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欠乏、そして戦争と平和の時代に一人のユクレイニヤンが数学に魔力を見つける

 数学に少しでも関心があるなら、ICM 2022においてMaryna Viazovska博士がFields賞を受賞したことは御存知でしょう。博士は女性で史上二番目の受賞者であり、ユクレイニヤンですから、日頃は下らない番組しか流さない日本のミーディヤもニューズ番組で少しばかり彼女のことを報じていたようです。ただ気になったのは、私の周辺の素人衆の中には賞選考の過程で政治的思惑があったのですかと訊く馬鹿がいました。その人は数学のことなぞ全く知らないので、おそらく日本の馬鹿ミーディヤの受売りでしょう(政治家とミーディヤは国民の民度を忠実に反映していることをお忘れなく)。Fields賞の公式発表はICMの開始の日に行われますが、受賞の内示はもっと早い時期にあります。今回で言えば、Viazovska博士はラシャのユクレイン侵攻が始まった02月24日よりもかなり前に内示を受けたはずです(私が聞いた範囲では大体01月中旬くらいには連絡が行きます)。だから政治的思惑云々は全くの的外れです。そして、そんなことよりもViazovska博士の業績の圧巻性がFields賞受賞となったことを知って欲しいので、今回紹介する記事はQuanta誌に掲載されたIn Times of Scarcity, War and Peace, a Ukrainian Finds the Magic in Mathです。その私訳を以下に載せておきます。最後に、Glory to Ukraine! I always stand by you.

[追記: 2022年07月21日]

Maryna Viazovska博士については“IMU Fields賞 2022 Maryna Viazovska インタヴュー”も参照して下さい。

[追記: 2023年05月16日]

Maryna Viazovska博士については他にも“数学問題は親密なものだ”があります。

欠乏、そして戦争と平和の時代に一人のユクレイニヤンが数学に魔力を見つける

2022年07月05日 Thomas LinErica Klarreich

母国が戦争で苦境に陥りながらも、球充填数論学者のMaryna Viazovskaは86年のFields賞の歴史の中で2番目の女性受賞者になる。

Maryna ViazovskaがFields賞(数学者達にとって最高の栄誉)を受賞することを知った後のたった数週間後の02月の末に、ラシュン戦車と戦闘機が彼女の母国ユクレインと彼女の故郷の町キーフの攻撃を始めた。

Viazovskaはもうユクレインに住んでないが、彼女の家族達はまだそこにいた。彼女の二人の妹達、9歳の姪と8歳の甥は瑞西に向かって出発したが、現在Viazovskaは瑞西に住んでいる。彼等は最初交通量の沈静のために2日間待たねばならなかった。その時でさえ西への運転はどうしようもなくゆっくりだった。戦争避難民として彼等の順番を待ちながら他人の家で数日間を過ごした後に、4人は一晩中歩き国境を跨いでスロゥヴァキヤ内に入り、赤十字の助けでビゥーダペスツに行き、そしてヂィニィヴァ行きの飛行機に乗った。03月04日、彼等はロゥザァンに到着し、そこでViazovskaと彼女の夫、13歳の息子、2歳の娘と一緒に生活した。

Viazovskaの両親、祖母、他の家族達はキーフに残った。ラシュン戦車が彼女の両親の家に近づいた時、Viazovskaは毎日彼等を説得して脱出させようとした。しかし、彼女の85歳になる祖母(第二次世界大戦中、子供の時に戦争と占領を経験した)は拒否したので、両親は彼女を残すわけにはいかないであろう。“祖母はユクレインで死なないことを想像出来なかった。彼女の人生はすべてそこで過ごしたから”とViazovskaは言った。

03月、ラシュン空爆は彼女の父親がソ連時代の衰退期に働いていたAntonov航空機製作所を倒した。Viazovskaは近くの幼稚園に通っていた。Viazovskaの家族とキーフ住民にとって幸いにも、その月の後でラシャは戦争活動の焦点をユクレイン東部にあるドンバス地域に移した。しかし、戦争は終わっていない。Viazovskaの妹達は何人かの死者を含む戦闘せざるを得ない友人達のことを語った。

05月にViazovskaは、たとえ戦争と数学が彼女の頭の中で違う部分に存在するとしても最近の数ヶ月は余り研究しなかったと言った。“誰かと対立する、または感情的に困難な何かが進展している時に私は研究出来ない”と彼女は言った。

今日、フィンランドのヘォシンキにおけるthe International Congress of Mathematicians[訳注: 国際数学者会議。以降ICMと略称します]でViazovskaはFields賞を受けることになる。このコンフレンスは、Fields賞公表と協調して4年毎にthe International Mathematical Union[訳注: 国際数学連合。以降IMUと略称します]により計画され、ラシャのSt. Petersburgで開催されることになっていた(主催国の人権における前科を巡る懸念材料があるにも拘わらず。それは400人を超える数学者達によって署名された不参加嘆願書を促進した)。しかし、ラシャが02月にユクレインを侵攻した時に、IMUは仮想的ICMに転換し、人々が実際に参加する授与式典はフィンランドに移した。

