スキップしてメイン コンテンツに移動

IMU Fields賞 2022 Maryna Viazovska インタヴュー

 前々から思っていたことですが、日本のアマゾンの洋書リヴューを何故か日本語で書く人がいることを私はずっと変だと思っていました。一体誰に読んで貰おうと想定しているのでしょうか。日本のアマゾンで洋書を注文して読むのは日本人だけだと思っているとすれば相当にお目出たいと言わざるを得ません。日本在住の外国の方を何人か知ってますが、彼等の日本語能力は一般的に日常会話では支障無いのですが、読み書きが余り出来ません。全部ひらがな、もしくはカタカナの文章なんて普通はあり得ませんから、どうしても読解に制約があるのです。彼等も日本のアマゾンで洋書を注文しますが、リヴューを読みたくても殆ど日本語なので参考にならないのです。但し、断っておきますが、発音するだけなら日本語ほどやさしい言語は世界にありません。何故なら、純粋な子音が存在しないからです。あ行以外は子音ではないのかと思っている馬鹿は以降を読まずにお引取り下さい。発音がやさしいから来日早々でも結構話せる人が多いのです。結局難しいのは日本語会話ではなく、読み書きの方なんです。特に手で漢字を書くことは外国の方には至難の業らしいです。ですから、洋書リヴューはその洋書の言語で書くべきであり、そうすることで日本語という特殊な言語の防波堤に隠れて好き勝手なことを喚いている卑怯者達と後ろ指を指されないことにも繋がります(と言うか、そもそも大学までも含めて少なくとも約10年間も英語を勉強したはずなのに、聞く話すは勿論のこと、読み書きすら出来ないのはおかしいと私の海外の知人達は言ってます)。そして、もしかして原著者がたまたま日本のアマゾンの洋書リヴューを見る可能性も皆無ではないでしょう。そんなことがあればリヴューワとして本望だと思います。

さて、今回紹介する記事は前回(“欠乏、そして戦争と平和の時代に一人のユクレイニヤンが数学に魔力を見つける”)に続いてMaryna Viazovska博士のもので、“IMU Fields Medal 2022 Maryna Viazovska Interview”(PDF)です。このインタヴュー記事を読んで私が思ったことは二点あります。一点はViazovska博士はご自分の研究分野を幾何学だと自負していることです。これは意外でした。彼女の研究分野は数論、もっと正確に言えば解析的数論だと私なんぞは思ってました。もう一点は彼女が初等幾何学を好きらしいことです。私は中高等学校の数学は初等幾何と初等整数論だけをやればいいと思っていて、それ以外のものは不要だと考えています。理由は長くなるのでここでは申しません。中高等学校での初等幾何の復権を心底から願っている私は心強く思いました。ともかくも、その私訳を以下に載せておきます。なお、原文の注釈を省略しましたが、注釈へのインデクスはそのままです。もう一つ注意したいことがあります。このインタヴューはラシュン語で実施されたので、インタヴューの内容は後にラシュン数学者達によって英語に翻訳されました。そのせいか、英文法的におかしい所がちらほら見受けられました。具体的に言うと時制の一致、数の一致に反している箇所がいくつかあり、更には簡単なはずの句読法までもがおかしい箇所があります。と言うか、英語圏の人ならこういう言い回しをしないだろうと日本人の私でさえ思うことが全般的に多かったです。また英語圏の数学者達の誰かに閲読を依頼しないところにもラシュン数学者達の独善ぶりが伺えます。原文を読む際の参考として悪口ではなく正直に申し上げました。

[追記: 2022年07月26日]

以下の私訳を読んだ人なら分かる通り、2022年02月18日のインタヴューと2022年06月06日のインタヴューは驚くほど異質です。2022年06月06日のものはインタヴューと言うよりも完全に独白です。しかも、インタヴューワであるラシュン数学者達を含めてラシュン国民に対して厳しいことを言ってます。2022年02月18日のインタヴューで一応完結しているにも拘わらず、何故2022年06月06日の分も追加したのか。海外の知人達の情報によれば、Maryna Viazovska博士が2022年02月18日のインタヴューのみの掲載をどうやら拒否したようです。インタヴューワ達は数学事項ではなく、こういう時事問題を追加することに難色を示したようですが、良心の呵責からか渋々認めたようです(と言うか、Fields賞受賞者の地位とそうでない人の地位を比較すると前者の方が圧倒的に高く、雲泥の差なので仕方がありません)。逆の立場であるViazovska博士から見れば、呑気にも数学事項のインタヴュー記事のみでは祖国ユクレインで生死を彷徨っている同胞達に顔向け出来なかったのでしょう。

[追記: 2023年05月16日]

