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アラン・コンヌへのインタビュー 第一部

最近、マーティン・デイビス博士のApplied Nonstandard Analysis[応用超準解析]を再読しました。私がこの本を最初に読んだ時は大学院生になってからですので随分遅いです。その時は塾のバイトのために高校生を教える必要があったことがきっかけでした。この塾は進学塾や予備校というものではなく、普通の高校生が来ていました。早い話が俗に言うところのエリートではなく、せめて学校の授業に付いて行けるようにということで通っている生徒達が殆どでした。では、何故デービス博士の本なのかと言いますと、高校で習う微積分というのは無限小解析[超準解析の前身です]まがいのことをしていて、要領のいいエリートならともかくも、普通の高校生ならあれに疑問を持たないのが不思議でして(エリートなら疑問に思っても悩まないし、そもそもそんなところに時間を消費しない)、かく言う私自身も無限小解析の理論的拠り所を知らなかったからです。勿論、高校生相手に超準解析を教えようなんて思っていませんでしたが、ああいう教え方をしなければならない私自身の罪悪感を少しでも払拭するためでした。
因みに言うと、私が高校生の時は悩まなかったと言うよりも、授業自体を無視しました。と言うのは、高校入学のお祝いと言うことで両親から貰ったお金で購入したG. H. HardyのA Course of Pure Mathematics(何故この本を選んだかを話し出せば長くなるので割愛します)を暇さえあれば高校3年間いつも読んでいたし、授業の間の短い休憩時間でも、この本のあちらこちらをずっと眺めていたくらいですから、極限操作の意味、つまりε-δを知っていました。このHardyの本は今でも手元にあり、紫色の表紙のケンブリッジ大学出版のものですが、綺麗だった紫色が剥げて来て、むしろ手垢による黒ずみが目立って来ています。現在は著作権が切れて、どの出版社でも刊行出来るはずですし、おそらく値段も安いですから一読をお勧めします。実数論の導入部など、さすがHardyだと思うことでしょう。
前置きが長くなりました。超準解析の研究から出発した高名な数学者に、御存知アラン・コンヌ博士がいます。コンヌ博士が作用素環の研究に入ったのは竹崎正道博士の本との運命的な出会いからでした。今回紹介するコンヌ博士のインタビュー記事"An interview with Alain Connes, Part I"でも、このことに触れています。なお、このインタビュー記事はEMS Newsletter March 2007(PDF)の中に収録されているので、原文に関心がある人は該当ページを探してください。
そのインタビュー記事の私訳を以下に載せておきます。なお、注釈へのインデックスも注釈部も省きました。蛇足ながら、コンヌ博士の言う竹崎博士の本とは、おそらくTomita's Theory of Modular Hilbert Algebras and its Applicationsだと思います。

[追記: 2015年10月02日]
アラン・コンヌ博士のインタビュー記事は他にも"IPMにおけるアラン・コンヌへのインタビュー"があります。私見によれば、そちらの方が博士の本音が出ているように思います。

[追記: 2019年03月22日]
このペィジは2015年02月02日に某サイトに載せたものです。従いまして、当時生きていたリンクも現在ではリンク切れになっている可能性があります。

アラン・コンヌへのインタビュー 第一部
2007年3月

第一部はパリでCatherine GoldsteinとGeorges Skandalisにより実施された。

貴方が近いと思う過去の数学者はいますか?
近いと言わないが、特に崇拝する人がいる。ガロアだ。彼の書く物には非常に際立った特徴がある。その定式化は驚くほど簡明だ。例えば、"n個の異なる根を持つ方程式を考える。その時、最初の命題、その根を置換する時、n!個の異なる根を持つ有理函数が存在する。そして、二番目の命題、根はこの函数の有理函数である"。
その定式化の当てにならない簡明さにもかかわらず、これらの命題を使ってガロアは遥か遠くに進むことに成功する。有理函数のn!個の異なる値である根の方程式を彼は書下ろし、それを既約因子に分離して、それらの一つを選び、元の方程式の根がこの因子の根にどのように依存するかを書き、群に気がつく。そして、その方法に沿って為された選択全体に、この群が依存しないことを彼は示す...これを達成するために、ユニークな概念"この群により不変である時かつその時のみ、根の函数は有理的に決定される"によって抽象的に群を特徴づける。
とても簡明だ。私が素晴らしいと感じることは、抽象化のパワーを使う、この種の飛躍、事柄を概念化する際の非常に大きいステップだ。ガロアの直観力は対称性の考えにではなく、不確定の概念を基礎としている。単純に皆は彼がある函数の不変群を研究したと言うかも知れない。しかし、ガロアの最初のステップはまったく逆だ。すなわち、全く不変でない函数を選ぶことで、彼は可能な限り対称性を壊す。彼以前の数学者達―カルダノ、ラグランジュ―は根の対称函数を用いて研究した。アーベルの意思においてガロアは逆をする。彼は出来るだけ少ない対称性を持つ函数を選んでいる。
私の印象に残ることは、これらのアイデアの豊穣さだ。これらを掴むために私達が開発して来たいろいろな形式論は、それらのアイデアの力をまだ使い尽くしていない。ガロアのアイデアは明瞭さ、明るさ、今日まで手付かずのままで現在までの数学者達の共鳴を得る、刺激的で潜在的な考え方を持つ。それらは、淡中圏またはリーマン-ヒルベルト対応のような偉大な概念を生成して来ている...これらのアイデアは大変美しいが、しばしば余りにも杓子定規に記述されているから束縛のように見え、ガロアがそれらを解き放った時点から自由になっていない印象を受ける。ガロアのアイデアの他の化身は微分ガロア理論とモチーフ理論だ。モチーフ理論はガロア理論の高次元の類似と見なすことが出来る。
しかし、ガロアが考えていたことを彼が以下のように書いた時に、私達は現実に理解した。

