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志村五郎博士著"The Map of My Life"より重要資料の手紙三編

巷では志村博士のThe Map of My Lifeと"記憶の切繪図"が同じだと思っている人が非常に多いです。もちろん本文は英語と日本語の表現の差はあれど内容自体はほぼ同じです。逆に食い違っていたら、それこそ問題でしょう。決定的な差は付録部分にあります。The Map of My Lifeの付録には、いわゆる志村予想の背景を示す重要資料になるであろう手紙が三編も収められており、数学界にいる人はそこに注目したはずです。一方"記憶の切繪図"の付録には一般人向けに志村博士が日本語で書いたエッセイが収められています。この差は大きいと思います。何故そうなったのか、常識があればすぐに分かります。The Map of My Lifeはあの世界に冠たるシュプリンガー社本体から、"記憶の切繪図"は日本の筑摩書房から出版されています。つまり、想定している読者層が違うのです。一方が数学者達も含めた世界中の人々、他方が日本の一般人を対象にしているのです。だから本の内容全体に差が出て当たり前なんです。その決定的な差を殆どの日本人(もちろん専門家を除きます。以降いちいち断わりを入れません)は理解していません。いや、むしろ事実を直視したくないとも私には思えます。
そこで志村予想の背景を示す手紙三編を今回紹介します。何故あの予想を志村予想と呼ぶのか、そしてそう呼ぶのが一番正確であり、そう呼ばれるべきかについてはサージ・ラング博士の調査報告とも言ってよい"志村-谷山予想の或る由来"を参照して下さい。または、数学的議論抜きであれば"谷山豊と彼の生涯 個人的回想"の前置き及び追記の中を読んで下さい。但し、保型形式とモジュラ形式の違いも知らない人は読んでも時間の無駄でしょう。
さて手紙三編の内訳ですが、一通がフェイドゥーン・シャヒーディ博士宛、残りの二通がリチャード・テイラー博士宛です。これらの手紙三編は現代数学史研究に欠くことの出来ない資料だと思います。実を言えば、これらの三編は部分的に先ほどの"志村-谷山予想の或る由来"で引用されています。そして、これまた嫌味に聞こえるかも知れませんが、リチャード・テイラー博士の名前も初耳の人は時間の無駄ですから以降を読まない方がいいでしょう。
これらの手紙の私訳を以下に載せておきます。なお、今回原文へのリンクは(当たり前ですが)ありません。原文に興味のある人は是非ともThe Map of My Lifeを購入して下さい。

[追記: 2018年02月03日]
The Map of My Lifeの付録にはそもそも何が収められているのか。タイトルだけを和訳せずに列挙しますと、That Conjecture、A Letter to Freydoon Shahidi、Two Letters to Richard Taylor、Response、André Weil as I Knew Himの5編です。
そのうちで最後の"André Weil as I Knew Him"については、既にこの"私訳"シリーズで紹介しており、"私が交流したアンドレ・ヴェイユ"を参照して下さい。
ところで、海外の知人がThe Map of My Lifeを読み、既に日本語版である"記憶の切繪図"が出版されていることを知りました。しかし、知人はThe Map of My Lifeの付録も全部含めて志村博士が自ら日本語に書直したのが"記憶の切繪図"なのか疑問に思い、私に問い合わせて来ました。そこで、まあ本文は表現の差があれどほぼ同じだが、付録部が全く違うこと、だから本全体として別物で、全く違う本と考えるべきだと伝えました。その過程で日米の(いや、日本と世界の、と言うべきでしょうが)読者層の違い、出版社の規模等を議論しましたが、私は日本人の視野の狭さ、つまり思い込みの強さ、書くリヴュの無責任さを取り上げ以下のことを知人に書きました。日本語の壁に隠れて好き放題に喚いている卑怯者の輩の仲間に入りたくないので、私の書いたものを世界の誰もが読めるようにさらけ出しておきます。
By way of a bit of advice for the Japanese hoi polloi.
I wrote a review on "The Map of My Life" long ago. Should you be interested in my review written in Amazon Japan, please feel free to look at it.
As you know, apparently most Japanese think that "The Map of My Life" is just a translation of the Japanese edition "記憶の切繪図," which you may take as the Japanese pronunciation "Kioku no Kiri-ezu," and that they don't in the least need to read the former. I cannot help saying that how stupid they are. Actually all the content of the former is a good deal different from that of the latter.
Now let me show you the difference between both books. First of all, the number of mathematicians appearing in the former is a good deal greater than that of the latter. Secondly, the former appends valuable documents which tell a story of the Shimura conjecture, not the Taniyama-Shimura conjecture. Note in passing that Taniyama didn't conjecture the modularity at all, more's the pity.
Besides, there are such exemplifications here and there. I guess that Professor Shimura first wrote the former in English, and that he wrote the latter in Japanese, especially for the Japanese public, omitting some of topics of the former; then it doesn't matter whether the former was really published earlier than the latter.
In short, shouldn't you be a layperson, you might want to read "The Map of My Life."
Last but not least, I'd like to write why I write even reviews of Japanese books, in English. Do you really think the people who use Amazon Japan, say, are confined to the Japanese? That is never the case. I really know some foreigners using there, if not many, though most of them live in Japan but they don't always understand Japanese.
From an international point of view, writing reviews in Japanese, especially if there's severe criticism in reviews, is obviously ugly. For example, imagine when reviewers criticize the authors of Japanese translations, and the authors don't understand Japanese at all. How far strange! To put it bluntly, such reviewers hide themselves behind what I call a Japanese language barrier. In other words, they must be cowards.
Thus you must use such languages as people of normal intelligence, worldwide  understand, if you want to criticize someone. Otherwise, you aren't qualified to review.