Maryna Viazovska博士については他にも“数学問題は親密なものだ”があります。

IMU Fields賞 2022 Maryna Viazovska インタヴュー

2022年02月18日、2022年06月06日 Andrei Okounkov, Andrei Konyaev

インタヴューの一部は2022年02月24日よりも前に記録され、もう一つは後である。両方の場合においても、インタヴューワはラシュン数学者達だ。

2022年06月06日

ただ今、戦争が行われており、私の母国、私の国が破壊されいる。これは貴方達が市民となっている国によってなされている。貴方達の国からの人々はこれをやっているか、又はこれらの行為を応援しているかのどちらかなのに、世界に次に述べることに関して恐ろしいことは何も無いと請け合っている。戦争が世界中のとても多くの場所で行われているもの、必ずこのようなものであること、何百年もの間人々はお互いを殺して来ていること。

これが真実なのかも知れない。過去に存在した他種の人類全てを人類は殺したのかも知れない。戦争は種としての人類にとって確かに本質であるのかも知れない。おそらく人類学者達は科学的見地からこれを正当化出来る。しかし、人間的見地から、国全体を殺し破壊することは尋常ではない。

私はモスコゥで教育を受けて博識な人々を知っているが、彼等は同時に現在行われていることすべて、ラシャがやっていることすべてを応援している。これらの人々の一部は教会にさえも行っている。残念ながら、教育も専門職も人々が共食いする動物に変化することを止められない。

このすべてが私から3,000キロミータ先で起きていることを実感する。私に飛ぶ爆弾を見ないし、子供達は安全で健康だ。誰も私の所に押し入り、私を“非ナチ化”しない。しかし、私はユクレインにいる人達に私達の支援があることを知って欲しい。私は彼等と連帯を感じるし、そのように思うのは私だけではない。

***

私にとって、数学と強い感情は両立し得ない。戦争が始まった時、最初私は全く何も出来なかった。今は何かをしなければならない感覚がある。私はウジホロド大学の教授からのニューズを読んだ。その人は塹壕から直接Zoomで講義をしている。この話は私を大いに奮い立たせている。

何を出来て何をしなければならないかを語るならば、避難民達の窮状を語る必要がある。その危機は大きな人類的問題であり、世界の人々は(政府、組織、普通の人達を含めて)そのことに対処するために懸命に動いている。私はユクレインを支援するすべての人に感謝する。避難民達の窮状及びユクレイニヤン教育における戦争の波及について私に近い個人的経験だけを話しさせて欲しい。例えば、キーフは東部の市街ほどには被害を受けなかったが、25%の学生達がキーフ大学を去った。ユクレインから膨大な数の子供達が今や欧州に向かって去り、異なる言語で全く異なる教育システムに彼等は適応しなければならない。そして、学校教育が殆どどこでも自由なら、大学生達の状況はもっと困難だ。つまり、彼等にとって欧州の大学に居場所を見つけることは難しい。丁度高校を卒業したばかりか、又は大学一年生の人達は特に難しい。例えば、瑞西においてユクレイニヤンの高校卒業生達は一年又はそれ以上勉強しなければならない。つまり、これは苦労と面倒の両方だ。瑞西の教育システムはユクレイニヤンの子供達を助けるため多くの仕事をしている。しかし、失われているものを置換えることは不可能であり、数世代も戦争の結果を被ることになる。

私は避難民を援助するすべての人に感謝申し上げたい。援助の初期大会が次第に消え失せている、今は特に。誰もそんな規模まで増大することを予期して来てないことは明白だ。そして、ラシャが軍事侵攻を続けている以上、近い将来に状況が改善することを期待すべきでない。

2022年02月18日

どのように数学者になりたいと分かったんですか? そういう家系なのですか?

家族に数学者はいない。私の母、父、祖母、祖父はすべて薬剤師だ。私にとって話は全く普通だ。私が12歳だった時、物理学と数学を重視している学校に入り、数学五輪に参加し始めた。それから私は数学者になりたいと認識した。

その時からずっと数学に専心したと言ってます? “信頼の危機”が無く?

確かにあった。最初は第11学年[訳注: 日本の学校制度で言えば高校2年生]の時に起きた。その時に私は国際数学五輪の出場権を得ず、数学者になる意欲を無くした。それは大きな失望だった。

それから大学で、失われた生徒五輪の機会を埋め合わせすべく学生数学五輪に参加し始めた。おそらく、次の危機は学生数学五輪が終わった時に来た。それらにまだ参加するには私は歳を重ね過ぎていたため。

しかし、幸いにもそれから、数学には研究というようなものがあることを認識した。そこでは実に難しい問題を解決出来て、それらについて論文を書ける。それは多分私が大学4年生の年だった。

お気に入りの五輪問題がありますか?

