スキップしてメイン コンテンツに移動

数学者達は‘大統一’理論におけるコンピュータ支援の証明を歓迎する

ペータ・ショルツェ博士が証明に対して実に真摯なことは、前に紹介した“証明支援系が一流数学へと飛躍する”を読んだ人なら良く分かっただろうと思います。ブルバキの言葉を引用するまでも無く、古代Greeceの昔から数学とは即ち証明なんです。自らの証明に何らかの違和感を持つ場合は勿論のこと、他者から証明に疑念を持たれること自体が数学論文としては失格なんです。証明をないがしろにすることは数学をないがしろにすることと同義です。証明が自明であるという陳述だらけの論文をどこかで見たことがありますが、数学への冒涜以外の何ものでもありません。そういうものを好きな人は哲学又は宗教学をやればいいのではないでしょうか。

証明支援系が一流数学へと飛躍する”はどちらかと言えば、ショルツェ博士に焦点を当てた記事でした。もう少し他の関係者にも触れた記事としてNature誌に掲載されたMathematicians welcome computer-assisted proof in ‘grand unification’ theoryがあります。私はこちらの方がいわゆる群像劇という意味合いで面白かったように思います。その記事の私訳を以下に載せておきます。

数学者達は‘大統一’理論におけるコンピュータ支援の証明を歓迎する

証明支援プロゥグラァムは抽象的な概念を処理して、数学でのソフッウェアのより大きな役割を明らかにしている。

2021年06月18日 Davide Castelvecchi

ペータ・ショルツェは現代数学の大部分を再構築したいと思い、その基礎から始めている。彼の探究の心臓部に対する証明が正しいことを思わぬ情報源から受けている。すなわち、コンピュータである。

殆どの数学者達は彼等の専門職の創造面にいつでもすぐにコンピュータが取って代わるだろうことに懐疑的であるけれども、何人かの数学者達は彼等の研究において科学技術が益々重要な役割を持つことを認めている。そして、この特別な偉業が証明支援系を認めることへの転換点となるだろう。

数論学者ショルツェは独逸のボン大学(そこに彼は本拠を置いている)での一連の講義において大掛かりな計画(コゥペンヘィゲン大学のDustin Clausenとの共同研究)を述べた。その二人の研究者達はそれをcondensed mathematics[訳注: 凝縮数学とでも訳せるのでしょうが、そのままにしておきます]と呼び、幾何学から数論まで広がる分野間の新しい見識と関係をもたらす見込みがあると言っている。

他の研究者達は注意を払っている。すなわち、ショルツェは数学の最も輝かしいスターの一人であり、革命的概念を導入している実績を持っている。Maryland州のBaltimoreにあるJohns Hopkins大学の数学者Emily Riehlは、ショルツェとClausenの展望が現実になれば、50年の間に大学院生達に数学が教えられているやり方が今日と非常に異なるだろうと言う。“将来、彼のアィディヤに影響を受けるだろうと私が思う数多くの数学分野がある”と彼女は言う。

現在まで、その展望の大部分が非常に込み入った技巧的証明に頼っているので、ショルツェとClausenでさえ正しいのか確信を持てなかった。しかし、今月の始めにショルツェは証明の心臓部を検証するための計画が特別なコンピュータソフッウェアを使って成功したと発表した。

コンピュータ支援

数学者達は長らく数値計算または複雑な式を操作するためにコンピュータを使用して来ている。いくつかの場合において、膨大な繰返し作業をコンピュータにさせることで主要な結果を証明したことがある。その最も有名なものは、地図において隣り合う国を同色で塗らない色塗りはたった四色で出来るという1970年代の証明だ。

だが、証明支援系として知られるシステムはもっと深刻である。使用者は数学概念(オブジェクッと呼ばれ、コンピュータが既に知っている、より簡単なオブジェクッに基づいている)を教えるためシステムの中に命題を入力する。命題も既知のオブジェクッとして参照され、証明支援系は現行の知識に基づいて事実が‘明らか’に真か否かを回答する。その回答が明らかでないなら、使用者はもっと詳細を入力しなければならない。このように証明支援系は議論の論理を厳密な方法で使用者が設計することを強要し、人間である数学者達が意識的か無意識的かを問わず飛ばしていた簡単な段階を埋めている。