長期間の私の主な熟考は、不確定の理論の超越的な分析への適用に注がれた。これは、どの交換がなされ得るのか、関係が発生しなくならないように与えられた量をどれくらい置換えるのか、その量または超越的作用の間の先験的関係においてだった。探す能力のある多くの式が不可能だとすぐに分かった。しかし、私は時間が無く、この広大な分野でアイデアはまだ十分に発展していない。

インスピレーションのソースとして初期の私を助けた他の数学者達の例がある。
私のしていることに彼等が近いからではなく、彼等がしていることを私は崇拝する。最初に、計算方法が素晴らしいと思ったから、私はヤコビに魅了された。そして、フォン・ノイマン―彼の発見したものの深さと彼がそれを語る流儀...そして、もちろん富田。私は富田の得体の知れない個性に魅了された。富田は、社会が非常に独創的な人に対して仕掛けがちな罠を避けることに成功して来ている人だ。彼は2歳の時に耳が不自由になった。彼が研究を始めた時、彼の論文指導者は"この本を読んだら、返しにおいでなさい"と言って、分厚い本を彼に与えた。彼は2年後にたまたま論文指導者に出会い、論文指導者は"本はどうなっているの?"と彼に尋ねた。それに対して"いやぁ、一週間後に失くしました"と富田は答えた...しかし、もっとも新鮮でもっとも鮮明なソースはガロアだと思う。非常に奇妙だが、私はガロアと簡明さと豊穣さのパワフルな混合を切り離したことがない。

ショケーについて何か言いたいことがありますか?
私が研究していた最初の一年を憶えている。私は家で一人で研究したが、毎木曜日にショケーのセミナーに参加した。彼は知性と機知で輝いていた。突如飛び出す質問があったり、非常にオープンだった。これは私を深く形作った。ショケーはユニークな何かを持っていた。彼は戦前のポーランド学派に非常に近かった。だから、彼は数学者の普通のカリキュラムを構成しない多くのことを知っていたが、それらは実際に興味深いものだ。
例えば私が順序数の理論を習ったのはショケーの許である。皆はこの理論が役立たずだと思うかも知れないが、それは絶対間違いだ。例えば、IHESの市民公開日だった時を私は憶えている。小学校1年生のクラス、小さな子供達、そして彼等の中でも知性に輝く少女がいた。だから、決定不能性の議題が持出された後で、私は彼等に順序数の理論からの例、ウサギとカメの物語をした。そんなに大きくない数Nを考えよう(彼等は5または、そのようなものを考えた)。彼等は数をいろいろな底、2、3等で書いた。私は彼等に、人が数を底2で書き、ウサギが来てすべての2を3で置換えると説明した。従って、5=22+1は33+1=28となり...そしてカメが単に1を引く。それから人は結果を底3で書き、ウサギが来てすべての3を4で置換え、カメが再び1を引く、等々。さて、順序数の理論から来る異常な現象は、カメが勝つということだ。有限のステップ数の後で、たとえ毎回ウサギが大きなジャンプをしても、得るのは0だ!
信じ難いことは、これはペアノ算術のフレームワークでは証明出来ないことだ。証明は順序数の理論を使う! カメが勝つ前に必要なステップ数が、明示的に書けるNのどんな函数よりも早く増大していることが実際証明出来る。0に達するのにいくらステップ数を取るかコンピュータ上で見られる。だが、順序数の理論を用いてカメが勝つ証明は一行だ。何をするのか? 最初の数を考え、2を3に置換え、そして4に置換える、等々の代わりに、それらを順序数ωで置換える。例えば5=22+1なら、ωω+1と書く。これは一つの順序数であり、順序数は整列集合なので順序数のすべての減少列は必ず停止する。今ウサギの動きをするなら何も変わらないが、カメの動きは1を引く。このようにして順序数の狭義減少列を得る。これは停止しなければならないので、証明を得る。この証明はω^{ω^ω}...を使うから、ペアノ算術を超えることは何も驚きではない。これは、ショケーのセミナーで私達が議論したことの種類の典型だ。
これは部分的に忘れられている数学的教養であるが、実際非常に豊穣なものだ。私達はますます単一文化になっている数学世界に住んでいる。どの数学が重要でどれが重要でないかを言うための原則を宣言している。私は多様性を擁護しようと努めている。それが学校を豊かにさせるためにきわめて重要だと信じる。これは数学の健康にとって非常に重要だ。