えっと、それすらも分からない。そのことがおそらく私が五輪であまり成功しなかった理由だ。多くの問題を解く時、基礎となる原則を覚えがちだ。どの国においても、限られた人数の人達がこれらの競争問題を生成し、彼等が思いつくすべての問題を解くことに専心するなら、おそらくシステムをぶった切れるだろう。

勿論、私達は競技大会のため訓練をしたが、その要点は反復訓練機械になることではない。すなわち、必ずより大きなものの一部だった。私達には素晴らしい物理学の教師(ところで彼は80歳でまだ生きている。学校でまだ教えており、物理学サーコゥ[訳注: 無知な人のために言いますが、海外の学校ではいわゆる部活なんぞは存在しません。あるとすれば市や町や更にはもっと細かい単位で同好会や倶楽部が存在し、たまたま構成員が子供達のみなら町の自治会の大人達が自発的に指導や監督を買って出ます。教師達の規定勤務時間を遥かに超えている事実を知っているのにも拘わらず(土日祝日、更に夏季冬季休暇までも含めて)、彼等に子供の御守を押し付けて親共は知らん顔というのは日本くらいでしょう]を運営している)がいた。そのサーコゥは土曜日に集まった。彼の哲学はいつも君達は考えることが出来なければならない(五輪問題を単に砕くのではなく)である。いずれの日にはすべての五輪が(年齢を重ねるため)終わるのだから。そして、だから彼は私達に“その後”を用意した。

その頃を振り返って、問題の好みの種類がありましたか? 例えば、平面幾何1とか?

こともあろうに私は平面幾何の問題が嫌いだった。それらは或る点でとても、とても複雑だったし、それらがとても複雑でなければならない理由は正確にははっきりしなかった。私にとって平面幾何には多くの自然な問題があるように思えるが、それらは五輪となると急速に無くなる。そして“20個の異なる円を考え、30本の線を描き、各線には3個の点を置こう...”等のように始まる。ユクレイニヤン五輪のためだけにそんな問題を思いつく一人の数学者がいたのであろうと思う。

そうは言っても、数学で私がやっているものは何かと貴方達が訊くならば、おそらく幾何学と答えるだろう。つまり、幾何学を愛している。しかし、これらの問題は私には極めて不自然に見える。

五輪又は他でどの数学の本が一番好きでしたか?

ほらKvant Libraryやその種の愛らしい本が好きだった。それらには多くの続き物があった。代数学の基本定理が位相的手法によって証明される本を持っていたことを憶えている。五輪問題の中では、一番に組合せ物が好きで、特に古いものが好きだった。それらはたった一つのアィディヤしか必要としないかも知れないが、大変美しいものだ。新しいものでは、複数のアィディヤを一緒に積み上げなければならない(まるでサァーンヅウィチ”を作っているかのように)かも知れない。

私はまた(以下で述べることは本当は数学と関係ないかも知れないが)ずっと前に亡くなった隣人のことを憶えている。彼は戦争で戦った老人で、当時私の祖父と一緒に大学で働いた。

彼は家に物理学と数学に関する大衆向きの膨大(私は膨大!と言っている)な本の収集を所持していた。そしてそれから或る時点で、彼の孫達が科学に入らず、それらの収集を彼は私に与えたと思う。コレクシュン全体が山全体だった。そしてそこで、私を本当に感銘させた天文学の本を見つけた。

それは星の進化論に焦点を絞り、1920年代から、どちらかと言えば現代的なものまで(1980年代までと私は思う)非常に説得力のあるやり方で構造化されていた。そして、すべてが共に実に上手く行く(理論、計算、観測、...)異なる理論に関する話があった。それから、それらは新星を見つけるだろう。そして全理論がゴミ箱へ行くことになるでろう。新しいアィディヤ、新しい理論が必要とされ、くり返して再度始めなければならないだろう。数年が過ぎて、このより複雑な理論が働き、それからもう一つの発見が起き、それは理論を放棄させることになる。5回それのくり返しがあったと思う。

学校で教えられるものではなかったので、これは実に私を感銘させた。教師は“ここに理論があります。貴方達はそれを学ばなければなりません。そうすれば上手く行きます”と言うだろうが、貴方達が新しい理論を発明出来ることになる!

しかし、それは数学における有り様ではないのでは?

定理が証明され、証明が認められ、そして数年後に間違いが見つかる珍しい場合が当然ある。しかし、それは私の意味していることではない。時代が変わり発見がなされ、以前には見過ごされていた側面が重要になるかも知れず、新しいアィディヤが物理学又は天文学から来るかも知れない。数学における新しい理論には必ず可能性がある。

ここで、大学4年生の時に戻りましょう。五輪が終わり、貴女は研究を始めました。幾何学に来る前に、長い探索がありましたか?

