世界で最初に"有理数体上の楕円曲線はモデュラである"と提唱したのは志村五郎博士ただ一人であることはずっと前に紹介した"谷山豊と彼の生涯 個人的回想"、"志村-谷山予想の或る由来"で度々言って来ました。
今回紹介するのは志村博士のThe Map of My LifeのAppendixから"That Conjecture"を紹介します。これを読めば志村博士がいわゆる"谷山の問題"をどうとらえているか分かると思います。志村博士は数学者ですから、日本人によくありがちなセンチメンタルで幼稚な感情を持ち込むことなく冷酷に論評しています。
その私訳を以下に載せておきます。当たり前ですが原文へのリンクはありません。原文に興味がある人はThe Map of My Lifeを購入しましょう。
[追記: 2019年05月04日]
つい先ほど、志村博士が3日に米国で死去されたというニューズを知りました。
ここに謹んで哀悼の意を表します。
[追記: 2019年06月06日]
志村博士のThe Map of My Lifeについてはこれまでにも、'志村五郎博士著"The Map of My Life"より抜粋'、'志村五郎博士"The Map of My Life"の書評'、'志村五郎博士著"The Map of My Life"より重要資料の手紙三編'と取り上げて来ました。
あの予想
2008年 志村五郎
タイトルは有理数体上のすべての楕円曲線がモデュラ函数で一意化され得るという私の予想を指している。私はこれを1964年の9月にJ.-P. Serre及びA. Weilに話した。この出来事は多くの研究者達によく記録され知られている。その命題は約30奇数年後に証明されたから今や定理である。他方、谷山豊は1955年に問題という形で命題を作ったが、それは私の予想に或る関係を持つ。私を除き、どの数学者も彼が言ったことと私が言ったこととの差を正確に理解しなかったも同然ということが私の印象だ。従って、この節において私はこれらの諸点を詳しく説明する。きっちり私の解明を聞きたいと思う非数学者達と同様に数学者達もいると思う。
先ず、楕円曲線は
E:y2=x3+ax2+bx+c
という形の曲線であり、右辺は重根を持たない、すなわち、3つの異なる数α、β、γを持つ
x3+ax2+bx+c=(x-α)(x-β)(x-γ)
であり、ここでa、b、c、α、β、γは複素数である。a、b、cが有理数ならば、Eは有理数体上で定義されていると言う。用語を短くすために標準ではないけれども、以降そんな楕円曲線を有理的と呼ぼう。α、β、γは有理数と仮定しない。
何故そのような曲線を考えるのか? 多くの理由がある。簡単に言うと、それがしばしば発生する研究の自然なオブジェクトだからだ。他にも、曲線のもっと一般的なタイプを調べたいならば、そんな特殊な場合(それは実際に大変興味深く、それほど簡単ではない)における曲線の性質を知らなければならない。
次に、"一意化される"という表現の意味は何か? 例えば、曲線C:x2+y2=1を考えよう。それは円であり、楕円曲線ではない。すべての実数tに対して、点(cos t、sin t)はC上にあり、逆にC上のすべての点は適当な実数tによって(cos t、sin t)として与えられる。この事実を円Cは三角函数コサインとサインによって一意化されると言う。
g(u)2=f(u)3+af(u)2+bf(u)+c
を満足する、或る定義域Uにおける変数uの2つの函数f(u)とg(u)を見つけられると仮定しよう。その時、点(f(u)、g(u))は曲線E上にある。E上のすべての点がこのように得られるならば、Eは函数fとgによって一意化されると言う。この場合、いくつかの自然な理由のためu、f(u)、g(u)は複素数である必要がある。
楕円函数と呼ばれる重要な函数のクラスがある。それによって、すべての楕円曲線E(必ずしも有理的とは限らない)は一意化される。しかし、問題は一意化ではない。Eの数論的性質に関心がある。詳細を抜きにして、有理的Eに対してEのゼータ函数と呼ばれる或る函数Zを定義出来るとしよう。ゼータ函数はEの本質的な数論的性質を包含し、それは与えられたEに対してZを決定するために重要である。今や楕円函数によるEの一意化が特殊な場合においてZの決定のために採用され得るが、殆どの場合役に立たない。
