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素数に関する最も難しく簡潔な問題の解決者

 Jordan標準形については前に“決して構築されることのなかった最も重要なマシーン”の前置きの中で、簡単のため3次正方行列に限ってJordan標準形の求め方を少しばかり解説しました。その解説の中で私が何回も誰もが理解しているはずの事柄に「(何故か?)」と理由付けを問いました。それは皆さんに少しでも自分の頭で考えて欲しかったからです。ところが、友人共の話によれば、その解説を読んだ学生達が自分の頭で真剣に考えようともせず、代わる代わる同じような質問をして来たようです。特に、その時期に線型代数の講座を担当した友人は私の解説のことを知らず、私の「(何故か?)」の趣旨も知らなかったので、何回も同じような質問を受け「おかしいな」と思いながらも最初のうちは丁寧に教えましたが、余りにも頻繁なので完全におかしいと悟ったようです。そして私の「(何故か?)」の趣旨を知り、学生達に舐められたと思って切れたのかどうかは知りませんが、定期考査(中間なのか期末なのか知りません)で出題した問題の一つが以下の問題です。私の解説では3次正方行列でしたが、友人は最初何人かの学生達に3次正方行列の場合において丁寧に説明してしまったこともあって、不公平にならないように一般のn次正方行列にしたようです。と言うか、3次でもn次でも本質的に同じですから、最初に3次の場合に教えた学生達が本当に理解しているのかどうか試したかったのかも知れません。

(問題) n次(n≧2)正方行列𝑨の固有値を𝛼、rank(𝑨-𝛼𝑬)=n-1とする時、(𝑨-𝛼𝑬)n-1𝒙≠𝟬となるような𝒙が存在することを示せ。

正直言って、文系なら兎も角も、理系でこれに解答出来ない学生がいるとは思えないのですが、初学者のために解答例を以下に載せておきます。

(解答例) n次元線型空間をVとする。(𝑨-𝛼𝑬)がVからVへの線型変換であるからImg(𝑨-𝛼𝑬)⊂Vである。Vから始めてImg(𝑨-𝛼𝑬)n-2まで、次元定理を適用すると以下の等式が得られる。dim V=rank(𝑨-𝛼𝑬)+dim Ker(𝑨-𝛼𝑬)、rank(𝑨-𝛼𝑬)=rank(𝑨-𝛼𝑬)2+dim Ker(𝑨-𝛼𝑬)2、rank(𝑨-𝛼𝑬)2=rank(𝑨-𝛼𝑬)3+dim Ker(𝑨-𝛼𝑬)3、...、rank(𝑨-𝛼𝑬)n-3=rank(𝑨-𝛼𝑬)n-2+dim Ker(𝑨-𝛼𝑬)n-2、rank(𝑨-𝛼𝑬)n-2=rank(𝑨-𝛼𝑬)n-1+dim Ker(𝑨-𝛼𝑬)n-1。これらの等式の辺々を合算すると、dim V=rank(𝑨-𝛼𝑬)n-1+∑ dim Ker(𝑨-𝛼𝑬)i。ここで∑は1≦i≦n-1に渡るdim Ker(𝑨-𝛼𝑬)iの和である。1≦i≦n-1の範囲でKer(𝑨-𝛼𝑬)⊃Ker(𝑨-𝛼𝑬)iを証明しよう。Ker(𝑨-𝛼𝑬)iの任意の要素は𝒙∊Vに対して(𝑨-𝛼𝑬)i-1𝒙と書ける。何故なら線型変換(𝑨-𝛼𝑬)の直近の入力域がImg(𝑨-𝛼𝑬)i-1だから(i=1の時はVとする)。(𝑨-𝛼𝑬){(𝑨-𝛼𝑬)i-1𝒙}=𝟬なので(𝑨-𝛼𝑬)i-1𝒙∊Ker(𝑨-𝛼𝑬)である。よってKer(𝑨-𝛼𝑬)⊃Ker(𝑨-𝛼𝑬)i。dim Ker(𝑨-𝛼𝑬)≧dim Ker(𝑨-𝛼𝑬)i、dim Ker(𝑨-𝛼𝑬)=1だから、1≦i≦n-1の範囲でdim Ker(𝑨-𝛼𝑬)i=0となるような一番若い番号のiをk+1とする。この時、Img(𝑨-𝛼𝑬)kが入力域である線型変換(𝑨-𝛼𝑬)は全単射である(仮定によりdim Ker(𝑨-𝛼𝑬)k+1=0だから)。rankの定義によりdim Img(𝑨-𝛼𝑬)k=dim Img(𝑨-𝛼𝑬)k+1、一般的にImg(𝑨-𝛼𝑬)m⊃Img(𝑨-𝛼𝑬)m+1であるから、Img(𝑨-𝛼𝑬)k=Img(𝑨-𝛼𝑬)k+1が成り立つ。Img(𝑨-𝛼𝑬)kが入力域である線型変換(𝑨-𝛼𝑬)は全単射であるのだから、Img(𝑨-𝛼𝑬)k=Img(𝑨-𝛼𝑬)k+1のみならず、Img(𝑨-𝛼𝑬)k=Img(𝑨-𝛼𝑬)k+1=…=Img(𝑨-𝛼𝑬)n-1が成り立つことになる。仮定により1≦i≦kの範囲でdim Ker(𝑨-𝛼𝑬)i=1だから、dim Img(𝑨-𝛼𝑬)k=n-k。よってImg(𝑨-𝛼𝑬)k≠{0}。ところがImg(𝑨-𝛼𝑬)n-1(=Img(𝑨-𝛼𝑬)k)に線型変換(𝑨-𝛼𝑬)を施すとImg(𝑨-𝛼𝑬)nとなるが、ケイリー-ハミルトンの定理によりImg(𝑨-𝛼𝑬)n={0}である。Img(𝑨-𝛼𝑬)kが入力域である線型変換(𝑨-𝛼𝑬)は全単射であるのにも拘らず、Img(𝑨-𝛼𝑬)k≠{0}=Img(𝑨-𝛼𝑬)nとなり明らかに矛盾する。結局、1≦i≦n-1の範囲でdim Ker(𝑨-𝛼𝑬)i=1でなければならず、∑ dim Ker(𝑨-𝛼𝑬)i=n-1。これをdim V=rank(𝑨-𝛼𝑬)n-1+∑ dim Ker(𝑨-𝛼𝑬)iに代入して、dim V=rank(𝑨-𝛼𝑬)n-1+n-1。dim V=nを代入して、rank(𝑨-𝛼𝑬)n-1=1である。つまり、(𝑨-𝛼𝑬)n-1𝒙≠𝟬となるような𝒙が存在する。(完)

