スキップしてメイン コンテンツに移動

爆撃されるユクレインの諸大学からの声

 位相空間𝙓が連結であるとは、𝘼≠∅, 𝘽≠∅, 𝘼⋂𝘽=∅となるような、どんな開集合𝘼と𝘽を持って来ても、𝙓≠𝘼∪𝘽が成り立つことです。これは位相の講座を履修したことのある人なら誰でも知っていることでしょう。ところが、前述のような𝘼と𝘽が閉集合であっても同じことが成り立ち、更にもっと簡略な言い方をすれば、開集合且つ閉集合であるような集合は𝙓と∅以外に存在しないことと言ってもいいことを何回説明しても理解出来ない学生がいると友人共の一人から聞きました。そこで、これに関して少しばかり解説しておきます。𝙓が連結でないなら、𝘼⋂𝘽=∅となるような空でない開集合𝘼と𝘽があって、𝙓=𝘼∪𝘽となります。これを、ここでは𝙓は空でない開集合𝘼と𝘽に分離されると言うことにします(正式な言い方なのかどうかは知りません)。先ず最初に𝙓が開集合に分離されていると仮定すると定義により、開集合𝘼と𝘽があって、𝘼≠∅, 𝘽≠∅, 𝘼⋂𝘽=∅, 𝙓=𝘼∪𝘽となります。ここで𝘼と𝘽は各々開集合なので、(𝙓∖𝘼)と(𝙓∖𝘽)は各々閉集合です。ところが、(𝙓∖𝘼)=𝘽, (𝙓∖𝘽)=𝘼なので、𝙓=𝘼∪𝘽=(𝙓∖𝘽)∪(𝙓∖𝘼)。結局、開集合に分離されることは閉集合に分離されることになります。その逆、つまり閉集合に分離されるならば開集合に分離されることも、𝘼と𝘽が各々閉集合だと始めに仮定して、先程の説明の中の開集合と閉集合の役割を交換すれば同様に成立します。開集合に分離されることと閉集合に分離されることが同値なので、開集合に分離されないことと閉集合に分離されないことが同値ということになります。以上で、分離されないこと、すなわち連結の定義の中の開集合を閉集合で置換えても問題ないことが分かったでしょう。次に、先程の説明をよく見るならば、𝘼と𝘽が開集合且つ閉集合であり、それらは𝙓でも∅でもありません。𝘼と𝘽のような開集合且つ閉集合が存在するなら、開集合(又は閉集合)に分離される、すなわち連結でないことを意味します。逆に連結でないこと、すなわち開集合(又は閉集合)に分離されるならば、𝙓でも∅でもない𝘼と𝘽のような開集合且つ閉集合が存在することも先程の説明を見れば明らかでしょう。すなわち、連結であることは𝙓と∅以外に開集合且つ閉集合が存在しないことと同値です。

正直言って、こんな自明な事柄をここまで嚙み砕いて細かく説明を書くのは私も初めてです。おそらく、どのtext本でもここまで嚙み砕いた説明は無く、ほぼ自明なように書かれているように思います。友人も私も学生時代にはこんな自明なことで悩まなかったことは事実です。しかし、友人がその学生に何回説明を試みても理解して貰えなかったことを聞いて思うのは、友人がどこまで嚙み砕いて説明したのか分かりませんが、その学生が自分の頭で真剣に考えたのだろうかと疑念を持ちます。真剣に考えて、通常の知性の持ち主であれば上述の説明に必ず辿り着くはずです。真剣に考えても分からないのであれば、理工系学部から文系学部へ転部するか、それとも通常の知性が無いのだから文系学部でもついて行けるかどうか甚だ心許ないので、中退して早く社会に出た方が身のためかも知れません。

さて、ここで話は変わります。私の一友人の知人の中に在日ラシュン人がいます。そのラシュン人は来日してから十年以上はとうに経つのですが、未だに日本語を勉強する気が無く、私の友人とは英語でやり取りしているそうです。日本国のユクレイン支援に苛立ったのか、そのラシュン人は日本人及び日本国の悪口を処かまわず喚いているらしいです。温厚な友人もさすがに注意しなければと考え、While in Japan, you should do as the Japanese do. If not, go back to your homeland. と言ったら、逆にラシャのユクレイン侵攻は大日本帝国が中華や朝鮮半島に侵攻したことと全く同じであり、そんな国の日本人には言われたくないわとかどうたらこうたら反論されました。そのことを聞いて、前に紹介した“ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する”の[追記: 2022年05月11日]で私が書いたことを思い出しました。そのごく一部を以下に抜粋します。

Last but not least, I'd like to say this to Russians, especially Russians not living in their homeland: never forget that it's none other than Russians (including Putin) that are getting Russia isolated from the world.

