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エミー・ネータ告別式におけるヘルマン・ヴァイルの弔辞

一昔前に集合と位相の講義を担当した友人(この友人は集合論や数学基礎論等の専門家ではありません)が定期考査、多分夏休みの前か終了直後に行われる中間考査だと思いますが、以下の問題を出題したことがありました。

(問題)
位相空間が第2可算ならば第1可算であることを示せ。
また、位相空間が第1可算であっても第2可算であるとは限らないことを実例を挙げて、実際にそうであることを示せ。

講義に出席して真面目に勉強していたなら、少なくても問題の前半はほぼ定義そのものであるから全員が解答出来るでしょう。ただ後半は実例を知ってなければちょっと難しいのではないかと私は思ったのですが、友人の話によれば講義中に実例を挙げて説明し、更に各自実際にそうであることを確認しておくようにと言ったそうです。と言うことは前半後半関係なく、こんな初等的で基本中の基本問題を全員が解答出来るはずなのですが、結果はそうではなかったそうです。
以下に初学者のために分かりやすく解答例を書いておきます。

(解答例)
第2可算を満足する位相空間をXとする。定義によりXの基本開集合系は高々可算である。Xの任意の要素xに対して、基本開集合系の中からxを要素として含む開集合すべてを取上げて、これをℱ={Ox1, Ox2, Ox3, ..., Oxn, ...}としよう。xの任意の近傍Uに対して、xOUとなるような開集合Oが存在する。このOに対して、xOxiOとなるような開集合Oxiが定義により必ずℱに存在しなければならない。すなわち、xの任意の近傍Uはℱの要素を部分集合として含むから、ℱはxの基本近傍系であり、しかも高々可算である。xは任意の要素だったから位相空間Xは第1可算を満足する。
第1可算を満足するが第2可算を満足しない実例として、離散位相(つまり、空間のすべての部分集合が開集合となる位相)を持つ空間Xが非可算である場合を考えよう。Xの任意の要素xの近傍は必ず{x}を部分集合として含み、{x}自体がxの近傍である。すなわち、{{x}}はxの基本近傍系であり、ただ一つの近傍{x}だけからなる。xは任意だったから離散位相空間Xは第1可算である。次に第2可算でないことを示そう。Xの任意の要素xの開集合{x}すべての集合をℱとすれば、ℱ={{x}, ...}であり、任意の開集合はどれかのxを要素とする開集合{x}を部分集合として含むからℱは基本開集合系である。Xの任意の要素xに対して{x}を対応させれば、これはXからℱへの全単射であり、Xが非可算だからℱも非可算である。すなわち、第2可算でないことが示された。(完)

上記のことを長々と述べた訳は、いろいろな人達から位相のテキストが開集合系から始まる理由を訊かれたことがあったからです。その一つの根拠に基本系の違いにあることが分かるでしょう。つまり第2可算の方が厳しい条件であり、第2可算であればリンデレフ性を満足する等いいことが多いからです。

さて、ここで話はがらりと変わります。ナチ政権の下でのゲッチンゲン数学の崩壊については前に、"ナチス支配下でのゲッチンゲンの数学"、"フランクフルト数学セミナーの歴史について"、"第三帝国における数学出版: シュプリンガー出版社とドイツ数学者協会"を紹介しました。これらの記事を読めば人間の愚かさを十分に反省出来ると思います。しかし、ここにもう一つ付け加えたい記事がエミー・ネータ告別式におけるヘルマン・ヴァイルの弔辞です。ついでながらヘルマン・ヴァイルとカタカナ表記しましたが、日本では何故かHermann Weylをヘルマン・ワイルと表記することが多いようです。これが支離滅裂な表記であることはHermannをヘルマンと独語読みして、Weylをワイルと英語読みしていることから分かるでしょう。
ヘルマン・ヴァイルの弔辞の英文は、例えばHermann Weyl's speech at Emmy Noether's funeralを見て下さい。これは元々の独語から英語に翻訳されたものです。もちろんヴァイルは弔辞を独語で語りました。いずれにせよ、その記事の私訳を以下に載せておきます。