以上で証明は終わりですが、補足しておきたいことがあります。要するに(𝑨-𝛼𝑬)n-1𝒙≠𝟬となるような𝒙が存在するためには、rank(𝑨-𝛼𝑬)n-1≧1を証明すれば十分であり、こちらの方が簡単だし誰もが解答しやすいと思います。上述の証明の中で、Ker(𝑨-𝛼𝑬)⊃Ker(𝑨-𝛼𝑬)i、dim Ker(𝑨-𝛼𝑬)≧dim Ker(𝑨-𝛼𝑬)i、dim Ker(𝑨-𝛼𝑬)=1だったから、∑ dim Ker(𝑨-𝛼𝑬)i≦n-1となります。dim V=n、∑ dim Ker(𝑨-𝛼𝑬)i≦n-1なので、等式dim V=rank(𝑨-𝛼𝑬)n-1+∑ dim Ker(𝑨-𝛼𝑬)iの両辺を整理すればrank(𝑨-𝛼𝑬)n-1≧1となります。それでも十分なわけです。しかし、どうせ証明するならここまでやれよという意味合いで、上述の証明の中にあるようにrank(𝑨-𝛼𝑬)n-1=1まで証明しました。この問題を出題した友人が採点基準をどのレヴォゥに設定しているのか私は知りませんし、他にもいろいろな解法があります(例えば、正方行列𝑨の固有値が𝛼、rank(𝑨-𝛼𝑬)=n-1という条件から、(𝑨-𝛼𝑬)がどういう形の行列と相似でなければならないか、そしてその累乗がどのようになるかを考えれば自然に解答出来ます。この方がもっと直接的で簡単です。何故それを採用しなかったかと言うと、このblogでは行列の絵を書くこと出来ないという理由だけからです。勿論絵に頼らずに文章で説明出来ますが、絵に書けば一目瞭然なものをだらだらと長い文章を書くことになり、馬鹿々々しくて断念しました。そこで代替案として採用したのが上述の解答例なんです)。いずれにせよ、解答例にあるように初学者には次元定理の重要性、rankの意味、写像の結合の意味をしっかりと把握して欲しいと思います。また、この程度の問題をいずれの解法であれ素早く証明出来ないのであれば、私が講座担当なら赤点を付けることでしょう。“決して構築されることのなかった最も重要なマシーン”の前置きで書いた解説の中で何回も「(何故か?)」と問うている程度に簡単なものです。ちょっと難しいのあれば読者に問わないで理由付けを書きます。常日頃から理由付けを真剣に考えず、指導教官に教えて貰って事足れりと思っているような学生達が仮に解答出来ないのであれば落第も止むを得ないと思います。むしろ、私はこの程度の問題を定期考査に出題した友人の勇気に驚いたくらいです。

さて今回紹介する記事は、Quantaに掲載されたA Solver of the Hardest Easy Problems About Prime Numbersです。この記事は2022年のものなので早くも約3年経ちます。何故、今更この記事を紹介するかと言いますと2022年度Fields賞受賞者達ではMaryna Viazovska博士に関連するものしか紹介してなかったので、James Maynard博士に関連する記事も紹介すべきだと考えたことと(James Maynard博士が余りにも有名過ぎたことも遅れた要因の一つかも知れません。今更という感じをどうしても受けるのは私一人ではないでしょう。あのペータ・ショルツェ博士についても同様なことが言えます)、記事の執筆者であるErica Klarreich博士とはほんの少しばかりemailを交換したこともあって、彼女の書く文章が好きだからです。いい加減に前置きはこれくらいにして、A Solver of the Hardest Easy Problems About Prime Numbersの私訳を以下に載せておきます。