私にも何人かのラシュン人の知人達がいますが、一般的なことを言えば、彼等は今の日本国を独立国家と思ってません。北方領土云々の前に、日本人はこのことを真剣に考える必要があるでしょう。つまり、ラシュン人は独立国家でない相手とどう交渉すればいいのかと言うわけです。そして、ユクレインについてもラシュン人は独立国家と思ってないが故に侵攻したのかも知れません。今回紹介する記事は侵攻されたユクレインの数学者達の生の声を取上げているVoices from the Bombed Universities of Ukraineです。その私訳を以下に載せておきます。

爆撃されるユクレインの諸大学からの声

2023年06月 Masha VlasenkoEfim Zelmanov

KyivとKharkivの国立大学はラシャのミサイォゥにより深刻な被害を受けている。私達はこれら二つの大学に勤務する数学者達をインタヴューした。Oksana BezushchakはKyivのthe Taras Shevchenko国立大学において数学と力学の学部長である。Sergey GefterはKharkivのthe Vasyl Karazin国立大学において基礎数学[訳注: 原文は“Pure Mathematics”ですが、脳天気な純粋数学という訳を避けて、あえて基礎数学という訳にしました]部長である。Volodymyr Kadetsは同学部の教授であるが、2022年03月の市への砲撃の間に負傷した。

i) 貴方達の大学の破壊について話していただけますか?何らかの再建がありますか?この過程に学生達や教員達が参加しますか?貴方達の見解で、再建がどれくらい時間がかかりますか?

Bezushchak: Kyiv大学の建物は複数回ラシャのミサイォゥに攻撃されて来ている。これまで最も恐ろしい攻撃は12月31日に起きたが、13の建物が大損害を受けた。後で教授達、学生達、ヴォランティア達が沢山の破損した硝子、廃棄物、瓦礫を片付けた。私達は国と経済が困難な時代に生きているのだから、大学の再建は私達自身以外に頼るものがない。多くの学生達は清掃や後片付けの汚れ作業を手伝っている。教授達は休暇の間に電動のこぎりを使い、合板の覆いで損傷を覆った。私達が頼れるのは学生達、卒業生達、教授達、後援者達だ。それでも、多くの無垢の命を救った住居建物を保護し安全にしたのだから、私達は大学を誇りに思う。修復の第一段階の準備と開始のために私達は全大学コミュニティから資金を既に調達している。引き続く崩壊と更なる出費を避けるために早急に修復することが肝要であるから、出来るだけ多くの損傷に適用出来る更なる資金を私達は調達しようと頑張っている。私達の奮闘努力を支援する多くの海外協力国に感謝する。

Gefter: 2022年02月24日の早朝にラシュン連邦は既にKharkiv大学の物理学と工学の学部建物をミサイォゥ攻撃し、重大な崩壊を引き起こした。経済学部の建物、公共事業運営研究所、スポーッ施設、銀行業務研究所、大学診療所が崩壊した。図書館、自然博物館、寄宿舎を含む他の建物と建造物は深刻な損傷を被った。大学の主要建物においては、大きな損傷があり、窓の大半が失われている。Kharkiv大学副学長Anatoly Babichev(数学力学部の卒業生)によれば、大学の基幹施設に対する損害は予備的に一億$を超えると見積もられている。勿論、大学の予算でこれを支払うのは不可能だ。その上に、Kharkivにおいてミサイォゥ攻撃が続いているので、完全再建は非現実的だ。学生達、教授達やその他の大学職員は構内をほぼ通常状態にすることに取組んでいる。つまり、彼等は硝子を片付け、素人として出来るものを修理し、窓を塞ぎ、瓦礫を撤廃し、修復可能な器具を取り外した。再構築過程は時間がかかるし困難だが、これすべてが勝利の後になる。

ii) 戦争はユクレインにおける数学的活気にどのように影響してますか?爆弾下で教えられますか?