エミー・ネータ告別式におけるヘルマン・ヴァイルの弔辞
1935年4月18日 ヘルマン・ヴァイル

エミー・ネータ、貴女に永遠の別れを告げなければならない時が来ています。地球の半分ほど距離が離れていて、ここに参列出来ず、別れの言葉を私の口を通して告げねばならなかった貴女の愛する弟君フリッツ[訳注: 数学者フリッツ・ネータのこと。ナチ政権によるユダヤ人迫害によって姉は米国へ、弟は当時のソ連へ移住せざるを得ませんでした。姉の告別式に参列出来なかったのは遠距離と言うよりも、おそらくソ連政府からの認可が下りなかったからだと訳者は聞いています]はもちろんのこと、多くの人が貴女の逝去を深く悲しむだろう。フリッツのものは私が棺に置く花です。私達は言葉で表現出来ない彼の痛みを考えると頭が下がります。
しかし、貴女のドイツ人仲間の感情をこの時に明確に表現することを私は義務だと考えます。ドイツ人仲間はここにいて、そして母国で私達の目的と人としての貴女に合致する人達がいます。貴女の墓前で私達の母国語を聞かせることを私も適切だと思います。貴女の心奥の情緒の言語であって、その言語で貴女は思考したのであり、ドイツ国土にいかなる権力が支配しようとも私達はその言語を大切にするからです。貴女自身の国が貴女に扉を閉ざした後に、貴女が最後に眠るところは外国の国土、研究を続ける場所を提供した、この偉大なる心温まる国の国土でしょう。ここで私達は米国に感謝したい衝動を感じます。米国がここ2年間のドイツ科学に対する苦難の中でして来ていること、特に貴女を誇らし気に喜んで教授陣に入れたブリンマー[訳注: ペンシルベニア州のブリンマー大学]のおかげです。
誇らし気に考えるのは無理もありません。と言うのは貴女が偉大な女性数学者だったからです。貴女を歴史上最高だと呼ぶことに私は躊躇いがありません。貴女の研究は私達が代数学で見るように方法を変えて来ています。そして、多くのゴシク体の文字で貴女の名前が永遠にページの至る所に書かれて残っています。公理的アプロゥチを以前に行なわれて来た数学の基礎の論理的説明の単なる支援の代わりに力強い研究道具に再作成することに対して貴女ほど誰もおそらく貢献しなかったでしょう。代数学と数論における先達の中でもおそらく一番近かったのはデーデキントです。
今この瞬間、何が貴女をそうさせたのかを考えると2つのことがすぐ心に浮かびます。1つ目は貴女の数学思考の独創的で生産的な力です。すごく熟した果物のように、貴女の人間性の皮を破って爆発するように見えました。貴女は内面から前方へと押し進める知性の力のための装置であると同時に置き場だった。神の芸術の手で調和よく磨かれる土ではなく、神が創造的天分を吹き込んだ最初の人間の岩石だった。
貴女の天分の力は性の壁を超越したようでした。ゲッチンゲンで私達は冗談だが、うやうやしく貴女を男性名詞における"ネータ殿"と呼んだ。しかし、貴女は母性あふれる女性であり、純真な心温さを持っていました。学生達に十分かつ何の留保も無く知的に与えたばかりでなく、学生達は母鳥の羽の許での雛のように貴女の周りに集まりました。貴女は彼等を愛し、彼等のために世話をし、閉ざされたコミュニティにおいて彼等と生活しました。
心に浮かぶ2つ目のことは貴女の心は悪意を知らなかったことです。邪悪を信じなかったし、実際に貴女は人類の事件になるとは思ってませんでした。これは私達が共にゲッチンゲンで過ごした最後の夏、1933年の嵐の夏ほど私に痛切に感じさせるものはありませんでした。ぞっとする闘争、私達周辺のすべての派閥で進行する破壊と動乱、憎悪と暴力、恐怖と自暴自棄と失意の海の最中、以前と同じような生産性で数学の課題を熟考しながら貴女は我が道を行きました。研究所の講義堂の使用を禁じられた時、貴女は自身の家に学生達を集め、褐色シャツ[訳注: ナチの突撃隊のこと]の人々さえも歓迎しました。貴女は彼等の正直を少しも疑いませんでした。貴女自身の運命を顧みず、何の恐れもなく開放的でいつも融和的に貴女は我が道を行きました。私達の多くは救いのない憎悪は爆発されると思いましたが、貴女は全く触れずにいました。昨年の夏、貴女はゲッチンゲンに戻ることを幸福に思っていました。ゲッチンゲンで何事も起こらなかったように貴女はドイツ人数学者達と同じ目標を目指して生活し研究したでしょう。貴女は今年の夏も同じことを心積もりしていました。
貴女は実にゲッチンゲンの数学者達が墓所に置いて欲しいと私に願う花輪に値します。
私達は死が何であるか知りません。しかし、地球上での命の後で魂が再び邂逅し、貴女の父君の魂がどのように挨拶するのかを考えることは慰めでないでしょう? 父君は娘に尊敬すべき後継者、もしくは彼女自身の力での偉大さを見るのでしょうか?
貴女は創造的全盛期に私達から引き裂かれました。雷鳴の反響のように貴女の突然の死去はまだ私達の顔に反映しています。しかし、貴女の研究と人柄は永らく科学において、貴女の学生達、友人達、同僚達の中に思い出であり続けるでしょう。それでは、偉大な数学者であり偉大な女性であるエミー・ネータ、さようなら。貴女の命は退化するけれども、貴女が残した遺産を私達は心に抱くでしょう。

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