作用素環と偶然の出来事: どのように始まったのですか?
1970年に私はショケーに送られてレ・ズッシュ夏期講習会[物理学]に行った。その時、超準解析を研究していたが、しばらくして理論の落とし穴を見つけた...問題は超準数を持つとすぐに非可測集合を得ることだ。ショケーのサークルでは、ポーランド学派をよく研究していたので、名前を挙げられるすべての集合が可測だと知っていた。だから、物理学をするために超準解析を使おうとすることは失敗だと完全に宣告されたように思われた。だが、それが1970年のレ・ズッシュへのパスポートとして私に都合がよかった。
そして、そこからバテル研究所のフェローとして雇われ、シアトルに招待された。私は殆ど米国を訪れるために了承した。つまり、プログラムを見もしなかった。そして、発生した偶然の出来事は、私の兄弟を訪ねるためにプリンストンに止まり、プリンストンの本屋でランダムに一冊の本を買ったことだ。竹崎による富田理論についての、私を魅了した本に出会うまで私は多くの本の中でためらった。長時間の列車旅の予定を分かっていたので、その本を買った。米国中西部の平原を通り抜ける旅の間、私は本を凝視した。読んだとは言えず、実に難し過ぎた。そして、もっとも異常な偶然の出来事は、私がシアトルに着いた時、初日に行きカンファレンスのプログラムを見て、富田理論についての竹崎の講義があった。その日から、私は"まさにそれだ。他のどんな講義にも行かない。ただ竹崎のものだけ"と自分に言い聞かせた。

あまり科学的態度ではない...
そう。さらに、この時に私は日本のすべてのことに魅了された。私が全然知らない、全く違う何かに感受性のレベルにおいてもっと多かった...得られる教訓があるとするなら、これは私が当時夢中になっていたアイデアの範囲から私に手を引かせた。そしてその時にちょうど、もう一つ別の偶然の出来事があって、私が帰国した時、幸運のもう一つの打撃があった。私は富田理論を少し、ほんの少し分かった。研究出来なかったが、帰国した時、作用素環を扱うパリのセミナーに行こうと自分に言い聞かせた。だからディクシミエのセミナーに初めて行ったが、セミナーは組織だった会合だった。その年の主要テーマは、無限テンソル積に関する荒木-Woodsの研究だった。ディクシミエは出席者の中でちょっとランダムに論文を配っていた。一つだけ残された。私は手を挙げた。帰りのRER[郊外列車]に乗りながら私は退屈した。渡された論文を少し見て、私は本当にびっくり仰天させられた。論文には、分からなければ私は完全なアホも同然だったに違いなく、富田理論における式と全く合致する式があった。これらの式は、あるベクトルが富田によって定義された作用素に対する固有ベクトルだと語っていた。
一時間後に私は家に着き、"ここに荒木-Woodsの不変式と富田理論がある"とディクシミエに手紙を書いた。富田作用素のスペクトルの交わりから前者の不変式が得られるので、私はその式を彼に送った。私はショケーに育てられたから、これ全体を半ページに書いた。ディクシミエはすぐに"貴殿の書いていることは全く理解不能だから、詳細を求む"と返信した。それで私は3ページの詳細な返信を書いたが、それは難しくはなくて、私がSと呼んだ不変式を定義出来ると説明した。ディクシミエは次のセミナー後のために私を予約した。私は彼に会いに行き、その時に彼が言ったことは"Foncez"だったが、それはフランス語で"頑張ってやってみろ!"の強い形だ。それが出発の時点だった。本当に信じられない幸運だった。実際に難しくはなかった。正確にはきちんと書かれていなかったけれども、式の中にあった。
私がパリに残り、サークルの外側へ移動しなかったら、狭い視野で研究を続け、全く異なる分野を開発しなかったであろうことは確かだ。数学の最も中心部分へのアクセスを私に許す空気の瞬間だという印象をその時に実際感じた。数学の世界には同心円の集まりがあって、人は全く風変わりな部分で研究を始め、中心へ次第に近づこうとしているという印象を私はよく持つ。

この中心とは何ですか? 主観ですか?
私が言う数学の中心とは、本質的に他のすべてと連結している部分のことだ。すべての道はローマに繋がるとちょっと似ている。私が言いたいのは、頭の中の数学的テーマのイメージがますます正確になる時、始めるトピックが何であれ、それを十分正確に見ているならば、しばらく後に、この中心へ収束することを実際に認識するということだ。例えば、モジュラ形式、L函数、数論、素数は数学の中心へ繋がるものの類だ。これらのことがもっと難しいのではなく、私が前に議論していた、風変わりなトピックスを下に見ることの悪しき例に倣うのを私は残念に思う。十分長く歩けば、これらの領域に向かって行かざるを得ず、外側に留まることが出来ないことを言いたいのだ。そうすれば、心配から少し離れる。与えられたトピックでテクニックを磨くことによって、多くのことをすることに成功出来るが、この中心に向かって移動し続けなければ、外側で置き去りにされていると感じる。非常に奇妙であり、確かに主観的だ。