今日の式典で、IMUはViazovskaの多くの業績、特にE8格子と呼ばれる配列が8次元において最密度な球充填であるという彼女の証明を挙げた。彼女は86年の賞の歴史の中で、この栄誉を受けるたった2番目の女性である(2014年のMaryam Mirzakhaniが最初だった)。

他のFields賞受賞者達と同様に、“Viazovskaは多くの人々が挑戦し失敗した全く明らかではない事柄を何とかしてやっている”と数学者Henry Cohn(彼女の研究を祝福する公式ICM講演を頼まれた)は言った。他と違うのは、“彼女は非常に簡単で自然で深遠な構造を露出することによってやっている。それらは誰も予期せず、他の誰もが発見出来なかった”と彼は言った。

二階微分係数

École polytechnique fédérale de Lausanne[訳注: 連邦工科大学ロゥザァン。略称EFPL]の正確な所在は雨の日の05月の午後においてEFPL地下鉄駅の外側では少しも明快ではない。英語ではthe Swiss Federal Institute of Technology Lausanneとして(そして、どの言語でも数学、物理学、工学における先端技術大学として)有名なので、時には欧州のthe MITと呼ばれる。小さな幹線道路を避け下に引っ込んでいる、自転車と歩行者のための二用途小道の終点で学園生活の牧歌的な印が目に入る。すなわち、自転車でいっぱいの巨大な二層駐輪台、サイファイシティ景観に相応しいモデュラ建築、教室と簡易食堂と陽気な学生ポゥスタで輪郭が構成されている中央広場。広場の向こうに、3次元曲線を降下したり上昇したりする現代的図書館かつ学生会館があり、学生達は互いの下や上を歩いて入出することが許されている。瑞西チーズのようなトポロジで穴を空けられた円筒柱体を通して下から空が見える。少し先に進み、それらのモデュラ構造の一つの屋内で、安全保障入出カードを持つ教授が数学科の私室につながるオレンチ”色の二重扉を開ける。Noether, Gauss, Klein, Dirichlet, Poincaré, Kovalevski, Hilbertの肖像画を過ぎて、“Prof. Maryna Viazovska, 数論講座”という簡単な表札のある緑色の扉がある。

オフィス内部は余分があり実用的だ。つまり、コンピュータ、プリンタ、黒板、論文、本だけで、個人的手回り品は殆ど無い。魔力が起きる場所は時空における物理的所在地よりも、むしろViazovskaの頭の中の高次元抽象的世界らしい。

彼女のオフィスの小さなティボゥの向こう側で、世界の卓越した球充填数論学者は通常の事務的なやり方で彼女のストーリを語り始める。徐々に彼女は体勢を崩して笑みを浮べ、目は輝き上に向け、過去から記憶を呼び起こしている間に彼女は今までよりも生き生きとなっている。

最も古い記憶は彼女が3歳の時の祖母との散歩だ。その散歩は彼女の家族が住む実利的なフルシチョフカ・アパーッメンッ(元ソ連の指導者ニキータ・フルシチョフに因んで名付けられた)から大通りを下って地球化学者Vladimir Vernadskyの記念像まで歩き、そこで祖母は彼女を持ち上げ、空中に投げ上げた。1980年代の末はソ連では困難な時だったと現在37歳のViazovskaは言った。“基本的な物でさえ買うのに何時間も、何時間もかかった”。バタまたは肉のような商品が店で安かった時、彼女の母は3人の子供達のため多くを取ることを悪いと感じ、長い行列の中で待っている他者達が怒るであろうことを心配した。持つほどの量が無かったのだから、彼女の家族は多くは持ってなかった。だが、両親は彼女と妹達を決して空腹にはさせなかったし、寒い思いもさせなかった。どの店も結構な衣服を販売しなかったが、いい仕事をするための動機として労働者達は時にはチェコスロゥヴァキヤ製の格好いい両靴を獲得する機会を提供された。靴はサイズが合わないかも知れないが、両靴を貴女が獲得するなら、貴女のサイズの両靴を獲得した誰かと交換出来るであろうと母は彼女に説明した。

“私が6歳の時、ソ連は崩壊した”とViazovskaは言った。彼女の家族は自由で独立しているユクレインに住むことに興奮したが、超インフレィシュンだけが彼等の経済的窮状をいっそう悪化させた。ソ連ではお金はあったが、それを使うための商品が無かった。ユクレイン独立の早期には、商品があったがそれらを買うための十分なお金が無かった。彼女の母は1995年まで技師として働き、その仕事の最終年に母は娘に月給が地下鉄の運賃も払えなったと語った。