素数に関する最も難しく簡潔な問題の解決者

Fields賞獲得の道中で、数学者達を何世紀ものの間困らせている、素数に関する簡潔な印象を与える問題をJames Maynardは切り抜けている。

2022年07月05日 Erica Klarreich

2013年、一数学者に起こり得る最良な事柄の一つ(しかし、最悪な事柄の一つでもある)がJames Maynardに起きた。大学院を修了したばかりで、素数の間隔に関する、その分野の最古で最も中心的な問題の一つを彼は解決した。基礎数学[訳注: 原文ではpure mathですが、数学に純粋もくそもないので、訳者はあえて基礎としました。そして、その訳語を推奨します]研究の隠遁的世界さえも飛越えて、彼に名声を獲得させた業績だった。唯一つ困難があった。すなわち、もう一人の数学者が完全に異なる方法で数ヶ月早く、Maynardの結果の最も目立つ部分を証明してしまっていた

しかしながら、数論学者達はMaynardを注目すべき人だと認めた。そんな問題を解決することはもちろんのこと、そんな問題に取組む程、殆どの真新しいPh.D.取得者達は十分に勇敢でなかったであろう。引き続く数年内にMaynardは早期の望みを正当化する以上に、根本的問題を次から次へと殴り倒した。

今日、35歳の数学者(現在はOxford大学の教授である)は、表彰の言葉によれば“解析数論における驚くほどの貢献”のためFields賞を授与された。表彰の言葉は引き続き“彼の研究は高度に独創的であり、現行の技法では手が届かないと思われた重要な問題について驚くべき飛躍的な進展に繋がっている”と述べている。

Maynardは一月にFields賞受賞を知らされたが、“全く予期していなかった。それでも私は自分自身を数学の世界で少しばかり独立ちしようとしている人だと基本的に見なしている”と彼は言った。しばしば以前のFields賞受賞者達の研究から閃きを受けると言った。“子供の時に私を鼓舞した伝説的数学者達の名簿の中に突如上げられることは最高のことであるが、完全に現実離れしている”。

Fields賞は数学者の研究経歴に長く続く名声をもたらすが、Maynardは彼の研究生活があまり変わらないだろうと希望を抱いている。“私は尚も同じ問題を研究し、同じ事柄に興味を示すつもりだ”と言った。

最近、その研究は素数が数直線においてどのように分布するかに関する3つの連続論文の形になっている。数2と5を別として、すべての素数は1、3、7、9で終わるので、それらの数字の名札を持つ手桶に数直線を下りながら、素数をそれらの関連する手桶に放り込むことを想像出来るであろう。数学者達はそれらの手桶には大体同数の素数が入っていることを長い間知っており、これは底10のみならず、任意の底においても事実である。しかしながら、数学者達が分からないことは、それらの手桶がどのように早く同数になるのかであり、素数分布に関する他の中核的な多くの問題に対して影響を持つ問題である。

多くの底に対して、Maynardは有名な速度障壁よりも早く手桶が同数になることを示しているが、その速度障壁は数学者達が前に行き詰ったものであった。それらの論文は“実に素晴らしい技術的業績”だとStanford UniversityのKannan Soundararajanは言った。 SoundararajanはMaynardの研究に関する称賛講義を今日Helsinkiで行う予定だ。

多くの数学者達にとって、Fields賞受賞は人生においてこの上ない瞬間の一つである。けれども、Maynardにとって賞は“その週の最も重要な出来事”に対する競争でさえある。彼と彼のpartnerであるEleanor Grantは数日内に彼等の最初の子供の誕生を期待しており、急ぎのHelsinki訪問のための時間をMaynardに十分に許している。

“多くの事柄が変化している”と彼は言った。

以下の人物紹介は元々2020年07月01日にQuantaにおいて掲載された。

簡単で難しい質問

James Maynardが三歳の時、Londonから丁度北東のChelmsfordにある彼の家を訪問保健師が彼の成長を検査する為に来た。そんな訪問は幼少児童のための慣例だったし、その調査員は標準的な一組の試験を通して彼を指揮した。唯一つ問題があった。つまり、Maynardは彼等を馬鹿だと思った。

それで彼女が彼に図形分類の課題を与えた時、彼は意図的に図形を驚くべき順番に置き、彼の解法が彼女の考えよりも興味深い理由を詳しく説明した。それから、彼女は彼の玩具の農場の中で乳牛はどの種類の動物であるかを訊いた時、“彼は‘羊、羊’と答えて彼女の反応を見ることを実の所楽しんだ”と彼の母Gill Maynardはemailの中で書いた。彼は査定が十分に長く続くと判断した時、それは終わったと宣言してLegoを引っ張り出した。“それは相当に記憶すべきことだった。つまり、三歳児が哀れな女性を徹底的にやり込めた”とGill Maynardはインタヴューの中で言った。

その調査員は彼の母にJamesは躾が足りないと言った。“彼がこのようなことを続けるなら、学校で現実問題を抱えることになるでしょう”と彼女は言った。

同様な逸話がMaynardの学校時代を通じて持ち上がった。彼の物理学教師が評価基準表を使用した時、Maynardは馬鹿げていると思った時があった。正しい解答に説明や単位がなければ配点の3分の1しか得られないということだった。Maynardは抗議して解答のみを書き、それらは全て正しかったにもかかわらず、33%の評価だった。“その教師は多分私にかなりうんざりした思う”と彼は言った。

