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Winfried Scharlau著アレクサンドル・グロタンディークとは何者か? 第一部 混乱よりプロゥログ: ブロンズ胸像

前に紹介した" 虚空―あたかも虚空から呼出されたかのように: アレクサンドル・グロタンディークの人生 前篇 "、" グロタンディークとは何者か? "、” アレクサンドル・グロタンディーク―名前でのみ知られる田園 "の前置き及び追記で度々Winfried Scharlau博士の労作 Who Is Alexander Grothendieck?  Anarchy, Mathematics, Spirituality, Solitude について触れて来ました。この本は元々の独語版と英語版のみです。その理由は” アレクサンドル・グロタンディーク―名前でのみ知られる田園 "の前置き及び追記で散々述べましたのでここでは繰り返しません。 この本は4部(第二部と第四部は未だ執筆中です)に分かれていますが、少なくとも第一部のAnarchyを読む限り、Scharlau博士はグロタンディーク氏に感情移入することなく多くの貴重な資料から事実だけを淡々と積み重ねて、いわば叙事詩のような感触を受けました。しかし、一箇所だけ素晴らしく叙情的な逸話があります。それが初っ端のプロゥログです。この逸話に出て来る青年がグロタンディーク氏であるという決定的証拠はありませんが、状況的に氏以外には考えられません。 そのプロゥログの私訳を以下に載せておきます。なお原文へのリンクは当たり前ですがありません。これを読んで皆さんも原書を購入する切っ掛けになれば幸いです。 [追記: 2019年12月28日] グロタンディーク氏の数学コミュニティとの決別に関して論じたものとして" グロタンディーク: 決別の神話 "があります。 Winfried Scharlau著アレクサンドル・グロタンディークとは何者か? 第一部 混乱よりプロゥログ: ブロンズ胸像 1949年パリス[訳注: パリという馬鹿丸出しのカタカナ表記を止めましょう]。 Rue des Fontaines du Temple [訳注: フォンテーヌ・デゥ・タンプル通り]は市の3番目の行政区であるマレ地区にある短く狭い通りだ。ここに婦人向け毛皮ジャキツとコゥツの製造者のJacquesとLaila R.のアテリエィ且つお店がある。彼等は田舎の小さな村で戦争の恐怖を生き

私が見て来た小平邦彦

先日の日誌に、故Serge Lang博士の"Complex Analysis"を入院先に持ち込んだ話を書きましたが、函数論は私の専攻分野(の中に含まれる)でしたから読むのに時間はかかりませんので、同時に持込んだのは、これまた名著と言われる、故David Bohm博士の"Quantum Theory"です。私が最初に量子力学を勉強したのは、故P.A.M Dirac博士の"The Principles of Quantum Mechanics"でしたが、読んだ人なら御存知の通り、物理実験の話は一切出て来ません。せいぜい、第一章の重ね合わせの原理のところで、光の偏光、すなわち光子の振舞いについて少し触れているだけです。それはそれで、私のような数学科の人間には助かるのです。と言いますのは、実験を長々と説明されても、そうかと思うだけで実感出来ないからです。実験器具なぞ、高校以来触ったこともなければ、見たこともない人間には苦痛以外の何物でもありません。喩え話として、熱があっても体温計を見たことも測ったこともない人に、熱があるのは約37度以上だと説明しても、おそらくは常に体温計を見ない限り、何度くらいで熱があるのかすぐに忘れるでしょう。ですから、前期量子論の話はいつも黒体の中の輻射実験から始まるのですが、私から言わせると苦痛なのです。ですが、もういいかげんな歳になり、前期量子論を知らずに人生を終えてもいいのか自問したら、まだ気力がある時点で勉強しておきたいと思って、David Bohm博士の本を持ち込みました。前期量子論を詳しく記述した和書では、故朝永振一郎博士の"量子力学Ⅰ"が名著ですが、ここまで本格的にやるのは、ベッドに寝転がって読むのに腕力もいるので敬遠しました。以上を纏めると、私は物理専攻の人にはDirac博士の本を勧めません。と言うより、物理専攻だからこそ先に読むべきではなく、Bohm博士又は朝永博士の本を先に読むべきだと思います。逆に言えば、物理専攻でない人(実験が好きで、実験的意味をすぐに把握出来る人を除く)、特に数学畑の人にはDirac博士の本を勧めます。因みに、Bohm博士の本を読むのに必要な予備知識としては、基礎的な数学(特に微積分)と教養課程の一般物理(高校物理でも可能かも。但し