えっと、私が幾何学をやっていると考えているのは私である。すなわち、幾何学者達はこれに関して違う見解を持っているかも知れない。公式的には、私は数論内で研究している。いずれにせよ、それが問題ではない。すなわち、私はすべてのことを少しやっている。実際、探索の時期があった。私が今やっていることを直ぐには始めなかった。

キーフで勉強していた時、私は一種の二重生活をした。形式的に私は代数学を専攻し、代数学講座2に入ったが、数学解析講座の人達と近い友人であり続けた。私達は共に計画を立ち上げ、論文を書いた。

大学院生だった時、私はコンピュータ代数を取上げた。数学者として職位を得られないなら、少なくともプログラマになろうと思ったので、その“コンピュータ”部分は非常に良い事のように思えた。結局、或る曲線の不変式を計算するプログラムを書いたが、駄目だと実感した。全く代替案を持ってないので、プログラマになりたくない。

Don Zagierの許で研究したのは偶々だった。私が数論をやっているなら、それはDonの感覚における数論だと思う。数学のこの部分に関して私が好きなことはどのように多くの他分野と接触するかである。それは、人々が理論を作り、その理論内ですべてが美しく、彼等が他の誰も必要としない時の“それ自身内の数学事項”ではない。そうではなく、考え得るほぼすべての数学事項(代数幾何学、数理物理学、解析学、幾何学)を繋ぐインタフェィスを持つことである。

だから貴女はDonによって導かれた?

えっと、分からない。彼は私を導いたのではなかった。と言うより、彼は私のために手本を示した。Donは非常に教祖的だ。彼がアィディヤを持つなら、そのアィディヤを伝えるために彼は学生室に駆け込んで来る。その時に研究室にいるという非常な幸運を学生が持つなら、二時間Donの話を聞くことになる。通常、それらの二時間は全く意味を為さないが、二か月後、“おやまぁ、まさにこれ。これは彼が実際に私に話していたことだ!”という瞬間がある。

私にもまさに同じ話がある。その時DonはJacobi形式に関する論文を書いていたと思う。それは数理物理学者達と共同の長い論文であり、その中でこれらのモデュラ形式が分割函数として登場する。

だから彼はそれらに関して重要な事柄を認識していた。元々の函数が何ら良い性質を持ってないように見えるかも知れないのに、それは3つの合計に分解可能であり、各々の単項は良い性質を持ち、そして各々の単項は異なる。例えば、一つの単項はモデュラであるが、解析的ではない。そして、二番目は解析的であるが、モデュラではない、等々。

だから彼はそれすべてを計算する方法を思いついていたので、彼はそれに関してすべてを私に話していた。勿論、私はその話の詳細を憶えてないが、そのアィディヤを憶えている。すなわち、それ自体に悪いオブジェクッがあるなら、理解可能な良いオブジェクッの合計に分解可能である。しかし、各々の項はそれ自身で良くなければならない。そして、こういう風に問題が解決出来ている。

そして、貴女が解決した最初の研究問題は何でしたか?

えっと、あまり人々は私の最初の研究結果に注目しなかった。それは大学4年生の年だった。この問題はAndrii Bondarenkoにより提案された。彼はAndriy Prymakと共に有理的近似について研究していた。

多項式に対するBernstein不等式があり、それは区間[-1,1]において有界な多項式は零点において有界な微分係数を持つだろうことを意味する。この微分係数は次数に依存する定数によって有界となる。多項式で何かを近似する時、これは非常に重要な結果であり、多くの方法で使用出来る。

有理函数に対してはそんなことはない。全区間において有界で、有界な次数を持つ有理函数を見つけることが出来る。更には、その微分係数は零点において好きなだけ大きく出来る。BondarenkoとPribakは、更に有理函数の単調性を要求するならBernstein-型評価をおそらく証明出来るだろうことに注目した。そして、これがまさに私の最初の結果である。Andriiと私はこれを証明出来た。

それをどんな風に証明したか憶えていますか?

はい! その時、台所で修理が行われていた。家で過ごすことは不可能だったので、妹達と私は祖母の家へ移動した。勿論、祖母には彼女自身の規則があった。つまり、彼女は厳格な人だ。家では皿又は靴下を違う場所に置いて行けるだろうが、それは乱雑なのであって、さほど自由ではなかった。

祖母の家ではすべてが時間表に従っていた。私達は起床し、朝食を取り、等々、そして掃除があり、午後9時に晩のニューズ、午後10時に寝床に就く。私には近づく試験があり、祖母は私が試験に備えていることを確認した。試験勉強をすることはとても気が乗らなかったので、むしろ有理函数の問題を考えることに決心した。私が試験に備えているのか、又は問題を解いているのか祖母は知るはずが無かった。

それで、私は評価を得るための戦略を考えた。そしてAndriiはこの評価を改善出来ないという意味で最適化する方法を解明した。私達は論文を書いたが、明らかに人々は単調有理函数に全く興味を持っていない。

Maryna、貴女は一般的にどのように問題を選ぶのですか?

私は滅多に新しい問題について始めない。通常、長時間古い問題と共に生活し、それらの問題を考える。えっと、私が問題をどのように選ぶか、分からない。勿論、面白くなければならない。

いや、そうではない。先ず、それらは私にとって面白くなければならない。次に、それらを解くために適切な道具を私が持っていると感じなければならない。それが美しい問題かも知れないが、それは他の誰かにとって意味を持つのであり、私は何ら関係が無い。

充填問題の解決について話してくれますか?