[追記: 2019年03月23日]
このペィジは2018年02月02日に某サイトに載せたものです。従いまして、当時生きていたリンクも現在ではリンク切れになっている可能性があります。

[追記: 2019年05月04日]
2018年02月03日付の追記で触れました"That Conjecture"については'志村五郎博士著"The Map of My Life"のAppendixより"あの予想"'を見て下さい。
つい先ほど、志村博士が3日に米国で死去されたというニューズを知りました。
ここに謹んで哀悼の意を表します。

フェイドゥーン・シャヒーディへの手紙(志村五郎博士著The Map of My Life p. 174-175)

                             1986年9月16日
シャヒーディ様
1967年に知られていたことに関して貴方がよく分かっていないことを当然だと思うべきだったと今悟っている。だから、いろいろな事柄について私にもっと詳しく説明させて欲しい。

1962-64年に高等研究所のメンバーによって開かれたパーティーで、セールが私のところに来て、モジュラ曲線に関する私の結果(下を参照のこと)がQ上の任意の楕円曲線に適用しないから、それらの結果はそれほど良くないと言った。そんな曲線は必ずモジュラ曲線のヤコビアンの商に違いないと信じると私は応答した。セールはそこにいなかったヴェイユにこれを言った。数日後、ヴェイユは私に本当にその声明を言ったのか訊ねた。"はい、筋が通っていると思いませんか?"と私は言った。その時に彼は"両方の集合が可算だから... ..."と言ったが、彼の全集の第Ⅲ巻の450ページ目にそれをフランス語に翻訳している。
454ページ目において彼はいくぶん予想を立てる考えに反対である。この理由のため、私が予想を述べていることを直接的に言うことを避けたと私は思う。
モジュラと他の曲線について言えば、アイヒラーの1954年の論文と私の3つの論文、J. Math. Soc. Japan vol. 10 (1958), 1–28; vol. 13 (1961), 275–331; Ann. of Math. 85 (1967), 58–159.に言及させて欲しい。
これらの論文の中で、"数論的商(特にモジュラ)の曲線"のゼータ函数が解析的接続を持つことが示されている。その商に関する結果は明示的に言及されていないが、代数的対応のようにヘッケのオペレーターがQ上または妥当な数体上で定義されている事実の易しい結果である。
私がセールと話した時にこの事実を意識した。もっとはっきり言えば、多分1965年に私はそれに関してヴェイユに話した。彼の論文[1967a]の最後で彼はそれを言及している。すなわち、"志村五郎の話によれば..."。当時私は彼に、そこで言及されている曲線C´のゼータ函数が問題中の尖点形式のメリン変換であることさえも話したが、彼はその命題を割愛した。結局、私の本の中(定理7.14と定理7.15)と同様に、私の論文J. Math. Soc. Japan 25 (1973)の中でもっと一般的な結果を発表した。
この議題に勿論ヴェイユは彼なりに貢献したが、モジュラ楕円曲線のゼータ函数に関する結果に対しても、そんな曲線がQ上のすべての楕円曲線を使い果たすだろうという基本的アイデアに対しても関係が無い。
更に疑問があれば、どうか私に知らせて欲しい。
                                 敬具
                               志村五郎

