に素晴らしい教師であり、組織者だった。
Raussen and Skauポントリャーギンが反ユダヤだったのは本当ですか?
グロモフ: ポントリャーギンの2度目の結婚後に、彼は反ユダヤになったと私は思う。彼は目が不自由だったし、彼の世界観がどれほど独立していたかはっきりしない。後年に彼は反ユダヤとなり、実に馬鹿と思われるパンフレットも書いた。何が又は誰が彼に、それらの考えを持たせるように影響したのかはっきりしない。

幾何学の歴史
Raussen and Skau貴方ははっきりと"幾何学への革命的貢献"に対する最初のアーベル賞受賞者です。ユークリッドの時代から、幾何学はいわば数学の"顔"であり、数学を書いたり教えたりする方法のパラダイムです。19世紀初頭からガウス、ボーヤイ、ロバチェフスキーの研究以降、幾何学はものすごく拡張して来ています。その時以降の幾何学内でのいくつかのハイライトについて貴方の考えを話してくれますか?
グロモフ: 部分的回答と個人的見解を与えられるだけだ。大昔の時代の学科を人々がどのように考えたかを見つけることは非常に難しい。現代から見れば、数学的分野としての幾何学は世界で行う観測が引き金となった。ユークリッドは観測を体系付ける方法の形を与え、数学への公理的アプローチとそれらから成立する事柄を作った。デザインされた要点を超えると全くうまく行かないことが発生した。特に平行線の公準の問題があって、人々はそれを証明しようと頑張った。
混合があった。すなわち、一方で世界を見る方法は唯一の方法であり、それを公理的に正当化しようとした。だが、うまく行かなかった。結局、数学者達は公理についての素朴な考え方から脱皮せざるを得ないと認識した。公理はとても役立ったが、限られた方法内のみで便利だった。結局、それらを否定しなければならなかった。
こういうふうに数学者達はやった。この時点から、数学は違う方向に移動し始めた。特に数学を単に観察及び観察したことを定式化することから、直接には見えないもの(非常に不透明でしか見えないもの)を定式化することへ変えた人達の中にアーベルがいた。現代数学は19世紀の初頭に形作られた。やがて、ますます構造的となった。数学は目で見えるものを扱うのみならず、ずっと根本的なレベルで物事の構造内で見るものを扱う、と私は言うだろう。問題を現代的な言葉で定式化するなら、その時代の数学者達はユークリッド幾何の限界を理解しようと立ち向かった。限界は全く明白だ。しかし、この言葉を開発するために数世紀かかった。この研究がロバチェフスキー、ボーヤイ、ガウスによって始められ、違う分野ではアーベルとガロアによって始められた。