貴方の研究の中で、輝かしい成果を得て来ています。例えば、不変式Sの発見を始めに貴方は言及しました。2×2の双対輪体の場合や貴方が手間をかけた他のものもあります。
当然だ。この断固として簡単な2行2列の行列トリックは確かに突然思いついたが、ぞっとするような計算をする3ヶ月を費やした後でだ。私は概周期状態などを持つモジュラ保型函数の具体的な計算をやっていた。もっとはっきり言えば、この双対輪体の概念を発見する前に、経験でそれと出会っていた。2行2列の行列トリックはたまたまあっと言う間に思いついたが、非常に多くの例、すなわち非常に多くの計算によって土壌が準備されていたからだ。私の印象は、低コストでは何も得られていないということ。私の成果のすべては準備のものが先行している。すなわち、研究の開始、非常に長い試行―この試行の終わりには、来て問題を解決する信じられないほど簡単なアイデアが発生することを希望しながら―である。そして、ミステイクの心配のために、ほとんど耐え難いほどの検証期間を通り抜けなければならない。結果がすべて独りでに来るまで、このようにただ待てることを誰かに信じさせようとは私はしない。
ChamseddineとMarcolliとの私達の共同研究における重力付き標準模型を与える式をチェックするのに私は2006年の夏すべてを消化した。計算がとんでもない。つまり、標準模型では、ワインバーグ角の正弦または余弦の係数1/8、1/4を持つ項が4ページある...係数全体を持つすべてのチェックを終えていないなら、計算が正しい結果を与えると主張出来ない。Veltmanの本にあるものと異なる係数を私は見つけ、Matilde Marcolli[彼と一緒に私は本を書いている]が我々の持つ係数が正しく、Veltmanにより第2版で係数が既に訂正されていたことを認識するまで、これらの計算を何回も何回もすることを私は余儀無くされた! 数年に渡り改善されないエラーの恒久的な恐れはいつもある。いつもチェックし、警告信号を発している頭脳のこの部分がある。私はこれに関して付きまとう心配を持って来ている。
例えば、数年前、ドイツにJoachim Cuntzを訪問したが、その帰りの列車で、局所指標定理に関するHenri Moscoviciと共同の研究のちょっと変な例を見た。パラメータの特別な値を考え、定理は成り立たないと列車内で私は確信した。私は酷く疲れた。帰宅のための郊外列車で行き交う人々を眺めた。彼等は私が絶望しているように見え、助けたいと思ったというような印象を私は持った...家に帰り、私は食事を取ろうとしたが、出来なかった。とうとう、私は両手に勇気を込めて、オフィスへ行き検証を再度行った。そして、この場合に定理が上手く行く奇跡があった...私はこのような非常に気の滅入るエピソードを沢山持って来ている。

ヒューリスティクスについて: 貴方は幾度無く幾何学が直観側にあると言って来ています。他方、式は貴方の研究方法で主要な役割をしているように思います。
そう、確かに。幾何的イメージ、絵は一般的過ぎて私は信頼しないから、幾何的オブジェクトについてよりも式についての方がずっとよく考えられる。私は実際に幾何的頭脳を持っていない。何らかの幾何的問題があって、それを私が代数に翻訳出来ていたなら、結構なことだ。複数のステップがある。すなわち、最初に翻訳。そして純粋に代数的思考。いつも私は、直観側(幾何的)と、人が式を手繰れて私が良いと思う言語側(代数的)の間の区別をしようとする。私にとって、代数はやがて展開する。つまり、やがて式が生き、方向を変え、存在するのが私は分かるが、それに関して幾何は何か即席的なものであり、私は難しい。私に関する限り、式は内面的イメージを作る。

貴方が計算を愛しているという印象をしばしば受けます。
確かに。私の数学的思考は主に計算に依存する。しかし、勿論、計算だけでは十分ではない。概念レベルでものを考えなければならない。実践的に計算がものにならなくても、計算を扱えられることを最初に理解した一人がガロアだった。例えば、7次方程式を考えよう。ガロアが関連させる多項式は次数7だ! そして、それを因子分解しなければならない。ガロアの言っている、

それらの計算を跳び越えよう。群の作用は、計算の形によらないで、その困難さによって分類する。これが未来の幾何学者の使命だ。

は、計算の上に跳んで、その困難さに従って系統立てるべきということだ。通常の具体的なやり方でなく、頭の中の思考実験のようにすべきである。ガロアの例では、根を置換する時、n!個の異なる値を取る方程式E=0の根の明示的な函数fを与えることが出来る。すなわち、一般的な有理数係数を持つ線型形式を取るだけだ。そして、更に前進し、fの有理函数としてE=0の根を記述出来る。これはユークリッドのアルゴリズムと低減によって出来る。人はコンピュータを使用出来、始める方程式E=0が次数4または5の時でさえ、得る式はおそろしく複雑である。具体的に計算を実装しようとするならば、すぐに結果の複雑さの中で途方に暮れるだろう。とんでもない。出来ることをしなければならないことは、抽象的にそれらを動かし、中間のステップと理想化されたレベルで結果を表現する内面的オブジェクトを組立てることだ。
私はいつも次のような方法で進めている。問題の複雑さが何であれ、鉛筆を用いて紙上で試みる代わりに、ただ外へ散歩に出て、内面的に操作を始めるために現存する構成要素すべてを頭に入れるようとする。この実践の後でのみ、私は明確に見え、いろいろなステップについて考えられ、内面的イメージを得ることを始められる。これは、問題の要素すべての操作を始めるために、それらを頭脳に、記憶に集めることから成っている苦痛のプロセスだ。紙と鉛筆に依存しないようにしたいならば、それが私の勧める実践である(えぇと勿論、異なる人は異なって作用する)。紙と鉛筆があるとすぐに書き始めたくなり、前に十分長く考えていなければ、何の効果も無いだろう。圧縮し、小さな何かに変換して、そして動かしたりすることによって、通常通りに操作出来る内面的イメージを頭脳の言語部分にこしらえるための十分な時間を持つ前に、意欲を失くすだろう。
計算するなら、ミスを避けることは重要だ。例えば、同じ結果への異なる経路を使って、必ずチェックする方法がある。その上、計算結果が正しく見えるか否か分かる。Michel Dubois-Violetteと共同で研究した時、1440個の積分の和があったことを憶えている。その各々が、ゼータ函数とその微分の有理函数の周期に渡る積分だった。私達は和が簡単な因子を持つことを予期した。実際、モジュラ形式、楕円函数等の積である簡単な結果を見つけた。そのような膨大な和が積を与えることを見つける時、その方法に沿ってミスが作成されないと非常な確信を感じる。