Viazovskaは父親を“起業家精神”を持つ“非常に活動的な”元薬剤師と表現して、どのように彼が仕事を辞めて、次から次へと小さな事業を始めることにより新しい現実を受入れたかを思い起こした。その新しい現実は混沌として予見不能であり、“或る日、貴方は多くを持っていない。そしてそれから別の機会があって、貴方は多くを持つ”と彼女は言った。

それでも、Viazovskaと彼の夫Daniil Evtushinsky(EPFLで物理学者)の両者は、経済成長の見込みで希望の満ち溢れをユクレイニヤン人達が感じたこと憶えている。“経済において、重要なのは微分係数であり絶対値ではない”と個人資産における成長率の重要性に言及してEvtushinskyは言った。

たまにその絶対値がいかに低いかを問われると、Viazovskaは笑いながら“二階微分係数かも”と答えた。

ほぼ無限

小学1年生の時、Viazovskaは言語科目よりも数学が好きだと認識した。“読む時、私は余りにも遅かった。書く時、余りにも下手だった。しかし、数学に関してはまぁ早かった”。

彼女が読むことを好きではなかったというわけではない。Alexandre DumasやJules Verne、両親が彼女に与えた、いろいろと編纂された海賊冒険本を読んだ。後に、彼女は科学フイクシュンを見つけ、その分野を好んだ。Flowers for Algernon[訳注: “アルジャーノンに花束を”]、このHugo賞受賞の、精神的に障害を持つ男と知能増加のための実験的処置を受ける研究用ネズミに関する短編小説は特に印象深く記憶に残っており、それは“こともあろうに私達に関すること”、つまり、空想的科学技術ではなく、人類的条件に関することだからだと彼女は言った。また彼女はラシュン兄弟のArkady、Boris Strugatskyによって書かれた科学フイクシュンをむさぼり読んだ。彼等の初期の作品は共産主義に関して極端に楽観的で無知であるが、彼等の書き物は徐々に暗くなり、“もっと賢く、もっと深くなった”と彼女は言った。

Evtushinskyは放課後の物理学サーコゥ[訳注: 無知な人のために言いますが、海外の学校ではいわゆる部活なんぞは存在しません。あるとすれば市や町や更にはもっと細かい単位で同好会や倶楽部が存在し、たまたま構成員が子供達のみなら町の自治会の大人達が自発的に指導や監督を買って出ます。教師達の規定勤務時間を遥かに超えている事実を知っているのにも拘わらず(土日祝日、更に夏季冬季休暇までも含めて)、彼等に子供の御守を押し付けて親共は知らん顔というのは日本くらいでしょう]で初めてViazovskaに会った(彼等が12歳くらいの時)ことを思い起こす。その当時でさえ、彼女は数学問題に彼女自身の方法で取組んだ。一つの問題は7つの構成分子を持つ物理システムを必要とすることを彼は憶えていた。“Marynaは7はほぼ無限であるという予想を立てた。その驚くべき概算はとても上手く働き、問題を抜本的に簡単にした。他の誰もそれを発案出来なかった”と彼は言った。

Viazovskaの妹達NatalieとTetianaは子供の時すら彼女がいかに才能があって本気だったかを思い起こす。“皆が眠る時、彼女はメモ帳を持って数学公式を書く”とNatalieは言い、付け加えて両親は他の子供達のように遊ぶ代わりに彼女が余りにも勉強し過ぎではないかと心配したと言った。

Natalieは姉と同じ数学教師が科目担当になることを楽しくなかった。“彼女の数学教師が私の数学教師になった。私は頻繁にMarynaが輝かしい生徒であることを聞いた”とNatalieは言った。

Viazovskaは特別な学院(米国では高校に相当する)に通い、そこでは高等数学及び物理学学級によって、また難しい概念を説明し、それらを習熟するための研究を生徒達に取組ませることに関して本当に熱心な教師達によっても彼女は活気づいた。その学院で彼女は数学五輪という競争世界により深く関わった。彼女は数学五輪を長年愛していた。

翻って数学五輪は必ずしも彼女を愛したわけではなかった。“それは負け方と勝ち方を教える。私の場合、私が夢見た程には成功しなかった”とViazovskaは言った。学院での最後の年、彼女の夢は国際数学五輪でユクレインの代表になることだった。国内大会で上位12選手だけが合宿訓練所に招かれ、そこから更に6人の代表選手が選別される。Viazovskaは13位になった。彼女は懸命に頑張ったが、“十分に懸命ではなかったようだ”と彼女は言った。