一度研究者達が数学概念の集まりを証明支援系の中に翻訳するという骨の折れる作業をすれば、他の研究者達によって組立てられて、高度な数学オブジェクッを定義するように使用され得るコンピュータ符号のライブラリをプロゥグラァムが生成する。このようにして、人が検証するためには時間がかかり困難な、そして多分実際には不可能な場合でさえ、証明支援系は数学証明の検証を助けることが出来る。

証明支援系には長らくファンがいたが、最先端の分野において主要な役割をしたのは、これが最初であるとImperial College Londonの数学者Kevin Buzzardは言う。彼はショルツェとClausenの結果を検証する共同研究の一人だった。“残る問題はこうだった。すなわち、複雑な数学を処理出来るのか? 私達は出来ることを示した”とBuzzardは言う。

そして、それは誰もが想像したよりもずっと早く起きた。ショルツェは2020年12月に証明支援系の専門家達に対する呼びかけを陳列し、それは独逸のFreiburg大学の数学者Johan Commelinが指揮するヴォランティヤ集団により取り上げられた。06月05日(6ヶ月足らず後である)に実験の主要部分が成功したことをショルツェはBuzzardのblogに投稿した。“非常に理にかなった期間内で、難しい独創的研究を形式的に検証出来る水準に今や双方向式の証明支援系がいることを私は途方もないことだと思う”とショルツェは書いた。

ショルツェとClausenによれば、condensed mathematicsの決定的な部分は現代数学の基礎の一つである位相を再定義することにある。数学者達が研究する多くのオブジェクッが位相(つまり、どのオブジェクッの部分が同時に近いのかそうでないのかを決定する構造の典型である)を持つ。位相は図形のアィディヤを与えるが、お馴染みの学校水準の幾何のそれらよりもずっと柔軟性を持つ。すなわち、オブジェクッを引き裂かない任意の変換が許容される。例えば、任意の三角形が他の任意の三角形と位相同型(または、円とさえも位相同型)であるが、直線とは位相同型ではない。

位相は幾何学のみならず函数解析(函数の研究)においても決定的な部分を担う。函数は典型的に無限次元空間に‘住む’(波動函数のように。波動函数は量子力学にとって基本である)。また𝑝-進数と呼ばれる数体系にとっても位相は重要であり、異様な‘フラァクトゥ’位相を持つ。

大統一

2018年頃、ショルツェとClausenは位相概念に対する伝統的なアプロゥチは、幾何学、函数解析、𝑝-進数の3つの数学的世界の間に不調和を引き起こし、代わりの基礎がそれらの隔たりを埋められることを理解した。それらの分野の各々において、たとえそれらが全く異なる概念を扱っていても、多くの結果が他分野において類似物を持つらしい。しかし、一旦位相を‘正しい’方法で定義すると、理論間の類似が二人の研究者達が提案した‘condensed mathematics’と同じ実例として現れる。“それは三つの分野の或る種の大統一だ”とClausenは言う。

ショルツェとClausenはいくつかの深大な幾何学的事実のより簡単な‘condensed’証明を既に見つけており、以前には知られていなかった定理の証明を今は出来ると言う。彼等はまだこれらを公にはしていない。

しかしながら、一つの落とし穴があった。すなわち、幾何学がこの全体像の中に適合することを示すためには、ショルツェとClausenは、通常の実数の集合(直線の位相を持つ)に関する非常に技巧的な定理を証明しなければならなかった。“実数がこの新しいフレィムワークに入ることを許す基本定理のようなものだ”とClausenは説明する。

Clausenはショルツェが‘意志の力を通して’完了するまで、如何に冷酷に定理について考え、その過程で多くの独創的なアィディヤを生み出したかを思い起こす。“私が今まで目撃する最も驚異的な数学の離れ業だった”とClausenは思い出す。しかし、議論がとても複雑なので、ショルツェ彼自身が全体の企みを駄目にする微妙な隔たりがあるやも知れないことを心配した。“議論は説得力があったが、ただ余りにも斬新過ぎた”とClausenは言う。

その研究の検証の支援を求めて、ショルツェは数論学者仲間であるBuzzardに頼った。Buzzardは証明支援ソフッウェアパァキヂィLeanの専門家である。Leanは元々バグに対してコンピュータ符号を厳密に検証する目的のために、Washington州RedmondにあるMicrosoft Researchのコンピュータ科学者によって作製された。