それは私達が早期に話したサァーンヅウィチ”にちょっと似ていた。解決にたどり着くまで複数の段階を要した。一番目の段階は私が解くだろうと自信を与え、何とかして問題を函数方程式に還元出来た時だった。私はボンでのコンフレンスから家に帰っていた。それは夏で、列車は風通しが悪かった。列車上で、何も上手く行かないようだから、もう一度問題を詳しく書かせて欲しいと思った。学校では、事柄を整理するためにそれを書き留めるまで頭はがらくたでいっぱいであると私達は教わった。だから私は問題を詳しく書き、この函数方程式を得る。私はそれを見て“それを解けるはずだ”と考える。そして実際、私はそれを解いたが、数ヶ月しかかからなかった。

もっと詳しく言うと、二つの方程式があった。一つ目は直ぐに解いたが、二つ目は二ヶ月かかった。私はその夏両親の家にどのように帰ったかを憶えており、その晩にとても長い公式を数枚の紙に書いた。そして、これらの公式の一つが偶々解答だった。明らかに、これらのノゥトの中ですべての可能な間違いをしていた。だが、私がそれを書いた最後の時、何ら間違いをせず、解答があった。

後から考えてみると、この函数方程式は簡単には解けなかったであろう。少しでも異なっていたなら、モデュラ形式の表現では解けないだろう。だから、私が解答を見つける最後の瞬間まで疑いを持っていることは正しかった。

当然の質問です。受賞について分かった時、どのように思いましたか?

分からない...勿論、これが唯一無二なことであることを認識しているし、私は並外れて幸運だと思う。そしてそれから思ったのは、どうして? 私の人生の残りに何をしていくのか? 私はまだ生き始めてるばかりだが、既に最高の頂点に着いてしまっている。そういう考え方は全く好きじゃなかった。それから、勿論、これはいかに重大な責任を人に負わせることかとも思った。それを認識するのに数日かかった。

今、より多くの学生達が貴女のところに来るでしょう。彼等に解くべき問題を与えられる。

分からない。学生達に問題を与えることはちょっと難しい。殆どの場合、私は彼等に学ぶべきトピクスを与える。ロゥザァンでは、学期の終わりまでには解けないだろう問題を与えるなら、学生達は怒るかも知れない。ここの学生達は勤勉で信頼出来るが、彼等は結果を必要とする。

私の学生時代を考えると、学生達はもっと気楽3だったと思う。私達は余り系統だってなく、講義を抜かすことが出来た一方で、他方では私が学生だった時、先生は私に“まぁ、この問題を解きなさい”と言い、私は6ヶ月の間それを解こうと頑張ったが、出来なかったものだ。そして彼は私に“まぁ、君は成功しなかったが、頑張った。君にとっていいことだよ”と言ったものだ。しかし、結果は無かった。

今やFields賞受賞者として、貴女は数学教育に影響を与えることが出来ます。例えば、瑞西の教育相に数学教育について何を言いますか?

私の息子は中学生なので、或る時点で多分私は数学カリキュラム担当の人達との会合に興味を持ったものだ。

数学カリキュラムはいつも私を驚かせる。つまり、数学カリキュラムを見ると、しょっちゅう変化している。息子が幾何の勉強を始めた時、私はかって使ったテクスッ本を買った。60年代に遡るPogorelovによるものだ。それは偉大なテクスッ本なので、何故もう一つのものを必要とするのか?

そんなことを教育に携わる人達に言うことは殆ど効果が無いだろうことを私は知っている。彼等と私の両方の間に理解不足が多分あるのであろう。しかし、これは古きが良き場合であると私には思われる。平面幾何は学校で教えられるが、それはまだEuclidによって考案された平面幾何と同じであり、何ら変わっていない。私達は既に局所的、おそらくは大局的最大にいる。最大は美しいのに何故それを変える?

数学教育の観点において私は他の人達と異なることを実感する。おそらく私は他者達と同じ必要を感じてないのだろう。テクスッ本はすべての人に理解しやすく、それから最大のものを得られるように利用しやすくなければならないのは当然である。しかし、古いテクスッ本について実に多くの言葉と説明がそこにあるのが私は好きだ。定義があり、定理がある。定義とは何であるか、定理とは何であるかの説明がある。現代的なテクスッ本は概要だけであり、いんちきな紙の束に過ぎない。文章が無く、多くの絵。文字通り子供本にあるように。つまり、大きな外枠の中に少しの文章がある。

おそらく教室の先生に空白を埋めることを期待しているのであろうが、概して子供達は大人達が彼等に言うことを滅多に覚えていないと私は思う。少なくとも彼等は数学事項を覚えていない。すべてを言っている本を持つことは実のところ非常にいいことなのだ。

教師達は学校で数学を周期的に教えていたものだ。つまり、違うレヴォゥでトピクスを取上げ、建築物のように建て増しした。すなわち、以前のものの上に各階が来た。現代的教育はそれが無い。切れ端、小片、断片があるのみ。

おそらく教育現場で働く人達はこのことを気付いてるだろう。教育学と教師達の間に矛盾があるのかも知れない。私の考えでは、教育学はいつも変化しなければならない。私達の生活が変化し続けているから、すべての新しい世代は以前の世代とは異なるためだ。教師と生徒の間のコミュニケィシュンに新しい取り組みが無ければならない(きっとあるはず)と私には思われる。しかし、厳密な論理構造で定理、証明から成る教師側の部分を変えることは無意味である。数千年もの間、それは良かった。何故それを壊すのか?