ユクレインの数学五輪計画委員長であり、キーフ大学数学教授であるBogdan Rublyovはその年にViazovskaに会ったことを憶えていた。彼女がそんな傑出した数学者になっていることを“大いなる驚き”と言ったが、“このことを非常に嬉しく思う。なぜなら彼女はとてもいい人だから”と彼は言った。彼女は多くの大学数学競争大会に優勝し続け、キーフでの五輪大会では成績を付ける審判を務めたと彼は言った。

戦争のため五輪ティームは今ポゥランドで訓練をしているが、彼は58歳の予備役として法的にユクレインに留まることを義務付けられている。03月にハルキウでのラシュン空爆が21歳の数学者Yulia Zdanovskayaを殺した時、戦争はユクレインの数学コミュニティに計り知れない損失を強要した。5年前にZdanovskayaは欧州少女数学五輪で銀メドゥを獲得したが、Rublyovはその大会の編成を手伝っている。“私は彼女をよく知っていた。そんな若くて才能ある人達が死に続けていることは我が国にとって破壊的大災害だ”と彼は言った。

Fields賞が公表される数週間前の05月、世界の舞台でのラシャの影響力を考えるとViazovskaのようなユクレイニヤンが数学における最高の賞を獲得出来るはずがなかろうとRublyovは確信していた。“彼女は受賞に値するのだから、彼女にFields賞を与えないであろうことは残念なことだ”と彼はその時に嘆いていた。

正しくやること

数学者としてのViazovskaの最初の大きな瞬間は、キーフ大学の最高学年生として彼女の最初の独自研究結果に関する共同研究をした2005年に来た。それは主要な未解決問題ではないが、彼女は解決出来るだろうものだと実感した。“論拠が一緒に来て、それが上手くいくことを感じることから喜びが来た”と彼女は言った。その結果は彼女の自信を支えた。

Viazovskaはその問題を追究するようIgor Shevchukに励まされていた。ShevchukはViazovskaも参加したことのある大学数学競争大会のいくつかの編成を手伝っていた。彼は彼女とAndrii Bondarenkoという名前の修士課程の学生を含む少数の人達と問題を議論したと彼女は言った。彼女とBondarenkoが共著した論文は二人の間の共同研究の実りある時期を勢いよく始動させた。後に、Bondarenkoがキーフ大学で教えていた時、Danylo Radchenkoという名前の優れた学生と共同で研究を始めた。3人の若いユクレイニヤン数学者達は共同関係を組んだ。

2011年、ViazovskaはBondarenkoとRadchenkoと共に、球体ディザインと呼ばれる議題に関する論文をAnnals of Mathematics誌に提出した。“Annals”(数学者達はそう呼ぶ)はおそらく最も権威のある数学誌である。つまり、Don Zagierによれば“頂点の頂点”だ。ZagierはViazovskaの学位論文の時とRadchenkoの学位論文の時の指導教官だった。RadchenkoがZagierに3人組の目標を話した時、Zagierは心ひそかに“馬鹿言ってんじゃないよ...君達は初心者だ”と思った。

しかし、その論文は受領され、すぐに数学者達は論文を議論するための全体会議を編成した。Microsoft Research及びMITのCohnは論文を読むとすぐに“うわぁ、何て素晴らしい論文だ”と思った。

論文は点の散在における値を見ることにより函数の振舞いを解析する古典的問題を調べている。3人組が取組んだヴァシュンでは函数は多項式(例えば、4xy2z5+3x4のようなもの)であり、変数の数が次元に一致する空間に散在する点を多項式に対する入力だと考えられる(上述の多項式についてもそうであり、x-軸、y-軸、z-軸を持つ3次元空間では入力は点であろう)。Viazovskaと彼女の共同研究者達が研究した問題では、球体における多項式の平均値に興味がある。球体上の複数の点を選び、それらの点における多項式の値を平均化することにより、この平均値に近づけられるであろう。本当に幸運なら(または点を慎重に選ぶなら)、近似の代わりに正確な答えさえも得られるかも知れない。

すべての多項式に対して正確な答えを与える、点の有限集合を選べることを数学者達は古くから知っている。更には、或る与えられた“次数”(多項式の任意の単項における指数の最大和)までの多項式全部に対して上手く行くだろう、点の単一の集合を選べる。例えば、3次元空間で作業するなら、正20面体を球体の中に埋め込み、標本点として12個の角点を使うことが出来て、5までの次数の多項式全部に対する正確な答えを得ることが保証される。これら12個の点のような集合は球体ディザインと呼ばれる。

1970年代以降、数学者達は不思議に思っていることがある。すなわち、次数がますます高くなる多項式を調べる時、球体ディザインにおける点の個数がどのように増加するのか? それがViazovska, Bondarenko, Radchenkoが解答した問題である。