1954年、マルティン・アイヒラは或るモデュラ函数で一意化される代数曲線に関する結果を証明した。この曲線のクラスはゼータ函数が定まる有理的楕円曲線を含んでいた。この結果は重要な一歩だったが、そんな楕円曲線が有限個しか無かった一方で、無限に多くの有理的楕円曲線が存在するのであるから、完全に満足とはならなかった。1954年の終り頃、私はこの議題を取上げ、私自身の方法でモデュラ函数の数論的理論を構築することにより、これに関する研究を始めた。1956年7月までにアイヒラのものよりも一般的な結果を得ることが出来て、第13節[訳注: もちろんThe Map of My Lifeの本文の第13節を意味します]で述べた1957年のComptes Rendusに発表された成果だった。
同じ方向で更に研究すると、Zが定まる有理的楕円曲線をもっと見つけた。また私はモデュラ函数による代数曲線の数論的一意化の良い見通しが分かった。この理論を既に1964年もしくはもっと早期に持っていたけれども、1971年に刊行された私の本の中の一章として全解説をしただけだった。今や私の予想はすべての有理的楕円曲線はこのように得られることを意味する。
今回紹介するのは志村博士のThe Map of My LifeのAppendixから"That Conjecture"を紹介します。これを読めば志村博士がいわゆる"谷山の問題"をどうとらえているか分かると思います。志村博士は数学者ですから、日本人によくありがちなセンチメンタルで幼稚な感情を持ち込むことなく冷酷に論評しています。
その私訳を以下に載せておきます。当たり前ですが原文へのリンクはありません。原文に興味がある人はThe Map of My Lifeを購入しましょう。
[追記: 2019年05月04日]
つい先ほど、志村博士が3日に米国で死去されたというニューズを知りました。
ここに謹んで哀悼の意を表します。
[追記: 2019年06月06日]
志村博士のThe Map of My Lifeについてはこれまでにも、'志村五郎博士著"The Map of My Life"より抜粋'、'志村五郎博士"The Map of My Life"の書評'、'志村五郎博士著"The Map of My Life"より重要資料の手紙三編'と取り上げて来ました。
あの予想
2008年 志村五郎
タイトルは有理数体上のすべての楕円曲線がモデュラ函数で一意化され得るという私の予想を指している。私はこれを1964年の9月にJ.-P. Serre及びA. Weilに話した。この出来事は多くの研究者達によく記録され知られている。その命題は約30奇数年後に証明されたから今や定理である。他方、谷山豊は1955年に問題という形で命題を作ったが、それは私の予想に或る関係を持つ。私を除き、どの数学者も彼が言ったことと私が言ったこととの差を正確に理解しなかったも同然ということが私の印象だ。従って、この節において私はこれらの諸点を詳しく説明する。きっちり私の解明を聞きたいと思う非数学者達と同様に数学者達もいると思う。
先ず、楕円曲線は
E:y2=x3+ax2+bx+c
という形の曲線であり、右辺は重根を持たない、すなわち、3つの異なる数α、β、γを持つ
x3+ax2+bx+c=(x-α)(x-β)(x-γ)
であり、ここでa、b、c、α、β、γは複素数である。a、b、cが有理数ならば、Eは有理数体上で定義されていると言う。用語を短くすために標準ではないけれども、以降そんな楕円曲線を有理的と呼ぼう。α、β、γは有理数と仮定しない。
何故そのような曲線を考えるのか? 多くの理由がある。簡単に言うと、それがしばしば発生する研究の自然なオブジェクトだからだ。他にも、曲線のもっと一般的なタイプを調べたいならば、そんな特殊な場合(それは実際に大変興味深く、それほど簡単ではない)における曲線の性質を知らなければならない。