幾何学での受賞研究
Raussen and Skau貴方は1970年代の終わりごろにリーマン幾何学を革命したと言われます。貴方の斬新で独創的なアイデア(そのアイデアが非常に画期的だと判明した)が何から成っていたか説明していただけますか?
グロモフ: 私は画期的または独創的だと考えなかったから、説明出来ない。これはどんな数学者にも起きる。何か新しいことをする時、それが新しい何かだと認識しない。皆がそれを知っている、いくぶん当たり前のこと、他の人達はただそれを述べて来ていないだけと信じる。これは実際に多くの数学証明で発生する。そのアイデアは殆ど大声で語られない。一部の人達はアイデアを当たり前だと思うし、他の人達は気付きもしない。人々は異なる背景から来て、異なることを認識する・・・
Raussen and Skau貴方の研究の特徴は幾何学の軟化と記述されて来ています。軟化によって、方程式は不等方程式、近似方程式、または漸近方程式に置き換えられます。リーマン幾何学における"粗い見方"は実例ですが、これはリーマン構造を一度に考えます。これは実に独創的です。以前に誰も考えませんでした。そうではありませんか?
グロモフ: それはおそらく正しい。だが繰返すが、他の誰かが以前に、このアイデアを持ったか否か私は知らない。私にとって、ごく最初から当たり前だったし、誰もがそれを知っていたと思ったから、私は実際長い間明確に表現しなかった。ある人達はそれを知っていたが、彼等はそれを声を大にして言う機会を持たなかったと私は思う。結局、フランスで講義をしたから、私は定式化した。
Raussen and Skau先ず第一に、貴方はこの新しい大局的見方を持ちました。基本的アイデアはおそらく非常に簡単だが、この方向で深い結果を得た最初の人でした。
グロモフ: ところで、前例はあった。リーマン幾何における、この傾向はJeff Cheegerの研究に始まる。以前、ある時点までは、人々は多様体について非常に抽象的な観点で考えていた。多くの指標があり、その分野を掌握出来なかった。リーマン幾何が簡単なものになる最初の研究の一つはジョン・ナッシュによるものだったと思う。実際、彼は凄まじい影響を私に及ぼした。彼はただ多様体を掌握し、それを弄びながら空間に置いていた。このことから、私は始めてこの具体的な幾何学を学んだ。簡単なことだが、非常に高次元な射影をしなければならなかった。そのうちに、Jeff Cheegerによる研究があった。外形上非常に異なる分野だが、同じ考えで定式化される時に適切になされるならば、物事は非常に簡単になることを実現した。だから私は、これらの人達の手段を習ったに過ぎなかった。
Raussen and Skauずっと昔に貴方はナッシュの研究を読み、感銘を受けたという意味でしょうか?
グロモフ: はい。私は慎重に読んだ。そして私が彼の論文を徹底的に読んだ唯一の人だと私はまだ信じる。後でナッシュの研究について人々が書いて来ているものを見れば、彼等は読んだことがないと私は思う。
Raussen and Skauどうしてですか?
グロモフ: 最初ナッシュの論文の一つを見て、全くナンセンスだと思った。だが、Rokhlin教授は"駄目、駄目。君は読まなければならぬ"と言った。私はまだナンセンスだと思った。真実であるはずがなかった。しかし、それから私は論文を読み、信じられなかった。真実であるはずがなかったが、真実だった。3つの論文があった。2つは埋め込みに関してで、ずっと難しくナンセンスに思えた。やがて、なされている方法を見て、またナンセンスだと思う。アイデアの理解の後に、もっといい方法でやろうと頑張る。多くの人達がより良い方法でやろうと努めた。だが、彼等のやっていた方法を見る時、そして私がやったことを見る時、やがてナッシュに帰って来て、彼がより良い方法でやってしまっていたことを認めざるを得ない。彼は幾何的直観と結びついた凄まじい解析能力を持っていた。これは私にとって信じられない発見だった。すなわち、いかに世界は人が考えていることと違うか!
Raussen and Skauジョン・ナッシュは経済学でノーベル賞を受賞し、また映画ビューティフル・マインドの裏の人でした。彼の結果に対してフィールズ賞を受けるべきだったと多くの人が思います。貴方はこの考えに賛同しますか?
グロモフ: 賛成。メダルのことは置いといて、この男と業績について考える時、彼がした発見は途方も無かった。彼は最も異常な方法で考える人だった。少なくても幾何学における彼の研究は、結果、技法、彼の使ったアイデアに関して、皆が予期したことに反した。極端に簡単な方法で彼は様々な問題をやったから、皆は分かるけれど誰もうまく行くとは信じなかった。また彼は、劇的な解析能力と共に凄まじい実行能力があった。私の観点から言えば、幾何学において彼のやって来ていることは、経済学で彼がやって来ていることよりも、マグニチュードのオーダーで何倍も比較にならない程大きい。多様体についてどのように考えるか、その考え方における信じられない変化だった。多様体をしっかりコントロール出来て、それによってすることは伝統的な方法によって出来ることよりも、ずっと力強いだろう。
Raussen and Skauすると、彼が貴方と貴方の研究に重要な影響を及ぼしたと貴方は認めます。
グロモフ: 全くそのとおり。いたるところ、彼の研究とスメールの研究は私に影響を及ぼして来ている。スメールの研究は1960年代の初めの夏期学校でSergei Novikovから説明された。
Raussen and Skau物理科学でと言うよりも、むしろ微分幾何学で生じる偏微分方程式のクラスを研究するため、貴方はh-原理(ここで"h"はホモトピーを意味する)を導入しました。非常に力強いツールであることが示されて来ています。h-原理とその概念の導入の裏のアイデアを説明していただけますか?
グロモフ: これはまさしくスメールとナッシュの研究によって誘発された。その時私は、彼等が大体同じトピックを扱った(それまでは全くはっきりしていなかった)と認識した。特に、ナッシュの技法を使えば、直ちにはめ込み理論のすべての結果を得る。深く行く必要がない。ナッシュの第一レンマがトポロジーにおけるはめ込みのすべてを証明する! 裏のメカニズムを理解しようと頑張って、私は数年間考え続けていた。簡単で一般的なメカニズムがあると実感した。それは非常に形式的だが、ナッシュとスメールのアイデアを結合することで、組み込んだ。非常に離れたトピックの間を処理し、とても大きい領域をカバーするのだから、これは方程式の広いクラスに適用される。
Raussen and Skau貴方は有名な定理(その先駆けがMilnor-WolfとTitsの定理)を証明しました。それは、有限生成群が多項式増大ならば、有限指標のべき零部分群を含むと言ってます。貴方の証明で特に注目すべきところは、ヒルベルト第5問題(Gleason、Montgomery、Zippinにより証明された)を実際に使うことです。これは、この結果が重要な方法で使用されることの最初(外見上)です。これについて、説明と詳説を出来ますか?
グロモフ: この定理をリーマン幾何に応用することについて、違う状況下だけれども、Margulisの3次元Anosov流れに関する1967年論文とMostow剛性定理の1970年解説に誘発されて、私は以前に考えた。Margulisは擬等長変換を導入し開発した。私は間違った何かを証明したかった。位相力学のShub-Franks構成の一種を応用しよう頑張った。それもうまく行かなかった。また、Hirschによる正に多項式増大の問題(問題の特殊ケース)に関する論文があった。その論文でHirschは位相群の分類を応用しようと頑張った。そして、再びうまく行かなかった。だから、私は応用出来ないと思った。近いが、働かないようだと私達にはある程度明白だった。だが、多様体の極限のアイデアを定式化していた時に、それらの観点で考えようと努めて、働くかも知れないと分かった。私にとって、これは少し驚きだった。
Raussen and Skauこれがうまく行くと分かった時を非常に素晴らしい経験だったはずだと?
グロモフ: ええと、それは実際には突然の洞察でなかった。必要なことは概念における少しの変更だと実感した。その時、それをするのは難しくなかった。ある意味で、証明は非常に簡単だ。極限の明晰な概念を持って、そして解析の力によって、何回も極限に行ける。それは、以前には見たことがない構造を作る。なにもやって来てはいないと思うが、驚くべきことに何かを達成してしまう。それは私とって驚きだった。
Raussen and Skau貴方は無限から群を見る(いわゆるグロモフ-ハウスドルフ距離において、群に関連付けられた距離空間の列の極限を見る巧みなな記述)アイデアを導入しました。これを見事な効果で使用して来ています。どうか何らかのコメントを。
グロモフ: 極限と無限から見ることを使って、多項式増大についての定理の証明の後、ウルトラフィルターを使って多項式増大のずっと良い提示を与える、Van den DriesとWilkieによる論文があった。やがて、私はその論文を再度取り上げ、極限が存在しないが、それでも超極限を持つ状況という、ずっと広いクラスに適用されると実感した。それは、群を含む多くの数学オブジェクトに非常に良い見解を与える。だが、まだ凄まじい力強さはない。
群に関連して言えば、本Word Problems(1973)の中でPaul Schuppによる小簡約定理に私は影響された。本で彼は"人々は小簡約定理が何であるか分かっていない"と言った(これは非常に正直で有益な注意だったと私は思う)。そして、私もそれを理解しなかったから、非常に安心した。私は小簡約定理が何であろうかを考え始め、これの双曲型性の概念を思いついた。これは非常に嬉しかったが、カルタン-アダマール定理の粗形式のような(私がそれに関して論文を書ける以前のこと)、私がかなり長い間処理出来ない技術的要点があった。
Raussen and Skau貴方が双曲型群の概念を導入したのはいつだったのですか?
グロモフ: 群の幾何学に関する私の最初の入力はDima Kazhdanから来た。彼は1960年代中頃にKurosh部分群定理の位相的証明を私に説明した。後で、同じInventiones1971年度号の中で、複素双曲型性に関するGriffithsの論文、双曲型の多様体に関するKlingenbergの論文を私は読んだ。Klingenbergの論文は、主要定理が正しくなかったけれども、粗双曲型性のアイデアを含んだ。そして、私が言ったように、Schuppの論文を既に読んでいた。
Is(2)-groupsは2次元で等周不等式を満足するから、1978年ストーニーブルックでの会議の間に私は双曲型性の始めての定義を、その名前で提示した。論文は3年後に登場した。また、1977年のArbeitstagung[訳注: 文字通りワークショップを意味します。かの有名な故Friedrich Hirzebruch博士によって1957年に創設されて現在に至ります]で話したことも思い出す。すべての双曲型群は負曲率の空間によって実現可能であることを私は約10年間証明しようと頑張ったが、出来なかった。これはまだ未解決だ。そのうちに、Steve Gerstenは私に既に知っていることを書くように説得し、私はそれを書いたが、そんな群の理論が必要か否か解決出来なかったから、私は非常に不満だった。そんな群が"幾何的"なら(という風に私は言った)、双曲型性の理論を必要としないし、もっと良い定理があるだろう。
Raussen and Skau殆どすべての群が双曲型だと貴方は言った?
グロモフ: そう。それが実際に核心だった。曲率に訴えなくても、ある一般的な構成で双曲型性を良く見えると実感した時、私は双曲型性を価値があると認めた。私の最初の論文で、非常にテクニカルな定義と用語を提案した。それは予備的概念だと思った。だが、そのうちに、私が証明しようと頑張っていた幾何化定理が正しいか否かに関係なく、おそらく正しい概念だと結局は実感した。また、1980年代の早期にIlia Ripsと語ったことで私は勇気付けられた。Ripsはその時までに、組合せ論のフレームワークにおいて、私が当時に知ってることをはるかに超えて、進展中のThurstonの3-D理論とCannonのThurston有理性予想の解決によって双曲型群理論を開発してしまっていた。
Raussen and Skau違う分野、シンプレクティック幾何学に移ります。シンプレクティック幾何学に貴方は革命的貢献をして来ています。複素解析学、特に擬正則曲線から手法を導入しました。これについての詳説を、そして、この奇抜なアプローチに対するアイデアをどのように得たのか説明をしていただけますか? またグロモフ-ウィッテン不変量(ひも理論と関係があり、これに関連して話題となった)についても。
グロモフ: 了解。シンプレクティック幾何学で私がした、この素晴らしい発見をとても生き生きと憶えている。私は凸曲面の剛性に関するPogorelovの本を読み続けていた。彼はBersとVekuaによって開発された、いわゆる擬解析函数を使用していた。いくつかの微分方程式について語り、解法は擬解析函数だと言った。その2つが共通を持つことを私は理解出来なかった。私は彼の本とこれらの人々の論文をを調べ続けたが、一言も分からなかった。それでも止めなかった。このことについて私は非常に惨めだったが、そのうちに幾何学的観点で考えた。それからは直ちに、そこにほぼ複素構造があり、解法はまさに、このほぼ複素構造に対する正則曲線だと分かる。2変数の任意の楕円システムはこの性質を持つから、特別なことではない。コーシー-リーマン方程式と同じ主要シンボルを持つ。いったんこんな風に言えば、Pogorelovが使っていた定理は明らかだ。何の理論も使用する必要は無かった。複素数は強制的向きを持つから明らかだ。使うのはそれだけだ!
Raussen and Skau貴方は明らかと言いますが、多くの数学者達はこれを気付かなかった?
グロモフ: 全くそのとおり。彼等は定理を証明していたが、正則曲線を見なかった。正則曲線をある観点で見るならば、代数幾何学を経験に持つのだから、明らかだ。いったん代数幾何学を分かれば、同じことと気づく。私達は、しっかり確立された理論を持つ複素解析学と代数幾何学という偉大な科学を持つ。これらの事柄が何であるかを知り、違いが無いと分かる。これのある部分を使うのみだけだが、高度の一般性で使う。それから、かなり長い間ドナルドソン理論を再現するために、それを使おうと努めたが、うまく行かない技術的要点があるので私は出来なかったことを白状しなければならない。実際、4次元でケーラーであるという障害と似ていた。私はピエール・ドリーニュと語って、ケーラーではなく、しかもある不快な性質を持つであろう複素曲面の実例があるかどうか、彼に訊いた。彼はあると言って、そんな実例を示した。そのうちに、私はシンプレクティックな場合に立ち戻って、非常にうまく行くことを実感した。そして再度、どこへ行くべきかをいったん分かれば、状況は非常に簡単だった。とても簡単だったので、ドナルドソンによる前例のみしか無いから、うまく行けると信じることが困難だった。そんな数学がその種の結論を与えられると言ったのはドナルドソン理論だった。ドナルドソン以前には決して起こらなかったし、とても心強かった。さもないと、ドナルドソン理論がなかったら私は多分うまく行くと信じなかったであろう。他にも、アーノルド予想(1960年代の終り頃にDima Fuksから学んだ)、1970年代に開発されたYasha Eliashbergのシンプレクティック剛性のアイデア、Conley-Zehnder定理によって、私は準備が出来ていた。
Raussen and Skauポアンカレ予想のペレルマンとハミルトンによる証明について何か言っていただけますか? 彼等は貴方の結果のいくらか使ったのですか?
グロモフ: 違う。仮にあるとしても、全く簡単な事柄だけ。完全に違う数学だ。そうだね、幾何学との交流はあるが、マイナーだ。本質的に全く異なる種類の数学。私はそれを表面的にしか知らないことを白状しなければならぬ。だが、一般化された意味でのコーシー・リーマン方程式またはYang-Mills、ドナルドソンまたはSeiberg-Witten方程式に関して私達が知っていることに比べて、未踏の分野だと言わねばならぬ。ここには一つの定理があり、まだいくらか孤立している。その周辺には広い知識が無く、何が来るか待って見なければならない。このまだ来ていないものから大きな発展を期待する。
Raussen and Skauアラン・コンヌと何らか交流がありますか?
グロモフ: はい、もちろん。私達は非常に異なる方法で考えているけれども、かなり交流して来ている。彼は小さな交線のみ有する一方の半分を理解し、私は他方の半分を理解する。驚くべきことに、結果は時には正しいことになる。私は彼とMoscoviciと一緒にNovikov予想の特別な場合を証明する2つの共同論文を持ったことがある。
Raussen and Skau貴方はいくつかの群の展開の実例を思いつき、結果的にBaum-コンヌ予想の反例を作りました。
グロモフ: 反例はHigson、Vincent Lafforgue、Skandalisのものだ。彼等はランダム群の構成を使用した。
Raussen and Skau貴方が最も誇る特別な定理または結果がありますか?
グロモフはい。間違い無く、擬正則曲線の導入だ。それ以外のすべては、既に知られていることを理解し、新しい発見の種類のように見せているに過ぎなかった。
Raussen and Skau貴方は実に謙虚です!