非可換幾何学

非可換幾何学とは何ですか? 貴方の見解では、"非可換幾何学"は作用素環に対する単なるより良い名称なのか、または近いが異なる分野ですか?
そう、もっと正確にすることは重要だ。最初に、私にとって非可換幾何学は、代数的ルールと言語的ルールの間の際立った一致を持つ、幾何と代数の間の双対性だ。通常言語は単語の中に丸括弧を絶対に使用しない。これは結合性が考慮されているが、可換性が考慮されていないことを意味する。可換性は自由に文字の交換を許す。可換ルールがあれば、最近友人が私に送った以下の神秘的なメッセージの中に、私の名前が4回現れる。

Je suis alenconnais, et non alsacien. Si t'as besoin d'un conseil nana, je t'attends au coin annales. Qui suis-je?

だから、とにかく可換性は物事をぼやかす。非可換な世界(微細レベルでは物理学において姿を見せる)では、可換性から来る簡略化はもはや許されない。これが非可換幾何学と通常の幾何学(その中では座標は可換)との間の違いだ。単語を書くルールが代数的操作の自然なルール(すなわち結合性は認められて可換性は認められない)と一致するという事実において、面白い何かがある。2番目に、私にとって非可換への通路は正に、点同士が互いに会話しない完全静的空間から非可換空間(その中ではカテゴリの同型オブジェクトとして、点同士が互いに関係し始める)への通路である。点同士が互いに関係する時、それらは代数側において行列で記述されるだろう(ハイゼンベルグが微細システムの行列力学を発見したと全く同じように)。
厳密な代数レベルで留まるならば、文字操作とあまり変わらない...非可換幾何学の本当の出発点はフォン・ノイマン環である。作用素環が非常に豊かな分野であることを私に本当に確信させたのは、2行2列の行列トリックのため私は非可換作用素環が時が経つにつれて発展することを認識した時である! 外部自己同型の標準フローを認め、特に"周期"を持つ! これを一旦理解すると、ただ単に青白い非難、可換の場合の無意味な一般化の代わりに、非可換性からの時間フローの生成のような全く新しい予期しない特徴を非可換の世界が認めることを認識する。
しかし、私は非可換幾何学を作用素環と同一視しない。非可換幾何学はそれ自体で命を持つ。新しい現象が発見され、作用素環それ自体を研究することは非常に重要である。私の人生の大部分を作用素環を研究することに使って来ている。しかし、他方で作用素環は非可換空間の或る側面しか捕獲せず、"唯一"の可換フォン・ノイマン環はL[0; 1]である!  もっと具体的に言えば、フォン・ノイマン環は測度論しか捕獲せず、ゲルファントのC*環はトポロジーしか捕獲しない。幾何空間にはもっと多くの側面がある。すなわち、微分構造と決定的に距離だ。
空間を解析する時、何の質的特徴をを見るかによって、非可換幾何学は組織立てられる。しかし、勿論、生体として無償の状態を破壊せずに他者から、これらの側面を分離出来ない。私が最近もっとも強烈に研究している一つの側面は、非可換性がほぼ強要するパラダイムシフトだ。それは距離的側面、距離の測定に影響する。これはディラック作用素が主要な役割を担う所だ。一点からもう一つ別の点までの最短経路を取ることで有効に距離を測定する代わりに、非可換幾何学をしている時に強要される二重の観点に導かれる。すなわち、非可換世界で距離を測定する唯一の方法はスペクトルである。それは単純に、点aから点bへ波を送り、波の位相のずれを測定することから成っている。面白いことに、60年代に長さの単位の定義(現存の金属角棒とされていたものだった)が原子スペクトル線の波長で置換えられた時、距離システムにおいてパラダイムシフトが既にあった。だから、非可換幾何学によって強要されるシフトは既に物理学で起こっていた。これは、可換な場合においても突然の変更に応じる非可換一般論の典型的な例である。
私は最近、非常に離れた宇宙に関する唯一の情報はスペクトルだと認識した。"赤方偏移"が振動数シフトでなく、振動数の調整であることを私は分からなかった。宇宙の中で遥か彼方を振り返るならば、1000までの数の倍数で振動数は分割される。これは驚異的だ。それを純粋にスペクトルの方法で分かる。このスペクトル的な見解は宇宙を研究する時に実験から来るものだ。これはファンタジーではない。そして、これが非可換幾何学的視野で幾何的空間を調べる時の遵守すべき見解だ。この見解から、ごく簡単に言えば、重力付きの標準模型の途方も無い複雑さを幾何学的に符号化を許すスペクトル作用原理に自然に導かれる。発生することは単に、時空が少し原子スペクトルに似る結構な構造を認め、それは連続でも離散でもない空間だが、その両者の複雑な混合だということだ。
私がMatilde Marcolliと一緒に書いている本では、最初の300ページを物理学について展開した。すなわち、標準模型とくりこみ。モチーフとガロア群、そしてゼータ函数に関する最後の300ページに繋げた。つまり、そのスペクトル実現と数論システムの自発的対称破れ。私達は本の書き上げの終了に達しており、非常に驚くことに本の先見的に関係が無い部分の間に深い関係があることを見出している。もっとはっきり言えば、数論システム、ゼータ函数、双対システム等に対して使用される自発的対称破れの形式論と、重力を量子化しようとしている人達にとても魅力的に思える形式論の間に類似、変換テーブルがある。
この変換テーブルを確立する一方で、KMS状態[訳注: Kubo-Martin-Schwinger条件を満たす状態のこと]の概念(数論システムに対する対称破れに関する私達の研究で基本的役割を担っている)は、標準模型での素粒子に質量を与える電弱対称破れにおいても役割を担っている。これは私達に類似を更に進めることを許し、固定した空間において量子重力を開発しようとしている人達が間違ったコースにいることを示唆する。私達は宇宙が冷却して来ていることを知っている。さて、例えばプランク温度よりも宇宙が熱かった時、幾何学は全く存在せず、相遷移の後でのみ、特別な幾何を選び、従って私達が住む特別な宇宙を選ぶ自発的対称破れが存在した。これは、私達の本が2つの平行するテキストを用いて書かれなければ、私達が考えていなかったもの(このアイデアを持つことさえなかった)であろう。勿論、一方が他方を使う、または一方が他方に依存する所は無いが、その2つの部分の間に現れる類似を見られる。
アンドレ・ヴェイユが指摘したように、このタイプの不思議な類似性は数学における最も豊穣なものの一つである。文脈において全く異なるように見えるが、同種の現象が出現する理論の間の構造的類似を察知することにおいては、人間の頭脳は当面の間(そして、長く来ることを私は希望する)、まだコンピュータに勝っている。翻訳は逐語的なものにならないだろうし、2つの異なる言語で書かれている2つのテキストが必ずあるだろうし、一方の言語の単語と他方の言語の単語の間に一対一対応が存在しないだろう。しかし、急いで非常に詳しく書下そうとすれば、おそらく蒸発する、これらの奇妙な暗示があるだろう。一方の側で非常に理解されていて、他方の側で全く理解されていない箱があるしよう。たとえ何かを開く鍵を与えなくても、私達を束縛する。他方の側から考えることを強要する。
"非可換幾何学"という名称が、この"非"という否定があるので少し不幸であることは本当だ。大切なことは、名称を"必ずしも可換でない"と考えることで可換な部分も含むことだ。私達は36の他の名称を与えられたであろう。リーマン幾何学の立場でより良かったであろう名称は"スペクトル幾何学"だ。この幾何学が上手に示すことは、我々の知覚することすべてがスペクトルであり、集合論的観点で見ることは正しい立場ではないということだ。"量子"ではないことは確かだけれども、私達は違った名称を使えたであろう。