次に、"一意化される"という表現の意味は何か? 例えば、曲線C:x2+y2=1を考えよう。それは円であり、楕円曲線ではない。すべての実数tに対して、点(cos t、sin t)はC上にあり、逆にC上のすべての点は適当な実数tによって(cos t、sin t)として与えられる。この事実を円Cは三角函数コサインとサインによって一意化されると言う。
g(u)2=f(u)3+af(u)2+bf(u)+c
を満足する、或る定義域Uにおける変数uの2つの函数f(u)とg(u)を見つけられると仮定しよう。その時、点(f(u)、g(u))は曲線E上にある。E上のすべての点がこのように得られるならば、Eは函数fとgによって一意化されると言う。この場合、いくつかの自然な理由のためu、f(u)、g(u)は複素数である必要がある。
楕円函数と呼ばれる重要な函数のクラスがある。それによって、すべての楕円曲線E(必ずしも有理的とは限らない)は一意化される。しかし、問題は一意化ではない。Eの数論的性質に関心がある。詳細を抜きにして、有理的Eに対してEのゼータ函数と呼ばれる或る函数Zを定義出来るとしよう。ゼータ函数はEの本質的な数論的性質を包含し、それは与えられたEに対してZを決定するために重要である。今や楕円函数によるEの一意化が特殊な場合においてZの決定のために採用され得るが、殆どの場合役に立たない。
1954年、マルティン・アイヒラは或るモデュラ函数で一意化される代数曲線に関する結果を証明した。この曲線のクラスはゼータ函数が定まる有理的楕円曲線を含んでいた。この結果は重要な一歩だったが、そんな楕円曲線が有限個しか無かった一方で、無限に多くの有理的楕円曲線が存在するのであるから、完全に満足とはならなかった。1954年の終り頃、私はこの議題を取上げ、私自身の方法でモデュラ函数の数論的理論を構築することにより、これに関する研究を始めた。1956年7月までにアイヒラのものよりも一般的な結果を得ることが出来て、第13節[訳注: もちろんThe Map of My Lifeの本文の第13節を意味します]で述べた1957年のComptes Rendusに発表された成果だった。
同じ方向で更に研究すると、Zが定まる有理的楕円曲線をもっと見つけた。また私はモデュラ函数による代数曲線の数論的一意化の良い見通しが分かった。この理論を既に1964年もしくはもっと早期に持っていたけれども、1971年に刊行された私の本の中の一章として全解説をしただけだった。今や私の予想はすべての有理的楕円曲線はこのように得られることを意味する。
先に進む前に、1955年のすべての真面目な研究者達に知られている少数の事実を記述しなければならない。いくつかの有理的楕円曲線のゼータ函数はその時までにドイリングとアイヒラにより決定されていた。それらの知られた場合を見れば、何の種類の解析的性質を有理的楕円曲線のゼータ函数が持たなければならないか容易に推測出来た。1936年にエーリッヒ・ヘッケはそんな解析的性質を持つ函数は特殊なタイプの保型形式と関連しなければならないことを示した。ヘッケの理論は他の"役に立たない"函数から区別出来ないけれども、モデュラ形式は函数のこのクラスに含まれる。
1955年に谷山豊は問題として命題を作った(それは私のCollected papers, vol. IVの9ペィジにおいて問題12として再作製された)。そこで、彼は代数的数体上の楕円曲線を考えたが、それは明らかに間違っている。私が今考えているように有理的楕円曲線に限定しなければならない。これを正しくした後に、彼が言っていたことを次のように言換えて要約出来る:
有理的楕円曲線とそのゼータ函数Zが与えられ、Zが良い解析的性質(ヘッケが予想したように)を持つならば、ヘッケの研究はZと特別なタイプの重み2の保型形式fをつなぐ。もしそうであれば、fは関連する保型函数の体の楕円微分であることがもっともらしい。従って、有理的楕円曲線Eが与えらられた時、そのゼータ函数が良い解析的性質を持つことを適当な保型形式を見つけることによって示すことが可能であるか?