数理生物学
Raussen and Skau貴方が最近数理生物学の議題と問題に興味を持っていると私達は聞かされています。貴方の関与と、どのようにして貴方の数学的かつ幾何的洞察を生物学の問題に役立てるのか述べてくれますか?
グロモフ: どのように関与したのか説明出来る。ロシアにさかのぼると、皆が数学を生物学に応用するルネ・トムのアイデアに興奮した。私の後のモティベーションは数学的観点、双曲型群から始まった。双曲型マルコフ分割はかすかに細胞分割の過程で起きることに似ていると確信した。だから、私は文献を調べ、人々に語り、いわゆるリンデンマイヤーシステムがあることを学んだ。リンデンマイヤーシステムが、置換えと細胞分割のパターンによって植物の成長を記述する非常に良い方法だと多くの生物学者は言う。そのうちに、それを起点に、私達はブレ・シュル・イヴェットのIHÉS(Institut des Hautes Études Scientifiques)[訳注:フランス高等科学研究所]で、特に生物学でのパターン構成に関する会合を持った。私は興味を持ち、もっと生物学を学びたかった。まもなく私は、遺伝エンジニアリングの発見とPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)の発見の後の1980年代に分子生物学において巨大な発展があったことを実感した。それは実に、生きている細胞に応用される数学的手順だった。数学者達はPCRを発明する能力があった。それは起きなかったが、数学者達がPCRを作れたであろう。PCRは世紀の主要発見の一つだった。分子生物学を完全に変えた。私はこれらの数学的手順を勉強し始め、途方も無い数学的議題になると実感し始めた。だが、それが何であるかを正確に言うことは難しかった。私は全くそれを定式化出来ていない。勿論、配列決定のような特殊分野があり、そこで使用される特殊アルゴリズムがある。だが、これは新しい数学ではない。この分野に応用される古い数学だ。私達にはまだ未知の、まだ発見されていない数学が世の中にあると私は信じる。ちょうど微分方程式が古典力学に対してフレームワークを与えるように、未知の数学は一般的フレームワークとして働くだろう。それはかなり抽象的かつ形式的になるだろうが、生物学に関する私達の基礎知識を埋め込むはずであり、私達がまだ知らない知識を蓄積するかも知れない。これについて私はまだ考えるが、答えを知らない。
Raussen and SkauPCRという言葉を説明していただけますか?
グロモフ: ポリメラーゼ連鎖反応を意味するが、次のように理解出来る。ネズミが住む惑星に貴方が来て、ネズミ達はすべて同じに見える。貴方の研究所において、貴方も非常に良く似たネズミを飼っている。ネズミ達は全く同一に見えるが、異なる種だ。さて、雌ネズミの一匹が逃げる。一年後、生きているか否かを貴方は決定したい。何十億のネズミがいるから、それらをすべてをチェック出来ない。では、何をすべきか? ここにアイデアがある。数十億の雄ネズミを投げ入れ、そして逃げたネズミがそこにまだいるなら、貴方のネズミ達のある総数を分かるだろう。そして貴方は少し待ち、ネズミ達の数は増大して数十億になるだろう。貴方はサンプルを取り、サンプルが貴方のネズミを含むかチェックする。こんな風にポリメラーゼ連鎖反応は働くが、ネズミの代わりにDNAを使う。いろいろな種類の数十億の異なるDNAがあり、それらの中で特定のものが世の中にあるかを知りたければ、指数的に増大する分子を使って、それをする方法がある。一つが世の中にあったならば、数サイクルの後で数十億のそれらを持つだろう。この素晴らしいアイデアは非常に簡単で力強い。生物学で起きている根本的なことの一つが増大である。それは生物学にとって特別だ。数学は生物学者達にとって役立たなければならない。私達はまだそれを作れていないが、私は出来ると信じる。遺伝エンジニアリングと遺伝子同一確認機能における問題に衝撃を及ぼすだろうが、まだ開発されていない。他の種類の数学と非常に異なるだろう。

