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5月, 2020の投稿を表示しています

マクス・デーン、クルト・ゲーデルとサイビリヤン横断脱出ルート

ずっと前に紹介した" フランクフルト数学セミナーの歴史について "を読んだ人ならナチ政権の愚かさとそれを支持した殆どの独逸国民の馬鹿さを御存知でしょう。日本も同様でした。ところが時が経つに連れ反省意識も薄れ、日本では国粋馬鹿がはびこっています。 概して、国が世界から孤立するとか、国が理解されないとかいう現象は必ずその国民全体に海外規模の視線を持てない、もしくは持たないところに要因があります。つまり、内向けの視線しか持たないのです。 さて、今回紹介する記事は" フランクフルト数学セミナーの歴史について "でも登場したマクス・デーン、及び前述の記事には登場しなかったゲーデルがどのようにナチから脱出して米国に移住したかを詳説している Notices of the AMS に掲載された Max Dehn, Kurt Gödel, and the Trans-Siberian Escape Route (PDF)です。その私訳を以下に載せておきます。なお、これを読んでゲーデルの生涯に関心を持たれたら是非ともJohn W. Dawson Jr.博士の著書 Logical Dilemmas. The Life and Work of Kurt Gödel をお勧めします。4月に緊急事態宣言が出てからの自粛生活に退屈しているであろうと友人共の一人がわざわざこの本を4月下旬に郵送してくれて、私も面白くて一気に読めました。 マクス・デーン、クルト・ゲーデルとサイビリヤン横断脱出ルート 2002年10月  John W. Dawson Jr. マクス・デーンとクルト・ゲーデルの経歴は非常に異なる軌跡をなぞる。それでもデーンとゲーデルは一つの歴史的事情で結ばれていた。すなわち、彼等はサイビリヤン横断鉄道[訳注: 日本の馬鹿表記では"シベリア横断鉄道"]を経由してナチズムの災難から逃げた唯一の高水準な数学者達だった。彼等の脱出の物語と移住前及び移住後の著しい差異はホロコーストの知的亡命者に突き付けた危険と限られた機会の両方を例証する。 1940年、マクス・デーンとクルト・ゲーデルの各々が欧羅巴を去り二度と戻らなかった。当時デーンは学問的経歴の最後に近い著名なトポロジストだった一方で、ゲーデルは数理論理学において人々を

証明をめぐる3年の苦闘の後、困惑したままの数学者達

 前に紹介した" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "や" 数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明 "の[追記: 2019年02月28日]の中で2015年の12月にオクスフォドで開催された望月論文に関するワークショプに言及したことがありました。このワークショプの失敗が欧米における望月論文を理解しようとする意欲を完全に失わせたいう意味で決定的でした。 私の身辺の素人衆の中にこのワークショプはどんな感じだったのか知りたいと言う珍奇な人がいました。このワークショプの詳細なことはBrian Conrad博士の Notes on the Oxford IUT workshop by Brian Conrad を読めば必要かつ十分なのですが、素人には内容が重いので余り勧めたくありません。そこでいろいろ迷ったのですが、 New Scientist 誌に掲載された Mathematicians left baffled after three-year struggle over proof を紹介します。この記事を選んだ理由は短くてドキュメンタリ風だから素人衆でも少しは楽しめるだろうと思ったからです。 時系列的には、先ず" 数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明 "が先に来て、次に今回紹介する記事、そして最後に" ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する "という順番です。 ここで、PRIMSの望月論文受理に関する私の意見を日本及び海外の人に 平均的知性 があれば誰もが読めるように書いておきます。なお、英語を全く解しない、または翻訳エンジンに縋るしかない人、つまり 平均的知性 を持ってない人は時間の無駄ですから、これ以降読まなくて結構です(私の親族、友人共、知人達以外の赤の他人は私のブログを読むなというのが本音です。だから、 When did I ask you to read my blogs? To rub it in, I tell those who have nothing to do with me or are weak in English not to read my blogs. と言わせて貰います)のでお引取り願います。 As