“私はいつも‘何故?何故?何故?’と言う腹立たしい子供達の一人だったに違いなかった”とMaynardは言った。彼は学校時代を“私独自のことをやりたいと思いながら、又は少なくとも物事に対する正当な理由を欲しいと思いながら”通り抜けた。

だからおそらく、2013年26歳の博士号を取得したばかりの新人研究者の時にMaynardが博士号取得後の彼の指導教官に追究したい問題が危険だと警告された時、肩をすくめただけだったことは驚きではない。その問題は素数(1とそれ自身でしか割り切れない自然数)に関する中心的課題の一つである。

その時にthe University of MontrealにおけるMaynardの助言者だったAndrew Granvilleは“私はちょっと彼に‘この全時間を費やさないことを希望する’と言った。何故なら私は彼が失敗するだろうとかなり自信があるからだ”と記憶を呼び起こした。

だが、Maynardは“それでも勇気があって、ただ単に座って‘分かりました。私にこのアィディヤをさせて、それが私をどこに連れて行くのか見させて下さい’と言った”とthe University of MontrealのDimitris Koukoulopoulosは言った。

それが彼を連れて行った場所は、数学者達が素数の間隔について考えているやり方に“重大な再評価を促した”定理だったとthe University of OxfordのBen Greenは言った。

Maynardは高校生に対しては十分に簡単に説明出来て、数学者達に対しては何世紀も困らせる程十分に難しい素数に関する問題に魅了されている。“簡潔であることと根本的であることの間の対照性について私にとって非常に魅力的な何かがあり、しかも完全に不可思議だ”と彼は言った。

多数のそのような疑問があるが、Maynardが登場する前より今では少なくなっている。と言うのは、彼の早期の成功が竜頭蛇尾でなく、素数と関連構造に関する一連の発見の最初だからである。今やMaynardは世界の主要数論学者達の一人だと目されている。

彼は“国際的に尊敬される数学者となる急な勾配の上昇軌道を持っている”とGreenは言った。

解析的数論に関する本を書いているGranvilleはMaynardが本の進捗を大いに遅らせていると文句を言った。“彼のせいで私は約150ペィヂを余分に追加しなければならなくなっている”とGranvilleは言った。

小さな合図

2020年01月に私はDenverにおける合同数学会議にMaynardと一緒に着席した。そこへはMaynardは数論におけるthe Frank Nelson Cole Prizeを受賞するために来た。この賞は公式的には一本の優れた論文に授与されるのだが、Maynardの場合において賞選考委員会は3つの論文を挙げることを我慢出来なかった。これらの3つの論文はすべて一流数学誌に掲載されている。

彼はDenver旅行のため一日半しか割当てなかったが、彼が英国から到着後たった一時間で私達は会ったけれども、彼の歩き方には活気があった。“私はまだアドレナリンが続いており、時差呆けはまだ私を襲っていない”と彼は小さな男の子らしい顔に満面の浮かべながら言った。スナプ写真のための姿勢を取らなければならなかった時を除いて、彼は私達の会話の間に喜んで笑みを浮かべた。“私はどういう訳か写真の中で適切な笑みを作れないと言われている”と歯を見せるしかめっ面をして彼は言った。

時間の許す限り、Maynardは写真を撮りながら街を歩き回ることを計画した。彼は研究のために訪れる多くの街にもっと共感するために写真を数年前に始めたが、それは強迫観念に変わっている。“私は夏に香港に行って、夜明けに三脚台を持って写真を撮る為に歩き回っていた”と彼は言ったが、彼は通常朝型人間である。

Maynardはこの病的な質をいつも持っており、子供の時に特徴的な恐竜、地質学、天文学的時期を経験した。“私は物事に適度な関心を持つことが非常に下手で、どういう訳か強迫観念的にならなければならないか、又は全く放棄するかである”と彼は言った。

Maynardは或る科目に一旦興味を持つと、能力の限界まで辿り着くまで止まらない傾向にあると彼の父Chris Maynardは言った。“だが、まだ彼は数学においてその時点に辿り着いていない。或る意味で、それが彼を引っ張っているのだと私は思う”。

Maynardの家族の中で他の人達が人間指向であっても(彼の両親は言語教師であり、彼の兄弟は歴史専攻だった)、彼はいつも数学の径にいる自分に気づいた。“各段階で、その時にどのように私が思っていたかによって、次の当然な歩みのように感じた”と彼は言った。

Oxfordでの大学院で、彼の尋常でない数学的知力が明らかになった。彼の博士課程の後半までに面接は指導関係と言うよりもずっと共同研究のように思ったと彼の指導教官であるRoger Heath-Brownは言った。“以前には、研究学生にそんな感触を持ったことが無い”と彼は言った。

MaynardがOxfordを去って1年間の博士研究員職のためthe University of Montrealに向かった時までに、素数間の間隔を理解する為の潜在的研究方法を検討し始めていた。原則として、数直線を昇って行くに連れて素数は疎らになる。しかし、いくつかの方法において素数も乱数の集まりのように振舞い、数学者達は平均よりもずっと近く若しくはずっと先に間隔があることに期待している。数学において最も有名な問題の一つは双子素数予想である。双子素数予想は11と13のように2つ違いの素数の対が無限に存在することを想定している。