数学と科学の間の仲裁
Raussen and Skau: 生物学者達は貴方の研究及び他の数学者達の研究を認識し、感謝しているというのが貴方の印象ですか?
グロモフ: 私は何もして来ていない。私は生物学者達と意思を通じ合っただけだ。だが、彼等の多くが私並びに他の数学者達と語ってかなり満足したと私は思う。私達が何かを知っているからではなく、多くの質問を訊ねるからだ。彼等は時には答えられないが、それは彼等を考えさせる。大体こんなところだが、これは、私の考えではそれほど小さくない。このように、数学者達は非常に良い聞き手になることによって役立てる。
科学において数学者達によって何かがなされることは滅多に起きない。最も注目すべき実例の一つが、ここノルウェイで19世紀の中頃に起きた。数学者Guldbergと化学者Waageは共同して化学的熱力学を発明した。それ以来、数学者達がこのレベルで実験科学に貢献したことがある状況を私は知らない。このことは、可能であるけれども、非常に密接な共同を通じて特殊な状況において起きたことを示す。そのような何かが時には生物学において起きるかも知れないと私は思うが、そう簡単には来るはずがない。
Raussen and Skau化学への興味に関連してGuldbergとWaageをふと見つけたのですか?
グロモフ: そう。化学において、分子生物学においても、これはいつも物事の裏方で、或る程度基本的な方程式だ。数学者達は約束を持てるが、そんなに容易ではない。計画を作ってはいけない。参加すべきだ。時には、非常に稀だが、非常に強い衝撃で予期しないことが起きる!
Raussen and Skau私達が驚いたことには、賞に関連して、アーベル講演の一つ、科学講演がコンピュータグラフィクス上でされたと悟りました。コンピュータグラフィクスまたはコンピュータヴィジョンと、特に形状分析が貴方の発明、すなわちグロモフ-ハウスドルフ距離から利益を得ていると言われます。この概念がどこに入って、どのように使用されるのか説明してくれますか?
グロモフ: イメージを比べなければならない時、どのようにイメージを比べるかが問題だ。驚くべきことに(一幾何学者にとって、信じられないことのように思える)、初期のコンピュータヴィジョンに関する研究は、イメージともう一つのイメージのマッチング(違いを強度へ吸収する)に基づいた。それは確かに目がすることに完全に反する! 実際、目がイメージに接して作用する方法のアイデアはポアンカレにさかのぼる。ポアンカレの有名なScience and Hypothesis[訳注: 科学と仮説]という本の中で彼は特に、人間の心が私達が持つ経験からユークリッド幾何をどのように構成するかを考える。目が移動しないなら、それは不可能であろうという、ほぼ数学的な証明を彼は与える。従って、実際に再構成すること、脳が視覚イメージを記録する方法は眼の動きに基づくのであって、対象にはさほど基づかない。おおよそ、目がこれをする。目はイメージを加えない。イメージを動かす。そして、小さな歪みとそれのマッチングを使ってイメージを正しいカテゴリ(それはおおよそ、ハウスドルフ収束(または何であれ)を持つ、リーマン幾何学に登場するカテゴリである)に移動させなければならない。
ポアンカレを読んだことのある一数学者にとって、これは明らかだ。しかし、コンピュータ科学の人達にとって、線型解析からの異なる伝統に倣って、それは全然明らかではなかった。やがて、外見上、彼等はこれらのアイデアを幾何学から彼等の分野へ連れて来た・・・実際、ヴィジョンに興味を持ったから私はSapiroによる講義に数回出席した。Sapiroは、どのように人はイメージを分析するのかを長い間考えて来ている人だ。
Raussen and Skau科学と数学の間の不十分な仲裁があるようです。
グロモフ: 確かに全くそのとおり。"不十分"と言うことは控えめな表現だ。ゼロに近い。テクニカルな理由のためコミュニティは非常に分離されて、全くコミュニケーションが無くなって来ている。嬉しい例外はクーラント研究所だ。私達はまだ多くの人達と交流を持ち、数学者達が科学に恋することが起きる。クーラント研究所で、これらの若い人達を見ることは、他のどこにもこの種の応用数学者達を見ないのだから、非常に励みになる。だが、彼等は純粋数学の本体(彼等はそこからアイデアを借用し、それを応用出来る)を良く知っている。通例、応用数学者達は純粋数学者達から分離される。彼等は或る程度互いを好きでない。馬鹿馬鹿しい。私達は同じ目標を持つのだから、これは変わらなければならない。違う側から私達は世界を理解するだけだ。
Raussen and Skauこの状況を改善する方法のアイデアを持っていますか?
グロモフ: 無い。だが、この種の問題を持つどの分野においても唯一の示唆は、問題を勉強することを始めなければならないことだと私は思う。私はこれについて十分には知らない。実例を分離して来たに過ぎない。どこでうまく行き、どこで駄目かを見て、新しい方法で状況を組織化しようと頑張らなければならない。しかし、数学者達に好きでないことをさせる無理強いを出来ないのだから、紳士的になさなければならぬ。それをする明快な方法は、数学と科学において良い連結された教育を設計することだ。実際、パリでFrançois Taddeiによる非常に良い新提案がある。Taddeiは非生物学者達(数学と物理学の若い人達)のための生物学講義の付いたクラスを組織している。彼は非常に有力であり、熱意がある。私はそれらのクラスのいくつかに出席したが、素晴らしかった。彼はエコールノルマルで数学者達と物理学者達のために生物学を教えていたから、誰もが近づきやすい、それらのアイデアをやっとのことで作っている。それは第1段階でされるべきことだと私は思う。どんなカリキュラムにもない、この特殊な種類の教育を持つべきだ。それを形式化してはいけない。熱意と知識を十分持つ人達のみが若者への知識を計画出来る。制度化されたシステムは設計が難しく、全く不発に終わるかも知れないので、それを何らかの方法で正統化することは非常に危険だ。非数学者達に数学を強要することは彼等を不幸にするだけだ。
Raussen and Skauニューヨークのクーラント研究所との貴方の提携について私達は既に語っています。しかし、ずっと長い間、貴方はパリ近郊のビュール=シュル=イヴェットにあるInstitut des Hautes Études Scientifiques(IHÉS)と提携して来ています。貴方の研究にとって、そして貴方の日常生活にとっても、この研究所の役割を説明してくれますか?
グロモフ: 注目すべき場所だ。そこへ来る前から知っていた。グロタンディークのおかげで、伝説の場所だった。彼は数学において、まあ神だった。私はデニス・サリヴァンとストーニーブルックで既に会っていたが、IHÉSで再会した。IHÉSではサリヴァンと語って多くの数学を学んだ。彼は私がしていることを好んだので、私のIHÉSへの招聘に彼は貢献したと思う。サリヴァンは多くの人と交流した。彼は何らかのアイデアに巻き込まれる(吸収して、アイデアを発展させる手伝いをする)素晴らしい特技があった。IHÉSでもう一人の偉大な人はルネ・トムだったが、既に数学をするだけでなく哲学にいた。ピエール・ドリーニュもいた。ドリーニュからかなり時間を厳守してある専門のことを学んだ。多くの場合、彼に質問した時に素晴らしい回答があった。彼は人の心からアイデアを理解し、それを別の方向によく変えたものだ。
基本的に、この研究所で作られる雰囲気は非常に特別だった。研究することと人と語ることを除いて、ほぼ完全自由だ。注目すべき場所だ。私が初年度客員研究員だった時にさかのぼる最もいい思い出を考える。その時、私は実に自由だった。私が研究所のスタッフになった時、いくつか義務があった。多くはないが、それでもあった。客員にとっては半年間そこに来るのが理想で快適だが、そこに常駐することもさほど悪くはない。
Raussen and Skauビュール=シュル=イヴェットにいた時にベストな結果を得ましたか?
グロモフ: はい。私が35歳と39歳の間の時だったと思う。それは私が最も生産的だった時だ。