何故ですか?
"量子"という単語には曲解があるからだ。つまり、単語"量子"は最初から"非可換"ではなく、むしろ"整数"だということを人々は理解していない。単語"量子"には実際プランクによる黒体輻射のための式の発見がある。黒体輻射から、彼はエネルギーが量子ℏνで量子化されなけれならぬと理解した。
代数を量子化することは単にそれを非可換代数に変換することだと人を信じさせている変換理論をやっている人々によって作られた恐ろしいほどの混同がある。彼等は可換空間を考え、積を非可換代数に変換しているから、量子化していると信じている。だが、これは全く間違いだ。非常に特殊な代数(すなわち、コンパクト作用素の代数)に変換を与える時のみ空間の量子化に成功する。そして、積分、フレドホルム指数の積分がある。語彙の悪用は混同を作り、全然理解を助けない。私が単語"量子"を使うことに非常にためらう理由だ。"量子"は多分派手に見えるが、実際は非常に特殊な場合に量子的な何かをやっていて、それでなければ非可換的な何かをやっている、それがすべてだ。そして、言語レベルでは派手に見えないかもしれないが、心配しなさんな。ずっと真相に近い。

貴方の数学研究においてより重要なのは何ですか。一貫性または発展ですか?
決定するのは困難だ。すべての数学者は出発点から従う一種のアリアドネーの道筋を持っており、絶対に壊そうとしないはずだ。だから一貫性、一種の軌跡があり、それはある場所から出発させる。ちょっと奇妙で特殊な場所内の、そこから出発したのであるから、ある独創性、他者とは異なる、ある展望を持っている。そして、これが本質的であり、そうでなければ、すべての人が同じ型になる。すなわち、すべての人が同じ疑問に対して同じ反応を持つであろう。これは私達が欲することではない。異なる人々が彼等自身のアプローチ、彼等自身の技法を持って欲しい。だから、軌跡の中に一貫性があって、それは数学の一貫性では全くない。極端に異なる人々の極端に異なる軌跡が、同じ活気に満ちた数学の中心に近づくことを認識する時、徐々に数学の一貫性を発見する。しかし、私が上記で思ったことすべてが一貫性、すなわち軌跡に対する正確さである。