Maynardは約半世紀前からの論文で描かれた素数ろ過のための方法を使用して、素数間隔を理解する上で進歩する可能性があると思った。数学者達が既にその手法を細かく研究している一方で、Maynardはその手法からまだもっと果汁を抽出出来るはずだと考えた。“私は計算とコンピュータ使用を続け、そこには理解され発見されるべき何かがあるという小さな合図を得ようと頑張った。私はどういう訳かそれに取り憑かれ、私が見たことを説明出来るやり方を思いつけるまで続けたかった”と彼は言った。

彼の博士号取得後の指導教官であるGranvilleはMaynardにこの径の追究を思い止まるように忠告した。“私は彼がやっていることに可能性があると全く信じなかった”とGranvilleは言った。しかし、“Jamesは私の非常な懐疑によって嫌気を起こさなかった。もっと言えば、彼はそれを笑っていただけだ”。

Maynardの探究の初期に、数論界において地震的出来事が起きた。Yitang Zhangと言う名前の無名数学者が完全な双子素数予想ではないが、次善な事柄を証明した。すなわち、せいぜい有界距離離れて(正確に言うと70 million)、無限に多くの素数対が存在することを示した。その発見はZhangに即座の栄光を勝取らせた。例えば、複数の勤め口の提供(the University of California, Santa Barbaraからのものを含む。そこでは今、彼は教員である)、招待講義、ニューズ物語ドキュメンタリ映画という形で。

その間に、Maynardは素数間隔を理解するための彼独自の研究方法について研究を続け、約6ヶ月後に洞察の閃きにおいて、彼はZhangのものとは完全に独立的で、ずっと力強い研究方法を思い付いた。せいぜい600の差で無限に多くの素数対が存在することを確立した。そして、Maynardの研究方法は素数対に対してのみならず、3重、4重、もっと大きい集まり(各々に対して異なる境界を有する)についても適用した。“結果はちょっと驚異的であり、余りにも良過ぎて本当だと思えないように見えた”とSoundararajanは言った。

そして実際、Maynardが最初に問題を解決した時、彼の幸福感の後に明らかな見落としがあったのではないかという恐れの波が続いた。幸いにも“結果が間違いなのではないかと突如怯える時に、私は尚更生産的に研究しているように感じる...何よりも怯えが私を奮い立たせる”と彼は言った。

GranvilleはMaynardが結果を書き上げた時、すべての詳細をはっきりさせるよう強く要求した。“誰も君のことを聞いたことが無いのだから、誰も君を信じようとはしない。誰も君に反駁出来ないようにするために、これを非常に上手く書かなければならない”と彼はMaynardに言った。

最終結果は“完全に素晴らしい”(とSoundararajanは言った)証明だった。

上述の経過の終わり近く、若き数学者の心臓部に恐怖をぶつけるかも知れない事柄が発生した。すなわち、MaynardとGranvilleはもう一人の数学者が本質的に同じ結果を同時期枠内に思いついたことを個人的に知った。そして、その人は単なる数学者ではなく、現代の最も多産で高く評価されている数学者達の中の一人、すなわちthe University of California, Los AngelesのFields賞受賞者Terence Taoだった。Taoと他の数学者達がZhangの証明における70-million境界を減らすために大規模な共同研究を形成した時に、問題が彼の目を引いた。

Taoは少しだけ知られている26歳が同じ事柄を証明していたことを知った時、自分の新しい結果に誇りを感じた。“そして正直に言うと、彼が詳細に書上げることから判断して、彼は実の所私がやったものよりも明確な結果を得ていた。彼は若干強い命題を証明した”とTaoは言った。Taoはとても若い数学者の業績を陰らせることを避けるために、気前よく自分自身の研究の発表を差し控えた。もし彼とMaynardが共著論文を書くならば、多くの数学者達が創造的研究の大部分をTaoがやったと当然思うであろうことを知っているからである。

Zhangが証明した結果が6ヶ月前であることの替わりにMaynardの6ヶ月後という代替時系列を想像することは容易い(その場合、Taoの探究はおそらく遅れているか、又は単に先手を打つかであろう)。その時は、栄光すべてがZhangに替わってMaynardに発生したであろう。だが、Maynardは事情がどのように繰り出すかについて羨望を感じない。“Zhangが彼の結果を証明した時、私はただ完全に興奮しただけだった。私が持つ一番の喜びは問題解決から来ている。だから、‘あぁ、これを少しばかり異なるようにやっておればなぁ’とは全く考えない”。

素数ゲィム

Maynardは度々眼鏡無しで家から研究室までぶらつくことを選ぶ。穏やかな視界の曇りは彼を数学に集中させるが、それは時にはGrantだと認識せずに彼女のそばを通り過ぎることがある。“そして、彼が思考に耽っていた時に私を見たと勘違いし、本当に本当に誇らしげに思って、私と全く似ていない、この人物にちょっと駆け寄った時があった”とOxfordで医者をしているGrantは言った。