BuzzardはImperialでの学部生用数学カリキュウラム全体をLeanの中に符号化する計画を長年走らせて来た。彼はperfectoid空間の概念を含む、もっと高度な数学をシステムに入れる経験もあった。perfectoid空間の概念は2018年のFields賞をショルツェにもたらすことに役立った。

Commelinは、彼も数論学者であるが、ショルツェとClausenの証明を検証するために先導した。Commelinとショルツェは彼等のLean計画を前衛的ロク集団Liquid Tension Experiment(両方の数学者達がファンである)に敬意を表してLiquid Tensor Experimentと呼ぶことに決めた。

続いて熱気のあるオンライン共同作業が続いた。Leanの経験を持つ12人かそこらの数学者達が加わり、研究者達はその期間にコンピュータ科学者達からの助けを得た。06月始めまでに、ティームはショルツェの証明の心臓部(彼が最も心配した部分)をLeanの中へ翻訳を終えた。そして、その証明は合っていた。つまり、ソフッウェアがその証明のこの部分を検証出来た。

より良く知る

ショルツェの証明のLean版は数万行の符号から成り、元々の版の100倍である。“Leanの符号をただ単に見れば、証明を理解することは非常に困難だろう。特に現行のやり方では”とCommelinは言う。しかし、研究者達はコンピュータで上手く行く証明を得る努力は証明をより良く理解することにも役立つと言う。

Riehlは証明支援系に経験を持つ数学者達の一人であり、証明支援系を彼女のいくつかの学部生クラースで教えてさえいる。彼女の研究において系統立てて証明支援系を使用しないけれども、証明支援系は数学概念を構築すること、陳述すること、それらに関する定理の証明をすることの実際だと彼女が思っているやり方を変え始めている。“以前私は、証明することと構築することは異なる2つの事柄だと思っていた。しかし今、それらは同じことだと思う”と彼女は言う。

数学者達がいつでもすぐにコンピュータに取って代わられることは多分無いだろうと多くの研究者達は言う。証明支援系は数学テクスッを読めず、人からの連続入力を必要とし、数学命題が興味深い又は深大かどうか決められない、それが正しいかどうかだけであるとBuzzardは言う。それでも、数学者達が注目し損なった一連の知られている事実をコンピュータはすぐに指摘出来るかも知れないとBuzzardは付け加えて言う。

ショルツェは証明支援系がここまで進化出来たことに驚かされたが、彼の研究において証明支援系が主要な役割を担うかどうかは分からない。“今の所、数学者としての私の創造的研究において、証明支援系が如何に役立つかあまり分からない”と彼は言う。

コメント

このブログの人気の投稿

ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する

今回紹介するのは abc 予想の証明に関する最近の動向を伝えている記事です。 これを選んだ理由は素人衆が知ったかぶりに勝手なことを書いているのをネット上で散見するからです。ここで言う素人衆は日本のメディアはもちろんのこと、馬鹿サイエンスライターも当然含みます。昨年末(2017年12月16日)に某新聞が誤報に近いことを報道したことも記憶に新しいでしょう。そんな情報に振り回されないために今回の記事です。 今回の記事は正確かつ公平だと私は思いました。私の友人共の何人かは、この方面の専門家だから門外漢の私はいろいろなことを教えてもらいました。その上での感想です。 その方面の専門家でなくても数学の研究者なら望月論文は無理でもレポートは読めるはずなので、もっと詳しく知りたい人はレポートを読んで下さい。 前置きはこれくらいにして、紹介する記事は" Titans of Mathematics Clash Over Epic Proof of ABC Conjecture "です。その私訳を以下に載せておきます。 [追記: 2018年10月06日] ここに至るまでの経緯については" 数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明 "を読んで下さい。その記事は2015年12月にオックスフォードで行われた望月論文に関する初めての国際的ワークショップより前の話が書かれています。 このワークショップはいろいろ評価が分かれるけれども、私が聞く限り、大失敗だと言う人が多いです。実際、私の海外の知人の一人がワークショップに参加しており、ボロクソに言ってました。 このワークショップを境に、海外特に米国では望月論文を理解しようとする熱意が急速に薄れたように感じますし、ショルツ、スティックス両博士の異議申し立てが出るまで実質何の音沙汰もない状態でした。 [追記: 2018年10月23日] 私の友人共に指摘されたのですが、この記事の私訳を読む人の殆どが日本の全くのド素人なんだから、たとえ原文に記載されていなくても誤解を生じさせないように訳者が万全を期するべきだと言われました。 記事に出て来る Publications of the Research Institute for Mathematical Sciences (略してPRIMS)