公平を期せば、現代の学校、特に瑞西の学校に関して私が好きなところが多くあると言いたい。私自身の経験から憶えているものよりも学校が子供達にはずっと親しみ深い。生徒達の間の友好な関係構築、喧嘩解決、共通計画での共同作業について重要視されている。結局のところ、学校は学科の優秀さだけが大事なのではない。他の人達と生活することを学ぶことも大事だ。

私を時折り心配させることは以下のことだ。もはや論理と知識を必要でないと人々が信じているという意識がある。これについては十分な時間が無い。機械学習は私達に替わってすべてのことをやり、私達はただ占い水晶球を覗き込み質問するだけになろう。

数学者達が間も無くコンピュータに取って代わられるだろうかという質問をよく受けますか?

私はまだコンピュータは道具であるという見解を持っている。コンピュータは人間の邪魔にならないことを意味する。この道具を使うことによって人間自身の邪魔になっているのは人間である。男性に電動のこぎりを与えるなら、彼はすぐに薪を切れるか、又は彼自身の指を切落せる。指を切落すなら、電動のこぎりの落度ではない。

同じことが人工知能にも適用される。数学にとって多くの可能性を持ち、私達自身では完結出来ないであろう多くの仕事を完結出来る一方で、他方では数学の価値は何が進行しているかを理解出来ることによって定まる。人工知能に意味のある仕事を与え、解答を理解すること。それはコンピュータが私のために何とかして考えるだろうというようなことではない。一部の人達はコンピュータ思考の幻想に熱狂的かも知れないが、ただの道具に過ぎない。

しかし、私達の頭脳は単なる神経系網ではないのですか?

確かに。だが、それが私達の頭脳だ。私は人間主義者であり、私にとって人々は特別だ。人々は私達だからだ。

貴女はコンピュータをよく使いますか?

私の研究では、かなりの量の数値実験を行う。コンピュータは非常に重要な付加的道具だ。残念ながら、私は才能あるプログラマではないので、それを上手に出来る誰かの助けを通常は必要とする。だが、理論的に理解することが困難な事柄があり、それらを実験で試すことが時折りより簡単になる。その回答が否定的なら、理論構築全体が間違っていたことになる。

球充填の論文と最適エナチ”の論文の両方においても、私達は或る函数の確実性を検証するためにコンピュータを使っている。その函数はかなり素直だが、非常に複雑なので、それが確実であることを直接検証することは大変な労苦となるであろう。区間算法を使うことで、コンピュータは確実性を検証出来る。だからコンピュータは思考に対する閃きと糧を与えられるのみならず、証明の検証も出来る。この意味でコンピュータは定理を証明出来る。しかし、それでも、何が行われているかを理解している人間がいる方が素晴らしく結構なことであろう。

貴女は余暇に何をするのですか?

私は数年前にランニンを始めたが、本当に好きだ。線画を始めようとしたが、線画は数学者にとって悪い趣味だと思う。そこにまだ座っていて、まだ何かを考えているからだ。数学ととても似ている。

私は瑞西に移った時にランニンを始めた。私の夫が私をそこに引き入れた。ところで、ランニンは数学者にとって素晴らしい趣味だ。本当に頭脳を助ける。私は走りながら考えられない。すべてのことに対しておそらく酸素が十分でないかどうか分からない。私の頭の中に思考の意地の悪い堂々巡りが突如現われるなら、それを断ち切るために非常に役立てられる。

ランニンにおいて私は何ら特別な達成を持ってないが、週に2, 3回走ることを努めている。最近ロゥザァン・マァラソンに出場(私は10kmを走った)したことがあるが、それはパァンデミク期間中の仮想大会だった。かなりの長い時間がある時、湖の周りを走り、道筋を携帯電話に記録し、それを電送する。大会関係者が番号とT-シャーッを私に送ったが、素晴らしい記念品だった。