フリーマン・ダイソンとの議論

プリンストン高等研究所名誉教授のフリーマン・ジョン・ダイソン教授が2020年02月28日に死去されたことは皆さんも御存知でしょう。享年96歳でした。ちょっと遅いですが、ここに謹んで哀悼の意を表します。 02月中旬頃から世界的にもコロナヴァイラス流行の兆しが見えていたので、ダイソン教授の死去を聞いた時、私は一瞬コロナヴァイラスが死因なのかと思いましたが、そうではなかったので変な意味ではなくちょっと安堵しました。96歳というご高齢なので安らかに世を去られたに違いありません。 ところでダイソン教授ほどの大科学者が博士号を取得していないことも有名な話です。だから私もダイソン博士とは言えないのです。いくら大科学者でも博士称号の申請をしない限り、世界中の大学が喜んで博士称号を贈りたくても出来ないのです。但し栄誉を称える意味での、いわゆる名誉博士号は20を下らない数を受けています。ここで言う博士称号は実際の博士号を意味します。何故ダイソン教授が博士称号を拒むのかも、今回紹介する記事の中でちょっとだけ触れられております。 こういうことを考えると、個人ブログやtwitter等のSNSのプロファイル欄でPh.Dや学位を権威の印籠のように振りかざして誇示する馬鹿連中のレヴェルの低さに愕然とします。と言うか、その滑稽さに腸が捻じれる程に笑えます。本当はダイソン教授ほどの実力があればプロファイル欄に何も記入する必要はないのです。実力の差はいかんともしがたいので仕方ありませんが、せめて日本国内向けポゥズ又は格好つけを止めて、世界規模の視線を持ってほしいと思います。 さて前置きはこれくらいにして、今回紹介する記事は EMS Newsletter の03月号に掲載された A Discussion with Freeman Dyson (PDF)です。その私訳を以下に載せておきます。 [追記: 2020年05月12日] ダイソン教授が少年期に読んで感銘を受けたというEric Bellの Men of Mathematics については" アーベル賞受賞者ジョン・フォーブス・ナッシュ・ジュニアへのインタビュー "の[追記: 2015年12月10日]を見て下さい。 フリーマン・ダイソンとの議論 2020年03月 Michael Th. Rassias チューリヒ大

COVID-19後の数学

コロナヴァイラスの影響のため、いろいろな催しやスポーツ等の大会が中止または延期になっていることは皆さんも御承知でしょう。そして、数学界も何らかの形でいろいろな影響を受けています。数学に限らず、どんな学問でも国際交流が不可欠です。ところが、コロナヴァイラスが世界中に蔓延している最中の2020年04月03日に京都大学数理解析研究所(略してRIMS)が望月論文の受理を宣言するため記者会見を催しました。望月論文の、あのいわくつきの"系3.12"の証明の合否の議論以上に、何故この時期に論文受理の記者会見をしたのか、非常に違和感もしくは不快感を覚えている人達が海外では少なからずいます。私の海外の知人達も不快だと言ってました。ここで私が海外の知人達に書き送ったものを少し長いですが、世界の( 平均的知性 を持っている人なら)誰もが読めるように(このことこそがインタネッを使用して発信するという本来のあり方なんです)さらけ出しておきます。なお、英語を解しない、または翻訳エンジンに頼る人は時間の無駄ですから以降読まなくて結構ですのでお引取り下さい(そういう 平均的知性 を持ち合わせていない人は私の友人共や知人達の中にはいないので)。 While COVID-19 is invading the globe, it's ridiculous for the RIMS to have held a news conference to announce accepting Mochizuki's papers. The RIMS members seem unaware that the maths communities of the world look askance at the RIMS. Even if the RIMS forcibly goes forward with the publication of the papers, there remains a possibility that the EMS Publishing House will cancel or break a contract with the RIMS. I expect that this faint hope will be the last to