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リチャード・テイラーへの2つの手紙(志村五郎博士著The Map of My Life p. 176-181)

                            1994年11月25日
リチャード様
私は貴方の論文"On the ℓ-adic cohomology of Siegel threefolds[訳注: ジーゲル三次元多様体のℓ-進コホモロジーについて]", Invent. math. 114 (1993), 289–310を読む楽しみを得たが、以下の私の論文を知らない印象を受けた。

Construction of class fields and zeta functions of algebraic curves[訳注: 類体と代数曲線のゼータ函数の構築], Ann. of Math. 85 (1967), 58–159.

この論文の最後の節で、代数曲線Vのゼータ及びL⁻函数が定義されており、そこにおいてVは一つのアルキメデス素数でのみに非分岐な完全実代数体上の四元数環から得られるという事実へ貴方の注意を促したい。
私はこの種の手紙を滅多に書かない(殆どない)が、ただいまの場合そうするための良き理由を私は持っている。実のところ奇妙にも、この論文はリビュー記事すべて、そして研究論文においてさえも言及されたことがない。せいぜい著者達はQ上の四元数環の場合を私が取り扱ったと言及する(それは本当だ)が、その情報だけでは誤解を招きやすい。Clozelのブルバキ論文(March 1993, No.766)が実例だ。一度誰かがリビュー記事を書くと、他の人達は自分達で歴史的研究をせずにそれに倣う。結果的に誤解は継続されるが、私が手紙を書いている理由はそれである。
従って、上記の1967年論文の少なくとも序論と関連部分を読んでくれと貴方に頼めるか? 貴方が問題の歴史的側面に興味を持つかと思う。貴方がやってくれると仮定して、ケン・リベットへの私の手紙のコピーを同封しているが、それに興味を持つと希望する。その中で私はすべてを説明したのではなかった。例えばトレース式は、すべてのQ-有理楕円曲線はモジュラであるという私の予想の背後の私のアイデアと非常に関係があった。もう一つ別の奇妙な事実がある。すなわち、誰も私が予想を立てた理由を訊ねたことがない。おそらく今それがはっきり見えるかも知れない。
                                 敬具
                               志村五郎

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                            1994年12月12日
リチャード様
まるで私が貴方にあの問題を訊ねるよう強要しているかのようだ。ともかく、すべてのQ-有理楕円曲線はモジュラであるという予想へ私を導いたアイデアについて私が話せることがここにある。

先ず第一に、数学的オブジェクト(Q-有理楕円曲線のゼータ函数)の或る概念が、そのオブジェクトの特別な提示方法(モジュラ函数による一意化)で最もよく記述されるならば、同じタイプのオブジェクト全体が同じ方法で提示されるはずと期待することは当然だという基本的哲学がある。勿論これが間違いであることが分かるかも知れないが、人はそれを開始点として必ず取れる。しかし、そんな荒削りの哲学に加えて、そのアイデアをサポートする少なくとも2つのテクニカルな事実がある。
これらの内の最初は比較的に簡単だ。これについて私は既にアンドリュー[訳注: もちろんアンドリュー・ワイルズ博士のこと]への手紙の中に書いたので、それからの一節を引用させて欲しい。

1963年のボルダーの夏コンファレンスで私はブライアン・バーチに会った。彼はZE(1)の意味に関する彼のアイデアを私に語った。ここでZEQ-有理楕円曲線Eのゼータ函数だ。彼はモジュラ函数によって一意化される曲線について何も知らなかった。だから私はアイヒラーと私自身の結果を彼に説明した。更に、彼が当然ZE(1)の消滅または非消滅の問題に興味を持ったから、次の3つの事実を彼に話した。

(1) EΓ0(N)\Hとして与えられるならば、ZE(1)は∫0f(iy)dy(ここでfは尖点形式)の定数倍であり、従ってZE(1)は事実上周期である。例えばN=11ならば、fの明示形式はf(iy)が必ず正だと告げており、その結果ZE(1)≠0であるが、同じことが他の場合に成立する。
(2) gがディリクレ指標によるfのねじりならば、gは高位水準の尖点形式である。
(3) 特に指標が2次ならば、gのメリン変換はEのねじりDに対してZDを与える。ZDの函数方程式から、ZD(1)=0を満たすDの実例を得られる。