Kadets: 戦争が他のユクレイニヤン人の生活に影響しているのと同様に、数学者達の生活にも影響している。すなわち、損失、心的外傷、他の都市や他国への緊急転居。数学者達、特に“基礎”[訳注: 原文は“pure”ですが、脳天気な純粋という訳を避けて、あえて基礎という訳にしました]数学者達は彼等の研究の本質により他の科学者達と比べて恵まれた立場にある。それらの数学者達は研究に何らかの設備を必要としないからだ。主要なことは興味深い問題と研究したいという内面的衝動だ。個人的に私にとって戦争の間、この内面的衝動が減って来ている。私は殆ど集中出来ず、現状のニューズや毎日の問題から注意を逸らすことが出来ない。

教務については、攻撃のあった日に運営陣が大学運営を一時停止し、約一か月私達は働かなかった。大規模戦争の始めからKharkivは非常な砲撃下にあったから、一時停止は大変賢い決定だった。戦闘は郊外で行われ、最初の数日に敵の小集団が市に侵入した。私は家の窓の直下で戦闘の小競り合いを目撃した。大学のいくつかの建物は実際に破壊された(物理・工学部が最悪な被害だった)。中心建物が損傷し、それが大学のサーヴァの閉鎖となり、結果として大学のウェブサイッの閉鎖となった。

学級は03月の終わりに再開した。その時まで、多くの教員達と学生達は他の安全な場所に避難したが、それらの新しい場所において彼等はアクセスが制限され、厳しい生活条件があった。私は怪我のため病院にいたから2クラースを休講した。09月に私達はZoomを使って教えることに戻ったが、パァンデミクの間にそれには慣れていた。その時、私の妻と私はイズレィォゥへ去ったから、私はもはや“爆弾下”にいなかった。学生達は直近の危険のみならず、ラシュン砲撃によって引起される日常的停電、暖房に関する問題、等々のために暮らし向きがもっと悪かった。多くの学生達が完全に異なる状況を持つ時に、快適な条件と安全保障の中で私は教えることに気恥ずかしさを感じる。

Bezushchak: オンラインであろうがなかろうが、貴方が講義を受けていると想像せよ。そして、続けざまに何度も騒音が耳に入り、それがとても大きな音だから無視出来ない。集中し作業を続けることが簡単だろうか?今、それらの騒音が貴方の命、又は貴方の愛するまたは世話する誰かの命を終わらせる可能性があると想像せよ。貴方の集中力はどうか?そして、それを別にしても、次の騒音の後に貴方達の電気が一時間、一日、又は一週間無くなるとは誰が知ろう。普段通りに何かの作業を実行出来るか?貴方が決めることだ。

状況に関係無く、教授達と学生達の両方が困難を対処するため最善を尽くし、私達の出来る最善を尽くして未来の専門家達を教えている。

Gefter: 戦争はユクレインにおける生活面全体を変え、特に数学的活気に根本的に影響した。侵攻の最初の数ヶ月の間、多くのユクレイニヤン数学者達は研究するための機会を殆ど持てず、彼等の活気は彼等の、そして彼等の親族の物理的生残りに費やされた。何人かの数学者達は結局は占領下の地域に入った。Kharkivからかなりの数の数学者達がユクレインのもっと安全な場所へ、又は国境の外側へすらも移ることを余儀なくされた。勿論、多くの科学的コンフレンスが中止又は延期された。ただ今、戒厳令の異常なる状況の下で、研究は続き、オンライン研究会は保っている。数学と情報科学の学部は学校生徒達と活発な活動を続けている。2023年01月に学部は全ユクレイニヤンInternet数学五輪を組織した。学生五輪の地方大会と数学の若年学士院の地方大会が春に開催される。

2022年03月の終わりに、学級は遠隔の形式で再開した。電力とインターネッの停電期間は勉強し研究したい人々にとっては克服出来ない障害ではない。ロケッ弾砲撃、大砲の発射、迫撃砲の発射の下で、教え研究することは簡単ではない。Kharkivに留まっている何人かの学生達は爆撃避難場所からオンライン学級に参加した。時には空爆の間、学級は停止し延期しなければならなかった。激しいロケッ攻撃の後で、電気とインターネッはしばしば長期間切断された。この場合、学級と相談は延期された。かくして、教育課程は実際には止まっていない。

iii) 数学コミュニティが手伝えることがありますか?