ガーチュルーデュ・コクスと統計設計

いくら基礎数学(あえて純粋数学とは言ってません。この言葉はおかしいので廃止して基礎数学を私は推薦します)しか勉強したことがない人でもGertrude Cox[/gˈɚːtruːd kˈɔks/。以降ガーチュルーデュ・コクスとカタカナ表記します]博士の名前くらいは聞いたことがあると思います。私や私の友人共よりも年配の先輩がたにはコクラン-コクスですよと言えば直ぐに分かって下さいます。コクラン-コクスというのはコクス博士がコクラン博士との共著で出版した、あの名著 Experimental Designs を指します。今でこそ類書がたくさんあるようですが、私達の世代でもまだコクラン-コクスがバイブル的存在で真っ先に勧められました。私は学部時代に数学科の講座で数理統計学も履修したことがあるのですが、コクラン-コクスまでは時間的余裕が無く読んでませんでした。しかし、院生になってから環境アセスメントの関係で全く畑違いの私までが統計調査要員の一人として駈り出され、無理矢理コクラン-コクスを読まされた思い出があります。その調査団の指揮官を始め先任者は皆真剣そのものでした。と言うのは調査団は或る役所の肝煎りで結成されたからです。そのおかげで統計のド素人の私はコクラン-コクスでしごかれました。その懐かしいコクラン-コクスも今私の手元にも書棚にも残念ながらありません。幾たびかの引っ越しの際に古本屋さんに引き取って貰ったからです。 さて今回紹介するのはコクス博士のことを書いた記事" Gertrude M. Cox and Statistical Design "(PDF)です。これは今年のAMS Notices 3月号に掲載されたものですが、私は写真を見るなり思わず懐かしいと叫んでいました。実際、この写真は私がかって所持していたコクラン-コクスにも同様の構図のものが裏表紙かどこかのペィジで使用されていた記憶があるからです。 この記事を読んで思ったのですが、" 我々が数学を職業として選ぶのではなく、数学が我々を選ぶ: ユーリ・マニンへのインタビュー "のユーリ・マニン博士の言葉を借りれば、コクス博士が統計学を職業として選んだのではなく、統計学が彼女を選んだということがまさにぴったりだと感じました。だって彼女は24歳まで孤児院の寮母さんだったんですよ。

識別の危機

昨年紹介した" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "の元記事はもちろん大衆向けのオンライン科学ジャーナル Quanta Magazine に掲載されたものですが、著者はErica Klarreich女史です。彼女はサイエンスライタではあるけれども、歴とした数学者です。しかも、幾何的トポロジで彼女の名前を冠した定理を持つくらいの立派な方です。何故こういうことを書くかと言うと、IUTを支持するイヴァン・フェセンコ博士がKlarreich女史をいかにも素人呼ばわりした非常に下らないドキュメントを書いたからです。大学にポストを持っていなければ全員が素人なんですかと問いたいくらいです。これでは世界からIUT自体が白眼視されるのも無理からぬことだと思いました(本当のところは全く違う理由からなんですが、話せば切りが無いので止めておきます)。 さて、今回紹介するのはディヴィド・マイケル・ロバース博士が書いた記事" A Crisis of Identification "です。ロバース博士と言えばショルツ、スティクス両博士のリポートが公開された直後からキャテグリ論の専門家として非常に冷静な分析をされていたことに私は感心してましたから直ぐに記事を読みました。一つの不満を除いて非常によく書けていると思います。" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "も勿論読み応えのある立派な記事でしたが、どちらかと言うとドキュメンタリ風の記事でしたし、読者層が一般大衆であることを考慮してあまり数学を前面に出していませんでした。ロバース博士の記事はもう完全に数学を前面に出しています。 前述した一つの不満はグロタンディーク氏のことにスペィスを割いて結構触れていることです。今のABC予想の置かれている状況とはあまり関係がないと私は思いました。やはり大衆受けを狙ったのかと感じました。まぁ、日本でも素人には何故かグロタンディーク氏は大人気ですから(捏造されたエピソゥド、つまりグロタンディーク素数がどうたらこうたらに踊らされて?)、それはそれで良いのかも知れませんが。 前置きはこれくらいにして、この記事の私訳を以下に載せておきます。なお著者の注釈欄を省いていますが、注釈へのインデクスはそのままです。 [追