数学者達と数学に対するコンピュータ
Raussen and Skauコンピュータの使用は数学者達の毎日を大いに変えて来ていることは明らかです。皆がコンピュータを情報交換するために使い、殆どすべての人がコンピュータツールを使って編集作業をします。しかし、他の人達はコンピュータを実質的研究道具としても使用します。貴方自身の経験はどうでしょう? コンピュータを使いますか?
グロモフ: いや、残念ながら使わない。私はコンピュータに詳しくない。私はコンピュータ上に論文を書けるだけで、それもごく最近に習った。何人かの数学者達、とりわけ生物学に関係する数学者達はコンピュータと不可分になるだろうと思う。考えをコンピュータ実験に結合させなければならない時、異なる数学になるだろう。データについての本当の理解無しに、一般的なガイドラインだけを持って、大量のデータを扱う方法を私達は学ばざるを得ない。これは勿論起きていることだが、十分速く起きていない。生物学において、治療方法を発見、または少なくとも人間の病気についての学習をしたいのだから、時間は主要なファクターだ。速ければ速いほどいい。数学者達は普通時間に無頓着だ。急がない。だが、ここで急ぎ、数学者達はプロセスを速められる。そして、そこでコンピュータは絶対的にその一部だ。このように、コンピュータは重大な役割を果たしており、かつ果していくだろうと思う。
Raussen and Skau長い目で見れば、例えば次の50年以内にそれは数学がされている方法を変えるでしょうか?
グロモフ: 50年以内にコンピュータに画期的変化があるだろうと思う。プログラミングが非常に速く開発し、数学者達がその開発に凄まじい方法で寄与するかも知れないと私も思う。もし、これが起きるなら、50年で全く異なるコンピュータを持つだろう。実際、誰もコンピュータの発展を予想出来たことはない。Isaac Asimovが30年前に(その時は70年代で、彼はロボットとコンピュータが21世紀にどのようになるか予測していた)ロボットとコンピュータをどのように想像したかを見たまえ。おそらく50年以内に何が起きるか想像出来ない。人が言える唯一のことはコンピュータが今と全然違うだろうということだ。技術は非常に速いスピードで動く。
Raussen and Skau量子コンピューティングについて、どう考えますか?
グロモフ: ええと、私はそれについて何かを言うほどのエキスパートではない。物理学者達に訊く必要があるが、彼等は全く異なる見解を持つ。私の印象は、実験物理学者達は出来ると信じており、理論屋達は"いや、いや、出来ない"と言う。それが私の持つ全印象だが、そのどちらの側も私は分からないから、自分では言えない。

数学研究スタイル
Raussen and Skau貴方の研究するどの分野にも深大で独創的な見方を導入する数学者だと貴方は言われて来ています。どのように人は数学をすべきか、そして、特にどのように問題を攻略すべきかについて、根底にある哲学を持っていますか?
グロモフ: 私が言える唯一のことは、一生懸命に研究しなければならないということ、それがすべてだ。研究に研究を重ね、考えに考えを重ねて。それに対する他のレシペはない。私が言える唯一重要なことは、問題を持つ時、(既に過去の数学者達が知っているので)どのくらい自分で考えるかと、どのくらい他者から学ぶかのバランスを保つ必要がある。皆が能力に応じて正しいバランスを見つけなければならない。一般的アドバイスを与えられないほどに、それは異なる人には異なる。
Raussen and Skau貴方は理論構築者よりも問題解決者ですか? どちらの観点からご自分を表現しますか?
グロモフ: それは人の気持ちに依存する。時には、一つの問題を解きたいだけだ。勿論、歳を重ねて、ますます理論的になる。部分的には、より賢くなるからだが、より弱くなっているからとも言える。それをどのように見るかに依存すると私は思う。
Raussen and Skau貴方の数学研究スタイルに関して、貴方はいつも数学を考えますか?
グロモフ: はい、個人的事情の問題を抱えている時を除いて。何か他に邪魔をするものがあれば、私は考えられない。すべてがオーケーで、少なくともちょうど今、他にすべきことがないなら、数学または生物学(しかし、いわば数学流に)のような他の分野に没頭する。
Raussen and Skau一日に何時間数学を研究するのですか?
グロモフ: かってほど多くない。若かった時は、一日中、時には朝9時から夜11時までずっと続けられた。私を逸らせられるものは何もなかった。勿論、今はもはやそれほど出来ない。一日で疲れを感じずに5、6時間しか出来ない。
Raussen and Skau若かった時はもっとエネルギーがあったが、いまはずっと賢い。正しいですか?
グロモフ: 歳を重ねる時、さらに経験して賢明になると言える。だが、頭脳のパワーも失い、弱くなる。それを受け入れなければならない。賢明になるかどうかは疑わしい。だが、弱くなることは明らかだ。
Raussen and Skauかってジョン・フォン・ノイマンは30歳までに数学で最も重要なことをすると言いました。彼自身が30歳になった時、歳を重ねるにつれて賢明になると彼は付け加えて言いました。貴方が30歳前に、ベストな数学がなされていますか?
グロモフ: 私自身に関して言えるのは、私が30歳と40歳の間だった時にベストな研究をしたと思う。私が始めた時、何の見通しを持たず、最初に来ているものが何であれ、ただやっていた。もっと学ぶにつれて、いつも自分の姿勢を変えてばかりいた。今新しく始めなければならないなら、全く違うことをするだろうし、間違っているか正しいか、私は判断出来ない。他方、私が今考えているすべては40年前に既に考えていたことだと言わなければならない。アイデアは長い間に私の中で成長し続けていた。さて、何人かの人達は人生でおそく画期的な研究を作るが、非常に早くに、ある感覚を開発している。人が喋る能力のようにね。3歳の時に喋ることを習うが、それは30歳の時にも3歳の時と同様なことが言えることを意味しない。そういうふうに感覚は働く。
Raussen and Skau貴方自身の業績を軽く見せることで貴方が非常に謙虚だということに私達はびっくりします。貴方自身が言うように、アイデアは素朴かも知れないが、これらのアイデアから結果を得ること、それは発明の才を要しますね?
グロモフ: 私が非常に謙虚ということではない。完璧な馬鹿ではないと思う。概して、数学をする時に自分自身のことを考えない。私の友人の一人は、いいアイデアを持つ時はいつでも、いかに彼が賢いかに興奮しすぎて、以降研究出来ないと愚痴をこぼしていた。だから、当然私は考えないように努めている。
Raussen and Skau貴方の言うとおり一生懸命研究すれば、貴方自身を酷使してしまっているので、鬱を経験したことがありますか?
グロモフ: いいえ。時には外側の不幸なことが私を邪魔したことはある。勿論、時には大変疲れて、誰かが研究を中断することを喜ぶが、他の場合止められない。アルコール依存患者のように、研究に研究を重ねて、それから休息を取ることはいいことだ。

アーベルとアーベル賞
Raussen and Skau数学コミュニティは貴方の研究のマイナーな部分を、つまり根底にある大きなアイデアと見通しよりも、むしろ技術的詳細を理解して来ているに過ぎないと貴方はかって不平を言いました。アーベル賞を受賞することは、その状況を変えるかも知れないと思いますか?
グロモフ: 先ずこの不平について。それはまあ半分冗談だった。もっと成功するものと違って、アイデアが発展出来なかった、いくつかの研究があって、私はそれについて惨めだった。次のことをどう見るかに依存する。アイデアも良くなく、人々も注意を払わなかった。全く分かってない。私の言っている何かがもっと発展してくれたらなあと願ったが、それは起きなかった。それが私の不平、いや正確に言えば不平の動機だった。アーベル賞とは何の関係もない。
Raussen and Skau一般的に賞について、とりわけアーベル賞についてどう思いますか?
グロモフ: 客観的には、既に多くを達成して来ている数学者達に対して、これらの賞を必要しないと私は思う。すべてのレベルで若い人達を勇気付ける必要があり、それに対してもっと努力をしなければならない。他方、この賞を受けることは非常にうれしい。私はそれを享受し、一般大衆からみれば数学コミュニティの認識に前向きな効力を持つかも知れない。私の友人達による、及び賞を受けることによる私の研究の正しい理解のために私は勿論アーベル賞を気に入ってるのだから、自己弁護かも知れない。しかし、一般科学的懸念として、さらにもっと深刻な問題は、若い人達に数学を受け入れさせるための教育とモチベーションを与えることに対する資金獲得へのずっと重要な努力を計画することだ。ここオスロで私が見て来ていること、今日の初めに私が(これらの若い人達と一緒に)訪問した高校で、私は非常に感銘を受けた。私はこの種のイベントを世界のすべての所で見たい。勿論、数学者達は賞を気に入らないほど禁欲的ではないが、長い目で見れば、私達の未来を形作るのは賞ではない。
Raussen and Skauアーベルに戻って、数学者としての彼を崇拝しますか?
グロモフ: はい、まったくそのとおり。私が言ったように、視覚化出来て早急に経験され得る事柄から、次のレベル、より深くより根本的な構造のレベルへ数学のコースを変えたことに対する主要人物ではなくても、彼はその主要人物達の一人だった。
Raussen and Skau方程式の理論(後にガロア理論になった)について書いているアーベルの死後の論文があります。その序論の中で彼は興味深いことを書いています。彼の言っていることは以下のようです: "乗り越えることの出来ないように思える問題は、私達が正しい質問を訊いて来ていないから、外見上そう見えるのである。いつも正しい質問を訊くべきであり、それから問題が解けるのである"
グロモフ: まったくそのとおり。どのように質問を訊くかについて大局的見方を彼は変えた。私は数学史に詳しくないが、アーベルの研究及び空間と函数に関する彼の考え方は数学を変えて来ている。いつこれが起こったのか正確に答えるほどの歴史を知らないが、構造の根本にある対称の概念が多く彼の研究から来る。私達はまだその発展に従っている。それはまだ使い尽くされていない。これはガロア理論と一緒に続き、リーによるリー群論の発展においてなされ、近代において非常に高度なレベルで、とりわけグロタンディークによってなされた。これは続くだろうし、次の段階へ移る前に、私達をどこへ連れて行くのかすべてを調べる必要がある。それは私達が現在数学でやっているすべての基礎だ。