Kadets: 大規模戦争の最初の数日から、個人的に私は数学コミュニティの支援を感じた。多くの国々(バォゲリヤ、中国、チェキヤ、独逸、英国、ハンガリ、印度、イズレィォゥ、伊太利、ポゥランド、スペイン、米国、他に漏れていたら御免なさい)の私の同業者達から支援の言葉、避難場所や臨時職に関する感動的な申し出のレタを受けた。この精神的支援は重要だったから私はそれに対して皆さんに感謝する。ところで、ラシャで働いている同業者達からは誰も“無事か”すら尋ねて来なかった...その次に、海外に行ったユクレイニヤン科学者達に助成金を与える様々な計画が登場し始め、学生達にとって外国の大学で研究する機会が出現し始めた。私達が不足しているのはユクレインに留まっている数学者達と大学教員達に対する援助だ。有名数学者達がそのような援助に頼れるのみならず、普通の教員達も頼れるならば素晴らしいだろう。教員達の多くが困難な状況にあり、彼等がいなければ教育システムの崩壊は避けられない。

Bezushchak: 援助出来るだろうのみではない。援助は既に始まっている!ユクレイニヤン避難民を支援しようと頑張っている多くの国々からの数学者達に私達は深く感謝する。国際数学連合は戦争反対の抵抗を示してICM-2022をSt. Petersburgから移した。今年、四人の著名数学者達、すなわちPavel Etingof (MIT), Roman Vershynin (University of Texas), Maryna Viazovska (EPFL), Efim Zelmanov (University of California)が自発的に彼等の最善を尽くした。つまり、ユクレイニヤン数学者の若い世代を教えた。新入生達が二人のFields賞受賞者達[訳注: Maryna Viazovska博士とEfim Zelmanov博士のことを指します]から同時に教わるのは今までで初めてのことかも知れない。試験と議論は学部により行われた。

聡明で非常な才能を持つ若き数学者Yulia Zdanovskaがいた。彼女は才能ある10代に数学を教えた。彼女が大きな役割を担った事業の一つは“ユクレインのために教えよ”と呼ばれた。残念なことに、その人を失うまで、その人の影響力を本当の意味で誰も理解出来ない。Yulia Zdanovskaは彼女の故郷Kharkivでラシュン人達に残酷に殺された。今、私達の学部の住所はYulia Zdanovska通りとなっている。

Pavel EtingofがYuliaと彼女の事業を知り、ユクレインの才能ある高校生のためのMIT-資金援助事業を開始した。しばらく前は、彼自身がユクレインの才能ある高校生だった。

Gefter: 現代において、大学コミュニティ全体と同様に、大学の数学者達は援助を必要とする。長期間の電力供給停止の状況下で、学級を運営すためには更なる設備が必要だ。教員達と学生達にとって、15から20のラァプトプとそれに相当する電力貯蔵設備を緊急に必要とする。Mapleの最新版(オンラインとデスクトプ版)のライセンスパァキチ”を得られたら喜ばしい。

iv) 科学に政治を混ぜるべきではなく、数学活動は通常の通り行われるべきだという意見があります。それについて何を思いますか?

Kadets: この状況で“政治”という言葉はどことなく私を悩ませる。政治は意見の相異が大事だ。住居地域への砲撃、殺人、強盗、人を虐待することは犯罪である。犯罪への態度も政治的選択ではなく、共犯か犯罪抑制かの選択だ。

質問の本質について言うと、“通常の通り”とは何について話しているのか?例えば、今、ラシャ国内で国際的な科学コンフレンスを組織することを想像出来るだろうか?この種の何らかの催しは事実上ラシュン政府の支援だろう。一流ラシュンジャーノゥの資金は政府から来ている。これらの環境下で私達はそこにどのように発表出来るであろうか?

Bezushchak: スポーッや芸術等と同様に科学も政治から分離されるべきであるという共通信念がある。それはこれらの活動が国々を協力させ、愛と統合を拡大させる指針であるはずだと言っている。だが、私達の数学者達は国を守るために武器を取っている。私達の若き学生達がミサイォゥ発射の結果として死んでいる。そして、避難場所に座っている人々は生き埋めになることを恐れている。諸事がそんな風に進んでいる時に、通常の人間は何も起きないふりをして傍観出来るはずがない。戦争について個人的意見がどうであれ、ラシャは私達を殺し続ける。後は個人の道義心の問題である。要するに、ユクレインの欧州的繁栄の未来を形成するために次世代のユクレイニヤン人を育てる私達の使命を実行し続ける。