“多くの人々が長い間考えて来ている何かをそれは気付いており、最適でない構築の長い連続の後で、この論文がやって来て‘おやまぁ、何故君達はこのようにしないのか、そうすれば正しい限界を得られるよ、QED’と言う。この結果を得るために彼等はあらゆる種類の手の込んだ難しいことを苦労してやったのではない。彼等はただ正しくそれをやったに過ぎない”とCohnは言った。

魔力函数

学部生の時、Viazovskaは彼女が言うところの“二重生活”(代数学と解析学という外見上本質的に異なる分野の両方に勉強を分割したので)をした。だが、それから彼女は学位論文研究のためボンに行き、モデュラ形式(芸術家M.C. Escherの循環瓦貼りの中で登場するものに関係がある特殊な対称性を持つ函数)を勉強し始めた。モデュラ形式は多くの解析学を必要とするが、その対称性は代数学も研究対象に連れて来る。“これは私の2つの情熱が出会う所だと実感した”と彼女は言った。

BondarenkoとRadchenkoと共に、彼女は3人が解決しようとしばらく続けていた数世紀に渡る古い問題をモデュラ形式が解明出来るかどうか調べ始めた。その問題は、出来るだけ密度が高い方法で球体を共に詰込める方法だ。円を平面に詰込む最密度な方法は蜂の巣状配列であり、球体を3次元空間に詰込む最密度な方法は食料品店で蜜柑の積上げで見かけるお馴染みのピラミド状配列であることは数学者達は既に知っていた。だが、問題は高次元においても持込めるかであり、誤り訂正符号に対する重要な応用を持つ。

3次元より高次元において最密度球充填が何であるか誰も分からなかった。しかし、二つの特別な次元8と24には有力な候補があった。それら二つの次元において、それぞれE8とLeech格子と呼ばれる高度に対称的配列が存在し、数学者達が見つけるであろう他の配列よりもずっと高密度で球体を詰込む。

CohnとHarvard大学のNoam Elkiesは球充填の密度がどれくらいなるかに関して上界を計算する或る函数を使う手法を開発していた。8次元と24次元において、これらの上界はE8とLeech格子の密度とほぼ完全に一致した。数学者達は、これらの二つの次元のそれぞれにおいてE8またはLeech格子と完全に一致する限界を算出する“魔力”函数が存在しているはずであり、それによってE8とLeech格子が最密度配列であることを証明すると確信した。だが、研究者達はこれらの魔力函数をどこで見つけるか分からなかった。

Bondarenko、Viazovska、Radchenkoはモデュラ形式が魔力函数を構築しようとすることを期待したが、長い間彼等は進展しなかった。結局BondarenkoとRadchenkoは彼等の注意を他の問題に向けた。Viazovskaは、しかし、球充填を考えることを諦められなかった。彼女は後にQuantaに語ったように、どういう訳か問題が彼女に属しているかのように感じた。

数年間問題を熟考した後に、彼女は何とかして8次元に対する魔力函数を突きとめられた。彼女の発見した答えはモデュラ形式の中には無かったが、或る“擬モデュラ”形式の中にあった。その“擬モデュラ”形式はその対称性に誤差を持つものである。“彼女は完全に人々を仰天させる論文を提出した。一度取り上げると最後まで読み上げるまで止まらない論文の一つだ”と高等研究所のPeter Sarnakは言った。

その論文の出現の数時間内に彼女の結果のニューズは広まった。その夜、高等研究所の数学者Akshay Venkatesh(彼自身が2018年のFields賞受賞者である)は論文へのリンクを主題行に“うゎ!”と付けてCohnに電子メイォした。Cohnは証明をむさぼり読んだ。“私の最初の反応は‘一体これは何なのか? これらの函数を構築するために誰かがやって来ていることが何も無いように見える’だった”と彼は言った。Cohnにとって“Viazovskaが使った擬モデュラ形式はいつもモデュラ形式の単なる不完全版のように思えた。しかし、表面下に隠れている完全な瞠目すべき豊富な理論があった”と彼は言った。Viazovskaの取組みは24次元にも適用するはずだと確信して彼は彼女に共同研究の申し込みを電子メイォした。

Viazovskaはちょっと休憩すること以外に何も欲しなかった。だが、彼女は24-次元問題に突入することを賛成し、猛烈な一週間を超えて、Radchenkoと他の二人の数学者達と共に彼女とCohnはLeech格子が24-次元最密度球充填であることを何とか証明出来た。“私の人生の最も正気でない一週間だった”とRadchenkoは思い起こした。