数学の将来
Raussen and Skau数学史歴訪の後で、数学の将来について少し予測していいでしょうか? かって貴方は数学の全構築物を、異なる分野と結果の間の接近性または親密性を述べている距離構造を持つ木、つまりヒルベルトの木と喩えました。クルト・ゲーデルから、私達が届かないであろう木の部分があることを知っています。他方、私達は木の或る部分をよく知っていますが、この部分がどのように大きいのか知りません。ヒルベルトの木の適正な部分を私達が知っていると貴方は考えますか? 人間の知力はヒルベルトの木のより大きい部分を把握するために作られているのでしょうか、または分野は永遠に地図に無いままでしょうか?
グロモフ: 実際、今私はそれを考え続けている。私は答えを知らないが、どのようにそれへアプローチ出来るかのプログラムを持っている。それはかなり長い議論だ。ある基本作戦があり、それによって構造を理解出来る。基本作戦のいくつかをリスト出来、外見上それらはヒルベルトの木のある部分へ連れて行く。それらは公理ではない。それらは公理と全く異なる。だが、結局は結果を手で研究出来ず、コンピュータを使う必要がある。コンピュータを使って、中途のステップを知ること無しに、いくつかの結論に至る。計算量は人にとって非常に膨大だろう。ある計算のスキームにたどり着くために、このアプローチを定式化する必要がある。これが私の今考えていることだが、答えを知らない。可能であるという間接的な兆候があるが、それは非数学的性質であり、むしろ生物学的だ。
Raussen and Skau今から50年または100年、貴方が未来を覗き込むならば・・・
グロモフ: 50と100は全然違う。次の50年について大体分かる。今やっている方法で続けるだろう。だが、今から50年間に地球は基本資源を使い果すし、その後何が起きようとするのか予見出来ない。石油は言うまでも無く、水、空気、土地、レアメタルを使い果たすだろう。すべてのことが50年の間に実質的に終わりへ来る。その後、何が起きるか? 私はおびえる。解決が見つかればオーケーだが、見つからなければ非常に速く万事が終末を迎える! 数学は問題を解く助けになるかも知れないが、成功しなければ、何の数学も残らない。私は怖い!
Raussen and Skau貴方は悲観的ですか?
グロモフ: 分からない。私達がすることに依存する。未来へ盲目的に移行し続けるなら、100年以内に大惨事があるだろうし、50年間に既に非常に重大なことが始まっているだろう。ええと、50は全く推定だ。それは40かも知れないし、または70かも知れないが、問題は確実に来る。問題に対して準備し、やっとのことで問題を解くならば、素晴らしい。問題を解く潜在能力があると私は信じるが、この潜在能力は使用されるべきであり、この潜在能力は教育だ。神によって解かれない。人々はアイデアを持つべきで、今準備しなければならない。2世代で人々は教育されるはずだ。教師達を今教育しなければならぬ。それから、教師達は新世代を教育するだろう。やがて、困難に立ち向かえる十分に多くの人々がいるだろう。これが結果を与えると私は確信する。そうでないと、大惨事だ。それは指数的プロセスだ。指数的プロセスに沿って走ると爆発する。それは非常に簡単な計算だ。例えば石油は無くなる。石油は世界のどこでも使い尽くされる。十分にあるとは言われていない。水は言うまでもない。乗り越えられない問題ではないが、以前には社会的にも理知的にも私達が直面したことのないスケールで解法を要求する。