コメント

このブログの人気の投稿

ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する

今回紹介するのは abc 予想の証明に関する最近の動向を伝えている記事です。 これを選んだ理由は素人衆が知ったかぶりに勝手なことを書いているのをネット上で散見するからです。ここで言う素人衆は日本のメディアはもちろんのこと、馬鹿サイエンスライターも当然含みます。昨年末(2017年12月16日)に某新聞が誤報に近いことを報道したことも記憶に新しいでしょう。そんな情報に振り回されないために今回の記事です。 今回の記事は正確かつ公平だと私は思いました。私の友人共の何人かは、この方面の専門家だから門外漢の私はいろいろなことを教えてもらいました。その上での感想です。 その方面の専門家でなくても数学の研究者なら望月論文は無理でもレポートは読めるはずなので、もっと詳しく知りたい人はレポートを読んで下さい。 前置きはこれくらいにして、紹介する記事は" Titans of Mathematics Clash Over Epic Proof of ABC Conjecture "です。その私訳を以下に載せておきます。 [追記: 2018年10月06日] ここに至るまでの経緯については" 数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明 "を読んで下さい。その記事は2015年12月にオックスフォードで行われた望月論文に関する初めての国際的ワークショップより前の話が書かれています。 このワークショップはいろいろ評価が分かれるけれども、私が聞く限り、大失敗だと言う人が多いです。実際、私の海外の知人の一人がワークショップに参加しており、ボロクソに言ってました。 このワークショップを境に、海外特に米国では望月論文を理解しようとする熱意が急速に薄れたように感じますし、ショルツ、スティックス両博士の異議申し立てが出るまで実質何の音沙汰もない状態でした。 [追記: 2018年10月23日] 私の友人共に指摘されたのですが、この記事の私訳を読む人の殆どが日本の全くのド素人なんだから、たとえ原文に記載されていなくても誤解を生じさせないように訳者が万全を期するべきだと言われました。 記事に出て来る Publications of the Research Institute for Mathematical Sciences (略してPRIMS)

数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明

前回紹介した" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "はもちろん一般大衆向けの記事です。数論、数論幾何学、IUTT(宇宙際タイヒミュラー理論)のいずれかの専門家なら、そんな記事を読まなくても、そこまでに至る経緯は十分に承知しています(何故なら自分達の飯の種を左右する問題だから)。その方面の専門家でなくても数学研究者なら数学コミュニティ又は数学界を通して大概の経緯を聞き及んでいます。 私の身辺(私の友人共はすべて何らかの形で数学研究に携わっているので、それらを除きます)でその記事を読んだ感想は"そんなに拗れるのは不思議だ。もっと経緯を知りたい"というのが多かったです。その身辺の彼/彼女等はもちろん素人衆ですので、望月新一博士の名前も報道でしか聞いたことがないし、数学で何故これほどまでもつれるのか不思議でならないそうです。彼/彼女等は至って真面目です(何故こういう事を書くかと言うと、素人衆と言っても千差万別で、中にはネット上で国家高揚か日本民族高揚のために望月博士のことを書いているとしか思えない不逞の輩がいるからです)。そこで、それらの真面目な人達のために今回紹介するのは2015年10月の Nature 誌に載っていた" The biggest mystery in mathematics: Shinichi Mochizuki and the impenetrable proof "です。 何故これを選んだかと言うとエンターテイメント性があり、素人衆でも面白く読めるだろうと思ったからです。但し断っておきますが、いろいろな数学者の証言を繋ぎ合わせて望月博士の心情を勝手に推測するのははっきり言って妄想であり、さすがエンターテイメント性を重視して堕落した Nature 誌だけのことはあると私は思いました(あのSTAP論文を掲載したことも記憶に新しいでしょう)。 その私訳を以下に載せておきます。 [追記: 2018年10月06日] この記事は2015年12月に行われたオックスフォードでのワークショップより前の話です。このワークショップは望月論文に関する初めての国際的な会合で、この記事でもこのワークショップにかなりの期待を寄せているところで終わっています。 しかし、いろいろ評価が分かれ

谷山豊と彼の生涯 個人的回想

数学に少しでも関心のある人なら、フェルマーの最終予想が、これを含む一般的な志村予想を証明することによって解決されたことは御存知でしょう。この志村予想は、かって無知と誤解によって谷山-志村予想と呼ばれていました。外国では更に輪をかけて(と言うよりもアンドレ・ヴェイユの威光によって)谷山-志村-ヴェイユ予想と呼ばれていました。ヴェイユがこの予想に何ら関係しないことは、故サージ・ラング博士によって実証されました。それでも、谷山-志村予想もしくは谷山予想と呼ぶ人がまだ散見されます(散見と言いましたが、日本人ではかなり多いです。国民性に依存するのかどうか知りませんが)。私は数論を専攻したことがなく、ずぶの素人ですが、志村博士が書かれた記事や自伝"The Map of My Life"を読み、何故志村予想なのか納得しました。ここで込入った話を書くことは不可能なので、分り易く言えば、故谷山氏は何ら予想の内容にタッチしていないと言ってもいいかと思います。勿論、その周辺は谷山氏の研究分野でしたから周辺にはタッチしていたでしょうが、志村博士は全く独立にきちんと予想を定式化しました。ですが、谷山氏と志村博士はいわゆる盟友関係であり、また谷山氏の不幸な亡くなり方を悼む日本人的感情(つまり、センチメンタル)から日本人は谷山-志村予想と頑なに呼んでいるのだと私は理解しています。ですが、これは数学なのであり、事実を直視しなければいけないと思います。また、最終的に志村予想は証明されたのですから、何とかの定理と呼ぶべき時期だと思います。この"何とか"に何を冠するかはいろいろ意見があるようですのでこれ以上は触れないでおきます。 さて、志村博士の"The Map of My Life"の第4章、18節に"18. Why I Wrote That Article"があります。ページ数で言えば145ページ目です。タイトルが示している"あの記事"とは、志村博士が英国の専門誌 Bulletin of the London Mathematical Society に発表した" Yutaka Taniyama and his time, very personal recollections "