Gefter: 私はこの意見に賛同するが、ユクレインでは殆ど誰も戦争を政治だと呼べない。従って、残念ながらユクレインにおける数学活動は長期間普通のように進まないだろう。

[訳注: 対面的インタヴューはここまでのようです]

最後の質問は戦場で国を防衛する科学者達に宛てたものだ。私達はKyiv大学の二人の数学教授から回答を受取った。Oleksiy Kapustyanは若年研究者のためのユクレイン大統領賞とユクレイン国立学士院賞の受賞者である。彼の研究関心は力学系と微分方程式の分野にある。Oleksiyは2022年03月03日にユクレイン国軍に入隊した。2022年04月から05月の間に、彼はLuhansk地域にあるPopasna付近の戦闘に参加した。2022年08月、入院生活の後にOleksiyは健康状態のため除隊した。09月に大学で研究を再開した。2022年12月にOleksiyは積分及び微分方程式の部門長に選出された。Anton Ryzhovの研究分野は生物統計学、ディタ解析、癌の疫学、最適制御である。2022年02月25日時点で、Antonはユクレイン領土防衛隊(ユクレイン国軍の予備役軍)の将校である。彼は2022年11月までKyivで兵役を務めた。2022年12月時点、AntonはDonetsk地域にあるBakhmut付近で戦闘している。

v) 貴方は数学者です。何が貴方に武器を取らせ、貴方の命を危険に晒させているのですか?

Kapustyan: 職業数学者、典型的な大学経歴、そして突如のライフォゥ銃小隊の軍司令官。何が私にこの歩みを取らせているのか?一つの理由を選出するのは困難だ。2022年02月24日のあの日、私は他の皆と同じく途方に暮れた。簡単には起こるはずがないことが発生した。すなわち戦争だ。おそらく、分析する習性が私の感情に勝り、重要なアィディヤ又は戦略に光を当てることを手伝った。つまり、何をすべきか分からないなら、しなければならないことをせよ。その後は、すべてのことが単純になった。私の家族、私の愛しい人達を守ること、武器で私の家庭を防衛することがすべき正しい事柄、これらの初期条件の下で唯一の解であることを理解した。

Ryzhov: そう、私は数学者だ。だが、私は一父親、一息子、一ユクレイニヤン国民でもある。強力で非常に残忍な敵が愛するものすべてを破壊しようとする時に、決断するのに余裕な時間は無い。戦争の殆ど最初の数日から前線にいて、可能な限り多くの数学的訓練を使っている。私の大学の同僚達が私及び私の隊に与えてくれている支援全体に私は感謝する。一致団結こそが勝利となることを私達は信じる。しかし、西側諸国からの友人達がこの戦争に私達を勝たせるためにユクレインに送ってくれている備品、機器、物資すべても私は見ている。勝利の後に私は教室に戻り、一時中断している計画を続け、新しい学級を教え始めることが出来る。それが私の最も恋しいことである。

コメント

このブログの人気の投稿

ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する

今回紹介するのは abc 予想の証明に関する最近の動向を伝えている記事です。 これを選んだ理由は素人衆が知ったかぶりに勝手なことを書いているのをネット上で散見するからです。ここで言う素人衆は日本のメディアはもちろんのこと、馬鹿サイエンスライターも当然含みます。昨年末(2017年12月16日)に某新聞が誤報に近いことを報道したことも記憶に新しいでしょう。そんな情報に振り回されないために今回の記事です。 今回の記事は正確かつ公平だと私は思いました。私の友人共の何人かは、この方面の専門家だから門外漢の私はいろいろなことを教えてもらいました。その上での感想です。 その方面の専門家でなくても数学の研究者なら望月論文は無理でもレポートは読めるはずなので、もっと詳しく知りたい人はレポートを読んで下さい。 前置きはこれくらいにして、紹介する記事は" Titans of Mathematics Clash Over Epic Proof of ABC Conjecture "です。その私訳を以下に載せておきます。 [追記: 2018年10月06日] ここに至るまでの経緯については" 数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明 "を読んで下さい。その記事は2015年12月にオックスフォードで行われた望月論文に関する初めての国際的ワークショップより前の話が書かれています。 このワークショップはいろいろ評価が分かれるけれども、私が聞く限り、大失敗だと言う人が多いです。実際、私の海外の知人の一人がワークショップに参加しており、ボロクソに言ってました。 このワークショップを境に、海外特に米国では望月論文を理解しようとする熱意が急速に薄れたように感じますし、ショルツ、スティックス両博士の異議申し立てが出るまで実質何の音沙汰もない状態でした。 [追記: 2018年10月23日] 私の友人共に指摘されたのですが、この記事の私訳を読む人の殆どが日本の全くのド素人なんだから、たとえ原文に記載されていなくても誤解を生じさせないように訳者が万全を期するべきだと言われました。 記事に出て来る Publications of the Research Institute for Mathematical Sciences (略してPRIMS)