Maynardはこれや他の少数の意味で上の空の教授という固定観念と一致する。例えば、彼は殆どいつも同じ格好の衣料品、すなわち開襟の白いシャツとジーンズを着ている。“私は明らかに最もファッション指向の人ではない”と彼はemailの中で書いた(一度戯れに、彼の講演に出席している数学者全員がMaynard流統一服を着用して登場した)。

しかし、彼も内向的数学者達に関する多くの紋切型表現を裏切っている。同僚達は彼のことを思いやりがあり、楽しいことが好きで、社交的だと言う。コロナ禍以前、彼は自分自身の珈琲豆を職場に持参して、昼食後毎日、他の数論学者達のために珈琲を淹れた。そして、数年前、Berkeleyにあるthe Mathematical Sciences Research Instituteで一学期間を過ごした時、彼が他の二人の若い数学者達と共同生活した家は“パーティ用貸会場”だったとHeath-Brownは言った(Maynardはそれに“数学者標準によるパーティ用貸会場”の資格を与えたけれども)。

新しい世代の数論学者達の多くがMaynardのおかげでもっと社交的だとGranvilleは言った。“彼はまぁその集団の中心にいる”。

Maynardが素数間の小さな間隔に関する彼の定理を証明した後、数論学者達は急いで彼の洞察を他の問題に応用した。現在までのところ、それをする最大の成功はMaynard自身から来ており、大きな素数間隔の的を絞る方法も解決した。それは以前まで75年より以上も重要な進展を見なかった推定を改善した。この新しい筋書きへのMaynardの彼の手法の適応は“私がこれまで数論で見た中で最も賢い芸当の一つだった”とGranvilleは言った。

“誰もが彼等の経歴に渡って、この種の2つの定理を証明したなら幸福を感じるだろうと私は言いたい”とSoundararajanは素数の小間隔及び大間隔に関するMaynardの結果に言及した。“大学院を丁度終えたばかりの彼がそれをやったという事実は瞠目すべきことだ”。

素数の小間隔物語の少し不安な反応の中で、Taoは再度大体同時に大体同じ結果を思い付いた(今回は、TaoがGreenと他の二人の共著者との共同研究だったけれども)。その時以降、MaynardとTaoの類似結果を思い付く傾向は数論界において内輪ネタになっている。Taoが一年か二年後にもう一つの長らく未解決の数論問題を解決した時、“非常に被害妄想になっていたことを憶えている。それで、Andrew [Granville]に‘今度ばかりはJamesが再度私を出し抜いていないことを心から願う’と頼んだ”と彼は言った。

その時以来、Maynardは彼が世界で最も有名な数学者達の一人のそっくりさんであるより以上の者であるという豊富な証明を数論界に与えて来ている。例えば、2019年に彼とKoukoulopoulosはDuffin-Schaeffer予想と呼ばれる殆ど80年間未解決の問題を解決した。Duffin-Schaeffer予想は分母のどの無限集まりが無理数をより良く近似する分数を製造するのかを問うている。“それは長らく近似の或る分野において追い求める究極のものである”とGranvilleは言った。

そして、数年前Maynardは素数に関する、おそらく説明することが極端に容易く、証明することが難しい問題と格闘し、数字7(又は任意の数字を選んで良い)を持たない素数が無限に多く存在することを証明した。7を持たない数は小さな数を見るならば豊富にある一方で、例えば1,000桁の数から見始める時、それらは殆ど稀であり、この疎らな数の集合が無限に多くの素数を含むことを証明することは簡単な問題ではない。“これは本当に長い間、人々が思い巡らしたものであり、誰も証明に近づかなかった”とHeath-Brownは言った。

この問題は10の他の底において意味を為し、Maynardは非常に大きな底に対する証明を思い付くことによって始めた。底が大きければ大きい程、この種の定理の証明は簡単になる。何故なら、単に0から9までの替わりに、例えば100万個の異なる数字を持つ底にいるならば、“7の数字が無い”という制限はより小さな影響しか持たないからだ。Maynardの大きな底に対する証明は“非常に優雅”だったとGranvilleは言った。

だが、Maynardは彼の定理を通常の底10で証明することに取り憑かれるようになった。“底10は数学的観点から言えば多少恣意的であるが、...日常生活において万人が通常話している底だ”と彼は言った。

彼は底1,000,000から始めて、底を減らし続けた。最初5,000まで、そして1,000、それから100。“私が考案出来るであろう議論が如何に洗練しているかについて、私自身との殆どゲィムだった。それはまるで、賭け事の機械やオンラインゲィムのように、やるたびに少しずつエンドーフィンが出てくるようなものだった”と彼は言った。

彼は長い間、底12で行き詰った。最終目的が彼の手に入らないことを恐れるに十分の長さだった。しかし、結局のところ底10まで行った。“殆ど足を引きずって線を超え、そして勝利を宣言して私は大変幸せだった”と彼は言った。

Maynardは底10に辿り着くために全ての種類の新しいアイディヤを発明しなければならなかった。“これは数学者として彼の断固とした尋常でない力強い能力を示している”とGranvilleは言った。

この貢献と他の成果が、数論学者達の間で興奮と期待の渦を巻き起こしている。“現時点で、解析的数論において、彼ほど世間を沸かせている人は他に思い当たらない”とHeath-Brownは言った。