何人かの数学者達はこれを予想として取ったが、命題を問題視させる、もっとはっきり言えば無意味にさせる非自明な諸点がある。ヘッケの研究がZと特別なタイプの重み2の保型形式fをつなぐということは私が上で述べたように真であるが、続く言明が意味をなさない。
ヘッケの函数は彼が記号づけたパラミタλに依存する。λ≦2ならば、微分形式に対応する非自明な保型形式(もっと正確に言えば、尖点形式)は出現しないから、λ>2を仮定しなければならぬ。この場合、保型形式の空間は無限次元であり、保型函数の体は一変数の代数函数の体ではない。また随伴リーマン面はコンパクトではない。重み2の保型形式が非コンパクトリーマン面上で正則微分形式を定義するということは自明的に真である。だが、どのようにそれを楕円微分と呼べるのか? 言い換えると、どのように楕円曲線を保型形式に関連させるのか? リーマン面が非コンパクトなのだから、それをする方法は無い。このように谷山はヘッケの論文に言及したが、それ以上の意味あることを何も言わなかった。
保型形式をモデュラ形式に制限するのであれば、私が実際に私の研究でしたように、何かを出来る。しかし、それは谷山が考えていたことではなかった。もっとはっきり言えば、"モデュラ函数だけでは十分ではないだろう。他の特別なタイプの保型函数を必要だと思う"(Collected papers, vol. IVの10ペィジを見よ)と彼は言った。彼はここで間違った。
モデュラまたは保型形式の理論は古い議題であるけれども、数論におけるその重要性が、特に代数曲線に関連して、1964年から広く数学界に知られるようになったのに過ぎなかったことも特記すべきである。第17節[訳注: もちろんThe Map of My Lifeの本文の第17節を意味します]で述べたように、その1964年に私はウッズホールのコンフレンスで連続講義を行った。
1955年において楕円曲線のゼータ函数の概念、並びに1936年のヘッケ論文をも良く知っていた人々として以下の名前を挙げることが出来る。すなわち、日本では谷山と私自身、日本の外ではドイリング、アイヒラ、ヴェイユだ。それ以外では米国において誰もいなかった。アルティンは何が述べられているか理解出来たが、モデュラ形式に関する彼の知識は最小限だったと私は思う。ヴェイユに関して言うと、保型形式は役立つだろうという趣旨のことを彼は言ったが、限られた範囲に過ぎず、従って彼は確実に時代遅れだった。
私の研究について言うと、私自身の方法でモデュラ函数の数論的理論を構築していて、モデュラ函数以外のヘッケ函数は楕円曲線に関する問題に対して役立たないといつも思った。従って私は谷山の言明を重要と思わなかったし、この問題について彼と議論もしなかった。アーベル多様体の虚数乗法に関する本[訳注: 近代的整数論のこと]を彼と共著したが、それは異なる議題に関してであり無関係だ。
もう一つの点がある。1955年から1964年まで、私は保型函数で一意化される代数曲線のゼータ函数を調べていた唯一の数学者だった。従って、谷山の言明が意義ある数学研究を呼び起こさなかったと私は思う。
歴史的事実は以上でおしまいだ。この予想に関して何かを言いたい人は私が上で記述したように谷山の言明の正確な数学的意味を最初に理解し、そして私がやったことも知るべきであるというのが私の意見だ。関連事項の更なる詳細について読者はAppendixの節A2とA3[訳注: A2のA Letter to Freydoon Shahidi、A3のTwo Letters to Richard Taylorについては'志村五郎博士著"The Map of My Life"より重要資料の手紙三編'を見て下さい]を参照されたい。読者は予想をいろいろ奇妙な方法で呼んだ多くの人々がいた理由を問うかも知れない。彼等の多くが道徳感覚が無く、彼等の殆どが彼等自身の意見を持てなかったからだと言う以外に私はその質問に答えられない。
一度、誰かが私の予想の重要なケィスが証明されたことを私が聞いた時に何を思ったかと質問した。私は"だから言ったでしょう"と答えたが、それは文字通り本当だ。
1955年に谷山豊は問題として命題を作った(それは私のCollected papers, vol. IVの9ペィジにおいて問題12として再作製された)。そこで、彼は代数的数体上の楕円曲線を考えたが、それは明らかに間違っている。私が今考えているように有理的楕円曲線に限定しなければならない。これを正しくした後に、彼が言っていたことを次のように言換えて要約出来る:
有理的楕円曲線とそのゼータ函数Zが与えられ、Zが良い解析的性質(ヘッケが予想したように)を持つならば、ヘッケの研究はZと特別なタイプの重み2の保型形式fをつなぐ。もしそうであれば、fは関連する保型函数の体の楕円微分であることがもっともらしい。従って、有理的楕円曲線Eが与えらられた時、そのゼータ函数が良い解析的性質を持つことを適当な保型形式を見つけることによって示すことが可能であるか?