インタビューの第二部はニューズレターの次回号に登場する。

アラン・コンヌはコレージュ・ド・フランス、IHES、ヴァンダービルト大学で教授職にある。彼の受賞の中で、1982年にフィールズ・メダル、2001年にクラフォード賞、2004年にCNRS Gold Medalがある。

アラン・コンヌへのインタビュー 第二部

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今回紹介するのは abc 予想の証明に関する最近の動向を伝えている記事です。 これを選んだ理由は素人衆が知ったかぶりに勝手なことを書いているのをネット上で散見するからです。ここで言う素人衆は日本のメディアはもちろんのこと、馬鹿サイエンスライターも当然含みます。昨年末(2017年12月16日)に某新聞が誤報に近いことを報道したことも記憶に新しいでしょう。そんな情報に振り回されないために今回の記事です。 今回の記事は正確かつ公平だと私は思いました。私の友人共の何人かは、この方面の専門家だから門外漢の私はいろいろなことを教えてもらいました。その上での感想です。 その方面の専門家でなくても数学の研究者なら望月論文は無理でもレポートは読めるはずなので、もっと詳しく知りたい人はレポートを読んで下さい。 前置きはこれくらいにして、紹介する記事は" Titans of Mathematics Clash Over Epic Proof of ABC Conjecture "です。その私訳を以下に載せておきます。 [追記: 2018年10月06日] ここに至るまでの経緯については" 数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明 "を読んで下さい。その記事は2015年12月にオックスフォードで行われた望月論文に関する初めての国際的ワークショップより前の話が書かれています。 このワークショップはいろいろ評価が分かれるけれども、私が聞く限り、大失敗だと言う人が多いです。実際、私の海外の知人の一人がワークショップに参加しており、ボロクソに言ってました。 このワークショップを境に、海外特に米国では望月論文を理解しようとする熱意が急速に薄れたように感じますし、ショルツ、スティックス両博士の異議申し立てが出るまで実質何の音沙汰もない状態でした。 [追記: 2018年10月23日] 私の友人共に指摘されたのですが、この記事の私訳を読む人の殆どが日本の全くのド素人なんだから、たとえ原文に記載されていなくても誤解を生じさせないように訳者が万全を期するべきだと言われました。 記事に出て来る Publications of the Research Institute for Mathematical Sciences (略してPRIMS)...

数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明

前回紹介した" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "はもちろん一般大衆向けの記事です。数論、数論幾何学、IUTT(宇宙際タイヒミュラー理論)のいずれかの専門家なら、そんな記事を読まなくても、そこまでに至る経緯は十分に承知しています(何故なら自分達の飯の種を左右する問題だから)。その方面の専門家でなくても数学研究者なら数学コミュニティ又は数学界を通して大概の経緯を聞き及んでいます。 私の身辺(私の友人共はすべて何らかの形で数学研究に携わっているので、それらを除きます)でその記事を読んだ感想は"そんなに拗れるのは不思議だ。もっと経緯を知りたい"というのが多かったです。その身辺の彼/彼女等はもちろん素人衆ですので、望月新一博士の名前も報道でしか聞いたことがないし、数学で何故これほどまでもつれるのか不思議でならないそうです。彼/彼女等は至って真面目です(何故こういう事を書くかと言うと、素人衆と言っても千差万別で、中にはネット上で国家高揚か日本民族高揚のために望月博士のことを書いているとしか思えない不逞の輩がいるからです)。そこで、それらの真面目な人達のために今回紹介するのは2015年10月の Nature 誌に載っていた" The biggest mystery in mathematics: Shinichi Mochizuki and the impenetrable proof "です。 何故これを選んだかと言うとエンターテイメント性があり、素人衆でも面白く読めるだろうと思ったからです。但し断っておきますが、いろいろな数学者の証言を繋ぎ合わせて望月博士の心情を勝手に推測するのははっきり言って妄想であり、さすがエンターテイメント性を重視して堕落した Nature 誌だけのことはあると私は思いました(あのSTAP論文を掲載したことも記憶に新しいでしょう)。 その私訳を以下に載せておきます。 [追記: 2018年10月06日] この記事は2015年12月に行われたオックスフォードでのワークショップより前の話です。このワークショップは望月論文に関する初めての国際的な会合で、この記事でもこのワークショップにかなりの期待を寄せているところで終わっています。 しかし、いろいろ評価が分かれ...