大胆な予想

Viazovskaと彼女の共同研究者達は更に高度な野望を抱いて球充填研究から抜け出た。数学者達は長い間E8とLeech格子が球充填の単なる最良な方法より以上のものだろうと思っていた。数学者達はこれら二つの格子が“普遍的に最適”だという仮説を立てた。つまり、それらは多くの基準(例えば、空間の中で互いに反発する電子または溶液の中で曲がりくねったポリマ、を配置するための最小エナチ”ィな仕方)に従う最良な配置であることを意味する。

E8とLeech格子がこれらの異なる条件全部においてエナチ”ィを最小化することを証明するために、ティームは各々異なるエナチ”ィの概念に対する魔力函数を思いつかなければならなかった。つまり、無限に多くの魔力函数を。しかし、そんな魔力函数(存在するならば)がどのように振舞うはずかについて彼等は部分的な情報しか持ってなかった。彼等はいくつかの点における函数の値を知り、他の点においてはそのフーリエ変換(それは函数の自然な系を測定する)の値を知った。また彼等は特殊な点において函数とそのフーリエ変換がどのように素早く変化しているかを知った。疑問はこうだ。函数を再構築するために、この情報が十分なのか?

Viazovskaは大胆な予想を立てた。すなわち、ティームが持つ、この情報は魔力函数を特定するのに正確に正しい量だった。少なければ、適合する多くの函数があるであろう。多ければ、函数が存在するには余りにも制約が強過ぎであろう。

Cohnは疑問視した。Viazovskaが提案していることはとても簡潔且つ根本的なので“これが本当なら、確実に人類は既に知っているであろう”と彼はその時に思った。彼もViazovskaが軽はずみに予想を立てないことは知っていた。“それでも‘これはちょっと図に乗って彼女は危険を冒している’と思った”。

ViazovskaとRadchenkoは最初に何とかして彼女の予想の簡易版を証明出来た。その中では、情報は函数とそのフーリエ変換の値に限られ、それらが変化する速度ではない。そして、彼等の球充填の共同研究者と共に、彼等は全体予想を証明する方法を解明した。それは正にE8とLeech格子は普遍的に最適であることを示すために必要だった。“これらの格子を理解しようとする過程において、Marynaはフーリエ解析にも最先端の水準を強く押し進めていたようだ”とCohnは言った。

結果の論文は19世紀の偉大な大発見と同価値であり、19世紀には何世紀も渡って先人達を困惑させた多くの問題を数学者達は解決したとNew York大学のSylvia Serfatyは言った。“この論文は実に科学の偉大なる進歩である。人類の頭脳があのようなものの証明を生み出せることを知ることは、私にとって実に驚くべき事実だ”と彼女はその時にQuantaに語った。

戦争と平和

数学をやっている時、Viazovskaが時々もう一つ平面または異次元に居住しているように見えるなら、彼女の10代の息子Michaelが知っているように、おそらく彼女が彼女自身の世界にいるからだ。“時々ママは耳の中が循環していて、彼女に話す時も反応しない”と彼は言った。家族がベルリンで生活した時(そしてViazovskaがE8の証明を研究していた時)、幼稚園の教室において親が迎えに来るべき最後の子供だったことを彼は憶えている。彼は母が多くの数学賞を獲得したことを知っていたが、Fields賞に関することを聞いて驚き、“彼女がとても懸命に研究した理由を今は分かる”と言った。

05月始めのロゥザァンの彼等のアパーッメンッ(EPFL構内から徒歩20分)で、NatalieとTetiana、Tetianaの娘Oleksandraと息子Maksymを受入れるため居間のアォコゥヴの中へ追加の寝台が押し込まれた。今春、Oleksandraは10歳の誕生日をキーフにある家ではなく、ロゥザァンにある伯母の家で祝った。

アパーッメンッの一つの壁にヂィニィヴァ湖の近影をViazovskaが描いた大きな線画が掛かっている。数学以外では、美術が子供時代から彼女の主要な現実逃避手段である。彼女のお気に入りの一部は、Klein瓶を描きEscher風の魚パァタンを含んでいるもののように数学と科学からの主題を組入れている(Klein瓶とM.C. Escherに興味を持たないで数学を勉強することは難しいと彼女は説明した)。彼女の研究における幾何学的アィディアの想像を手伝うために時折り絵を描くが、“高次元を扱っている時、私達の2次元と3次元の直観は度々人を誤らせる”ことを彼女はよく知っている。

鍛錬のためと彼女も彼女の夫も運転をしないので(そのことで二人は愛情を込めて互いをからかう)、その両方の理由でViazovskaは歩いて職場に行く。“Marynaは運転免許証を持っているが、私達の3次元世界において彼女が運転することは非常に難しい”とEvtushinskyは冗談を言った。“はぁはぁ”とViazovskaは無表情で笑った。Evtushinskyはどのように運転免許証を取得する過程に彼がいるかを説明した時、彼女はそれを“長くてのろい進み具合の過程”と表現した。“私達はおそらく自動車を持たない唯一の両親だろう。私達にとってそれがそれ程難しい理由が分からない”とEvtushinskyは言った。