将来のための教育システム
Raussen and Skau教育は外見上キーファクターです。貴方はもっと早くに、才能ある若人達の知性が十分効果的に発達していないと実感する悲嘆を述べたことがあります。非常に異なる知性にも適応されて、より良くなるために教育はどのように変わるべきか、何らかのアイデアがありますか?
グロモフ: 繰返すが、人はそれを研究する必要がある。絶対的なものはない。100年前に生まれたアーベルのような人数を見たまえ。今やアーベルはもういない。他方、教育された人数は凄まじく増大して来ている。どこにアーベルのような人達がいるのか?
であるから、彼等は適正に教育されて来ていないことを意味する。彼等は破壊されて来ていることを意味する。教育がこれら潜在的天才達を破壊している。天才はいない! 教育は、この特殊な役目を果たしていないことを意味する。きわめて重大な要点は、異なる方法で全員を扱う必要があることだ。それは現在では起きていない。ルネサンスから始まって、非常に多い人口にもかかわらず、100年前、200年前、または500年前にいたほど、偉大な人々が現在いない。これはおそらく教育のせいである。教育について、これは最も深刻な問題ではないのかも知れない。多くの人々が非常に変なことを正しいと信じ、それに応じて非常に変な決定をする。ご承知の通り、英国において、いくつかの大学で、ホメオパシーの学部があり、それは政府によって援助されている。学生数の観点から見れば、それは非常な成功だ。そして、誰もがナンセンスを学べる。大変な不幸だ。
Raussen and Skau現在、アーベルの高い能力レベルを持つ人はいない、もしくは少なくとも殆どいないと貴方は指摘します。それは、私達の教育システムおいて、並外れて才能ある人達が本流からかけ離れて変わったアイデアを持つかも知れないので、私達が彼等を担当するほど賢くないからでしょうか?
グロモフ: 教育についての質問は自明ではない。動物に関するいくつかの実験があり、それは動物を教えるやり方が、人がたまたま起きると考えるものではないことを意味する。頭脳の学習メカニズムは、頭脳が働くと私達が思う方法と非常に異なる。すなわち、物理学でのように、隠れたメカニズムがある。私達は毎日の経験から見方を重ねるが、見方は完全に歪められるかも知れない。そのため、何人かの子供達の潜在的に並外れた能力を私達は歪められる。教育が達成すると仮定される2つの逆のゴールがある。すなわち、第一に、人々が住む社会に順応するために教えること。他方は、最も良い可能な方法で発達するための自由を与えること。これらは逆の目的であって、いつも互いと対立する。これは、社会に順応させるために何人かの人達は抑圧されるという結果を作る。ゴールのこの種の対立は避けられないが、2つの間のバランスを見つける必要があって、教育のすべてのレベルにおいて容易ではない。非常に興味深い実験がある。チンパンジーとボノボを使って実施され、その状況を彼等が知る実験、またオウムに喋らすためにどのように教えるかの実験さえも。どのように教えるのか? 主要なファクターは教師を見てはならないということ。人とオウムの間に鏡を置き、人は鏡の裏で喋る。オウムはその時鳥を見る。すなわち、オウムは鳥に喋る。だが、人を見れば、非常に不正確に身に付けるだろう。それは明らかなことではない。教師、つまり権威の存在すらも生徒達を特殊な方向に動かし、教師が彼等に望む方向には全然動かない。この蓄積された根拠すべてによって、簡単な決定をしてはいけない。"これとこれをしなさい"と言うならば、確かに間違いだ。解決は明らかではない。解決は、何が実際に知られていることか深く分析し可能性を研究する後でのみ来るだろう。解答は期待出来ないと思う。実験を倫理的なものと同時に有益的なものにする方法を知らないのだから、子供達が何を学べ、何を学んではいけないのか、私達は分からない。それは非常に自明でない問題であり、よく研究されて来ていない。動物で結果を得るが、人には全く十分でない。
Raussen and Skau数学及び数学教育に戻りましょう。多くの人々が高校を卒業すると直ちに数学を扱うことを止めます。しかし、数学者として私達は、数学がしばしば隠されているけれども、どこにでもあることを知っています。すなわち、科学と技術における働き者としてだけでなく、人類文化の大黒柱として厳密で系統だった考え方を際立たせています。この2重の役割を社会にどのように知らせて理解されるかについてのアイデアと、意思決定者に数学が支援を必要とすることを実感させる方法を持っていますか?
グロモフ: 数学から非常にかけ離れて仕事する人々、すなわち社会で決定をする人々に対して数学的アイデアを計画しなければならないのだから、非常に難しい質問だ。私達が考える様は、彼等が運営する様と全く異なる。私は分からないが、私達の数学的社会内で、子供向けの良い数学的ソースを作ることのような、教育へいくらかの段階を作れる。今日、インターネットがあるのだから、インターネットプレゼンテーションを作ろうと努力すべきだ。実際フランスでは、小規模に低学年の子供達対象の課外活動を組織しようと頑張っている人達がいる。私達はそのようなものを大規模にやろうと頑張るべきだ。すなわち、全方位の、興味をそそられる独創性の大きなセンターだ。私は数学だけに的を絞っているのではなく、科学、芸術、若人に独創的活動を奨励出来るものなら何であれ、にも的を絞りたい。これが発展する時に、それ以前には無い、ある影響を私達は持つかも知れない。象牙の塔内にいて、私達は何を言えるのか? 私達は象牙の塔内にいて、そこで非常に安穏としている。だが、私達は世界をしっかり十分に見てもいないのだから、実際には多くを言えない。私達は外に出るべきだが、そう容易いことではない。
Raussen and Skau貴方はRademacherとToeplitzによる本Numbers and Figuresを読んでから数学に興味を持ったと言いました。私達はクーラントとロビンソンによる本What Is Mathematics?[訳注: 数学とは何か?]にも言及出来るでしょう。数学に興味を示す高校生達にそのような本を読むように励ますべきでしょうか?
グロモフ: はい。私達はそのような本をもっと作る必要がある。既に、Martin Gardnerによる、Yakov Perelmanによる(Mathematics Can Be Fun[訳注: 数学が楽しくなる])、Yaglomと共著者による、いくつかの良く書かれた本がある。他の数学者達はそのような本を書くことで貢献出来、これをインターネットの可能性、とりわけ視覚化と結合させられる。興味ある数学のたった1ページを書くことは比較的簡単だ。これは数学の多くの異なる分野で簡単に入手可能になるようにされるべきである。コミュニティとして私達は外に出て、そのような構造をインターネット上に作るべきだ。それは比較的簡単だ。次のレベルはもっと複雑だ。本を書くことは容易くない。コミュニティ内で、本を書く人達を励まそうと努めるべきだ。それは立派な種類の活動だ。残念ながら数学者達が"単なる視覚化、重要でない"と言うことが多過ぎる。だが、それは真実でない。広いアピールを持つ本を書くことは非常に難しく、殆どの数学者達はそれを出来ない。数学的事項を非常に良く知り、数学的事項を最も明快な方法で表現するために非常に深く数学的事項を理解する必要がある。
Raussen and Skauこれは、数学を取り上げる若人達をもっと獲得するための一方法になり得ますか?
グロモフ: もっと若人達を惹きつけるだろう。その上に、私達が内部的にやることよりも、ずっと広くアピールするのだから、政治的人物は非常な大規模にそれを感じ取るだろう。


Raussen and Skau貴方は詩が好きだと言ったことがあります。何の種類の詩を好きなのですか?
グロモフ: 勿論、私の知っている殆どが(20世紀の変わり目の、いわゆるロシア詩の銀時代の)ロシア詩だ。いくつか詩があったが、おそらく人はそれらを知らない。それらは翻訳不可能だと私は思う。西側の人達はAkhmatovaを知っているが、彼女は偉大な詩人ではなかった。3大詩人はTsvetaeva(女性)、Blok、Mandelstamだった。
Raussen and Skauプーシキンはどうですか?
グロモフ: いいかい、プーシキンに関して問題は次のとおり。彼は学校で教えられていた。それは大変ネガティブなインパクトを持つ。だが、40年後、私はプーシキンを再発見し、素晴らしいと分かった。その時、私は学校で習ったことを忘れた。
Raussen and Skau現代詩と英語詩はどうですか?
グロモフ: 英語詩は読んだことがある。いくつかの作品を知っているが、大規模には知らない。難しい。現代ロシア詩(例えばBrodsky)についてさえ、新しいスタイルを理解するのは難しいと感じる。詩を理解することは自明でない。英語詩に対しては、私が習った少数の作品があり、良さが分かる。それらのいくつかは扱うのが容易だ。いくつかはロシア語の翻訳がある。注目すべき一つはエドガー・アラン・ポーだ。彼はまあ、ある意味で簡単だ。だが、多くの他の英語詩人はロシアのスタイルからずっとかけ離れている。私は、フランソワ・ヴィヨンのようなフランス詩を少し知っている。彼をフランス語で鑑賞出来る。しかし、現代詩は私にとって非常に難しい。
Raussen and Skauインタビューを終えるにあたって、ノルウェイ人、デンマーク人、ヨーロッパ数学協会を代表して、心からの感謝をいたします。

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ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する

今回紹介するのは abc 予想の証明に関する最近の動向を伝えている記事です。 これを選んだ理由は素人衆が知ったかぶりに勝手なことを書いているのをネット上で散見するからです。ここで言う素人衆は日本のメディアはもちろんのこと、馬鹿サイエンスライターも当然含みます。昨年末(2017年12月16日)に某新聞が誤報に近いことを報道したことも記憶に新しいでしょう。そんな情報に振り回されないために今回の記事です。 今回の記事は正確かつ公平だと私は思いました。私の友人共の何人かは、この方面の専門家だから門外漢の私はいろいろなことを教えてもらいました。その上での感想です。 その方面の専門家でなくても数学の研究者なら望月論文は無理でもレポートは読めるはずなので、もっと詳しく知りたい人はレポートを読んで下さい。 前置きはこれくらいにして、紹介する記事は" Titans of Mathematics Clash Over Epic Proof of ABC Conjecture "です。その私訳を以下に載せておきます。 [追記: 2018年10月06日] ここに至るまでの経緯については" 数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明 "を読んで下さい。その記事は2015年12月にオックスフォードで行われた望月論文に関する初めての国際的ワークショップより前の話が書かれています。 このワークショップはいろいろ評価が分かれるけれども、私が聞く限り、大失敗だと言う人が多いです。実際、私の海外の知人の一人がワークショップに参加しており、ボロクソに言ってました。 このワークショップを境に、海外特に米国では望月論文を理解しようとする熱意が急速に薄れたように感じますし、ショルツ、スティックス両博士の異議申し立てが出るまで実質何の音沙汰もない状態でした。 [追記: 2018年10月23日] 私の友人共に指摘されたのですが、この記事の私訳を読む人の殆どが日本の全くのド素人なんだから、たとえ原文に記載されていなくても誤解を生じさせないように訳者が万全を期するべきだと言われました。 記事に出て来る Publications of the Research Institute for Mathematical Sciences (略してPRIMS)