“‘Maynardは次に何をしようとしているのか’と人々は思い巡らしている。すべてが可能に思える”と彼は言った。

。MaynardかっだEleanor Grantいtその数学者のキャリアに、その後も長く続く名声をもたらす。た最も重要なマシーン

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今回紹介するのは abc 予想の証明に関する最近の動向を伝えている記事です。 これを選んだ理由は素人衆が知ったかぶりに勝手なことを書いているのをネット上で散見するからです。ここで言う素人衆は日本のメディアはもちろんのこと、馬鹿サイエンスライターも当然含みます。昨年末(2017年12月16日)に某新聞が誤報に近いことを報道したことも記憶に新しいでしょう。そんな情報に振り回されないために今回の記事です。 今回の記事は正確かつ公平だと私は思いました。私の友人共の何人かは、この方面の専門家だから門外漢の私はいろいろなことを教えてもらいました。その上での感想です。 その方面の専門家でなくても数学の研究者なら望月論文は無理でもレポートは読めるはずなので、もっと詳しく知りたい人はレポートを読んで下さい。 前置きはこれくらいにして、紹介する記事は" Titans of Mathematics Clash Over Epic Proof of ABC Conjecture "です。その私訳を以下に載せておきます。 [追記: 2018年10月06日] ここに至るまでの経緯については" 数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明 "を読んで下さい。その記事は2015年12月にオックスフォードで行われた望月論文に関する初めての国際的ワークショップより前の話が書かれています。 このワークショップはいろいろ評価が分かれるけれども、私が聞く限り、大失敗だと言う人が多いです。実際、私の海外の知人の一人がワークショップに参加しており、ボロクソに言ってました。 このワークショップを境に、海外特に米国では望月論文を理解しようとする熱意が急速に薄れたように感じますし、ショルツ、スティックス両博士の異議申し立てが出るまで実質何の音沙汰もない状態でした。 [追記: 2018年10月23日] 私の友人共に指摘されたのですが、この記事の私訳を読む人の殆どが日本の全くのド素人なんだから、たとえ原文に記載されていなくても誤解を生じさせないように訳者が万全を期するべきだと言われました。 記事に出て来る Publications of the Research Institute for Mathematical Sciences (略してPRIMS)...

数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明

前回紹介した" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "はもちろん一般大衆向けの記事です。数論、数論幾何学、IUTT(宇宙際タイヒミュラー理論)のいずれかの専門家なら、そんな記事を読まなくても、そこまでに至る経緯は十分に承知しています(何故なら自分達の飯の種を左右する問題だから)。その方面の専門家でなくても数学研究者なら数学コミュニティ又は数学界を通して大概の経緯を聞き及んでいます。 私の身辺(私の友人共はすべて何らかの形で数学研究に携わっているので、それらを除きます)でその記事を読んだ感想は"そんなに拗れるのは不思議だ。もっと経緯を知りたい"というのが多かったです。その身辺の彼/彼女等はもちろん素人衆ですので、望月新一博士の名前も報道でしか聞いたことがないし、数学で何故これほどまでもつれるのか不思議でならないそうです。彼/彼女等は至って真面目です(何故こういう事を書くかと言うと、素人衆と言っても千差万別で、中にはネット上で国家高揚か日本民族高揚のために望月博士のことを書いているとしか思えない不逞の輩がいるからです)。そこで、それらの真面目な人達のために今回紹介するのは2015年10月の Nature 誌に載っていた" The biggest mystery in mathematics: Shinichi Mochizuki and the impenetrable proof "です。 何故これを選んだかと言うとエンターテイメント性があり、素人衆でも面白く読めるだろうと思ったからです。但し断っておきますが、いろいろな数学者の証言を繋ぎ合わせて望月博士の心情を勝手に推測するのははっきり言って妄想であり、さすがエンターテイメント性を重視して堕落した Nature 誌だけのことはあると私は思いました(あのSTAP論文を掲載したことも記憶に新しいでしょう)。 その私訳を以下に載せておきます。 [追記: 2018年10月06日] この記事は2015年12月に行われたオックスフォードでのワークショップより前の話です。このワークショップは望月論文に関する初めての国際的な会合で、この記事でもこのワークショップにかなりの期待を寄せているところで終わっています。 しかし、いろいろ評価が分かれ...

