ずっと前に紹介した" フランクフルト数学セミナーの歴史について "を読んだ人ならナチ政権の愚かさとそれを支持した殆どの独逸国民の馬鹿さを御存知でしょう。日本も同様でした。ところが時が経つに連れ反省意識も薄れ、日本では国粋馬鹿がはびこっています。 概して、国が世界から孤立するとか、国が理解されないとかいう現象は必ずその国民全体に海外規模の視線を持てない、もしくは持たないところに要因があります。つまり、内向けの視線しか持たないのです。 さて、今回紹介する記事は" フランクフルト数学セミナーの歴史について "でも登場したマクス・デーン、及び前述の記事には登場しなかったゲーデルがどのようにナチから脱出して米国に移住したかを詳説している Notices of the AMS に掲載された Max Dehn, Kurt Gödel, and the Trans-Siberian Escape Route (PDF)です。その私訳を以下に載せておきます。なお、これを読んでゲーデルの生涯に関心を持たれたら是非ともJohn W. Dawson Jr.博士の著書 Logical Dilemmas. The Life and Work of Kurt Gödel をお勧めします。4月に緊急事態宣言が出てからの自粛生活に退屈しているであろうと友人共の一人がわざわざこの本を4月下旬に郵送してくれて、私も面白くて一気に読めました。 マクス・デーン、クルト・ゲーデルとサイビリヤン横断脱出ルート 2002年10月 John W. Dawson Jr. マクス・デーンとクルト・ゲーデルの経歴は非常に異なる軌跡をなぞる。それでもデーンとゲーデルは一つの歴史的事情で結ばれていた。すなわち、彼等はサイビリヤン横断鉄道[訳注: 日本の馬鹿表記では"シベリア横断鉄道"]を経由してナチズムの災難から逃げた唯一の高水準な数学者達だった。彼等の脱出の物語と移住前及び移住後の著しい差異はホロコーストの知的亡命者に突き付けた危険と限られた機会の両方を例証する。 1940年、マクス・デーンとクルト・ゲーデルの各々が欧羅巴を去り二度と戻らなかった。当時デーンは学問的経歴の最後に近い著名なトポロジストだった一方で、ゲーデルは数理論理学において人々を