識別の危機

昨年紹介した" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "の元記事はもちろん大衆向けのオンライン科学ジャーナル Quanta Magazine に掲載されたものですが、著者はErica Klarreich女史です。彼女はサイエンスライタではあるけれども、歴とした数学者です。しかも、幾何的トポロジで彼女の名前を冠した定理を持つくらいの立派な方です。何故こういうことを書くかと言うと、IUTを支持するイヴァン・フェセンコ博士がKlarreich女史をいかにも素人呼ばわりした非常に下らないドキュメントを書いたからです。大学にポストを持っていなければ全員が素人なんですかと問いたいくらいです。これでは世界からIUT自体が白眼視されるのも無理からぬことだと思いました(本当のところは全く違う理由からなんですが、話せば切りが無いので止めておきます)。 さて、今回紹介するのはディヴィド・マイケル・ロバース博士が書いた記事" A Crisis of Identification "です。ロバース博士と言えばショルツ、スティクス両博士のリポートが公開された直後からキャテグリ論の専門家として非常に冷静な分析をされていたことに私は感心してましたから直ぐに記事を読みました。一つの不満を除いて非常によく書けていると思います。" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "も勿論読み応えのある立派な記事でしたが、どちらかと言うとドキュメンタリ風の記事でしたし、読者層が一般大衆であることを考慮してあまり数学を前面に出していませんでした。ロバース博士の記事はもう完全に数学を前面に出しています。 前述した一つの不満はグロタンディーク氏のことにスペィスを割いて結構触れていることです。今のABC予想の置かれている状況とはあまり関係がないと私は思いました。やはり大衆受けを狙ったのかと感じました。まぁ、日本でも素人には何故かグロタンディーク氏は大人気ですから(捏造されたエピソゥド、つまりグロタンディーク素数がどうたらこうたらに踊らされて?)、それはそれで良いのかも知れませんが。 前置きはこれくらいにして、この記事の私訳を以下に載せておきます。なお著者の注釈欄を省いていますが、注釈へのインデクスはそのままです。 [追

数学教育について

聞くところによれば、関数型プログラミング言語の流行とともに数学の圏論がブームだそうで。圏の概念が他の数学の分野を全く知らない人でも意味が分かるのか疑問を持っています。その理由は後で述べます。 私の手許に故Serge Lang博士の名著"Algebra"があります。この本は理由があって、何と大昔の1974年の初版第6刷です。非常に貧しい学生だった私に恩師が2冊持っているからと言って1冊を下さり、私の生涯の宝物です。 仮に数学を代数学、幾何学、解析学という全く意味が無い区分けをしたとします。意味が無いと言うのは、例えば多様体論なんかはどの分野にも入るからです。そうであっても無理に区分けしたとしましょう。この3分野のうちでも、代数学(厳密に言えば抽象代数学です)が、勉強するだけなら(あくまで勉強するだけですよ、研究となれば別の話です)数学的予備知識も数学的センス(故小平邦彦博士の言うところの"数覚"、位相群で有名だった故George W. Mackey博士の言うところの"数学的成熟度"、まぁ簡単に言えば数学的才能ですね)も全く必要としません。必要なのは論理を追うための忍耐力と言えます。ですから、理解出来るか否かは別にして、代数構造を"言葉"として吸収することは誰にでも出来ます。数学のどの分野を専攻してもLang博士の"Algebra"程度の知識は"言葉"として知っていなければ話にならないのです。数学での代数学は、私達が日本語や英語等でコミュニケーションするのと同じく、数学の言語なのです。 Lang博士の"Algebra"には、第1章群論の第7節に早くも"圏と関手"が登場します(ページで言えば25ページ目です)。ついでながら、この圏、関手という日本語は全く元の英語が想像出来ないので、以降カテゴリ、ファンクタと書きます。 ところで、Lang博士はブルバキにも入っていた人ですから、こういう抽象度が高い概念を重要視しているかと思いきや、決してそうではないのですね。元々カテゴリ、ファンクタ(ファンクタの方が重要な概念でして、カテゴリはファンクタが扱う対象物です)は、ホモロジー代数の一部として提案された概念です。ホモ