谷山豊と彼の生涯 個人的回想

数学に少しでも関心のある人なら、フェルマーの最終予想が、これを含む一般的な志村予想を証明することによって解決されたことは御存知でしょう。この志村予想は、かって無知と誤解によって谷山-志村予想と呼ばれていました。外国では更に輪をかけて(と言うよりもアンドレ・ヴェイユの威光によって)谷山-志村-ヴェイユ予想と呼ばれていました。ヴェイユがこの予想に何ら関係しないことは、故サージ・ラング博士によって実証されました。それでも、谷山-志村予想もしくは谷山予想と呼ぶ人がまだ散見されます(散見と言いましたが、日本人ではかなり多いです。国民性に依存するのかどうか知りませんが)。私は数論を専攻したことがなく、ずぶの素人ですが、志村博士が書かれた記事や自伝"The Map of My Life"を読み、何故志村予想なのか納得しました。ここで込入った話を書くことは不可能なので、分り易く言えば、故谷山氏は何ら予想の内容にタッチしていないと言ってもいいかと思います。勿論、その周辺は谷山氏の研究分野でしたから周辺にはタッチしていたでしょうが、志村博士は全く独立にきちんと予想を定式化しました。ですが、谷山氏と志村博士はいわゆる盟友関係であり、また谷山氏の不幸な亡くなり方を悼む日本人的感情(つまり、センチメンタル)から日本人は谷山-志村予想と頑なに呼んでいるのだと私は理解しています。ですが、これは数学なのであり、事実を直視しなければいけないと思います。また、最終的に志村予想は証明されたのですから、何とかの定理と呼ぶべき時期だと思います。この"何とか"に何を冠するかはいろいろ意見があるようですのでこれ以上は触れないでおきます。 さて、志村博士の"The Map of My Life"の第4章、18節に"18. Why I Wrote That Article"があります。ページ数で言えば145ページ目です。タイトルが示している"あの記事"とは、志村博士が英国の専門誌 Bulletin of the London Mathematical Society に発表した" Yutaka Taniyama and his time, very personal recollections ...

識別の危機

昨年紹介した" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "の元記事はもちろん大衆向けのオンライン科学ジャーナル Quanta Magazine に掲載されたものですが、著者はErica Klarreich女史です。彼女はサイエンスライタではあるけれども、歴とした数学者です。しかも、幾何的トポロジで彼女の名前を冠した定理を持つくらいの立派な方です。何故こういうことを書くかと言うと、IUTを支持するイヴァン・フェセンコ博士がKlarreich女史をいかにも素人呼ばわりした非常に下らないドキュメントを書いたからです。大学にポストを持っていなければ全員が素人なんですかと問いたいくらいです。これでは世界からIUT自体が白眼視されるのも無理からぬことだと思いました(本当のところは全く違う理由からなんですが、話せば切りが無いので止めておきます)。 さて、今回紹介するのはディヴィド・マイケル・ロバース博士が書いた記事" A Crisis of Identification "です。ロバース博士と言えばショルツ、スティクス両博士のリポートが公開された直後からキャテグリ論の専門家として非常に冷静な分析をされていたことに私は感心してましたから直ぐに記事を読みました。一つの不満を除いて非常によく書けていると思います。" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "も勿論読み応えのある立派な記事でしたが、どちらかと言うとドキュメンタリ風の記事でしたし、読者層が一般大衆であることを考慮してあまり数学を前面に出していませんでした。ロバース博士の記事はもう完全に数学を前面に出しています。 前述した一つの不満はグロタンディーク氏のことにスペィスを割いて結構触れていることです。今のABC予想の置かれている状況とはあまり関係がないと私は思いました。やはり大衆受けを狙ったのかと感じました。まぁ、日本でも素人には何故かグロタンディーク氏は大人気ですから(捏造されたエピソゥド、つまりグロタンディーク素数がどうたらこうたらに踊らされて?)、それはそれで良いのかも知れませんが。 前置きはこれくらいにして、この記事の私訳を以下に載せておきます。なお著者の注釈欄を省いていますが、注釈へのインデクスはそのままです。 [追...

数学教育について

聞くところによれば、関数型プログラミング言語の流行とともに数学の圏論がブームだそうで。圏の概念が他の数学の分野を全く知らない人でも意味が分かるのか疑問を持っています。その理由は後で述べます。 私の手許に故Serge Lang博士の名著"Algebra"があります。この本は理由があって、何と大昔の1974年の初版第6刷です。非常に貧しい学生だった私に恩師が2冊持っているからと言って1冊を下さり、私の生涯の宝物です。 仮に数学を代数学、幾何学、解析学という全く意味が無い区分けをしたとします。意味が無いと言うのは、例えば多様体論なんかはどの分野にも入るからです。そうであっても無理に区分けしたとしましょう。この3分野のうちでも、代数学(厳密に言えば抽象代数学です)が、勉強するだけなら(あくまで勉強するだけですよ、研究となれば別の話です)数学的予備知識も数学的センス(故小平邦彦博士の言うところの"数覚"、位相群で有名だった故George W. Mackey博士の言うところの"数学的成熟度"、まぁ簡単に言えば数学的才能ですね)も全く必要としません。必要なのは論理を追うための忍耐力と言えます。ですから、理解出来るか否かは別にして、代数構造を"言葉"として吸収することは誰にでも出来ます。数学のどの分野を専攻してもLang博士の"Algebra"程度の知識は"言葉"として知っていなければ話にならないのです。数学での代数学は、私達が日本語や英語等でコミュニケーションするのと同じく、数学の言語なのです。 Lang博士の"Algebra"には、第1章群論の第7節に早くも"圏と関手"が登場します(ページで言えば25ページ目です)。ついでながら、この圏、関手という日本語は全く元の英語が想像出来ないので、以降カテゴリ、ファンクタと書きます。 ところで、Lang博士はブルバキにも入っていた人ですから、こういう抽象度が高い概念を重要視しているかと思いきや、決してそうではないのですね。元々カテゴリ、ファンクタ(ファンクタの方が重要な概念でして、カテゴリはファンクタが扱う対象物です)は、ホモロジー代数の一部として提案された概念です。ホモ...