会話が必然的にユクレインにおける戦闘に戻った時、Viazovskaは故郷の友人達の間で病的な決まり文句になっている暗い洒落を伝えた。すなわち、“貴方はコロナヴァイラスの古き良き頃を憶えていますか?”。

Viazovskaの祖母(まだユクレインを去るつもりがない)は彼女に、例え年老いて殆ど人生の終わりが近くても戦争が終わる前に死にたくないと言った。“私は平和を見たいし、何とかしてすべてが上手く行くことを知りたい”からだ。

Viazovskaは彼女の国に誇りを持っているが、彼女の同胞達が空襲警報サイレン、砲撃、戦争に慣れなければならないことを耐え難いと感じている。侵攻の初日を耐えた後、彼女の甥のMaksymは夜中に夢遊状態で歩き回り始めた。“これはタダでは済まない。これは将来いくつかの結果、この種の極端な緊張感、極端な恐怖を持つだろう”とViazovskaは言った。

“少なくとも暴君達は私達が数学をやることを止められない。少なくとも彼等が私達から奪えないものがある”と彼女は言った。

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前回紹介した" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "はもちろん一般大衆向けの記事です。数論、数論幾何学、IUTT(宇宙際タイヒミュラー理論)のいずれかの専門家なら、そんな記事を読まなくても、そこまでに至る経緯は十分に承知しています(何故なら自分達の飯の種を左右する問題だから)。その方面の専門家でなくても数学研究者なら数学コミュニティ又は数学界を通して大概の経緯を聞き及んでいます。 私の身辺(私の友人共はすべて何らかの形で数学研究に携わっているので、それらを除きます)でその記事を読んだ感想は"そんなに拗れるのは不思議だ。もっと経緯を知りたい"というのが多かったです。その身辺の彼/彼女等はもちろん素人衆ですので、望月新一博士の名前も報道でしか聞いたことがないし、数学で何故これほどまでもつれるのか不思議でならないそうです。彼/彼女等は至って真面目です(何故こういう事を書くかと言うと、素人衆と言っても千差万別で、中にはネット上で国家高揚か日本民族高揚のために望月博士のことを書いているとしか思えない不逞の輩がいるからです)。そこで、それらの真面目な人達のために今回紹介するのは2015年10月の Nature 誌に載っていた" The biggest mystery in mathematics: Shinichi Mochizuki and the impenetrable proof "です。 何故これを選んだかと言うとエンターテイメント性があり、素人衆でも面白く読めるだろうと思ったからです。但し断っておきますが、いろいろな数学者の証言を繋ぎ合わせて望月博士の心情を勝手に推測するのははっきり言って妄想であり、さすがエンターテイメント性を重視して堕落した Nature 誌だけのことはあると私は思いました(あのSTAP論文を掲載したことも記憶に新しいでしょう)。 その私訳を以下に載せておきます。 [追記: 2018年10月06日] この記事は2015年12月に行われたオックスフォードでのワークショップより前の話です。このワークショップは望月論文に関する初めての国際的な会合で、この記事でもこのワークショップにかなりの期待を寄せているところで終わっています。 しかし、いろいろ評価が分かれ...

谷山豊と彼の生涯 個人的回想

数学に少しでも関心のある人なら、フェルマーの最終予想が、これを含む一般的な志村予想を証明することによって解決されたことは御存知でしょう。この志村予想は、かって無知と誤解によって谷山-志村予想と呼ばれていました。外国では更に輪をかけて(と言うよりもアンドレ・ヴェイユの威光によって)谷山-志村-ヴェイユ予想と呼ばれていました。ヴェイユがこの予想に何ら関係しないことは、故サージ・ラング博士によって実証されました。それでも、谷山-志村予想もしくは谷山予想と呼ぶ人がまだ散見されます(散見と言いましたが、日本人ではかなり多いです。国民性に依存するのかどうか知りませんが)。私は数論を専攻したことがなく、ずぶの素人ですが、志村博士が書かれた記事や自伝"The Map of My Life"を読み、何故志村予想なのか納得しました。ここで込入った話を書くことは不可能なので、分り易く言えば、故谷山氏は何ら予想の内容にタッチしていないと言ってもいいかと思います。勿論、その周辺は谷山氏の研究分野でしたから周辺にはタッチしていたでしょうが、志村博士は全く独立にきちんと予想を定式化しました。ですが、谷山氏と志村博士はいわゆる盟友関係であり、また谷山氏の不幸な亡くなり方を悼む日本人的感情(つまり、センチメンタル)から日本人は谷山-志村予想と頑なに呼んでいるのだと私は理解しています。ですが、これは数学なのであり、事実を直視しなければいけないと思います。また、最終的に志村予想は証明されたのですから、何とかの定理と呼ぶべき時期だと思います。この"何とか"に何を冠するかはいろいろ意見があるようですのでこれ以上は触れないでおきます。 さて、志村博士の"The Map of My Life"の第4章、18節に"18. Why I Wrote That Article"があります。ページ数で言えば145ページ目です。タイトルが示している"あの記事"とは、志村博士が英国の専門誌 Bulletin of the London Mathematical Society に発表した" Yutaka Taniyama and his time, very personal recollections ...