1966年フィールズ賞、2004年アーベル賞のマイケル・アティーヤ卿へのインタヴュー

マイケル・アティーヤ卿[ Atiyah の発音記号は/əˈtiːə/です。不思議なことにアティヤとかアティアなどのカタカナ表記が流布しています。前まではアティーヤという表記もあったという記憶があるのですが、最近では見かけません。私もしばらくアティヤという気持ち悪い表記に倣っていましたが、初心に返ってアティーヤとします。次いでながら/iː/と/ə/が連続しているのでリエイズンによりその間に/j/が挿入されることをお忘れなく]が今年の1月11日にお亡くなりになったことは前に紹介した" 書評 The Princeton Companion to Mathematics "の前置きの中でも言及しました。アティーヤ卿が書いた記事はこの"私訳"シリーズにおいても" ブルバキに関する2冊の本のAtiyah卿による書評 "や" 私が知った時のグロタンディーク "を紹介したことがありました。今回紹介するのはEMS Newsletter の2016年12月号に掲載されたインタヴュー記事" Interview with Sir Michael Atiyah Fields Medal 1966 and Abel Prize 2004 "(PDF)です。これがおそらく最後のインタヴュー記事だと思います。もちろん断片的なものや新聞、一般大衆向けの科学誌にこれよりも新しいインタヴューがあるのかどうか知りませんし、そんなものは私にとってはどうでもいいことです。 私は論文を除いてアティーヤ卿が書いた記事をけっこう読んでいますが、著書だとあの有名な Introduction to commutative algebra (マクドナルド博士と共著)しか通読したことがありません。と言うか、可換代数方面で熟読したのは Introduction to commutative algebra とザリスキとサムエルの Commutative Algebra しかありません。これだけでは分量が少ないとか古いとか言われますが、基礎だけを固めると考えれば十分だと思います。これより新しいことや知らないことを調べたいなら通読しようなどと馬鹿なことを考えずにブルバキの Algèbre commutative や、もっと代数幾