数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明

前回紹介した" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "はもちろん一般大衆向けの記事です。数論、数論幾何学、IUTT(宇宙際タイヒミュラー理論)のいずれかの専門家なら、そんな記事を読まなくても、そこまでに至る経緯は十分に承知しています(何故なら自分達の飯の種を左右する問題だから)。その方面の専門家でなくても数学研究者なら数学コミュニティ又は数学界を通して大概の経緯を聞き及んでいます。 私の身辺(私の友人共はすべて何らかの形で数学研究に携わっているので、それらを除きます)でその記事を読んだ感想は"そんなに拗れるのは不思議だ。もっと経緯を知りたい"というのが多かったです。その身辺の彼/彼女等はもちろん素人衆ですので、望月新一博士の名前も報道でしか聞いたことがないし、数学で何故これほどまでもつれるのか不思議でならないそうです。彼/彼女等は至って真面目です(何故こういう事を書くかと言うと、素人衆と言っても千差万別で、中にはネット上で国家高揚か日本民族高揚のために望月博士のことを書いているとしか思えない不逞の輩がいるからです)。そこで、それらの真面目な人達のために今回紹介するのは2015年10月の Nature 誌に載っていた" The biggest mystery in mathematics: Shinichi Mochizuki and the impenetrable proof "です。 何故これを選んだかと言うとエンターテイメント性があり、素人衆でも面白く読めるだろうと思ったからです。但し断っておきますが、いろいろな数学者の証言を繋ぎ合わせて望月博士の心情を勝手に推測するのははっきり言って妄想であり、さすがエンターテイメント性を重視して堕落した Nature 誌だけのことはあると私は思いました(あのSTAP論文を掲載したことも記憶に新しいでしょう)。 その私訳を以下に載せておきます。 [追記: 2018年10月06日] この記事は2015年12月に行われたオックスフォードでのワークショップより前の話です。このワークショップは望月論文に関する初めての国際的な会合で、この記事でもこのワークショップにかなりの期待を寄せているところで終わっています。 しかし、いろいろ評価が分かれ

谷山豊と彼の生涯 個人的回想

数学に少しでも関心のある人なら、フェルマーの最終予想が、これを含む一般的な志村予想を証明することによって解決されたことは御存知でしょう。この志村予想は、かって無知と誤解によって谷山-志村予想と呼ばれていました。外国では更に輪をかけて(と言うよりもアンドレ・ヴェイユの威光によって)谷山-志村-ヴェイユ予想と呼ばれていました。ヴェイユがこの予想に何ら関係しないことは、故サージ・ラング博士によって実証されました。それでも、谷山-志村予想もしくは谷山予想と呼ぶ人がまだ散見されます(散見と言いましたが、日本人ではかなり多いです。国民性に依存するのかどうか知りませんが)。私は数論を専攻したことがなく、ずぶの素人ですが、志村博士が書かれた記事や自伝"The Map of My Life"を読み、何故志村予想なのか納得しました。ここで込入った話を書くことは不可能なので、分り易く言えば、故谷山氏は何ら予想の内容にタッチしていないと言ってもいいかと思います。勿論、その周辺は谷山氏の研究分野でしたから周辺にはタッチしていたでしょうが、志村博士は全く独立にきちんと予想を定式化しました。ですが、谷山氏と志村博士はいわゆる盟友関係であり、また谷山氏の不幸な亡くなり方を悼む日本人的感情(つまり、センチメンタル)から日本人は谷山-志村予想と頑なに呼んでいるのだと私は理解しています。ですが、これは数学なのであり、事実を直視しなければいけないと思います。また、最終的に志村予想は証明されたのですから、何とかの定理と呼ぶべき時期だと思います。この"何とか"に何を冠するかはいろいろ意見があるようですのでこれ以上は触れないでおきます。 さて、志村博士の"The Map of My Life"の第4章、18節に"18. Why I Wrote That Article"があります。ページ数で言えば145ページ目です。タイトルが示している"あの記事"とは、志村博士が英国の専門誌 Bulletin of the London Mathematical Society に発表した" Yutaka Taniyama and his time, very personal recollections "

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昨年紹介した" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "の元記事はもちろん大衆向けのオンライン科学ジャーナル Quanta Magazine に掲載されたものですが、著者はErica Klarreich女史です。彼女はサイエンスライタではあるけれども、歴とした数学者です。しかも、幾何的トポロジで彼女の名前を冠した定理を持つくらいの立派な方です。何故こういうことを書くかと言うと、IUTを支持するイヴァン・フェセンコ博士がKlarreich女史をいかにも素人呼ばわりした非常に下らないドキュメントを書いたからです。大学にポストを持っていなければ全員が素人なんですかと問いたいくらいです。これでは世界からIUT自体が白眼視されるのも無理からぬことだと思いました(本当のところは全く違う理由からなんですが、話せば切りが無いので止めておきます)。 さて、今回紹介するのはディヴィド・マイケル・ロバース博士が書いた記事" A Crisis of Identification "です。ロバース博士と言えばショルツ、スティクス両博士のリポートが公開された直後からキャテグリ論の専門家として非常に冷静な分析をされていたことに私は感心してましたから直ぐに記事を読みました。一つの不満を除いて非常によく書けていると思います。" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "も勿論読み応えのある立派な記事でしたが、どちらかと言うとドキュメンタリ風の記事でしたし、読者層が一般大衆であることを考慮してあまり数学を前面に出していませんでした。ロバース博士の記事はもう完全に数学を前面に出しています。 前述した一つの不満はグロタンディーク氏のことにスペィスを割いて結構触れていることです。今のABC予想の置かれている状況とはあまり関係がないと私は思いました。やはり大衆受けを狙ったのかと感じました。まぁ、日本でも素人には何故かグロタンディーク氏は大人気ですから(捏造されたエピソゥド、つまりグロタンディーク素数がどうたらこうたらに踊らされて?)、それはそれで良いのかも知れませんが。 前置きはこれくらいにして、この記事の私訳を以下に載せておきます。なお著者の注釈欄を省いていますが、注釈へのインデクスはそのままです。 [追

数学教育について

聞くところによれば、関数型プログラミング言語の流行とともに数学の圏論がブームだそうで。圏の概念が他の数学の分野を全く知らない人でも意味が分かるのか疑問を持っています。その理由は後で述べます。 私の手許に故Serge Lang博士の名著"Algebra"があります。この本は理由があって、何と大昔の1974年の初版第6刷です。非常に貧しい学生だった私に恩師が2冊持っているからと言って1冊を下さり、私の生涯の宝物です。 仮に数学を代数学、幾何学、解析学という全く意味が無い区分けをしたとします。意味が無いと言うのは、例えば多様体論なんかはどの分野にも入るからです。そうであっても無理に区分けしたとしましょう。この3分野のうちでも、代数学(厳密に言えば抽象代数学です)が、勉強するだけなら(あくまで勉強するだけですよ、研究となれば別の話です)数学的予備知識も数学的センス(故小平邦彦博士の言うところの"数覚"、位相群で有名だった故George W. Mackey博士の言うところの"数学的成熟度"、まぁ簡単に言えば数学的才能ですね)も全く必要としません。必要なのは論理を追うための忍耐力と言えます。ですから、理解出来るか否かは別にして、代数構造を"言葉"として吸収することは誰にでも出来ます。数学のどの分野を専攻してもLang博士の"Algebra"程度の知識は"言葉"として知っていなければ話にならないのです。数学での代数学は、私達が日本語や英語等でコミュニケーションするのと同じく、数学の言語なのです。 Lang博士の"Algebra"には、第1章群論の第7節に早くも"圏と関手"が登場します(ページで言えば25ページ目です)。ついでながら、この圏、関手という日本語は全く元の英語が想像出来ないので、以降カテゴリ、ファンクタと書きます。 ところで、Lang博士はブルバキにも入っていた人ですから、こういう抽象度が高い概念を重要視しているかと思いきや、決してそうではないのですね。元々カテゴリ、ファンクタ(ファンクタの方が重要な概念でして、カテゴリはファンクタが扱う対象物です)は、ホモロジー代数の一部として提案された概念です。ホモ