谷山豊と彼の生涯 個人的回想

数学に少しでも関心のある人なら、フェルマーの最終予想が、これを含む一般的な志村予想を証明することによって解決されたことは御存知でしょう。この志村予想は、かって無知と誤解によって谷山-志村予想と呼ばれていました。外国では更に輪をかけて(と言うよりもアンドレ・ヴェイユの威光によって)谷山-志村-ヴェイユ予想と呼ばれていました。ヴェイユがこの予想に何ら関係しないことは、故サージ・ラング博士によって実証されました。それでも、谷山-志村予想もしくは谷山予想と呼ぶ人がまだ散見されます(散見と言いましたが、日本人ではかなり多いです。国民性に依存するのかどうか知りませんが)。私は数論を専攻したことがなく、ずぶの素人ですが、志村博士が書かれた記事や自伝"The Map of My Life"を読み、何故志村予想なのか納得しました。ここで込入った話を書くことは不可能なので、分り易く言えば、故谷山氏は何ら予想の内容にタッチしていないと言ってもいいかと思います。勿論、その周辺は谷山氏の研究分野でしたから周辺にはタッチしていたでしょうが、志村博士は全く独立にきちんと予想を定式化しました。ですが、谷山氏と志村博士はいわゆる盟友関係であり、また谷山氏の不幸な亡くなり方を悼む日本人的感情(つまり、センチメンタル)から日本人は谷山-志村予想と頑なに呼んでいるのだと私は理解しています。ですが、これは数学なのであり、事実を直視しなければいけないと思います。また、最終的に志村予想は証明されたのですから、何とかの定理と呼ぶべき時期だと思います。この"何とか"に何を冠するかはいろいろ意見があるようですのでこれ以上は触れないでおきます。 さて、志村博士の"The Map of My Life"の第4章、18節に"18. Why I Wrote That Article"があります。ページ数で言えば145ページ目です。タイトルが示している"あの記事"とは、志村博士が英国の専門誌 Bulletin of the London Mathematical Society に発表した" Yutaka Taniyama and his time, very personal recollections ...

識別の危機

昨年紹介した" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "の元記事はもちろん大衆向けのオンライン科学ジャーナル Quanta Magazine に掲載されたものですが、著者はErica Klarreich女史です。彼女はサイエンスライタではあるけれども、歴とした数学者です。しかも、幾何的トポロジで彼女の名前を冠した定理を持つくらいの立派な方です。何故こういうことを書くかと言うと、IUTを支持するイヴァン・フェセンコ博士がKlarreich女史をいかにも素人呼ばわりした非常に下らないドキュメントを書いたからです。大学にポストを持っていなければ全員が素人なんですかと問いたいくらいです。これでは世界からIUT自体が白眼視されるのも無理からぬことだと思いました(本当のところは全く違う理由からなんですが、話せば切りが無いので止めておきます)。 さて、今回紹介するのはディヴィド・マイケル・ロバース博士が書いた記事" A Crisis of Identification "です。ロバース博士と言えばショルツ、スティクス両博士のリポートが公開された直後からキャテグリ論の専門家として非常に冷静な分析をされていたことに私は感心してましたから直ぐに記事を読みました。一つの不満を除いて非常によく書けていると思います。" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "も勿論読み応えのある立派な記事でしたが、どちらかと言うとドキュメンタリ風の記事でしたし、読者層が一般大衆であることを考慮してあまり数学を前面に出していませんでした。ロバース博士の記事はもう完全に数学を前面に出しています。 前述した一つの不満はグロタンディーク氏のことにスペィスを割いて結構触れていることです。今のABC予想の置かれている状況とはあまり関係がないと私は思いました。やはり大衆受けを狙ったのかと感じました。まぁ、日本でも素人には何故かグロタンディーク氏は大人気ですから(捏造されたエピソゥド、つまりグロタンディーク素数がどうたらこうたらに踊らされて?)、それはそれで良いのかも知れませんが。 前置きはこれくらいにして、この記事の私訳を以下に載せておきます。なお著者の注釈欄を省いていますが、注釈へのインデクスはそのままです。 [追...

数学教育について

聞くところによれば、関数型プログラミング言語の流行とともに数学の圏論がブームだそうで。圏の概念が他の数学の分野を全く知らない人でも意味が分かるのか疑問を持っています。その理由は後で述べます。 私の手許に故Serge Lang博士の名著"Algebra"があります。この本は理由があって、何と大昔の1974年の初版第6刷です。非常に貧しい学生だった私に恩師が2冊持っているからと言って1冊を下さり、私の生涯の宝物です。 仮に数学を代数学、幾何学、解析学という全く意味が無い区分けをしたとします。意味が無いと言うのは、例えば多様体論なんかはどの分野にも入るからです。そうであっても無理に区分けしたとしましょう。この3分野のうちでも、代数学(厳密に言えば抽象代数学です)が、勉強するだけなら(あくまで勉強するだけですよ、研究となれば別の話です)数学的予備知識も数学的センス(故小平邦彦博士の言うところの"数覚"、位相群で有名だった故George W. Mackey博士の言うところの"数学的成熟度"、まぁ簡単に言えば数学的才能ですね)も全く必要としません。必要なのは論理を追うための忍耐力と言えます。ですから、理解出来るか否かは別にして、代数構造を"言葉"として吸収することは誰にでも出来ます。数学のどの分野を専攻してもLang博士の"Algebra"程度の知識は"言葉"として知っていなければ話にならないのです。数学での代数学は、私達が日本語や英語等でコミュニケーションするのと同じく、数学の言語なのです。 Lang博士の"Algebra"には、第1章群論の第7節に早くも"圏と関手"が登場します(ページで言えば25ページ目です)。ついでながら、この圏、関手という日本語は全く元の英語が想像出来ないので、以降カテゴリ、ファンクタと書きます。 ところで、Lang博士はブルバキにも入っていた人ですから、こういう抽象度が高い概念を重要視しているかと思いきや、決してそうではないのですね。元々カテゴリ、ファンクタ(ファンクタの方が重要な概念でして、カテゴリはファンクタが扱う対象物です)は、ホモロジー代数の一部として提案された概念です。ホモ...