数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明

前回紹介した" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "はもちろん一般大衆向けの記事です。数論、数論幾何学、IUTT(宇宙際タイヒミュラー理論)のいずれかの専門家なら、そんな記事を読まなくても、そこまでに至る経緯は十分に承知しています(何故なら自分達の飯の種を左右する問題だから)。その方面の専門家でなくても数学研究者なら数学コミュニティ又は数学界を通して大概の経緯を聞き及んでいます。 私の身辺(私の友人共はすべて何らかの形で数学研究に携わっているので、それらを除きます)でその記事を読んだ感想は"そんなに拗れるのは不思議だ。もっと経緯を知りたい"というのが多かったです。その身辺の彼/彼女等はもちろん素人衆ですので、望月新一博士の名前も報道でしか聞いたことがないし、数学で何故これほどまでもつれるのか不思議でならないそうです。彼/彼女等は至って真面目です(何故こういう事を書くかと言うと、素人衆と言っても千差万別で、中にはネット上で国家高揚か日本民族高揚のために望月博士のことを書いているとしか思えない不逞の輩がいるからです)。そこで、それらの真面目な人達のために今回紹介するのは2015年10月の Nature 誌に載っていた" The biggest mystery in mathematics: Shinichi Mochizuki and the impenetrable proof "です。 何故これを選んだかと言うとエンターテイメント性があり、素人衆でも面白く読めるだろうと思ったからです。但し断っておきますが、いろいろな数学者の証言を繋ぎ合わせて望月博士の心情を勝手に推測するのははっきり言って妄想であり、さすがエンターテイメント性を重視して堕落した Nature 誌だけのことはあると私は思いました(あのSTAP論文を掲載したことも記憶に新しいでしょう)。 その私訳を以下に載せておきます。 [追記: 2018年10月06日] この記事は2015年12月に行われたオックスフォードでのワークショップより前の話です。このワークショップは望月論文に関する初めての国際的な会合で、この記事でもこのワークショップにかなりの期待を寄せているところで終わっています。 しかし、いろいろ評価が分かれ

谷山豊と彼の生涯 個人的回想

数学に少しでも関心のある人なら、フェルマーの最終予想が、これを含む一般的な志村予想を証明することによって解決されたことは御存知でしょう。この志村予想は、かって無知と誤解によって谷山-志村予想と呼ばれていました。外国では更に輪をかけて(と言うよりもアンドレ・ヴェイユの威光によって)谷山-志村-ヴェイユ予想と呼ばれていました。ヴェイユがこの予想に何ら関係しないことは、故サージ・ラング博士によって実証されました。それでも、谷山-志村予想もしくは谷山予想と呼ぶ人がまだ散見されます(散見と言いましたが、日本人ではかなり多いです。国民性に依存するのかどうか知りませんが)。私は数論を専攻したことがなく、ずぶの素人ですが、志村博士が書かれた記事や自伝"The Map of My Life"を読み、何故志村予想なのか納得しました。ここで込入った話を書くことは不可能なので、分り易く言えば、故谷山氏は何ら予想の内容にタッチしていないと言ってもいいかと思います。勿論、その周辺は谷山氏の研究分野でしたから周辺にはタッチしていたでしょうが、志村博士は全く独立にきちんと予想を定式化しました。ですが、谷山氏と志村博士はいわゆる盟友関係であり、また谷山氏の不幸な亡くなり方を悼む日本人的感情(つまり、センチメンタル)から日本人は谷山-志村予想と頑なに呼んでいるのだと私は理解しています。ですが、これは数学なのであり、事実を直視しなければいけないと思います。また、最終的に志村予想は証明されたのですから、何とかの定理と呼ぶべき時期だと思います。この"何とか"に何を冠するかはいろいろ意見があるようですのでこれ以上は触れないでおきます。 さて、志村博士の"The Map of My Life"の第4章、18節に"18. Why I Wrote That Article"があります。ページ数で言えば145ページ目です。タイトルが示している"あの記事"とは、志村博士が英国の専門誌 Bulletin of the London Mathematical Society に発表した" Yutaka Taniyama and his time, very personal recollections "