2012年当時のピーター・ショルツへのインタヴュー

今回紹介するのは、皆さんよくご存じのピーター・ショルツ博士のインタヴュー記事" Interview with Research Fellow Peter Scholze "(PDF)です。この記事は2012年のもので、クレイ数学研究所の年報に掲載されてました。2012年ですからショルツ博士が24歳で学位取得した直後のものでしょう。因みにショルツ博士は2011年から2016年までクレイ数学研究所の研究員でした。但し、2012年にはショルツ博士は学位取得後すぐにボン大学の教授になっているので兼務です。米国拠点のクレイ数学研究所の研究員と言っても、実際にはドイツにいたのですから形式的なものでしょう。 これより古いインタヴュー記事はないものか、ドイツ語圏内でも探したのですが見当たらなかったので、この記事がおそらく最初期だと言っていいかと思います。 30歳でフィールズ賞を受賞するなど本物の天才の見本みたいな人ですが、海外の知人からの情報によれば非常にフランクな方だそうです。この記事の私訳を以下に載せておきます。 [追記: 2019年03月11日] ショルツ博士の提唱したパーフィクトイド空間は専門家達の間では美しい理論と言われております。正誤の前に先ず美しくなければ誰もその理論を勉強しようとは思わないということでしょう。私は門外漢なので詳しくは知りませんが、その一端を窺わせる記事としてディヴィド・ロバース博士の" 識別の危機 "があります。 [追記: 2019年03月24日] このペィジは2019年02月22日に某サイトに載せたものです。 [追記: 2019年07月25日] ピーター・ショルツ博士へのインタヴューについては他にも" フィールズ賞受賞者ピーター・ショルツへのインタヴュー "があります。 [追記: 2019年12月12日] ピーター・ショルツ博士の記事については他にも" 数論の賢人 "があります。 [追記: 2023年01月06日] ペータ・ショルツェ博士が証明に対して実に真摯なことが分かるものとして“ 証明支援系が一流数学へと飛躍する ”があります。 2012年当時のピーター・ショルツへのインタヴュー 何が最初に貴方を数学に引き寄せたのですか? 数学

エルゼヴィアに対するボイコットが速度を速める

前回紹介した" ティモシ・ガゥワーズ卿へのインタビュー "の前置きの中でガゥワーズ卿のエルゼヴィアに対するボイコット、いわゆる"知識の代償"と呼ばれる運動にほんの少しだけ言及しました。あまり詳しく書かなかったのは、この運動が有名で、おそらく日本でもかなりの人が知っていると思っていたからです。私の友人共は研究者なのだから当然知っていますが、知り合いと言うだけであまり交流のない人の中にはこの運動のことを全く知らない人がいて、逆にニューズになってましたかと訊かれました。この人は年齢もかなり若いけれども、全くサイエンスに興味が無く、つまり文系出身なのですが、ニューズは日本のミーディア経由でないと何も知らないようでした。一昔前にガラパゴス携帯がどうのこうのと世間では揶揄されてましたが、人までガラパゴス化しているようでは話になりません。携帯がガラパゴスであろうがなかろうが、そんなことはどうでもいいことであって、知的財産をめぐる運動は理系文系を問わず何人も関心を持っているのが当たり前だと思うのですが、日本の現状はそうではないようです。 "知識の代償"運動は知的財産をめぐる運動の流れの中の一つだと考えていいでしょう。この運動の言いだしっぺであるガゥワーズ卿がリーダでよかったと私は思います。ガゥワーズ卿は数学の業績が立派すぎるだけではなく、いわゆるオーガナイザとしても優れた人だと思います。それが証拠に The Princeton Companion to Mathematics (PCM)を所持している人は執筆者一覧を見て下さい。ほぼ全員が世界的に著名な数学者ばかりです。こういうことは編集者であるガゥワーズ卿が卓越した人でなければ出来ないことなんです。これに引き換え、日本で出版されている各数学辞典の執筆陣はほぼ日本国内限定の著名さしか持ち合わせていません。これは下辺な私ごとき者でさえ分かる事実です。それは仕方がないことなんです。何故ならばほぼ日本人限定向けの辞典だからです。仮に世界的に著名な外国人数学者に原稿依頼出来たとしても誰かが日本語に翻訳する必要があり、編集陣に負担を強いることになりかねません。もっと言えば、そもそも編集陣がそんな依頼を出来るほど実力と人脈を持っているとは考えにくいです。 さて前置きはこれくらいにし