これらは易しくても彼には全く初めてだった。彼は1960年代早期の論文の中でこれを承認した。Γ0(N)\Hが種数1の場合に関してのみ私は彼に話したと思う。私は彼にDが高位水準でヤコビアンの因子であることを話したのか? 私はそれを知っていたと思うが、おそらく(2)と(3)の他にそれに関して話さなかった。
(引用終わり)

要するにEがモジュラならば、そのねじれもモジュラである。

さて2番目の事実はもっと強い要因だ。ご存知の通り私はアーベル多様体のモジュライの多様体についてずっと研究していたが、それが私にとって多様体のゼータ函数を理解する唯一の方法だったからだ。私は最初アーベル多様体(その自己準同型多元環がQ上の不定四元数環Bを含む)の族の場合を研究(Proc. Int. Cong. M. 1958, J. Math. Soc. Japan, 1961)し、良いオイラー積を持つ良い曲線を見つけた。私は完全実数体F上の四元数環のもっと一般的な場合の調査も始めた。しかし、FQならば、そんな多元環に対するヘッケ理論はF上のオイラー積を作り、他にも、代数曲線を持つ場合において定義の自然な体はFまたはそのアーベル拡大である(Ann. of Math. 76 (1962), Osaka Math. J. 14 (1962))。従って、Q-有理オブジェクトを得るためにFQであると思わなければならなかった。Q上の除法Bから得られる、これらの曲線はモジュラでない(そして厳密に言えば、それは正しい。以降を見よ)かも知れないと私は最初思ったが、非モジュラQ-有理楕円曲線は次の理由のために得られるはずがないと分かった。アイヒラーは彼のトレース式を用いて、Bにおけるオイラー積は楕円型モジュラ形式から得られるものに既に含まれていることを示した(Acta Arith. 4 (1958))。この結果は後に清水によって一般化された(Annals 81 (1965))。いわゆるテイト予想はずっと後で明確に述べられたが、そのアイデアは谷山と私自身に知られていた。だから同じゼータ函数を持つ二つ楕円曲線は同種であると考えることは私にとって当然だった。
Bに関する、この後者の事実は私が予想を述べることに対する最も強い理由だったかも知れない。谷山は"他の特別な保型函数が必要だ"と言ったが、彼はヘッケの非モジュラ三角形関数を意図した。しかし、私はそれらが必要だと決して思わなかった(ええと、彼が正しいことが判明するかも知れないが)。
除法Bから得られる曲線に関して、曲線の自然なモデルは種数1の時でさえ実数点を持たないことを私は示した(Math. Ann. 215 (1975))。そういう意味で、それらはモジュラでない。それらのヤコビ多様体は楕円曲線だけれども、それらは楕円曲線でない。このポイントはそれらの曲線の存在理由を説明しているのかも知れない。この現象に関する調査があるのかと思う。
最後に、上記の問題に関連してエピソードを記させて欲しい。1962年の夏、伊原[訳注: もちろん伊原康隆博士のこと]が私に(東京の珈琲店に私達がいる時だったと思う)2つのトレース式の間の同等性を見つけたと言った。私は上記のアイヒラーの1958年論文を気づいていたから、それを確認するため私達両者は大学図書館に行ったが、井原の結果はアイヒラーのものに含まれていることが分かった。彼は失望したと思うが、その点について私は何も憶えていない。当時彼は東京大学の大学院生だったが、私はその年の9月にプリンストンに来た。彼は結局このトピックに関して博士論文を書いたが、発表しなかった。
トレース式及び関連する議題に関して、その時期のエピソードをもっと思い出せるが、それらに関してまたいつか、おそらく貴方がプリンストンに来る時に話そう。
                                 敬具
                               志村五郎
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2007年に追加された注意:
1. 最後の手紙の中で、私は"ええと、彼が正しいことが判明するかも知れないが"と書いた。これは予想が1994年まで完全には解決されていなかったからだ。

2. 読者は私のCollected Papers, vols. I, IVの中の記事[64e]と[89a]に対するNotesも参照されたい。それは1950年代と1960年代に私が考えていたこと、または、やっていたことに関するもう少し多くの説明を含んでいる。

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