識別の危機

昨年紹介した" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "の元記事はもちろん大衆向けのオンライン科学ジャーナル Quanta Magazine に掲載されたものですが、著者はErica Klarreich女史です。彼女はサイエンスライタではあるけれども、歴とした数学者です。しかも、幾何的トポロジで彼女の名前を冠した定理を持つくらいの立派な方です。何故こういうことを書くかと言うと、IUTを支持するイヴァン・フェセンコ博士がKlarreich女史をいかにも素人呼ばわりした非常に下らないドキュメントを書いたからです。大学にポストを持っていなければ全員が素人なんですかと問いたいくらいです。これでは世界からIUT自体が白眼視されるのも無理からぬことだと思いました(本当のところは全く違う理由からなんですが、話せば切りが無いので止めておきます)。 さて、今回紹介するのはディヴィド・マイケル・ロバース博士が書いた記事" A Crisis of Identification "です。ロバース博士と言えばショルツ、スティクス両博士のリポートが公開された直後からキャテグリ論の専門家として非常に冷静な分析をされていたことに私は感心してましたから直ぐに記事を読みました。一つの不満を除いて非常によく書けていると思います。" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "も勿論読み応えのある立派な記事でしたが、どちらかと言うとドキュメンタリ風の記事でしたし、読者層が一般大衆であることを考慮してあまり数学を前面に出していませんでした。ロバース博士の記事はもう完全に数学を前面に出しています。 前述した一つの不満はグロタンディーク氏のことにスペィスを割いて結構触れていることです。今のABC予想の置かれている状況とはあまり関係がないと私は思いました。やはり大衆受けを狙ったのかと感じました。まぁ、日本でも素人には何故かグロタンディーク氏は大人気ですから(捏造されたエピソゥド、つまりグロタンディーク素数がどうたらこうたらに踊らされて?)、それはそれで良いのかも知れませんが。 前置きはこれくらいにして、この記事の私訳を以下に載せておきます。なお著者の注釈欄を省いていますが、注釈へのインデクスはそのままです。 [追...

数学教育について

聞くところによれば、関数型プログラミング言語の流行とともに数学の圏論がブームだそうで。圏の概念が他の数学の分野を全く知らない人でも意味が分かるのか疑問を持っています。その理由は後で述べます。 私の手許に故Serge Lang博士の名著"Algebra"があります。この本は理由があって、何と大昔の1974年の初版第6刷です。非常に貧しい学生だった私に恩師が2冊持っているからと言って1冊を下さり、私の生涯の宝物です。 仮に数学を代数学、幾何学、解析学という全く意味が無い区分けをしたとします。意味が無いと言うのは、例えば多様体論なんかはどの分野にも入るからです。そうであっても無理に区分けしたとしましょう。この3分野のうちでも、代数学(厳密に言えば抽象代数学です)が、勉強するだけなら(あくまで勉強するだけですよ、研究となれば別の話です)数学的予備知識も数学的センス(故小平邦彦博士の言うところの"数覚"、位相群で有名だった故George W. Mackey博士の言うところの"数学的成熟度"、まぁ簡単に言えば数学的才能ですね)も全く必要としません。必要なのは論理を追うための忍耐力と言えます。ですから、理解出来るか否かは別にして、代数構造を"言葉"として吸収することは誰にでも出来ます。数学のどの分野を専攻してもLang博士の"Algebra"程度の知識は"言葉"として知っていなければ話にならないのです。数学での代数学は、私達が日本語や英語等でコミュニケーションするのと同じく、数学の言語なのです。 Lang博士の"Algebra"には、第1章群論の第7節に早くも"圏と関手"が登場します(ページで言えば25ページ目です)。ついでながら、この圏、関手という日本語は全く元の英語が想像出来ないので、以降カテゴリ、ファンクタと書きます。 ところで、Lang博士はブルバキにも入っていた人ですから、こういう抽象度が高い概念を重要視しているかと思いきや、決してそうではないのですね。元々カテゴリ、ファンクタ(ファンクタの方が重要な概念でして、カテゴリはファンクタが扱う対象物です)は、ホモロジー代数の一部として提案された概念です。ホモ...