何人かの数学者達はこれを予想として取ったが、命題を問題視させる、もっとはっきり言えば無意味にさせる非自明な諸点がある。ヘッケの研究がZと特別なタイプの重み2の保型形式fをつなぐということは私が上で述べたように真であるが、続く言明が意味をなさない。
ヘッケの函数は彼が記号づけたパラミタλに依存する。λ≦2ならば、微分形式に対応する非自明な保型形式(もっと正確に言えば、尖点形式)は出現しないから、λ>2を仮定しなければならぬ。この場合、保型形式の空間は無限次元であり、保型函数の体は一変数の代数函数の体ではない。また随伴リーマン面はコンパクトではない。重み2の保型形式が非コンパクトリーマン面上で正則微分形式を定義するということは自明的に真である。だが、どのようにそれを楕円微分と呼べるのか? 言い換えると、どのように楕円曲線を保型形式に関連させるのか? リーマン面が非コンパクトなのだから、それをする方法は無い。このように谷山はヘッケの論文に言及したが、それ以上の意味あることを何も言わなかった。
保型形式をモデュラ形式に制限するのであれば、私が実際に私の研究でしたように、何かを出来る。しかし、それは谷山が考えていたことではなかった。もっとはっきり言えば、"モデュラ函数だけでは十分ではないだろう。他の特別なタイプの保型函数を必要だと思う"(Collected papers, vol. IVの10ペィジを見よ)と彼は言った。彼はここで間違った。
モデュラまたは保型形式の理論は古い議題であるけれども、数論におけるその重要性が、特に代数曲線に関連して、1964年から広く数学界に知られるようになったのに過ぎなかったことも特記すべきである。第17節[訳注: もちろんThe Map of My Lifeの本文の第17節を意味します]で述べたように、その1964年に私はウッズホールのコンフレンスで連続講義を行った。
1955年において楕円曲線のゼータ函数の概念、並びに1936年のヘッケ論文をも良く知っていた人々として以下の名前を挙げることが出来る。すなわち、日本では谷山と私自身、日本の外ではドイリング、アイヒラ、ヴェイユだ。それ以外では米国において誰もいなかった。アルティンは何が述べられているか理解出来たが、モデュラ形式に関する彼の知識は最小限だったと私は思う。ヴェイユに関して言うと、保型形式は役立つだろうという趣旨のことを彼は言ったが、限られた範囲に過ぎず、従って彼は確実に時代遅れだった。
私の研究について言うと、私自身の方法でモデュラ函数の数論的理論を構築していて、モデュラ函数以外のヘッケ函数は楕円曲線に関する問題に対して役立たないといつも思った。従って私は谷山の言明を重要と思わなかったし、この問題について彼と議論もしなかった。アーベル多様体の虚数乗法に関する本[訳注: 近代的整数論のこと]を彼と共著したが、それは異なる議題に関してであり無関係だ。
もう一つの点がある。1955年から1964年まで、私は保型函数で一意化される代数曲線のゼータ函数を調べていた唯一の数学者だった。従って、谷山の言明が意義ある数学研究を呼び起こさなかったと私は思う。
歴史的事実は以上でおしまいだ。この予想に関して何かを言いたい人は私が上で記述したように谷山の言明の正確な数学的意味を最初に理解し、そして私がやったことも知るべきであるというのが私の意見だ。関連事項の更なる詳細について読者はAppendixの節A2とA3[訳注: A2のA Letter to Freydoon Shahidi、A3のTwo Letters to Richard Taylorについては'志村五郎博士著"The Map of My Life"より重要資料の手紙三編'を見て下さい]を参照されたい。読者は予想をいろいろ奇妙な方法で呼んだ多くの人々がいた理由を問うかも知れない。彼等の多くが道徳感覚が無く、彼等の殆どが彼等自身の意見を持てなかったからだと言う以外に私はその質問に答えられない。
一度、誰かが私の予想の重要なケィスが証明されたことを私が聞いた時に何を思ったかと質問した。私は"だから言ったでしょう"と答えたが、それは文字通り本当だ。
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