識別の危機

昨年紹介した" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "の元記事はもちろん大衆向けのオンライン科学ジャーナル Quanta Magazine に掲載されたものですが、著者はErica Klarreich女史です。彼女はサイエンスライタではあるけれども、歴とした数学者です。しかも、幾何的トポロジで彼女の名前を冠した定理を持つくらいの立派な方です。何故こういうことを書くかと言うと、IUTを支持するイヴァン・フェセンコ博士がKlarreich女史をいかにも素人呼ばわりした非常に下らないドキュメントを書いたからです。大学にポストを持っていなければ全員が素人なんですかと問いたいくらいです。これでは世界からIUT自体が白眼視されるのも無理からぬことだと思いました(本当のところは全く違う理由からなんですが、話せば切りが無いので止めておきます)。 さて、今回紹介するのはディヴィド・マイケル・ロバース博士が書いた記事" A Crisis of Identification "です。ロバース博士と言えばショルツ、スティクス両博士のリポートが公開された直後からキャテグリ論の専門家として非常に冷静な分析をされていたことに私は感心してましたから直ぐに記事を読みました。一つの不満を除いて非常によく書けていると思います。" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "も勿論読み応えのある立派な記事でしたが、どちらかと言うとドキュメンタリ風の記事でしたし、読者層が一般大衆であることを考慮してあまり数学を前面に出していませんでした。ロバース博士の記事はもう完全に数学を前面に出しています。 前述した一つの不満はグロタンディーク氏のことにスペィスを割いて結構触れていることです。今のABC予想の置かれている状況とはあまり関係がないと私は思いました。やはり大衆受けを狙ったのかと感じました。まぁ、日本でも素人には何故かグロタンディーク氏は大人気ですから(捏造されたエピソゥド、つまりグロタンディーク素数がどうたらこうたらに踊らされて?)、それはそれで良いのかも知れませんが。 前置きはこれくらいにして、この記事の私訳を以下に載せておきます。なお著者の注釈欄を省いていますが、注釈へのインデクスはそのままです。 [追

数学教育について

聞くところによれば、関数型プログラミング言語の流行とともに数学の圏論がブームだそうで。圏の概念が他の数学の分野を全く知らない人でも意味が分かるのか疑問を持っています。その理由は後で述べます。 私の手許に故Serge Lang博士の名著"Algebra"があります。この本は理由があって、何と大昔の1974年の初版第6刷です。非常に貧しい学生だった私に恩師が2冊持っているからと言って1冊を下さり、私の生涯の宝物です。 仮に数学を代数学、幾何学、解析学という全く意味が無い区分けをしたとします。意味が無いと言うのは、例えば多様体論なんかはどの分野にも入るからです。そうであっても無理に区分けしたとしましょう。この3分野のうちでも、代数学(厳密に言えば抽象代数学です)が、勉強するだけなら(あくまで勉強するだけですよ、研究となれば別の話です)数学的予備知識も数学的センス(故小平邦彦博士の言うところの"数覚"、位相群で有名だった故George W. Mackey博士の言うところの"数学的成熟度"、まぁ簡単に言えば数学的才能ですね)も全く必要としません。必要なのは論理を追うための忍耐力と言えます。ですから、理解出来るか否かは別にして、代数構造を"言葉"として吸収することは誰にでも出来ます。数学のどの分野を専攻してもLang博士の"Algebra"程度の知識は"言葉"として知っていなければ話にならないのです。数学での代数学は、私達が日本語や英語等でコミュニケーションするのと同じく、数学の言語なのです。 Lang博士の"Algebra"には、第1章群論の第7節に早くも"圏と関手"が登場します(ページで言えば25ページ目です)。ついでながら、この圏、関手という日本語は全く元の英語が想像出来ないので、以降カテゴリ、ファンクタと書きます。 ところで、Lang博士はブルバキにも入っていた人ですから、こういう抽象度が高い概念を重要視しているかと思いきや、決してそうではないのですね。元々カテゴリ、ファンクタ(ファンクタの方が重要な概念でして、カテゴリはファンクタが扱う対象物です)は、ホモロジー代数の一部として提案された概念です。ホモ