数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明

前回紹介した" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "はもちろん一般大衆向けの記事です。数論、数論幾何学、IUTT(宇宙際タイヒミュラー理論)のいずれかの専門家なら、そんな記事を読まなくても、そこまでに至る経緯は十分に承知しています(何故なら自分達の飯の種を左右する問題だから)。その方面の専門家でなくても数学研究者なら数学コミュニティ又は数学界を通して大概の経緯を聞き及んでいます。 私の身辺(私の友人共はすべて何らかの形で数学研究に携わっているので、それらを除きます)でその記事を読んだ感想は"そんなに拗れるのは不思議だ。もっと経緯を知りたい"というのが多かったです。その身辺の彼/彼女等はもちろん素人衆ですので、望月新一博士の名前も報道でしか聞いたことがないし、数学で何故これほどまでもつれるのか不思議でならないそうです。彼/彼女等は至って真面目です(何故こういう事を書くかと言うと、素人衆と言っても千差万別で、中にはネット上で国家高揚か日本民族高揚のために望月博士のことを書いているとしか思えない不逞の輩がいるからです)。そこで、それらの真面目な人達のために今回紹介するのは2015年10月の Nature 誌に載っていた" The biggest mystery in mathematics: Shinichi Mochizuki and the impenetrable proof "です。 何故これを選んだかと言うとエンターテイメント性があり、素人衆でも面白く読めるだろうと思ったからです。但し断っておきますが、いろいろな数学者の証言を繋ぎ合わせて望月博士の心情を勝手に推測するのははっきり言って妄想であり、さすがエンターテイメント性を重視して堕落した Nature 誌だけのことはあると私は思いました(あのSTAP論文を掲載したことも記憶に新しいでしょう)。 その私訳を以下に載せておきます。 [追記: 2018年10月06日] この記事は2015年12月に行われたオックスフォードでのワークショップより前の話です。このワークショップは望月論文に関する初めての国際的な会合で、この記事でもこのワークショップにかなりの期待を寄せているところで終わっています。 しかし、いろいろ評価が分かれ

谷山豊と彼の生涯 個人的回想

数学に少しでも関心のある人なら、フェルマーの最終予想が、これを含む一般的な志村予想を証明することによって解決されたことは御存知でしょう。この志村予想は、かって無知と誤解によって谷山-志村予想と呼ばれていました。外国では更に輪をかけて(と言うよりもアンドレ・ヴェイユの威光によって)谷山-志村-ヴェイユ予想と呼ばれていました。ヴェイユがこの予想に何ら関係しないことは、故サージ・ラング博士によって実証されました。それでも、谷山-志村予想もしくは谷山予想と呼ぶ人がまだ散見されます(散見と言いましたが、日本人ではかなり多いです。国民性に依存するのかどうか知りませんが)。私は数論を専攻したことがなく、ずぶの素人ですが、志村博士が書かれた記事や自伝"The Map of My Life"を読み、何故志村予想なのか納得しました。ここで込入った話を書くことは不可能なので、分り易く言えば、故谷山氏は何ら予想の内容にタッチしていないと言ってもいいかと思います。勿論、その周辺は谷山氏の研究分野でしたから周辺にはタッチしていたでしょうが、志村博士は全く独立にきちんと予想を定式化しました。ですが、谷山氏と志村博士はいわゆる盟友関係であり、また谷山氏の不幸な亡くなり方を悼む日本人的感情(つまり、センチメンタル)から日本人は谷山-志村予想と頑なに呼んでいるのだと私は理解しています。ですが、これは数学なのであり、事実を直視しなければいけないと思います。また、最終的に志村予想は証明されたのですから、何とかの定理と呼ぶべき時期だと思います。この"何とか"に何を冠するかはいろいろ意見があるようですのでこれ以上は触れないでおきます。 さて、志村博士の"The Map of My Life"の第4章、18節に"18. Why I Wrote That Article"があります。ページ数で言えば145ページ目です。タイトルが示している"あの記事"とは、志村博士が英国の専門誌 Bulletin of the London Mathematical Society に発表した" Yutaka Taniyama and his time, very personal recollections "