ティモシ・ガゥワーズ卿へのインタビュー

今回紹介するのは前回紹介した" 書評 The Princeton Companion to Mathematics "で書評対象となった The Princeton Companion to Mathematics (PCM)の主任編集者であるティモシ・ガゥワーズ卿へのインタビュー記事" Interview with Sir Timothy Gowers "(PDF)です。ガゥワーズ卿と言えば、2012年にブログで出版社エルゼヴィアのボイコットを呼びかけたことは皆さんもご存じでしょう。これを最初に聞いた時、私は失礼ながらガゥワーズ卿は気骨のある人だなと感心しました。何故ならナイト称号を授けられるような人がそんな運動を起こすなど誰が想像したでしょうか。ですからそれ以来、私は卿のブログの愛読者になりました。そしてPCMにもよりいっそうの親しみを覚えました。 前置きはこれくらいにして、ガゥワーズ卿へのインタビュー記事の私訳を以下に載せておきます。非常に短いのですぐに読めます。 次いでながら、前回同様に英語のカタカナ表記を少しでも改善しようと思ったのですが、中途半端に終わったことを白状しなければなりません。最大の要因はいわゆるダークLをどう表記するかです。例えばジャーナルではなくてジャーノゥの方がはるかに近いのですが、そう表記しても読む人が分からなければ意味がありません。同様にスキルもスキォゥなのですが、これも読む人が分からないだろうと理由で断念しました。他にも断念した表記は多々あります。 [追記: 2019年02月21日] 上述したエルゼヴィアのボイコットについては" エルゼヴィアに対するボイコットが速度を速める "をご覧ください。 [追記: 2019年03月24日] このペィジは2019年02月18日に某サイトに載せたものです。 ティモシ・ガゥワーズ卿へのインタビュー 2016年10月 Diaz-Lopez : いつ数学者になると分かったのですか? ガゥワーズ : ブリツン[訳注: 日本には"ブリテン"という馬鹿じゃなかろうかと思うほど脳天気なカタカナ表記がありますが、ここでは少しでも改善するために、この表記を選びました。もっと正確に言えば、英語を話せる人なら知っ

書評 The Princeton Companion to Mathematics

1998年にベルリンで開催された国際数学者会議においてフィールズ賞を受賞したウィリヤム・ティモシ・ガゥワーズ卿を主任編集者とする The Princeton Companion to Mathematics (以降PCMと略称します)を所持している人も多いと思います。私はもちろん所持していますが、2008年にプリンストン大学出版から刊行された当初は購入しようとは思ってなくて、米国の知人達から強く勧められたことと、今回紹介する書評記事を読んでから2010年頃に購入したと記憶しています。何故しばらく躊躇したかと言うと、岩波の数学辞典を持っており、それで不満を持たなかったことも一つの要因です。米国の知人の一人が、PCMはいわゆる辞典の類ではなく、読んで楽しい参考書または手引書であり、これを辞典と称するならば調べるためのものではなく、読む辞典だと強く主張していたことを憶えています。購入してから分かったのですが、調べるためと言うよりもぱらぱらとめくって適当なところを目にすると、そのまま没頭して読んでいることが多いです。日本のくだらない大衆向けの数学読み物よりも遥かに面白いです。日本でも2015年になってやっと"プリンストン 数学大全"と題して和訳が出版されたようですが、私は原書をお勧めします。理由として第一に、概して和訳本よりも原書の方が値段が安いからです(例外もありますが)。第二に、昨今大学教育においても英語ライティングを教える必要性が議論されていたように思いますが、その前に学生達が読んで読みまくって多くのイディオム等を既に習得してなければ、英語ライティングだけを教えても意味が無いからです。幸いにしてPCMの英文は平易で非常に参考になり、大げさに言えばどの英文も名文だと思います(ガゥワーズ卿を始めとする編集者達が書いているのですから当たり前ですし、もし寄稿者が下手な英文を書いたら卿から草稿を突き返されたでしょう)。そういう意味で約7年も遅れて和訳本を出す意義を私は理解出来ません。 ここで話しは変わりますが、私はGowersをガゥワーズとカタカナ表記しました。日本では不思議なことにガワーズもしくはガウアーズという表記が流布しています。Gowersの発音記号は/ˈɡaʊ.ərz/なのですが、母音/ʊ/と母音/ə/が連続しているのでリエイズンによってその間に