識別の危機

昨年紹介した" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "の元記事はもちろん大衆向けのオンライン科学ジャーナル Quanta Magazine に掲載されたものですが、著者はErica Klarreich女史です。彼女はサイエンスライタではあるけれども、歴とした数学者です。しかも、幾何的トポロジで彼女の名前を冠した定理を持つくらいの立派な方です。何故こういうことを書くかと言うと、IUTを支持するイヴァン・フェセンコ博士がKlarreich女史をいかにも素人呼ばわりした非常に下らないドキュメントを書いたからです。大学にポストを持っていなければ全員が素人なんですかと問いたいくらいです。これでは世界からIUT自体が白眼視されるのも無理からぬことだと思いました(本当のところは全く違う理由からなんですが、話せば切りが無いので止めておきます)。 さて、今回紹介するのはディヴィド・マイケル・ロバース博士が書いた記事" A Crisis of Identification "です。ロバース博士と言えばショルツ、スティクス両博士のリポートが公開された直後からキャテグリ論の専門家として非常に冷静な分析をされていたことに私は感心してましたから直ぐに記事を読みました。一つの不満を除いて非常によく書けていると思います。" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "も勿論読み応えのある立派な記事でしたが、どちらかと言うとドキュメンタリ風の記事でしたし、読者層が一般大衆であることを考慮してあまり数学を前面に出していませんでした。ロバース博士の記事はもう完全に数学を前面に出しています。 前述した一つの不満はグロタンディーク氏のことにスペィスを割いて結構触れていることです。今のABC予想の置かれている状況とはあまり関係がないと私は思いました。やはり大衆受けを狙ったのかと感じました。まぁ、日本でも素人には何故かグロタンディーク氏は大人気ですから(捏造されたエピソゥド、つまりグロタンディーク素数がどうたらこうたらに踊らされて?)、それはそれで良いのかも知れませんが。 前置きはこれくらいにして、この記事の私訳を以下に載せておきます。なお著者の注釈欄を省いていますが、注釈へのインデクスはそのままです。 [追

数学教育について

聞くところによれば、関数型プログラミング言語の流行とともに数学の圏論がブームだそうで。圏の概念が他の数学の分野を全く知らない人でも意味が分かるのか疑問を持っています。その理由は後で述べます。 私の手許に故Serge Lang博士の名著"Algebra"があります。この本は理由があって、何と大昔の1974年の初版第6刷です。非常に貧しい学生だった私に恩師が2冊持っているからと言って1冊を下さり、私の生涯の宝物です。 仮に数学を代数学、幾何学、解析学という全く意味が無い区分けをしたとします。意味が無いと言うのは、例えば多様体論なんかはどの分野にも入るからです。そうであっても無理に区分けしたとしましょう。この3分野のうちでも、代数学(厳密に言えば抽象代数学です)が、勉強するだけなら(あくまで勉強するだけですよ、研究となれば別の話です)数学的予備知識も数学的センス(故小平邦彦博士の言うところの"数覚"、位相群で有名だった故George W. Mackey博士の言うところの"数学的成熟度"、まぁ簡単に言えば数学的才能ですね)も全く必要としません。必要なのは論理を追うための忍耐力と言えます。ですから、理解出来るか否かは別にして、代数構造を"言葉"として吸収することは誰にでも出来ます。数学のどの分野を専攻してもLang博士の"Algebra"程度の知識は"言葉"として知っていなければ話にならないのです。数学での代数学は、私達が日本語や英語等でコミュニケーションするのと同じく、数学の言語なのです。 Lang博士の"Algebra"には、第1章群論の第7節に早くも"圏と関手"が登場します(ページで言えば25ページ目です)。ついでながら、この圏、関手という日本語は全く元の英語が想像出来ないので、以降カテゴリ、ファンクタと書きます。 ところで、Lang博士はブルバキにも入っていた人ですから、こういう抽象度が高い概念を重要視しているかと思いきや、決してそうではないのですね。元々カテゴリ、ファンクタ(ファンクタの方が重要な概念でして、カテゴリはファンクタが扱う対象物です)は、ホモロジー代数の一部として提案された概念です。ホモ